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二章・夢の終わり
一時の夢(2)
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次の日の昼下がり、窓から差し込む光の下でアイズは髪を切ってもらっていた。
「副長、いつも疑問に思っていたのですが」
ハサミを動かしながら訊ねるエアーズ。最初の頃はぎこちなかったその所作も流石に回を重ねたことで洗練されてきた。
「どうして私に髪を切らせるんです?」
「近くにいたからだ」
即答するアイズ。エアーズは眉をひそめた。
「ええ?」
「最初の時にな」
「あ、ああ、そういうことですか」
初めて彼に散髪を頼んだのは、オルトランドに天遣騎士団が降臨してから半月ほど経った頃。目に届くまで伸びた前髪を邪魔に思った彼女は、その時たまたま近くにいたエアーズを捕まえて短くしろと命じた。
それ以来、ずっと彼女の散髪役は彼である。
「他に頼んでもいいでしょう。人間の、それこそ専門の技術を持った者達とか」
「考えたことはある」
だが、実行したことは無いと続けるアイズ。他の誰かに髪を触らせることを想像すると、なんとなく嫌な気分になる。だから毎回エアーズに頼んでいるのだと。
「だが、やめてもいいぞ」
彼が望むのなら。今の彼女は多少他人を気遣えるようになった、だから無理強いはしたくない。
エアーズはもちろん首を左右に振る。
「滅相も無い、光栄です」
「世辞か?」
「まさか、本心ですよ。副長の髪は綺麗ですからね」
直接触れられるのは幸せだと彼は言う。アイズは髪が好きとは変わった奴だと思った。そういう趣味に目覚めることもあるのだなと。
そして、それでも嫌な気分ではない。やはり今後も散髪は彼に任せるだろう。
エアーズも同じことを考えたらしい。得意気に胸を張る。
「いつでもお任せください。最初の頃より上手くなってますしね、ほら」
手鏡を見せられた。なるほど、たしかに以前より上達している。前はとにかく長さを揃えるだけだったが、今はもっと短かった髪が自然に伸びたように見える。彼女としてもこの方がいい。
「見事だ」
「ありがとうございます」
「これからも頼むぞ」
「はい!」
嬉しそうな彼の顔を見て、アイズは昨夜のことを思い出し、半ば無意識に呟く。
「ずっと……一緒にいられたらいいな」
「えっ!?」
仰天して真っ赤になるエアーズ。けれど、言葉は続く。
「皆と」
「あっ、皆と……はい、そうですね」
「どうした?」
急に落ち込んだ彼を訝り、訊ねる。エアーズは肩を落としたまま弱々しく笑う。
「いえ、お気になさらず。リリティア、もういいですよ、お願いします」
「はーい!」
彼が呼びかけると、途端に走って来るリリティア。手にはホウキとチリトリを持っている。その二つで床に落ちた髪を集め始めた。
「良い手際だな」
「お父さんの仕事場の掃除を手伝ってたもん」
そう言えばリリティアの父は家具職人だった。木を削って出た木片などをこうして掃除していたのだろう。
「今日は城中ぴかぴかにするから、頑張ろうねアイズ!」
「ああ、そうだな」
以前も手伝わされたことはあったが、今日は初めて自主的に掃除することにした。頷いた彼女も別のホウキを持って来て床を掃き始める。エアーズは散髪中につけていたエプロンを外し、そんな二人を微笑みながら見つめるのだった。
夏が終わり、さらに短い秋が訪れ、アイズはよく人間の猟師達と狩りに出かけるようになった。
「向こうにいる」
「流石です」
熟練の猟師ですら見逃していた痕跡を見つけ、獲物を捕捉する彼女。ここ数日の活躍のおかげで冬が来る前に大量の肉と毛皮を確保できた。あまり捕り過ぎると生態系を乱してしまう恐れがあるとブレイブに言われ抑えたが、彼女がその気になればクラリオを囲む広大な森の獣を瞬く間に狩り尽くしてしまうだろう。
『焦るな、今はまだお前の出番じゃない』
ブレイブには、さらにそう言って釘を刺された。食料調達のための狩りではなく、別の狩りの話でだ。
――クラリオに戻った直後、最初に団長執務室を訪れた時にはリリティアがいたため話題に出さなかったが、翌日にはまたブレイブの元を訪れて彼を詰問した。何故アイリスが他にもいることを教えなかったのかと。
二人目がいたなら他にもいてもおかしくない。そう推察した彼女の読みは当たっていた。一向に戻って来ないノウブル達別動隊は各方面でアイリスを追跡し討伐しているのだと、ようやく真実を明かされた。
何故秘密にしていたのか、その理由を彼はこう説明する。
『作戦はすでに佳境に入っている。お前達がサラジェに出発した直後、南のライトレイル隊からの情報が届いた。奴等もアイリスを一人倒したんだが、そのアイリスは協力的でな、一切抵抗せずに自分の死だけを願い、見返りとして自分達の数を教えてくれたそうだ』
『数だと?』
『ああ、全部で七人が改造された。つまり、お前が今回倒したアイリスを含めて五人を討伐済みで残るは二人』
