夫が「未亡人を我が家で保護する」と言ってきました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

文字の大きさ
1 / 1

夫が「未亡人を我が家で保護する」と言ってきました

しおりを挟む





 玄関の扉が開き、外気と一緒にクロードが入ってきた。
 濃紺の外套に金糸の刺繍、整えられた黒髪に灰色の瞳。

「カタリナ、ただいま」

 私は出迎えながら、彼の後ろに立つ見知らぬ女に目を留めた。
 淡い金髪をゆるく巻き、喪服のような黒いドレスを着ている。
 肌は雪のように白く、瞳は薄紫。
 弱々しい雰囲気をまとっていた。

「おかえりなさい。そちらの方は?」

「フローレ・ミルサンジュ前侯爵夫人だ」

 見たことのない顔だ。
 どういうことなのかしら?

「夫に先立たれ婚家から追い出されたが、実家は没落していて行くところがないという。
 だから、うちで保護することにした」

「は? 保護?」

 思わず声が鋭くなる。

 女──フローレは、小さく頭を下げた。

「よろしく、お願いします」

 その声音はか細く、同情を誘うような響きがあった。

「では、応接室に──ご案内して」

 私がメイドに言うと、クロードが眉をひそめた。

「何で応接室なんだよ。
 客室でいいだろう」

「私は初対面なんだから、どういう経緯で何故うちに来たのか? 聞かなければいけないでしょう」

「そんなの俺が後で説明するから、今は彼女を休ませるんだ」

「ふうん? まあ、いいけど」

 私は、フローレを客室へ案内させた。

 彼女は小さく礼をして、静かに廊下へ消えていく。

「では、夕飯前に聞くから着替えてきて」

「わかった」

 クロードは軽く頷き、自室へ向かった。  
 


 夕飯前のテラスは、春先の冷たい風が吹き抜けていた。

 私は椅子に腰を下ろし、向かいに座るクロードを見据える。

「それで?」

 私が促すとクロードは、話し始めた。

「彼女は先日、亡くなったミルサンジュ前侯爵の後妻だ。
 未亡人になった途端『出てけ』と言われたが、実家のデビス男爵家は没落していて帰るところがないんだ」

 私は眉をひそめる。

「まず、何の知り合いなの?
 社交場で会ったことないんだけど」

「見てわからないか。
 俺の学園時代の同窓生だ」

 わかるわけないだろう。  

 彼は私より5つ上で、貴族学園は3年制。
 同じ時期に在籍していない。

「恋愛という意味で交際していたの?」

 クロードが学生の頃には、すでに私との婚約が決まっていた。

「そんなわけあるか。
 俺は、そんな不誠実じゃない。
 ただ、一方的に片思いしてただけだ」

 ……うん、微妙なラインね。  

「で、実家が没落って何?
 貧乏ってこと? それとも取り潰しになったってこと?」

「貧乏だった」

「じゃあ、爵位を売って平民になったのね?」

 後で貴族名鑑を調べればわかることだ。

「そこまでじゃない。爵位はある。
 ただ、平民同様の貧しい生活をしてるって事だ」

「何で爵位を売らないの?」

「君は、彼女に平民になれって言うのか」

 夫は、少し怒ったように言う。  

 確かに婚家から籍を抜かれたら、そうなる。

「今日会ったばかりの他人が平民になるかならないかなんて、どうでもいい」

 私は肩を竦めて、お茶を飲む。

 夕暮れの光がテラスに差し込み、彼の表情を半分だけ照らしている。

「……冷たい人間だな」

「わかった。じゃあ、私の同級生にも借金まみれの伯爵令息がいるから、その人をうちで保護するね」

「なんで俺が、赤の他人を養わないとならないんだよ」

「冷たい人間ね」

 彼は言葉を失い、唇を閉じたまま固まった。

「……」

「えっと次、追い出されるって何?
 別に出されても、良くない?
 何で婚家にいなきゃいけないの?
 私だったら秒で実家に帰るけど」

「行くところがないのに、追い出されたら可哀想だろ」

 クロードは眉を寄せ、まるで自分が守るべき弱者を抱えている英雄気取りだ。

「遺産で家を買うか、建てて住めばいいだけでしょ」

「その遺産も貰えないんだ」

 私は肩をすくめた。

「弁護士、紹介すればいいじゃない」

「……可哀想だろ」

「何で?」

 クロードは少し声を荒げた。

「心細くて、誰かに頼りたいだろう」

「だから弁護士に頼ればいいじゃん。未成年じゃあるまいし。
 逆にその程度の手続きもできないような無能な人間なら、追い出されて当たり前じゃない。貴族失格だもの。
 そんな人の親なら、実家が没落するのも自業自得」

 クロードは口を開きかけ、しかし私の反撃を察したのか、喉の奥で言葉を飲み込んだ。  

 どうせ「冷たい人間だな」とでも言うつもりだろう。  

「……君は……」

 やっぱり言いかけて黙った。

「で? 何で社交界に出てないのに、彼女の事情を知ってるの?
 手紙でも来たの?」

「通勤途中に倒れてたんだ」

「は?」

「朝、道に倒れてて王宮の救護室に運んだんだ。
 それで意識がしっかりしてから、事情を聞いた」

「普段から手紙のやり取りをしてたんじゃなくて?」

「ああ、学校を卒業してからは会ってない」

 その割に、ずいぶん肩入れするのね。

「ふうん? それで今後どうするの? いつまで保護するの?」

「そんなの、必要なくなるまでに決まってるじゃないか」

「必要なくなるっていうのは具体的に、どういう条件? 再婚するってこと?」

「再婚? 再婚する必要なんかないだろ。ずっと居ればいい」

 ……は?

