【完結】クズ夫を嫉妬させる役のモブ王子が激甘でした ※ただし彼には本命の愛人がいます

星森 永羽(ほしもりとわ)

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白い結婚じゃなかったそうです

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 妃殿下の部屋は、暖炉の火が静かに揺れていた。  
 昼間からずっと話し続けて、さすがに疲れてきた。

「そろそろ下がっても、よろしいでしょうか」

 そう言うと、ヴァネッサは椅子に肘をついたまま言った。

「選ばせてやる」

 ──え、何を? まさか……。

「私に、女性を満足させる技術はありません。
 ただ、大人のおもちゃを開発して良いのなら……時間はかかりますが、なんとかなるかもしれません」

 ヴァネッサは腹を抱えて爆笑した。

「そちが期待している内容ではない。わらわにも、女を抱く趣味はない。真実を確かめたいか? と聞いている」

 ……真実?

「……確かめる方を」

 私が静かに答えると、彼女は頷いた。

「わかった。使用人部屋に戻らず、待機せよ」

 その声は、まるで裁定を下す女王のようだった。  



「そろそろ、クローゼットへ入れ」

 夜が更に深まると、ネグリジェ姿の彼女はそう言った。
 部屋の隅にある大きなクローゼットの扉を開け、中に身を滑り込ませる。 香水と布の匂いが混ざっていた。

 しばらくして、外からメイドの声が聞こえた。

「殿下の、お渡りです」

 ──渡り?  
 王宮にいる女性たちとは“白い関係”だって、ティエルは言っていたのに。

「お通しせよ」

 扉の開閉音。  
 布ずれの音。  
 くちゃくちゃと湿った音。  
 息遣い。  
 そして──

「……フリージア、フリージア……はあ……フリージア……」

 ティエルの声だった。  
 耳を疑った。  
 え? 私? なにこれ……。

 心臓が跳ね上がる。  
 息を殺しても、震えが止まらない。  
 何が起きているのか、頭が追いつかない。

 しばらくして、また扉の開閉音がして静寂が戻った。

「フリージア? もう行ったぞ」

 クローゼットの扉が開かれる。  
 ヴァネッサが私を見下ろしていた。

「……震えてるのか」

「ひ、妃殿下……これは……何が……」

「いつもこうだ」

 その一言に、私は崩れるように膝をついた。  
 震えと涙が止まらない。  
 悔しさと、怒りと、悲しみと──何より、裏切られたという感情が、胸を掻き乱す。

「す、すみません……」

「よい。あの男が好きだったのか?」

 思わず顔を上げた。  
 その問いは、あまりに鋭くて、答えに詰まる。

「それは……」

「気を遣わなくていい。わらわも、昔は好いてた時期があった」

「え? ……王太子殿下は、妃殿下に嫌われてると言ってましたけど?」

「それは……わらわが愛想笑いの1つもしないからだろう。婚約した15年前は、それでも仲良く遊んでいた。  
 思春期になって距離ができ……貴族学園に入学すると、あの女が──セフィナ・アルヴァリエにのめり込んでいった。  
 わらわは、ティエルから更に距離をとった」

 青い目は、どこか遠くを見ているようだった。  
 過去の記憶に触れるたび、彼女の表情が少しずつほどけていく。

「……妃殿下の心は、今どこにあるのですか?」

「は?」

「まだ王太子殿下と、やり直したいのですか? それとも、他に好きな人がおられるのですか?」

「わらわは王太子妃なのだぞ? 世継ぎもいないのに、愛人などつくれるか」

「世継ぎがいればいいんですね」

「は?」

「でも、変ですね。妃殿下ともセフィナとも閨があるのに……子種がないのでは?」

 ヴァネッサが呆れたように私を見た。

「……わらわの寝室で良かったな。外でそんなこと聞かれたら、首をはねられるぞ」

「心得てます」

 私は静かに頭を下げた。  
 けれど、疑問は消えない。

「鼠が孕まないのは、避妊措置を受けているからで……わらわは避妊薬を飲んでいる」

「え?」

 セフィナはわかる。王太子に庶子ができると面倒だ。けれど、ヴァネッサが?  
 それでは、いつまでも自由になれないのでは……。

 でも、そうだ。  
 “誰もが妃と認めるドレス”──あれは、彼女が自分の立場を守るための鎧。

「なぜ、正室の立場を守りたいのです? 実家ですか?」

 王族との結婚は個人の感情でなく、家を背負っている。

「それもある」

「……?」

「自分でも、気持ちに踏ん切りがつかないのだ。なぜ……なぜ、そのままではいけなかったのか。  
 わらわが平民女のように屈託なく笑い、節操なくしなだれかかっても、夫はわらわを好きにならなかったはずだ。  
 なぜ、子供の頃のままではいけなかった?」