たったの二人。ブレイブはそう言っているように感じたが、アイズはその感覚を否定する。
『二人だけでも十分な脅威だ、一人でも残っていれば大陸を滅ぼすことができる』
『わかっている』
頷き、それでもとアイズの再度の派遣を却下する彼。
『俺も、お前が戻ったら今度こそ派遣すべきだと考えていた。だが、お前が出会った五人目の情報を聞いて考えが変わった。今はまだクラリオにいてもらう』
『何故だ!?』
『奴らが、お前という存在に執着している可能性があるからだ』
『!』
――私達『アイリス』にとって貴女の存在は救いなのです。
あの少女にそう言われたことを思い出す。最初のシエナもそう、たしかに自分は彼女達に特別視されている。何故かは未だにわからないが。
『彼女達が本気で隠れてしまった場合、俺達には見つけ出す術が無い。お前ですら最初のアイリスには煙に巻かれ続けていた。だが、向こうから出て来てくれれば話は別だ』
つまりアイズを囮にして誘い出す作戦。そんなブレイブの計画を聞き、彼女自身はやはり否定的な見解を述べる。
『だとしたら、なおさら私はここに留まるべきではない。また市民を巻き込むことになるぞ』
そして、その市民の中にはリリティアも含まれる。今の彼女にはそれを看過できない。
けれどブレイブは頑なだった。ここに限っては絶対に譲らないという固い意志を示す。
『駄目だ、お前はここに留まれ。これは命令だ。囮が動き回っていたら向こうだって捕捉しにくいだろう。たしかに市民を巻き込む危険性はあるが、ここには俺達の戦力の三分の一が集結している。被害を最小限に留めた上で倒せるはずだ』
『だが……』
『そうやって他者を気遣えるようになったことは嬉しく思う。だがなアイズ、俺達は天士だということも忘れるな。女神アルトルの剣として、世界そのものを脅かす存在を排除しなければならない。そのためには非情な決断も必要になる。各方面に派遣している仲間が残りの二体を見つけて倒してくれればそれで良し。再びクラリオが襲撃され、俺達がそれを迎え撃ったとしてもまた良し。俺は少しでも確実性の高い選択をする。それが団長としての責務だ』
この時、ブレイブは今までで一番厳しい眼差しをアイズに向けた。幼子の成長を確かめたことで甘やかす必要は無くなったと、そう思ったのかもしれない。
けれど、それでも彼女は――
「……」
無言のまま弓を射る。矢はまっすぐに鹿の首を射抜いた。猟師達の歓声が上がる。
「お見事です、アイズ様」
「ああ」
今の一矢を放つ直前、彼女は決断した。迷いを捨てたのだ。
リリティアとの約束を違えることになるかもしれない。それでも彼女は今そうすべきだと意志を固めた。
「副長、いつも疑問に思っていたのですが」
ハサミを動かしながら訊ねるエアーズ。最初の頃はぎこちなかったその所作も流石に回を重ねたことで洗練されてきた。
「どうして私に髪を切らせるんです?」
「近くにいたからだ」
即答するアイズ。エアーズは眉をひそめた。
「ええ?」
「最初の時にな」
「あ、ああ、そういうことですか」
初めて彼に散髪を頼んだのは、オルトランドに天遣騎士団が降臨してから半月ほど経った頃。目に届くまで伸びた前髪を邪魔に思った彼女は、その時たまたま近くにいたエアーズを捕まえて短くしろと命じた。
それ以来、ずっと彼女の散髪役は彼である。
「他に頼んでもいいでしょう。人間の、それこそ専門の技術を持った者達とか」
「考えたことはある」
だが、実行したことは無いと続けるアイズ。他の誰かに髪を触らせることを想像すると、なんとなく嫌な気分になる。だから毎回エアーズに頼んでいるのだと。
「だが、やめてもいいぞ」
彼が望むのなら。今の彼女は多少他人を気遣えるようになった、だから無理強いはしたくない。
エアーズはもちろん首を左右に振る。
「滅相も無い、光栄です」
「世辞か?」
「まさか、本心ですよ。副長の髪は綺麗ですからね」
直接触れられるのは幸せだと彼は言う。アイズは髪が好きとは変わった奴だと思った。そういう趣味に目覚めることもあるのだなと。
そして、それでも嫌な気分ではない。やはり今後も散髪は彼に任せるだろう。
エアーズも同じことを考えたらしい。得意気に胸を張る。
「いつでもお任せください。最初の頃より上手くなってますしね、ほら」
手鏡を見せられた。なるほど、たしかに以前より上達している。前はとにかく長さを揃えるだけだったが、今はもっと短かった髪が自然に伸びたように見える。彼女としてもこの方がいい。
「見事だ」
「ありがとうございます」
「これからも頼むぞ」
「はい!」
嬉しそうな彼の顔を見て、アイズは昨夜のことを思い出し、半ば無意識に呟く。
「ずっと……一緒にいられたらいいな」
「えっ!?」
仰天して真っ赤になるエアーズ。けれど、言葉は続く。
「皆と」
「あっ、皆と……はい、そうですね」
「どうした?」
急に落ち込んだ彼を訝り、訊ねる。エアーズは肩を落としたまま弱々しく笑う。