「はあ? 客対応で死ぬまで面倒みるってこと?」

「客って……そんな、家族になればいいだろう」

 家族。  
 その言葉に、私の中で何かが冷たく固まった。

「それは第2夫人ってこと?」

「彼女が望むなら、それでいいだろう」

 その瞬間、私は立ち上がった。  
 怒鳴りもしない。泣きもしない。  
 ただ、淡々と事務的に告げる。

「それなら、あなたが彼女と家から出てって。
 息子を次の伯爵にして、私が中継ぎとして仕事するわ。
 ──さよなら」

 クロードの顔から血の気が引いた。
  
 当然よ。  
 私はこの家の正妻であり、ヴァルシュタイン辺境伯の娘。  

 そして、レーヴェンス伯爵家の実務を支えてきた。

 彼がいなくても家は回る。  
 むしろ──彼がいない方が、ずっと。

 クロードは口を開き、しかし言い返す言葉を探しているように喉が震えた。

「そんなこと言ってないだろう」

 言ったも同然よ。  
 でも、いちいち答える必要ない。
 話を進める。

「それで、あなたは彼女の話どこまで調べたの?」

「調べたって?」

「ミルサンジュ侯爵家とデビス男爵家に確認したの?」

 クロードは眉をひそめ、まるで私が理不尽なことを言っているかのように返す。

「彼女が嘘つくわけないだろう」

 私は、ため息をついた。

「もういいわ」

 椅子を押しのけて立ち上がる。  
 クロードが慌てて私を見る。

「言っておくけど両家の親には、すでに早馬で知らせたから」

「は? どういう……? なんで?」

「直に当主、降ろされるんじゃない?
 まだ、わかんないけど。
 今のうちに出てけば?」

 クロードの顔が真っ青になった。  
 そのまま私はテラスのドアを開けた。

 ──そこには待機していた4人が立っていた。

 黒い外套を着た弁護士。  
 白手袋の執事。  
 帳簿を抱えた監査人。  
 そして、腰に剣を下げた憲兵。

 全員が、私に軽く会釈する。

 クロードが慌てて追いかけてきて、4人を見た瞬間、目を見開いた。

「ま、待って。大袈裟だろ、こんなの。
 ただ保護するだけなのに、何でこんな……?」

 私は振り返り、イライラを隠しもせず言い放つ。

「詐欺かもしれないんだから、外敵に備えるのは当たり前でしょう」

「彼女は、そんな人じゃない!」

「だったら初対面の人が、その言葉を納得するだけの証拠を出して」

「それは……だから、同級生とかに聞いてもらえれば」

「だったら今から使いを出して、その人たちに来てもらって」

「今すぐ呼ぶなんて迷惑だろう。
 なんで、そんなに大げさなんだ?」

 私はもう1度、深く息を吐いた。

「うるさくって殴りそう」

 クロードが、ビクリと肩を震わせ後退る。

 ──当然よ。  

 私は辺境伯の娘。  
 剣も馬も弓も叩き込まれて育った。 
 
 対してクロードは、ただの文官。  
 腕力も胆力も、私の方が上。

 私は4人を連れて、フローレのいる客室へ向かった。



 客室前の廊下には、テラスにいたのとは別の弁護士と憲兵、そして監査人が配置されていた。

 全員が無言で直立し、私が来るのを待っている。  

 ついてきたクロードは、その光景を見た瞬間に顔色を失った。
 灰色の瞳が大きく揺れ、喉がひくつく。


 客室の扉を開けると、私の従者がすぐに立ち上がった。  
 栗色の髪を後ろで束ねた、冷静沈着な青年だ。

「どうだった?」

 従者は丁寧に折り畳まれた紙を差し出した。  
 そこにはフローレから聞き取った内容が細かく記されている。  
 クロードが先ほど語った話と、ほぼ同じだった。