 その問いは、私に向けられたものではなかった。  
 彼女自身に向けた、答えのない問いだった。  
 私は、凹凸の鋭い横顔を見つめた。

「私には……前世の記憶があります」

 暖炉の火が静かに揺れる中、私はぽつりと口を開いた。

「そこでは、若い子向けの服屋で働いていました。20代半ばで店長になったんですけど……年を取るにつれて、客層と自分の年齢が合わなくなっていって」

 ヴァネッサは黙って、私を見つめていた。

「そのうち、バイトの子にすら“おばさん”って陰口を叩かれるようになって……。
 でも私は、その世界しか知らなかったんです。学校を卒業してすぐ就職して、ずっとそこで働いてきたから。
 だから店を辞めた後、自分がどうなるのかって。1から下積みしなきゃいけないのかって……」

 ヴァネッサが、わずかに息を飲んだのがわかった。

「そうしてるうちに、死んでしまいました。
 今となってみれば、あの悩んでた時間は無駄でした。いろんな仕事をしてみればよかった。そしたら、もっと自分に合った仕事が見つかったかもしれない。
 なぜ、あんなにしがみついていたのかって……」

 私は、そっとヴァネッサの手を取った。  
 彼女の指先は冷たく、けれど拒まなかった。

「全て、使用人に丸投げするのではなく、やってみましょう」

「……何を?」

「そうですね。まずは、花壇の手入れでもしてみましょうか。料理するのもいい。私は、あまり得意じゃないんですけど」

「王太子妃のわらわが?」

「妃は、単なる肩書きの1つにすぎないですよね? それが全てではない」

「全て……ではない?」

「はい。色んなことにチャレンジして、自信がつけば見方が変わるはずです。その時に、まだティエル殿下を愛してると思えば、修復する努力をすればいい。
 悩んでた時間を“ちっぽけ”だと思うなら、次に進めばいい」

「ちっぽけ……?」

「はい。なぜなら、人間は死ぬのです。永遠に生きられるのは、神だけです」

 ヴァネッサは、長く息を吐いた。  
 その目に、ほんの少しだけ光が戻った気がした。

「……そちは大舞踏会で、わらわにどんな衣装を着せるつもりだ?」

「ヒーイズル国の民族衣装にしようかと思っています」

「他国の民族衣装だと?」

「はい。“着物”といいます。今の社交界の流行りはウエストを極限まで絞って、スカートをパニエやクリノリンで膨らませるのが主流ですよね。
 でも、着物は真逆なんです。帯で括れを隠し、スカート部分はタイトで直線的」

「それは……しかし……」

 位が高い女性ほど、スケートが大きいのにはワケがある。
 それはわかっているが、革新するなら逆をやるのが早い。

「まず妃殿下が和服を、お召しになることで『異文化に精通している』と知性を示せます。
 そして、新しい形を提唱することで『時代を牽引できる』と見せられるはずです」

 ヴァネッサはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。

「なるほど。いいだろう。明日、デザインを準備せよ」

「仰せのままに」  

 私は深く一礼した。  
 この夜が、彼女にとっても私にとっても、何かの始まりになる気がした。




 翌朝、私は王太子妃の部屋で机に向かっていた。  
 窓から差し込む初冬の光が、白い紙の上に柔らかく広がっている。  
 朱を基調にした着物の構造を、鉛筆で丁寧に描き出していく。  
 ヴァネッサは腕を組んで、私の手元を見つめていた。

「これが基本の構造です」

「なるほど」

「朱のベースに金の帯が目立つかと思いますが?」

「そうだな。それでいい」

 彼女の声は短く、けれど確信に満ちていた。  
 私はスカート部分の余白を指でなぞる。

「スカート部分に刺繍を入れようと思いますが、鳥や花はいかがですか?」

「ならば、デザインをマティアス殿下に頼んでくれ」

「マティアス……ティエル殿下の弟君?」

「ああ。
 ──おい、先触れを出せ」

 ヴァネッサが、扉の外に声をかける。  
 義弟に頼むって、どういう意味があるんだろう?

