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二章・夢の終わり
生き残った者達(1)
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旧カーネライズ帝国領は大陸北方の他のどの地域よりも戦争の被害が少なく、途中で立ち寄った四つの都市のうち二つでは屋根の下で眠ることが出来た。元の住民は全員がクラリオに収容されているため、そこにいたのは移民や兵士達だけだったが。
「……」
リリティアは居心地が悪そうだった。アイズが馬鹿正直に『旧帝国民の子供』と紹介してしまうからだ。任務に必要だから連れ出したこと、天士である彼女の庇護下に置かれていることから露骨な差別を受けたりはしなかったが、向けられる視線はやはり刺々しい。
「根絶やしにしちまえばいいんだ……」
二つ目の街を出る時、憎悪に満ちた小さな声を聴き取ったので流石のアイズも気を遣い、以後は天幕を張って野宿で夜を明かした。
そして予定通り五日目、二人はサラジェに着いた。どこにでもあるような平凡な街並み。人通りも少ない。けれど道中の出来事で落ち込んでいたリリティアは急に目を輝かせてはしゃぎ出す。
「サラジェだ! あっ、あれケンヒルのおうち!」
と、友人だという少年の住んでいた家を馬上から指差す。他にも次々に見知った建物などの説明を繰り出したが、興味の無いアイズは適当な相槌を打って聞き流すばかり。
「そうか」
「もうっ、ちゃんと聞いてよ!」
「先に用事を済ませる」
「え?」
そう言って馬を止めた彼女達に兵士の一団が近付いて来る。この町を追われた日の出来事を思い出し、身を竦ませるリリティア。
さっさと一人だけ下乗したアイズは一団の先頭に立つ老人と向かい合った。顔中に深い皺を刻み、銀と白が半々に混ざり合った髪を短く切って整えてある隻腕の男。先の戦争で連合軍全体の指揮を執っていたザラトス将軍である。
彼は彫りの深い赤銅色の顔で柔和な笑みを浮かべた。
「まずは御足労に感謝を。そして、お久しぶりですアイズ殿。相変わらずお美しい」
「そちらも変わらず壮健で何より」
「ははっ、これは嬉しいお言葉。社交辞令を覚えましたか」
「あれから一年近く経つ。それだけの時を無駄に過ごしたつもりは無い」
「なるほど、直截なのもお変わりなく。では挨拶もこのあたりで切り上げ、早速本題に入るといたしましょう」
笑みはそのまま目だけを鋭く細め、リリティアを見つめる彼。
「そちらが例の案内役ですな?」
「ああ」
「あ、あの……」
リリティアは鋭い眼光に怯えている。しかしザラトスは好々爺の笑みでその緊張を解した。
「怖がらせましたか、これは失敬。この顔は生まれつきなのでお気になさらず。娘さん、お名前を聞かせていただけますか?」
「リリティア……ナストラージェ、です」
「ナストラージェ……」
「帝国人だ……」
その姓は帝国でしか使われていない。ザラトスが威圧をやめた代わりに他の兵士達の殺気が膨れ上がっていく。
しかし、すぐにザラトスによって窘められた。
「騒ぐな」
「!」
彼のその一言で背筋を伸ばし、口を閉ざして沈黙する兵士達。この統率力も変わらず見事なものである。
「失礼いたしました、リリティア殿も賓客として扱うよう言い聞かせておきます」
「頼む」
彼が手綱を握っていれば余計なことを言う者はいない。その程度にはアイズもこのザラトス将軍を信頼していた。先の大戦で実際に名将としての実力を目の当たりにしたことが大きい。
「さて、案内役がリリティア殿となると休息が必要ですな。時間もすでに夕刻に近い、今日はまずお休みいただくということでよろしいか?」
「異論は無い」
同意するアイズ。自分一人なら数日間休みなく行動できるし、灯り一つ無い闇でも昼間のように見通せる。だが人間の彼等やリリティアはそうもいかない。
「では、こちらへ」
踵を返す将軍。アイズはウルジンの手綱を引いてその後ろへついて行く。兵士達はそんな彼女達を護衛するように左右に分かれて隊列を組んだ。
やがて馬上に座ったままのリリティアが小さく声を上げた。
「あっ……」
何故か、それっきり黙ってしまう。虚ろな表情になって。
(記憶が飛んだ?)