 私は紙を一瞥し、フローレに告げた。

「申し訳ないのですが、事実を確認し事件性がないと判断するまで、牢屋に入って貰います」

 クロードが叫ぶように声を上げた。

「バカな! いくらなんでも! 俺の連れてきた客だぞ!」

「それは牢屋に入れるなってこと?」

「当たり前だろう!」

 私は小さく笑った。  
 その笑みが、クロードには恐ろしく見えたのだろう。
 肩が震えた。

「な、んだよ?」

「私と子ども達の荷物を全部、馬車に乗せて。
 親への伝達係を残して全員、移動します」

 使用人が慌ただしく出ていく。

「はあ? なんだ、それ? 待てよ!」

 クロードが焦って、私の肩を掴んだ。  
 指が食い込み、痛みが走る。

「痛い!」

 その瞬間、憲兵が前に出た。

「暴行の現行犯です。
 騎士団の詰め所まで来てください」

「は? このくらいで? そんな! 詰め所って!」

 憲兵は淡々と手錠を取り出し、クロードの手首にかけた。  
 金属音が響く。

「暴行の現行犯です。
 奥様から『抵抗した場合、殴っていい』と予め許可をいただいてますので、抵抗しないでください」

「な、なんだ、それ! 待て、待てって! 俺は──!」

 クロードは叫びながら、憲兵に引きずられていった。  
 その声は廊下の奥へと消えていく。

 私は客室の中央に立ち、フローレを真正面から見据えた。

 彼女は怯えたように肩を震わせ、薄紫の瞳が揺れている。

「事実を確認して嘘があった場合、詐欺や家の乗っ取り未遂で被害届を出します」

 フローレは唇を震わせ、必死に首を振った。

「いえ、そんな……私、そんなつもりじゃ……」

「決定事項です。お引き取りください。
 犯行が確定すれば、裁判所で会うこともあるでしょう。
 それ以外は関わらないでください」

 憲兵が前に出る。

「出て行かないと、不退去罪の現行犯で逮捕することになります」

 その言葉にフローレは悲鳴のような息を漏らし、慌てて荷物を掴んで逃げていった。  

「害虫駆除1段階目、終了。
 さあ、2段階目の準備をしましょう」

 従者たちが無言で頷く。




 ──翌日。

 義両親が駆けつけ、応接室で私は一連の経緯を説明した。

 舅は白髪混じりの髪を撫でつけ、姑は青ざめた顔でハンカチを握りしめている。

「ミルサンジュ侯爵家とデビス男爵家に早馬で確認を取ったところ──デビス男爵家は不正により準男爵に降格しており、"フローレの現状は何も知らない"と謝罪するのみ。
 ミルサンジュ侯爵家は“フローレが長年、使用人と不貞していたため、彼女の分の遺産とペナルティーを相殺すると伝えたところ居なくなった”とのことです」

 義父母は同時に息を呑み、深く頭を下げた。

「……すまない……本当に、すまない……」

 私は淡々と続けた。

「もう、クロード要らなくないですか?
 子どもも2人いるから血が絶えるわけでもないし」

 舅は顔をしかめた。

「バカだとは思ってたけど……しかし、あれでも血が繋がってるから……」

「え、なに言ってるんですか。
 あの未亡人が“クロードの子だ”と偽って使用人の子を生み、家を乗っ取ってたかもしれないんですよ?」

 義父母は完全に言葉を失った。  

 義母の手からハンカチが落ち、義父は蒼白になって椅子に沈み込む。

 私はゆっくりと姿勢を正し、淡々と告げる。

「義父様は息子をバカだとわかってて、家格が上の私に押し付けたんですよね?
 もし男爵が失敗した陶芸品を“買え”と押し付けてきたら、どうしますか?
 私なら殴りますね『要らないゴミを寄越すな』って」