 

 マティアス殿下の離れは、絵の具と紙の香りに満ちていた。  
 窓辺には画板が立てかけられ、床にはスケッチブックが散らばっている。  
 部屋の中央に立っていたのは、シルバーブロンドの髪を肩に流した、儚げな美少年だった。  
 ティエルと同じ翡翠色の瞳は、虚ろで頬はこけ、肌は透けるように白い。

「やあ。君が新しい……衣裳係?」

「はい、メイドと兼任です」

「メイドと? 義姉上は、何をするつもりなんだ?」

「さあ? そこまでは」

 彼は小さく笑って、私に手を差し出した。

「まあいい。デザインを見せて」

 私は描いた着物の図案を差し出す。  
 彼はそれを受け取り、じっと見つめた。

「これは……変わったデザインだね」

「ヒーイズル国の“着物”と言います。この部分に鳥と花の刺繍を入れたいのです」

「ふむ。そのデザインを僕にしろと……」

「はい」

 マティアスは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。

「わかった。いま描くから、待ってて」

「え……わかりました」

 彼は机に向かい筆を取り、静かに線を走らせ始めた。  
 その背中は、病弱な体を感じさせないほど、集中していた。


 マティアス殿下の筆が止まった。  
 彼の細い指が紙を押さえ、淡い墨の濃淡で描かれた鳥の影が、朱の地に浮かび上がる。  
 その上に、金糸と白糸で重ねる刺繍の指示が添えられていた。  
 絵と刺繍が重なり合い、“見えないものが浮かび上がる”構造──まるで幻のような美しさだった。

 花のモチーフは、淡い桃から深紅へのグラデーション。  
 少女から王妃へ、感情の深まりを象徴するような色の移ろいに、私は息を呑んだ。

「……なぜ朱鷺や椿を?」

「ん? 一応、王子だからね。ヒーイズル国の文化にあわせてみた」

「凄いです!」

 思わず声が弾んだ。  
 マティアスは照れたように笑い、すぐに咳き込んだ。

「ははは……ゴホゴホッ」

「失礼ですが、肺の病気でしょうか?」

「不快にさせて、すまない。生まれつき体が弱いんだ。移るものではないよ」

「不快などと……ただ……漢方を試されては?」

「カンポウ?」

「ええ。東洋の薬です。
 私も詳しいわけではないのですが、西洋医学は戦場の応急措置から発展した学問で、東洋医学は根管治療を目指しているものです。内容が違うのです」

 マティアスは翡翠の目を細め、ゆっくりと頷いた。

「体質改善しろ、と言うんだね」

「血行が良くなるだけでも、体調が変わると思います」

「そうか。それもヒーイズル国の?」

「いいえ、これはリアトリス国です」

 マティアスはベルを鳴らし、部屋の外に声をかけた。

「リアトリス国の貿易商を呼んでくれ」

「あの、殿下……」

「ん?」

「リアトリス国の貿易商が来たら、米と味噌と醤油と大豆を……」

「それは食べ物だよね? 何か作ってくれるの?」

「作ります! できれば、麹と豆板醤と昆布も欲しいのですが」

 マティアスは声を上げて笑った。

「いいよ。欲しいものを紙に書いておいて」

「やったー!」

 私は思わず両手を上げて喜んだ。  
 マティアスはさらに笑いながら、首を傾げた。

「君は本当に面白いね。王宮に勤めてるということは、どこかのお嬢さんだろう。家名を教えてもらえるかい?」

「あ、えっと……ノルディエ辺境伯が娘、フリージアです。今は、亡命しており平民です」

「ノルディエ辺境伯?! フローディア国の?」

「はい……」

「そうか……君が兄上の想い人か」

「ご存知なのですか」

「新聞に大々的に載ったのに、わからないわけないだろう」

「そうですよね……」

 マティアスは呆れたように、ため息をついた。

「兄上の恋人が、なぜ正室のメイドになって衣装を考えてるんだい?」

 私は少しずつ、これまでの経緯を話した。  
 亡命、牢獄、舞踏会の衣装のこと──そして、フローディアの仲間たちのこと。

 マティアスは静かに考え込んだ。

「つまり君が、ここに留まってるのは仲間と合流したいから?」

「はい」

「だったら、僕の正室になればいい。僕は、この体だから婚約者もいない」

「っ! で、殿下は、それでいいのですか?!」

「構わない」

 あまりにあっさりした口調に、私は言葉を失った。  
 けれど、すぐに首を振る。

「早まってはいけません。私は、とんでもない女です」

 マティアスは吹き出した。

「なんとなく、それはわかってる。そうだね──まずはデートでもしようか」



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