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お渡りだと?!
寝間着に着替え、紫の髪をゆるく結い直して、ようやく一息ついたところだった。
暖炉の火は静かに揺れ、部屋にはラベンダーの香りが漂っている。
ようやく、心も体も休まる時間──のはずだった。
「この調子だと、他からも妾になりたいと立候補してくる人が増えるでしょうね」
クラリッサが、髪を整えながら笑う。
「それはそれで、厄介ね」
私は肩をすくめた。
妾が増えれば、管理も気遣いも必要になる。
そのとき、扉の外から声がした。
「殿下のお渡りです」
「……はあ? え?」
思わず間の抜けた声が出た。
夜更けに、まさか。何の前触れもなく?
次の瞬間、扉が勢いよく開かれ、カイザーがずかずかと入ってきた。
赤い髪を乱し、深紅の瞳に怒りを宿している。
「ちょっと! 勝手に入らないでください!」
クラリッサが慌てて立ち上がり、王子の前に立ちはだかる。
けれど、彼は一瞥もくれず、私の前に立った。
「妾を宛がうなど、小賢しい真似を」
私はゆっくりと立ち上がり、視線を合わせた。
「申し訳ありません。
私には、妃としての役目を十分に果たせませんので」
カイザーの目が細くなる。
「妾を俺に宛がえば『嫉妬してジャネットを殺した』という動機がなくなり、容疑者から外れると目論んだのか?」
──そんな発想なかった。本当こいつの頭、どうかしてる。
私は静かに息を吸い、言葉を選んだ。
「なぜ、“嫉妬”などという言葉が出てくるのです?
私との縁談は、元々アルファード侯爵令息との婚約を壊してのことではありませんか」
そう。私は元々、アルファード侯爵家の次男、リオンと婚約していた。
私がアストリア公爵家の後継だったため、彼には婿に来てもらう予定だった。
だから、カイザーの婚約者を選ぶ茶会にも出席していない。
それなのに──王妃が、私を指名した。
王子の婚約者として。
私の意思など、どこにもなかった。
それを、今さら“嫉妬”?
私はカイザーを見据えた。
彼の怒りの奥にあるものが、何なのか。
それを知る気も、もうなかった。
「それは……9年も前の話だろう」
カイザーの声は低く、どこか焦りを含んでいた。
「私は、あの方を生涯の伴侶と思って育ったのですよ」
私は1歩も引かず、まっすぐに彼を見つめた。
「そもそも、9年経ったから何だというのです?
なぜ、あなたに好意を持たねばならないのです?
あなたが人より優れている点があるとしたら──血筋と顔だけです。
しかし、それは私も持っているので、他人に求めません」
言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
カイザーは息を飲み、何も言い返せずに立ち尽くした。
やがて、彼は踵を返し、すごすごと部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに軽く響いた。
私は深く息を吐いた。
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ抜けていく。
「……もう、2回も強行突破ですよ」
クラリッサが呆れたように言った。
「ジャネットが死んだときも入れたら、3回目よ」
私はソファに腰を下ろし、額に手を当てた。
あの夜のことは、今でも夢に見る。
私の胸ぐらを掴んで怒鳴る、カイザーの声。
「王族の近衛騎士をつけてもらいましょうよ。
今の護衛では、殿下を止められません。
直接お体に触れるわけにもいきませんから」
「……そうね。陛下にお願いしてみるわ」
王子の肩に手をかけることは、たとえ護衛でも許されない。
だからこそ、王族の血を持つ近衛騎士が必要なのだ。
私は立ち上がり、窓の外を見た。
夜の庭園に、月の光が静かに降り注いでいる。
──この王宮で、私の味方は、どれほどいるのかしら。
それでも、私は負けない。
会議室の空気は重く、張り詰めていた。
窓から差し込む朝の光さえ、どこか冷たく感じられる。
「カイザー殿下の横暴が過ぎますぞ!」
義兄の声が、静寂を切り裂いた。
濃紺の髪を揺らしながら、彼はまっすぐに王を見据えている。
「夫からの渡りがあるのは、当然ではないか」
王は眉をひそめ、重々しく言った。
「許可なく勝手に、部屋に入ることが問題なのです」
義兄は引かない。
その横で、王妃が扇を口元に当て、涼しげに言葉を差し挟んだ。
「夫をコントロールするのも、妃の仕事ですよ」
「コントロール以前に、常識がないのです!」
ヴィクトルの声がさらに鋭くなる。
私は思わず口を開いた。
「義兄様、それはさすがに……」
王と王妃が、ちらりと顔を見合わせた。
その表情には、わずかな気まずさがにじんでいた。
「私の記憶では──ヴァイオレットが階段から落ちる前まで、2人はそこまで険悪ではなかったと思うのだけど……。
それにヴァイオレットも少し、性格が変わりましたね?」
王妃の言葉に、私は静かに微笑んだ。
「性格が変わったのではなく、我慢するのをやめたのです。
人間、死んだら終わりですから。
逆に、死ぬ気になれば何でもできるということです」
──私は変わっていない。ただ、思い出しただけ。
前世の記憶を。
そして、命の重さを。
王の表情がわずかに揺れた。
「……カイザーには、自重するように言おう」
義兄がすかさず続ける。
「うちからつけた護衛に、王族に触れる許可を」
王はしばし黙考し、やがて頷いた。
「……わかった」
私はそっと息を吐いた。
これで、少しは夜も眠れるかもしれない。
けれど、戦いはまだ始まったばかり。
この王宮で生き残るために、私はもう、何も譲らない。
「ありがとうございます。
──妾の件も、ご了承いただけたとか?」
私は丁寧に頭を下げながら、視線を王へと向けた。
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