 伯爵と辺境伯なら辺境伯が上だ。

 夫という名のゴミを押し付けたこと、後悔させてあげる。

 義父は顔を覆い、深く頭を垂れた。

「本当に面目ない……」

 義母も涙ぐみながら頭を下げる。

「ごめんなさい……」

 私は続けた。

「恐らく未亡人は詐欺未遂になりますから、判決が出たら──わかってますね?」

 直接金品を奪っていなくても、居候すれば生活費が発生する。  
 それが詐称行為の上なら有罪である。

 義父は震える声で言った。

「……親族に当主交代の連絡を入れる」

「できれば判決前の方が、傷が浅くて済みますけどね」

 未亡人が詐欺未遂になれば、クロードは“被害者”だと本人は思うだろう。  

 だが──そんなバカが当主だったという事実そのものが、家の面子を深く傷つける。

 ゆえに、家としては“処分”せざるを得ない。

 義両親は重い溜息をついた。  
 その肩が、老いと疲労で沈んでいく。

「まあ、せっかく来ていただいたんで、子ども達に会って行っていいですよ。
 ただし1時間ね」

 義父母は、とぼとぼと子ども部屋へ向かった。  
 背中が小さく見える。

 ──これで“2段階目”も終わり。





 後日。  
 クロードの処遇が決まった。

 略式裁判で禁固1週間。  

 罰金を払えば即日釈放だったが、私が入金を拒否したため、そのまま刑務所行きになった。


 ──そして、彼が牢に入っている間に、もう1つの判決が下った。

 フローレ・ミルサンジュ。  
 詐欺未遂、有罪。

 憲兵と監査人が、ドアを挟んで聞いた話を証言。  

 フローレも、自供した方が罪が軽くなるため口を割った。

 “嘘をついて家に入り込もうとした”ことは認めたが、“乗っ取り”は否定。  
 貴族としての生活を続けたかった、と供述したらしい。

 結果、ミルサンジュ侯爵家からも、デビス準男爵家からも縁を切られた。  


 ──そして私は、子ども達が成人するまでの中継ぎ当主となった。





 2週間後。

 クロードが、みすぼらしい姿のまま徒歩で帰ってきた。  
 黒髪は乱れ、服は皺だらけ。  

 それでも本人は“当然の帰宅”のつもりらしい。

「帰ったぞ。
 おい、何で迎えを寄越さないんだ!
 っていうか、何で俺が有罪なんだ?
 あれぐらいのことで」

 私は深くため息をついた。

「これ、牢屋に入れてちょうだい」

 使用人達が即座に動き、クロードの両腕を掴む。

「は? ちょ、待て! なんでだよ! 
 俺は帰ってきただけだぞ! 離せ!」

 わめき散らす声が屋敷に響く。  

 私はその騒音を背に、執事へ視線を向けた。

「息子を引き取る気があるのか、義両親に聞いてくれる?」

 執事は恭しく頭を下げた。

「すぐ使いをやります」

 クロードの叫び声が遠ざかる。  
 私は静かに目を閉じた。

 ──これで、レーヴェンス家の“清掃”は最終段階に入る。




 牢屋の中は湿った空気がこもり、鉄の匂いが鼻についた。

 薄暗い中でクロードは床に座り込み、乱れた黒髪と無精髭を放置していた。