「いえ、お気になさらず。リリティア、もういいですよ、お願いします」
「はーい!」
彼が呼びかけると、途端に走って来るリリティア。手にはホウキとチリトリを持っている。その二つで床に落ちた髪を集め始めた。
「良い手際だな」
「お父さんの仕事場の掃除を手伝ってたもん」
そう言えばリリティアの父は家具職人だった。木を削って出た木片などをこうして掃除していたのだろう。
「今日は城中ぴかぴかにするから、頑張ろうねアイズ!」
「ああ、そうだな」
以前も手伝わされたことはあったが、今日は初めて自主的に掃除することにした。頷いた彼女も別のホウキを持って来て床を掃き始める。エアーズは散髪中につけていたエプロンを外し、そんな二人を微笑みながら見つめるのだった。
夏が終わり、さらに短い秋が訪れ、アイズはよく人間の猟師達と狩りに出かけるようになった。
「向こうにいる」
「流石です」
熟練の猟師ですら見逃していた痕跡を見つけ、獲物を捕捉する彼女。ここ数日の活躍のおかげで冬が来る前に大量の肉と毛皮を確保できた。あまり捕り過ぎると生態系を乱してしまう恐れがあるとブレイブに言われ抑えたが、彼女がその気になればクラリオを囲む広大な森の獣を瞬く間に狩り尽くしてしまうだろう。
『焦るな、今はまだお前の出番じゃない』
ブレイブには、さらにそう言って釘を刺された。食料調達のための狩りではなく、別の狩りの話でだ。
――クラリオに戻った直後、最初に団長執務室を訪れた時にはリリティアがいたため話題に出さなかったが、翌日にはまたブレイブの元を訪れて彼を詰問した。何故アイリスが他にもいることを教えなかったのかと。
二人目がいたなら他にもいてもおかしくない。そう推察した彼女の読みは当たっていた。一向に戻って来ないノウブル達別動隊は各方面でアイリスを追跡し討伐しているのだと、ようやく真実を明かされた。
何故秘密にしていたのか、その理由を彼はこう説明する。
『作戦はすでに佳境に入っている。お前達がサラジェに出発した直後、南のライトレイル隊からの情報が届いた。奴等もアイリスを一人倒したんだが、そのアイリスは協力的でな、一切抵抗せずに自分の死だけを願い、見返りとして自分達の数を教えてくれたそうだ』
『数だと?』
『ああ、全部で七人が改造された。つまり、お前が今回倒したアイリスを含めて五人を討伐済みで残るは二人』
たったの二人。ブレイブはそう言っているように感じたが、アイズはその感覚を否定する。
『二人だけでも十分な脅威だ、一人でも残っていれば大陸を滅ぼすことができる』
『わかっている』
頷き、それでもとアイズの再度の派遣を却下する彼。
『俺も、お前が戻ったら今度こそ派遣すべきだと考えていた。だが、お前が出会った五人目の情報を聞いて考えが変わった。今はまだクラリオにいてもらう』
『何故だ!?』
『奴らが、お前という存在に執着している可能性があるからだ』
『!』
――私達『アイリス』にとって貴女の存在は救いなのです。
あの少女にそう言われたことを思い出す。最初のシエナもそう、たしかに自分は彼女達に特別視されている。何故かは未だにわからないが。
『彼女達が本気で隠れてしまった場合、俺達には見つけ出す術が無い。お前ですら最初のアイリスには煙に巻かれ続けていた。だが、向こうから出て来てくれれば話は別だ』
つまりアイズを囮にして誘い出す作戦。そんなブレイブの計画を聞き、彼女自身はやはり否定的な見解を述べる。
『だとしたら、なおさら私はここに留まるべきではない。また市民を巻き込むことになるぞ』
そして、その市民の中にはリリティアも含まれる。今の彼女にはそれを看過できない。
けれどブレイブは頑なだった。ここに限っては絶対に譲らないという固い意志を示す。
『駄目だ、お前はここに留まれ。これは命令だ。囮が動き回っていたら向こうだって捕捉しにくいだろう。たしかに市民を巻き込む危険性はあるが、ここには俺達の戦力の三分の一が集結している。被害を最小限に留めた上で倒せるはずだ』
『だが……』
『そうやって他者を気遣えるようになったことは嬉しく思う。だがなアイズ、俺達は天士だということも忘れるな。女神アルトルの剣として、世界そのものを脅かす存在を排除しなければならない。そのためには非情な決断も必要になる。各方面に派遣している仲間が残りの二体を見つけて倒してくれればそれで良し。再びクラリオが襲撃され、俺達がそれを迎え撃ったとしてもまた良し。俺は少しでも確実性の高い選択をする。それが団長としての責務だ』
この時、ブレイブは今までで一番厳しい眼差しをアイズに向けた。幼子の成長を確かめたことで甘やかす必要は無くなったと、そう思ったのかもしれない。
けれど、それでも彼女は――
「……」
無言のまま弓を射る。矢はまっすぐに鹿の首を射抜いた。猟師達の歓声が上がる。
「お見事です、アイズ様」
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