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噴水事件
しおりを挟む王宮の庭は、夏の名残を含んだ風がそよぎ、ガゼボの白いカーテンを揺らしていた。
その奥に、クラウスの姿が見える。
私は小さく息を吐いた。
胸の奥が重い。
「大丈夫です。僕がついてます」
隣でルネが、そっと声をかけてくる。
その言葉に、私はわずかに頷いた。
2人で並んでガゼボへ向かうと、クラウスはゆっくりと立ち上がった。
そして──ルネを見た瞬間、表情が固まった。
「……何のつもりです?」
「将来、ルネを我が後宮に入れたい」
「…………は?」
クラウスの瞳が大きく揺れた。
その反応は、怒りとも困惑ともつかない。
「そちとの婚姻は政略だ。
だが、わらわの心は……そちとは別のところにある」
クラウスは言葉を失い、ゆっくりとルネへ視線を向けた。
ルネは喉を鳴らしながらも、私の隣から離れない。
「私が不妊なら、婚姻後すぐ側室をとるのも仕方ありません。
しかし『婚前から愛人を囲うことを許可せよ』など……我が家門への侮辱では?」
「そのような意図はない。
公然の場でルネを愛人と認めたことも、口付けを交わしたこともない。一線は守っている。
それに──そちにも愛する人を作るといい、と言ったはずだ」
クラウスの眉がわずかに震えた。
「……殿下は、私の立場を理解しておられない」
「理解しておる。
だが、そちもまた──わらわの“人としての気持ち”を理解しておらぬ」
クラウスは息を呑んだ。
「そちは、わらわを“王女”としてしか見て来なかった。
わらわの心が、どこに向いているかなど考えたこともなかろう」
「……殿下……」
「そちが悪いわけではない。
だが、わらわは心に嘘をつき続けることはできぬ」
クラウスは、ゆっくりと立ち上がった。
その表情は、怒りでも悲しみでもなく──ただ、深い痛みを湛えていた。
「認めることはできません。
……失礼します」
踵を返し、足早に去っていく。
その背中は、初めて“弱さ”を見せていた。
静寂が落ちる。
ルネが、そっと私の手を握った。
その手は小さく震えていたが、温かかった。
「大丈夫です。
いつか……クラウス様にも愛する人ができれば、僕たちの気持ちをわかってくれるはずです」
「……そうだな」
そう答えながら、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
クラウスの痛みも、ルネの温もりも、どちらも無視できない。
それでも──私はルネの手を離さなかった。
夕飯を終え、私は口を拭った。
王はワインを揺らしながら、娘が話しかけてくるのを待っている。
「父上」
「ん」
「愛妾をとりたく存じます」
王は眉ひとつ動かさず、淡々と返した。
「クラウスは、何と?」
「認めないと」
「そうだろうな。あれは自分から、そなたの婿に立候補したからな」
「は…………父上も、そのような冗談を仰るのですね」
「冗談ではない。
そなたの茶会デビューでクラウスが見初めて、公爵が婚約の打診をしてきたのだ」
思考が一瞬止まった。
「──見初め?
そんなまさか……そんなこと仰らなかったではありませんか」
「子供に言ったところで仕方あるまい。
それに好意あっての縁談なら、クラウス本人が努力すべきだろう」
……クラウスが、私を“見初めた”?
あの、いつも冷静で、礼儀正しく、距離を置いていた男が?
思い返せば、クラウスはいつも“正しい距離”を保っていた。
それは冷たさではなく、誇りと節度の表れだったのかもしれない。
「クラウスは誇り高い。
そなたに好意を持っていることを、表に出すような男ではない」
「……そのような男と添い遂げるわらわを不憫と思うなら、どうぞ愛妾をお認めください」
あれだけ気持ちが見えなければ、好意がないのと同じだ。
こちらはカウンセラーではない。
王は肩をすくめた。
「うん、まあ、公爵に言うだけ言っておいてやるが、情の縺れの尻拭いを父にはさせるな」
「わらわの意思を無視して婚約を決めておいて勝手ですな」
「王族が自分の好いた相手と結婚できるわけなかろう」
「……」
その言葉は、胸に重く沈んだ。
“王女”としての人生と、“人”としての心が、真っ向からぶつかり合う。
クラウスの静かな好意。
ルネの真っ直ぐな想い。
そして、自分自身の揺れる心。
私はゆっくりと息を吸った。
初冬の冷たい風が吹き抜け、学園の木々は色を失い始めていた。
「おー寒。狩猟大会の準備をせねばなりませんね」
ロナンザが肩をすくめる。
「そうだな」
「どうせ、また1位はヴァレンシュタイン公爵令息でしょう」
ナディアの言葉に、私はわずかに目を伏せた。
あれ以来──クラウスとは茶会も会話もなく、公務だけを機械的にこなす日々。
距離は縮まるどころか、険悪さだけが増していた。
「ルネは、どうした?」
気を取り直して尋ねると、ロナンザは記憶を辿るように答える。
「確か……騎士科に呼ばれて、防具がどうとか」
「騎士科……嫌な予感がする。迎えにいこう」
方向を変えると、ロナンザが呆れたように笑った。
「過保護ですなあ」
校舎の角を曲がろうとした。
その時──
「……ベレッタ様が、可哀想じゃないんですか?!
──わ、止めてください!」
ルネの声が響いた。
バシャンッ!
嫌な音がして、私は駆け出した。
「ルネ!」
噴水の中にルネが落ちていて、その前にクラウスが立っていた。
クラウスの表情は読めない。
怒りか、困惑か、あるいは──。
「だ、大丈夫です……殿下……」
ルネは震えながら手を伸ばした。
私はその濡れた手を掴み、力いっぱい引き上げる。
ルネの体は冷え切っていた。
「急いで医務室へ!
この季節ですから、低体温症を起こしてしまいます!」
ナディアが声を上げ、ロナンザもすぐに駆け寄る。
「立てるか、ルネ!」
「う、うん……」
3人で抱えるようにして、ルネを医務室へ運んだ。
振り返ると、クラウスは噴水の前に立ち尽くしたまま、微動だにしなかった。
その横顔は、怒りでも嘲りでもなく──
困惑だった。
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