「なんで、お前はバカなんだ?
 自分の今の状況、わかってるのか。
 どうして誠心誠意、カタリナに謝らないんだ?」

 クロードは鉄格子越しに父を見上げ、まるで自分が被害者であるかのような顔をした。

「父さん、何言ってるの。
 あれぐらいのことで当主で夫である俺を刑務所送りにするなんて、ありえないだろう。
 しかも罰金も払ってくれない、迎えもよこしてくれない」

 ……本当に、何も理解していない。

 舅が私に視線を向ける。

「まだ話してないのか?」

 私は静かに頷いた。
 すると舅が息子に告げた。

「お前は、もう当主じゃないよ。
 親族会議で決定した」

 クロードの顔から血の気が引いた。
 灰色の瞳が揺れ、口がぱくぱくと開閉する。

「そこまで……たかが愛人候補連れてきたくらいで」

「家格が上の妻を娶って、愛人を家に置けるわけないだろう。
 辺境伯に斬られたいのか、お前」

 クロードは、子どものように視線を泳がせた。

「……でも、でも、だって……」

 義母はついに泣き出し、震える手で顔を覆った。

 私は淡々と告げる。

「ここに置いておいても仕方ないので、そちらで引き取って貰えませんか?」

「孫に悪影響だものね……」

 姑は頷いたが、義父は低い声で言った。

「いや、いっそカタリナに未亡人になって貰った方がいいだろう。爵位保留で」

「……未亡人……冗談だろう?」

 震える夫を無視して、私は提案した。

「では1年、拘留して改善の見込み"なし"となれば──事故で処理しましょう」

 義父母は無言で頷いた。  
 クロードは鉄格子にしがみつき、声を裏返らせて叫ぶ。

「嘘だろ?! そんな……!」

「あんなわかりやすい嘘に騙されて、得体の知れない女を家に引き入れたんだぞ?
 もし、あの女が乗っ取りを計画して孫を殺したら、どうするつもりだったんだ」

「いや、彼女はそんな悪人じゃないよ。
 追い詰められて、ちょっと嘘ついてしまっただけだよ」

 義父は、説明しても理解しない息子を見限った。

「……カタリナ、ダメだと思ったら殺してください。
 もう何も言いません」

 私は軽く頭を下げた。

「分かりました。
 では、今後のことも含めて、上で食事しながら話しましょう」

 義父母は牢屋を後にし、私は最後にクロードを一瞥した。  

 鉄格子の向こうで、彼はまだ現実を理解できずに震えていた。







 両親も使用人も親族も、誰1人として助けてくれない。

 どうしてだ?
 どうして、俺だけが悪者みたいに扱われているんだ?

 確かに、フローレを愛人にしたいという下心はあった。

 だが、そもそも人助けだ。

 だいたい貴族は政略結婚で、結婚後に恋愛するのは普通だ。

 俺は伯爵で当主なんだから、愛人の1人ぐらいいたっていいはずだ。

 カタリナのことが嫌いだったわけじゃない。
 だが、特別すごく好きっていうわけでもなかった。  

 過去の恋愛が手に入るなら、それは幸せなことだろう。

 妻なんだから、応援してくれたっていいのに。

 どうして、あんなに怒るんだ?
 どうして誰も理解してくれないんだ?

