【完結】クズ夫を嫉妬させる役のモブ王子が激甘でした ※ただし彼には本命の愛人がいます

星森 永羽(ほしもりとわ)

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パンケーキは立ち食いです

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 ヴァネッサ妃の部屋に戻ると、彼女は窓辺の椅子から鋭い視線を向けてきた。

「なんだ、その顔は? デザインは、どうした?」

 私は黙って、マティアス殿下から預かった手紙を差し出した。  
 彼女は封を切るなり、額に手を当てて深いため息をついた。

「そちの面白さが、マティアス殿下にバレてしまった。しかし──やらん」

「何だというのです?」

「自分の婚約者にするから寄越せ、と言ってきた」

 私はその場で固まった。  
 頭の中が真っ白になる。
 ──本気なの?

「しかし、渡さん。まずは、デザインを見せよ」

 我に返って、私はそっとデザイン画を広げた。  
 朱の地に墨の濃淡で描かれた鳥の影。  
 その上に重ねられる金糸と白糸の刺繍。  
 花は桃から深紅へのグラデーション──少女から王妃への変遷を象徴する、静かで力強い構成。

 ヴァネッサは目を見開き、しばらく言葉を失っていた。

「凄いでしょう?」

「ああ……マティアス殿下は天才なんだ」

 彼女の声には、素直な感嘆が滲んでいた。  
 私は図案を指でなぞりながら、現実的な問題を口にする。

「問題は、それを誰が作るかってことですよ」

「服屋だったんだろう?」

「私は売り子で、針子ではないのです」

「そういうことなら仕方ない。
 ──おい、衣裳室にこれを渡せ」

 扉の外に声をかけると、すぐに使用人が現れて図案を受け取っていった。  
 私は、ほっと息をついた。

「さて、何しましょうか? ふわふわのパンケーキ、食べたくないですか?」

「ふわふわだと? 作れるのか?」

「私は発案するだけで作れません。作ってくれたのは、フォレス、トーレン、それに家にいたメイドです」

「地下の男か……いいだろう。出して作らせろ」

「一緒に作りましょう。私も料理を覚えたいので」

 ヴァネッサは呆れたように私を見つめ、肩をすくめた。

「今まで逞しい女たちは、たくさん見てきたが──そちは群を抜いてる」




 厨房の扉を開けた瞬間、私は駆け寄ってその人に飛びついた。

「フォレス!」

 彼の広い胸に顔を埋めると、懐かしい香りがした。  
 フォレスは驚いたように私を受け止め、すぐに頬に手を添えた。

「頬に怪我を……これは?」

「違うの。妃殿下じゃない。鼠にやられたの」

「……鼠?」

 背後から、ヴァネッサ妃の冷ややかな声が響いた。

「夫の古い愛人だ」

 フォレスの表情が険しくなる。  
 けれど、私はその空気を振り払うように手を叩いた。

「それよりパンケーキ作るのよ!」

「……わかりました。まずバターを室温にして、粉をふるいます」

 フォレスはすぐに作業に取りかかり、厨房に甘い香りが広がっていく。  
 卵を泡立て、ふわふわの生地を焼き上げる手際は、さすがだった。
 

 焼きたてのパンケーキが皿に積まれ、湯気を立てていた。  
 バターがとろけ、たっぷりの生クリームと果物が彩りを添える。

「こんなに膨らんでいるのは、初めて見た。よし、ティーセットの準備をさせよう」

 ヴァネッサがメイドを呼ぼうとした瞬間、私はフォークを手に取り、パンケーキにぶすっと刺した。

「何言ってるんですか。このまま出来立てを食べるんですよ。ほら」

「こ、ここで立食すると? キッチンだぞ?」

「そうです。早くしないと、生クリームが溶けちゃうでしょ。
 さあ、ほら。妃殿下が食べないと、私たちも食べられないんですから。早く」

「お嬢様、少し強引かと……」

 フォレスが苦笑する。  
 ヴァネッサは呆れつつも、ふっと笑った。

「いい、わかった。食べてやる」

 フォークで口に運んだ瞬間──青い目が見開かれた。

「……うまい」

 私は思わず両手を上げて喜んだ。

「やった!」

 3人で、厨房の片隅に立ったまま、焼きたてのパンケーキを頬張る。  
 甘い香りと、ふわふわの食感。  
 笑い声が、湯気の中に溶けていく。

 ヴァネッサは笑いが止まらず、肩を震わせながら言った。

「なんて女だ」



 ふわふわのパンケーキを平らげたあと、私は満足げにお腹をさすった。  
