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第十六章
音のその先に
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森の中で録音するとき、蓮はいつも自分の気配を消していた。
足音は極力控え、枝も踏まないように歩く。
音を残すために、あえて“音を立てない”。
それが、彼のやり方だった。
けれど、その日。
蓮は初めて、自分の足音を録った。
湿った土を踏む音。
小石が少し転がる音。
歩くたび、風が葉を押しのける音。
それは、誰かに「ここにいる」と告げるような行為だった。
姿はなくとも、音が「存在の輪郭」を描く。
その感覚を、今の蓮はすこしずつ受け入れていた。
—
少女もまた、録音の中に“自分の音”を入れるようになっていた。
それは、ただの呼吸だったり、風を感じてふと漏れた声だったり。
あるいは、一行だけ書かれた紙をそっと折る音だった。
蓮と少女は直接会うことはない。
けれど森の音は、ふたりのあいだに流れる「小さな橋」のようになっていた。
言葉がいらないのではない。
言葉になる手前の、まだ不確かなままの感情を、
音はまるごと伝えてくれるからだった。
—
蓮はある夜、録音した音を聴いていた。
いつものように静かな森の音。
ところどころに重なる風の唸り。
そしてその中に、小さな音が混ざっていた。
——紙がそっと折られる音。
それだけだった。
だが、その音は何よりもやさしかった。
まるで、「読んでくれてありがとう」と書かれた手紙を、
読んだ人が静かにしまうような音。
蓮は、胸の奥に波紋が広がるのを感じた。
それは孤独の中に差した光ではなく、
孤独の“かたち”が、やさしく変わっていく瞬間だった。
彼はふと思った。
——自分の音は、どこまで届くだろう。
今まで、音はただ「録るもの」だった。
けれど、今はそれが「届くかもしれない」と思える。
そしていつか、それが誰かの“輪郭”をやさしくなぞるかもしれないとさえ——
彼は、その夜の録音の最後に、そっと一言だけ吹き込んだ。
「きみの音は、僕のなかで、呼吸みたいになっている」
そして、その音源を一本のUSBに落とし、封筒に入れた。
宛名は書かなかった。
ただ、それを再び、図書館の棚にそっと置いた。
—
少女がそれを見つけたのは、数日後だった。
何も書かれていない封筒。
ただ、何となく“これは、あの人からだ”と感じた。
再生すると、森の音。
そして、最後に。
「きみの音は、僕のなかで、呼吸みたいになっている」
少女はその言葉を聴き終えたあと、
静かに目を閉じ、少し長く息を吐いた。
それは、音にならない返事。
けれど、たしかに彼に向けた“反応”だった。
—
ふたりは会わない。
けれど、ふたりは確かに、「交わしている」。
音の、その先に。
言葉が生まれる手前の、澄んだ静けさのなかで。
足音は極力控え、枝も踏まないように歩く。
音を残すために、あえて“音を立てない”。
それが、彼のやり方だった。
けれど、その日。
蓮は初めて、自分の足音を録った。
湿った土を踏む音。
小石が少し転がる音。
歩くたび、風が葉を押しのける音。
それは、誰かに「ここにいる」と告げるような行為だった。
姿はなくとも、音が「存在の輪郭」を描く。
その感覚を、今の蓮はすこしずつ受け入れていた。
—
少女もまた、録音の中に“自分の音”を入れるようになっていた。
それは、ただの呼吸だったり、風を感じてふと漏れた声だったり。
あるいは、一行だけ書かれた紙をそっと折る音だった。
蓮と少女は直接会うことはない。
けれど森の音は、ふたりのあいだに流れる「小さな橋」のようになっていた。
言葉がいらないのではない。
言葉になる手前の、まだ不確かなままの感情を、
音はまるごと伝えてくれるからだった。
—
蓮はある夜、録音した音を聴いていた。
いつものように静かな森の音。
ところどころに重なる風の唸り。
そしてその中に、小さな音が混ざっていた。
——紙がそっと折られる音。
それだけだった。
だが、その音は何よりもやさしかった。
まるで、「読んでくれてありがとう」と書かれた手紙を、
読んだ人が静かにしまうような音。
蓮は、胸の奥に波紋が広がるのを感じた。
それは孤独の中に差した光ではなく、
孤独の“かたち”が、やさしく変わっていく瞬間だった。
彼はふと思った。
——自分の音は、どこまで届くだろう。
今まで、音はただ「録るもの」だった。
けれど、今はそれが「届くかもしれない」と思える。
そしていつか、それが誰かの“輪郭”をやさしくなぞるかもしれないとさえ——
彼は、その夜の録音の最後に、そっと一言だけ吹き込んだ。
「きみの音は、僕のなかで、呼吸みたいになっている」
そして、その音源を一本のUSBに落とし、封筒に入れた。
宛名は書かなかった。
ただ、それを再び、図書館の棚にそっと置いた。
—
少女がそれを見つけたのは、数日後だった。
何も書かれていない封筒。
ただ、何となく“これは、あの人からだ”と感じた。
再生すると、森の音。
そして、最後に。
「きみの音は、僕のなかで、呼吸みたいになっている」
少女はその言葉を聴き終えたあと、
静かに目を閉じ、少し長く息を吐いた。
それは、音にならない返事。
けれど、たしかに彼に向けた“反応”だった。
—
ふたりは会わない。
けれど、ふたりは確かに、「交わしている」。
音の、その先に。
言葉が生まれる手前の、澄んだ静けさのなかで。
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