 ああ、何がいけなかったのかな……。  

 俺はただ、少し優しくしただけだ。
 困っている人を助けただけだ。

 なのに、どうしてこんな大事になっているんだ?

 でも……改心したように見せなければ。  

 このままでは、本当に“事故”に見せかけて殺されてしまう。

 使用人や妻がここに来た時は、反省しているように振る舞わないと。

 そうしないと、本当に終わる。

 ……情けないな。  

 やっぱり彼女のこと、拾わなければよかった。  

 こんなことになるなんて、思わなかったんだ。








 春の陽射しが差し込む庭は、よく手入れされた芝生が広がり、花壇には母上が好きな白い百合が咲いていた。

 僕は屋敷の影に身を潜め、そっと庭の端を覗き込む。  

 そこには粗末な作業服を着た1人の男が、黙々と庭の草を抜いていた。
 黒髪はぼさぼさで背中は丸く、威厳なんてどこにもない。

「兄上、何してるの?」

 弟のエリオが、無邪気な顔で僕の袖を引っ張った。
 8歳になったばかりの弟は、母似の柔らかい茶髪で、瞳は明るい琥珀色だ。

「しっ。母上に、ここにいることバレたら叱られる」

「なんで? 何もしてないのに?」

「いいから黙って。あれ見ろ」

 エリオは僕の指差す先を見て、首を傾げた。

「ただの庭当番じゃないか」

「あれは昔、確かに“父上”って呼んでたはずなんだ」

 エリオは目を、ぱちぱちさせた。

「えー、そんな記憶ないけどな」

「お前は、まだ小さかったからだよ」

 5年前の騒動の時──僕はまだ5歳だったけれど、それでも覚えている。  

 母上は泣きも怒りもせず、ただ静かに“処理”していった。

「うーん? 何で、あそこで働いてるの?」

「さあ? 母上に聞いたら、ただ“忘れなさい”って」

 エリオは、あっさり頷いた。

「母上が、そう言うなら間違いないんじゃない?
 母上の言う事って、いつも正しいから」

「そうだな。俺たちには、ちゃんとした父上がいるしな」

 僕の胸に温かいものが広がる。  

 母の再婚相手──ベルナール・アーデルハイト元伯爵令息。  
 落ち着いた青色の瞳に、柔らかい栗色の髪。

 いつも僕たちの目線に合わせて話してくれる、優しい人だ。

「そうだよ。
『学園生の頃から互いに好きだった』って、父上が言ってたよ」

 エリオが嬉しそうに笑ったその時、屋敷の方から声が響いた。

「おーい、2人とも。
 ご飯できるから早く、おいで」

 ベルナールが手を振っている。
 白いシャツに紺のベスト、穏やかな笑顔。  

 僕たちは顔を見合わせた。

「「はーい」」

 2人で駆け出す。  

 背後で、庭当番の男──かつての“父”が、こちらを見た気がした。

 でも、僕は振り返らなかった。

 だって、僕たちには、もう“本当の家族”がいるのだから。




□完結□





しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

侯爵家の婚約者に手を出す意味、わかってます?