何故かと思ったアイズは少女が見ていた方向を見やり、見つけた。ナストラージェ家具店、そう書かれた看板を。
そこがリリティアの生家だった。
「こちらがアイズ様のお部屋で、隣がリリティア様のお部屋です」
二人が宿として案内されたのは、かつてこの町の町長が住んでいた屋敷。他の家々よりは格段に大きく、現在は将軍の邸宅として使われている。
ちなみにオルナガン王国の王はここにはいない。王都でもなく大陸中央のオルトランドに留学中。何代か前に王族がいたというだけの傍流の子で王たるに相応しい教育は受けておらず、年齢も幼い。そのため身の安全の確保も兼ねて三柱教に保護してもらったのだそうだ。
屋敷に入ってからの案内は将軍の妻ララヒルがしてくれた。彼の年齢から考えると幾分若すぎる三十代半ばの美女だ。娘か、あるいは孫でもおかしくない。しかし妻だという。
わざわざ別々の部屋を用意してくれたが、リリティアはそれを渋った。
「アイズと同じ部屋がいい……」
「ですが、それは」
「構わん、クラリオでもずっと相部屋だった」
「そうなのですか?」
驚き、眉をひそめるララヒル。
「ではベッドを運び込ませます」
「一つでいいです」
「一緒に寝ると?」
「ああ」
アイズが回答する度、将軍の妻の眉間の皺は深くなっていき、眉の角度もきつくなる。信仰心に篤いか帝国人を嫌っているか、あるいはその両方だろう。彼女はそこまで気が回らなかったが。
リリティアの要望に応えるのは単にそれを却下するだけの理由が無いから。出来る限りこの娘の安全を優先してやれとブレイブに指示されているし仕方がない。
「なんなの、この子……」
思わず声に出してしまったララヒルのその一言にも、アイズは律儀に回答する。
「私の連れだ」
「あっ……す、すみません」
「別にいいよ」
唇を尖らせるリリティア。ここへ来るまでの間に他国の民がどれほど帝国を恨んでいるかは実感できた。面と向かって侮蔑されたところでどうということもない、少し傷付くだけ。
そんな少女の顔を見て、ララヒルの表情には逆に憐れみが浮かぶ。
「ごめんなさい……貴女に罪は無いとわかっているの。ただ、私達の国は帝国のせいで無くなってしまったから……」
「うん……」
リリティアも罪悪感にかられいっそう深く俯く。気まずい雰囲気の二人の間でアイズは嘆息した、彼女にとっては人間同士の感情の機微などどうでもいい。
「早く部屋に入れ」
「あ、うん」
「後ほどまた参ります。主人が是非、夕食を共にと」
「わかった」
了承し、リリティアを入室させたアイズは、静かにドアを閉じた。
「……」
リリティアは居心地が悪そうだった。アイズが馬鹿正直に『旧帝国民の子供』と紹介してしまうからだ。任務に必要だから連れ出したこと、天士である彼女の庇護下に置かれていることから露骨な差別を受けたりはしなかったが、向けられる視線はやはり刺々しい。
「根絶やしにしちまえばいいんだ……」
二つ目の街を出る時、憎悪に満ちた小さな声を聴き取ったので流石のアイズも気を遣い、以後は天幕を張って野宿で夜を明かした。
そして予定通り五日目、二人はサラジェに着いた。どこにでもあるような平凡な街並み。人通りも少ない。けれど道中の出来事で落ち込んでいたリリティアは急に目を輝かせてはしゃぎ出す。
「サラジェだ! あっ、あれケンヒルのおうち!」
と、友人だという少年の住んでいた家を馬上から指差す。他にも次々に見知った建物などの説明を繰り出したが、興味の無いアイズは適当な相槌を打って聞き流すばかり。
「そうか」
「もうっ、ちゃんと聞いてよ!」
「先に用事を済ませる」
「え?」
そう言って馬を止めた彼女達に兵士の一団が近付いて来る。この町を追われた日の出来事を思い出し、身を竦ませるリリティア。
さっさと一人だけ下乗したアイズは一団の先頭に立つ老人と向かい合った。顔中に深い皺を刻み、銀と白が半々に混ざり合った髪を短く切って整えてある隻腕の男。先の戦争で連合軍全体の指揮を執っていたザラトス将軍である。
彼は彫りの深い赤銅色の顔で柔和な笑みを浮かべた。
「まずは御足労に感謝を。そして、お久しぶりですアイズ殿。相変わらずお美しい」
「そちらも変わらず壮健で何より」
「ははっ、これは嬉しいお言葉。社交辞令を覚えましたか」
「あれから一年近く経つ。それだけの時を無駄に過ごしたつもりは無い」