 甘さとバターの香りが、まだ口の中にふんわり残っている。

「次は城下町に行って、流行を見たいです。行きましょう!」

 私は勢いよく、ヴァネッサに向き直った。  
 彼女は、じとっとした目で私を見る。

「あのな、わらわにも執務があるのだ」

「そんなの侍女にさせて、最後にサインだけすればいいんです。
 それに、流行を見るのも仕事です。行きましょう!」

 私は手を引いて、ぐいっと引っ張る。  
 ヴァネッサは少し抵抗したが、やがて深いため息をついた。

「……わかった」

 私はにっこり笑って、彼女の手をぎゅっと握った。

「やった! じゃあ、今日も楽しく働きましょうね、妃殿下!」

 ヴァネッサは肩をすくめながらも、どこか楽しげに立ち上がった。  
 ──さて、次はどんな面白いものに出会えるかな。




 城下町の石畳を、歩く。  
 通りには色とりどりの布地が並び、ブティックのショーウィンドウには煌びやかなドレスがずらりと飾られていた。

「綺麗だけど、似たデザインばかりですね」

「こんなもんだろう」

 ヴァネッサは腕を組んで、無表情にショーウィンドウを眺めていた。  
 私はマネキンのドレスを見ながら、首を傾げる。

「動きにくいし、脱ぎ着しづらいし……」

「そちのように、じっとしていない性分には辛かろうな」

「そうですね。
 まずは、狩猟に良さそうな服を考えましょうか。動きやすくて、スタイリッシュなの。うーん……」

 そのとき、通りの向こうからヒステリックな声が響いた。

「ここで買ったドレスが、この前のパーティーで被ってたのよ! 同じデザイン、売るんじゃないわよ!」

 怒鳴っているのは、派手な羽飾りをつけた貴婦人。  
 店員は困り顔で頭を下げていた。

「そう言われましても……フルオーダーでない限り、似たようなものが出るのは仕方ないかと……」

 私は近寄って、声をかけた。

「でしたら、ニットレースはいかがですか? 確か“マリアライン”というブランドで出してたはずです」

 私が特許を持っているニットレース。  
 商業ギルドを通じて、フローディア国の“マリアライン”という高級ブランドで展開されていたはず。

「ニットレース? 聞いたことない。それにマリアラインって、フローディア国の一流店でしょ? 遠くて行けないわよ」

「商業ギルドで交渉してみますので、一緒に行きましょう」

 貴婦人が戸惑っていると、背後から低く響く声がした。

「……そちは、まったく……」

 振り返ると、ヴァネッサがため息をつきながら歩いてきていた。  
 貴婦人が彼女の姿を見た瞬間、顔色を変える。

「ひ、妃殿下!? ど、どうしてここに!?」

「その者は、わらわのメイドじゃ。……仕方ない。商業ギルドに行くぞ」



 商業ギルドの応接室に入ると、担当の男が帳簿をめくりながら顔を上げた。

「えー、ニットレースですね。確かに“マリアライン”の独占契約になってますが、こちらでも扱えますよ。
 カタログを取り寄せるので、数日頂けますか?」

「デザインなら、私が今いくつか描きますので。販売許可だけ取ってください」

 一瞬、部屋の空気が止まった。  
 男も、ヴァネッサも、先ほどの貴婦人も、目を丸くして私を見た。

「わ、わかりました。売れ行き次第で一般販売という契約なので、恐らくすぐ取れます。君、ノルディエ辺境伯領の支部に伝書鳥を出して」

 部下が慌ただしく部屋を出ていく。  
 私はテーブルに紙を広げ、ペンを走らせた。

「重ね着のイメージです。シンプルなドレスの上に、これを着ます」

 描き上げたデザインを、いくつか並べる。  
 透け感のあるニットレースが、ドレスのラインに柔らかく重なり、動くたびに光を受けて揺れる構造。  
 誰もが真剣な表情で見入っていた。

「これなら被らないわ」

 貴婦人が感嘆の声を漏らす。  
 その横で、ヴァネッサが腕を組んで私を見つめた。

「なぜこれを、わらわに教えなかった?」

「妃殿下が着るには、カジュアル過ぎます」

 トレーナーは部屋着でいいとして、これは外出用なのだ。

「狩猟に行くには、ちょうどいいだろう」

「ああ、確かに。では、狩猟用のデザインも描きます」

 私は新しい紙を取り出し、さくさくと線を引いていく。  
 動きやすさを重視しつつ、ウエストラインを美しく見せるカット。  
 袖口にはレースのアクセントを加え、機能性と女性らしさを両立させた。