碧井 汐桜香
恋愛
侯爵令嬢ジョセリアは地味な外見をしている少女だ。いつも婚約者のアランとその取り巻きの少女たちに罵倒されている。 しかし、今日はアランの取り巻きは一人しかおらず、いつも無視を決め込んでいたジョセリアが口を開いた。

うまくやった、つもりだった

ひがん さく
恋愛
四大貴族、バルディストン公爵家の分家に生まれたオスカーは、ここまでうまくやってきた。 本家の一人娘シルヴィアが王太子の婚約者に選ばれ、オスカーは本家の後継ぎとして養子になった。 シルヴィアを姉と慕い、養父に気に入られ、王太子の側近になり、王太子が子爵令嬢と愛を深めるのを人目につかぬよう手助けをし、シルヴィアとの婚約破棄の準備も整えた。 誠実と王家への忠義を重んじるこの国では、シルヴィアの冷徹さは瑕疵であり、不誠実だと示せば十分だった。 かつてシルヴィアはオスカーが養子になることに反対した。 その姉が後妻か商家の平民に落ちる時が来た。 王太子の権威や素晴らしさを示すという一族の教えすら忘れた姉をオスカーは断罪する。 だが、シルヴィアは絶望もせずに呟いた。 「これだから、分家の者を家に入れるのは嫌だったのよ……」  

冷遇夫がお探しの私は、隣にいます

終日ひもの干す紐
恋愛
愛人がいるなら、さっさと言ってくれればいいのに! 妻に駆け落ちされた、傷心の辺境伯ロシェのもとへ嫁いでほしい。 シャノンが王命を受け、嫁いでから一年……とんでもない場面に立ち会ってしまう。 「サフィール……またそんなふうに僕を見つめて、かわいいね」 シャノンには冷たいの夫の、甘ったるい囁き。 扉の向こうの、不貞行為。 これまでの我慢も苦労も全て無駄になり、沸々と湧き上がる怒りを、ロシェの愛猫『アンブル』に愚痴った。 まさかそれが、こんなことになるなんて! 目が覚めると『アンブル』になっていたシャノン。 猫の姿に向けられる夫からの愛情。 夫ロシェの“本当の姿”を垣間見たシャノンは……? * * * 他のサイトにも投稿しています。

夫は私を愛していないらしい

にゃみ3
恋愛
侯爵夫人ヴィオレッタは、夫から愛されていない哀れな女として社交界で有名だった。 若くして侯爵となった夫エリオットは、冷静で寡黙な性格。妻に甘い言葉をかけることも、優しく微笑むこともない。 どれだけ人々に噂されようが、ヴィオレッタは気にすることなく平穏な毎日を送っていた。 「侯爵様から愛されていないヴィオレッタ様が、お可哀想でなりませんの」 そんなある日、一人の貴婦人が声をかけてきて……。

「最高の縁談なのでしょう?なら、かわってあげたら喜んでくれますよね!」

みっちぇる。
恋愛
侯爵令嬢のラリアは20歳。立派な嫁きおくれである。 というのも、義母がなかなかデビューさせてくれないのだ。 なにか意図を感じつつも、周りは義母の味方ばかり。 そん中、急にデビュタントの許可と婚約を告げられる。 何か裏がある―― 相手の家がどういうものかを知り、何とかしようとするが、非力なラリアには何も手段がない。 しかし、そんな彼女にも救いの手が……?

殿下、愛を叫ぶ前に契約書を読み直してください。

一ノ瀬和葉
恋愛
婚約破棄を告げられたクラリッサの返答は一言。 「愛は自由ですが、契約違反には請求書が付きますよ?」 論理と皮肉で殿下を追い詰める彼女の次の一手とは――。 ギャグありの痛快ざまあ短編です。 ※ご都合です。 なろうにも投稿しています。 60000PV誠に感謝です

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。

よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――

婚約者の幼馴染にマウントを取られましたが、彼は最初から最後まで私の味方でした

恋愛
学園で出会い、恋人になり、婚約したリアラとエルリック。 卒業後、リアラはエルリックの故郷へ挨拶に向かう。 彼の両親への挨拶に緊張していると、そこに現れたのはエルリックの幼馴染サラだった。 「私の方がエルリックを知ってる」 「サバサバしてるだけだから」 そんな言葉でリアラを見下し、距離を詰めてくるサラ。 さらにはリアラという婚約者がいるにも関わらず、エルリックに想いを告げてきて―― ※複数のサイトに投稿しています。

処理中です...