「なるほど、直截なのもお変わりなく。では挨拶もこのあたりで切り上げ、早速本題に入るといたしましょう」
笑みはそのまま目だけを鋭く細め、リリティアを見つめる彼。
「そちらが例の案内役ですな?」
「ああ」
「あ、あの……」
リリティアは鋭い眼光に怯えている。しかしザラトスは好々爺の笑みでその緊張を解した。
「怖がらせましたか、これは失敬。この顔は生まれつきなのでお気になさらず。娘さん、お名前を聞かせていただけますか?」
「リリティア……ナストラージェ、です」
「ナストラージェ……」
「帝国人だ……」
その姓は帝国でしか使われていない。ザラトスが威圧をやめた代わりに他の兵士達の殺気が膨れ上がっていく。
しかし、すぐにザラトスによって窘められた。
「騒ぐな」
「!」
彼のその一言で背筋を伸ばし、口を閉ざして沈黙する兵士達。この統率力も変わらず見事なものである。
「失礼いたしました、リリティア殿も賓客として扱うよう言い聞かせておきます」
「頼む」
彼が手綱を握っていれば余計なことを言う者はいない。その程度にはアイズもこのザラトス将軍を信頼していた。先の大戦で実際に名将としての実力を目の当たりにしたことが大きい。
「さて、案内役がリリティア殿となると休息が必要ですな。時間もすでに夕刻に近い、今日はまずお休みいただくということでよろしいか?」
「異論は無い」
同意するアイズ。自分一人なら数日間休みなく行動できるし、灯り一つ無い闇でも昼間のように見通せる。だが人間の彼等やリリティアはそうもいかない。
「では、こちらへ」
踵を返す将軍。アイズはウルジンの手綱を引いてその後ろへついて行く。兵士達はそんな彼女達を護衛するように左右に分かれて隊列を組んだ。
やがて馬上に座ったままのリリティアが小さく声を上げた。
「あっ……」
何故か、それっきり黙ってしまう。虚ろな表情になって。
(記憶が飛んだ?)
何故かと思ったアイズは少女が見ていた方向を見やり、見つけた。ナストラージェ家具店、そう書かれた看板を。
そこがリリティアの生家だった。
「こちらがアイズ様のお部屋で、隣がリリティア様のお部屋です」
二人が宿として案内されたのは、かつてこの町の町長が住んでいた屋敷。他の家々よりは格段に大きく、現在は将軍の邸宅として使われている。
ちなみにオルナガン王国の王はここにはいない。王都でもなく大陸中央のオルトランドに留学中。何代か前に王族がいたというだけの傍流の子で王たるに相応しい教育は受けておらず、年齢も幼い。そのため身の安全の確保も兼ねて三柱教に保護してもらったのだそうだ。
屋敷に入ってからの案内は将軍の妻ララヒルがしてくれた。彼の年齢から考えると幾分若すぎる三十代半ばの美女だ。娘か、あるいは孫でもおかしくない。しかし妻だという。
わざわざ別々の部屋を用意してくれたが、リリティアはそれを渋った。
「アイズと同じ部屋がいい……」
「ですが、それは」
「構わん、クラリオでもずっと相部屋だった」
「そうなのですか?」
驚き、眉をひそめるララヒル。
「ではベッドを運び込ませます」
「一つでいいです」
「一緒に寝ると?」
「ああ」
アイズが回答する度、将軍の妻の眉間の皺は深くなっていき、眉の角度もきつくなる。信仰心に篤いか帝国人を嫌っているか、あるいはその両方だろう。彼女はそこまで気が回らなかったが。
リリティアの要望に応えるのは単にそれを却下するだけの理由が無いから。出来る限りこの娘の安全を優先してやれとブレイブに指示されているし仕方がない。
「なんなの、この子……」
思わず声に出してしまったララヒルのその一言にも、アイズは律儀に回答する。
「私の連れだ」
「あっ……す、すみません」
「別にいいよ」
唇を尖らせるリリティア。ここへ来るまでの間に他国の民がどれほど帝国を恨んでいるかは実感できた。面と向かって侮蔑されたところでどうということもない、少し傷付くだけ。
そんな少女の顔を見て、ララヒルの表情には逆に憐れみが浮かぶ。
「ごめんなさい……貴女に罪は無いとわかっているの。ただ、私達の国は帝国のせいで無くなってしまったから……」
「うん……」
リリティアも罪悪感にかられいっそう深く俯く。気まずい雰囲気の二人の間でアイズは嘆息した、彼女にとっては人間同士の感情の機微などどうでもいい。
「早く部屋に入れ」
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