「狩猟服なのに、女性らしいわね」

 貴婦人が感心したように呟く。

「動きやすくて機能的だ。これをすぐ作ってくれ」

 ヴァネッサの声に、ギルドの男が慌てて立ち上がった。

「は、はい! 手配いたします!」

「私も欲しいわ」

 貴婦人が、デザイン画を見つめながら言った。  
 ギルドの男が即座に頷く。

「わかりました」

「あなた、すごいのね。名前は?」

 私は答えかけたが、先にヴァネッサ妃が口を開いた。

「フリージアだ。事情あって預かりの身ゆえ、家名は伏せる」

「そうですか。私はリンダ。パスティーニ子爵の妻よ」

「パスティーニ子爵夫人、今度パーティーがあれば妃殿下の付き添いで行きたいのですが」

「おい」

 ヴァネッサが低く突っ込んでくるのを無視して、私はリンダに微笑みかけた。  
 彼女はくすくすと笑いながら言った。

「ふふふ、丁度いいのがあるわよ。
 明後日の夜、仮面舞踏会があるの。急だけど、妃殿下なら誰も出席を断らないわ」

「行きましょう!」

 私はヴァネッサに向き直る。

「正気か?」

「仮面舞踏会なら、派閥も関係ないではないですか」

 ヴァネッサはしばらく私を睨んでいたが、やがて観念したようにため息をついた。

「……おい、彼女のドレスをいくつか見繕え」

「すぐに!」

 ギルドの男が、ウハウハと笑いながら係を呼ぶ。  
 ヴァネッサは、こめかみを押さえながら呟いた。

「……とんでもない女だ」

「次は武器屋に行って、包丁を作りたいです」

「それで、わらわを刺す気か」

「妃殿下を食べたって美味しくないですよ。たいして肉がついてないじゃないですか。
 違います。薄切り肉を作って、しゃぶしゃぶするんです」

 一瞬、場が凍った。  
 誰もが言葉を失い、私を見つめている。

「少し凍らせた肉を鋭い包丁で薄切りにして、エールに漬けて柔らかくしつつ臭みを消し、お湯に潜らせてタレをつけて食べるのです。
 柔らかいので、子供もお年寄りも食べられます」

 ごくり──  
 誰かが喉を鳴らした。

「そ、それ、こちらで作らせていただけませんか? 販売許可をいただけるなら、好きなだけ納品いたします。もちろん無料で!」

「いいんですかー?! わーい、やったー!」

 私は両手を上げて飛び跳ねた。  
 ギルドの男は目を輝かせ、すでに職人を呼ぶため叫んでいる。

「おい、アイディア登録しなくていいのか」

 ヴァネッサが、呆れたように言う。

「包丁ですよ?
 それにね、庶民は固い肉ばかり食べてるんですよ。あれは体に悪いですから。しゃぶしゃぶが普及すれば、平均寿命伸びますよ」

 またしても、全員が絶句した。  
 私は胸を張って言い切る。

 ──だって、本当のことだもの。

「……そうか。好きにしなさい」

 ヴァネッサは肩を落としながら、どこか楽しげに笑っていた。  
 この国、案外悪くないかもしれない。



 城下町の通りを並んで歩きながら、私は笑った。

「いやー、ドレスいっぱい買ってもらっちゃって、すいません」

「必要経費だ」

 ヴァネッサは、涼しい顔で言い放った。

「ところで、どこへ?」

「串肉の実食です。あ、あそこで売ってる」

 私は指差しながら駆け出し、屋台の前で立ち止まった。  
 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。  
 焼きたての串肉を2本買って、1本をヴァネッサに差し出した。

「どうぞ」

「……」

 彼女はしぶしぶ受け取り、串をじっと見つめてから、慎重に一口かじった。

「毒味しなくていいんですか?」

「そちの行動を予測して、毒を盛るなど不可能だ。そして、硬い」

「そうでしょう」

 私もかじる。  
 噛み切るのに力が要るけれど、味は悪くない。

「そうか。民は、これを食べてるのか」

「もっと食べやすくて、体にいいものを考えるのも楽しいですね」

「……楽しい……そうか」

 ヴァネッサは串を見つめながら、ぽつりと呟いた。  
 その横顔は、どこか柔らかく見えた。

 

 
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