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五章・選択の先へ
大きな歯車
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ルガフ大陸――千年前の神々同士が争った戦争で他の大陸との繋がりを絶たれ孤立したこの地で今、一人の少女が砂漠を歩いていた。
綿でできた長袖の服にスカート。スカートの下にはズボンも履いており、いかにも旅装束である。フード付きの茶色いマントがいっそう彼女が土地の者でないことを物語っていた。遭難した時に見つけてもらいやすくなるので、砂海の民はもっと目立つ色を好む。
もっとも、金色の髪と琥珀色の瞳は十分に目立つ色彩だが。
少女は容赦なく照りつける日に焼かれ、汗を流しながらひたすらに歩く。
暑い。苦しい。喉が渇く。皮膚が焼け付く。もう何日、こうして飲まず食わずで歩き続けて来たか。意識が朦朧として思い出せない。
普通ならもう干からびて死んでいる。けれども彼女には、そうして死を迎えて楽になることさえ許されない。
いつも、死が近付くともう一人の自分が現れる。自分と同じ顔、同じ服、だけどよく見れば左右対称の少女。鏡に写した自分。
ほら、また現れた。少し離れた場所に立っている。
「もう……許して……」
「……」
生き写しの少女は何も言わない。代わりに彼方を指差した。その方向にうっすら何かが見える。岩か何かがあるらしい。
少女はそこまで歩いて行った。すると、やはり大きな岩が一つぽつんと佇んでいて、そのおかげで小さな日陰ができている。
迷わずそこへ入り、荒い息をつきつつ少しでも体力を回復しようと座り込む。
まったく、とんだ貧乏くじ。いくらかつての仲間を救い出すためだったとはいえ、撃墜され大砂海に一人で墜落してしまうとは。
仲間たちも近くに落ちたと思うのだが、未だに痕跡一つ見つけられない。要領のいい彼女たちのことだし、死んでさえいなければ一足先に脱出してしまった可能性もある。
「はあ……」
どうしてこんなことに。昔は何不自由無い暮らしをしていた。この身は一国の王女だったのだ。
でも父が、国王があの石板を手に入れてしまって全てが変わった。
金の書。触れた者の最も強く願った力を与える遺物。あれのせいで戦争が始まり、そして自分たちは――
「ああ、また……」
混乱する。あの戦争の前後や戦時中の出来事を考えると思考が絡まった糸玉のようになってしまう。
もう何年もこの状態。これだけ時間が経ってもわからない。
自分は、どっちなのか。
双子の姉妹がいた。自分たちは瓜二つの姉と妹、だった。
けれどあの水底で、どちらか片方が死に、もう片方が生き残った水路で混ざり合ってしまった。二人で一つの存在になった。
どうしてこうなったのかはわからない。でも今の自分には両方の記憶がある。だから姉と妹、どちらの王女でもあり、どちらだとも言えない。
生き残ったのは姉か妹か。知りたいのに正体不明。
「……」
いつの間にか、また隣に生き写しの少女が座っている。きっとまた死にかけてしまったのだろう。こんな砂漠を飲まず食わずで彷徨っている以上、常に死にかけなのは当然。
これは姉でも妹でもない、ただの鏡。常に彼女を写し取るだけの存在。
正直に言えば鬱陶しい。でも離れることは不可能。だから仕方なく傍に置いてある。捨て方だってわからない。
そんな鏡をじっと見つめていると、さっきと同じように彼方を指差した。今度は何を言いたいのかと考えた直後、急に意識が遠ざかり始める。
(まず、い……)
示された方向から人影が近付いて来るのが見えた。味方ならともかく敵だったら無防備な状態で見つかってしまう。
意識を保たないと。そう思えば思うほど余計に瞼は重くなり彼女の意識を泥沼の中へ沈めてしまう。
やがて完全に気を失った彼女の元へ、彼は辿り着いた。
◇
「人だ!」
びっくりした。服装から察するに、この倒れている女の人は大砂海の外の人間だろう。外の住民を見るのは数年ぶり。
彼は、その少年はおそるおそる少女に近付いて行き、金糸のような髪と白い肌、そして整った容姿にまたびっくりする。
「わあ……なんてきれいな人だ」
歳の頃は多分自分より三つか四つくらい上。もしかしたら、もっと年上かもしれない。どことなく大人びて見える。
「行き倒れたのかな。助けてあげなきゃ」
彼は善良な少年だった。だからまず自分の口に水筒の水を含むと、気を失っている彼女に口移しでそれを飲ませてやった。そして疑いもせず彼女を抱き上げ、荷運び用のラクダに乗せる。
「村はすぐそこだからね、大丈夫だよ。死なないで」
少女は返事しない。気絶しているのだから当然だ。
少年は急ぐ。この人を助けてあげたい一心で。
そんな二人を彼方から見送るのは、あの生き写しの少女。
彼女は鏡。だからこそ知っていた。あの少年との出会いが、自分の主の運命を大きく動かすことを。
彼女はまた巻き込んだ。自分の運命に、小さな歯車を。
【かちかち、かちかち。彼は貴女と出会い、貴女は彼と出会い、とっても大きな歯車は、なお滞り無く回り続ける】
その歯車の回転はやがてルガフ大陸だけでなく、この世界の森羅万象を巻き込むだろう。止めることなど誰にもできない。
天士にも女神にも、悪魔ですらも。
合わせ鏡の魔女が行く先には、いつだって大きな苦難と災い、心に深い傷を刻む暗い悲劇が待ち受けている。
だから彼女は自らをこう名乗るのだ。自分と関わり不幸になった人々を悼んで。
後悔と。
【くるくる、くるくる、くるくる】
生き写しの少女、リグレットを写す鏡は回り出す。誰も見ていないのに一人静かに踊り続ける。
やがて一陣の風が過ぎ去り、舞い上がった砂が再び落ちると、その姿はどこにも見えなくなってしまっていた。
(第二部へ続く)
綿でできた長袖の服にスカート。スカートの下にはズボンも履いており、いかにも旅装束である。フード付きの茶色いマントがいっそう彼女が土地の者でないことを物語っていた。遭難した時に見つけてもらいやすくなるので、砂海の民はもっと目立つ色を好む。
もっとも、金色の髪と琥珀色の瞳は十分に目立つ色彩だが。
少女は容赦なく照りつける日に焼かれ、汗を流しながらひたすらに歩く。
暑い。苦しい。喉が渇く。皮膚が焼け付く。もう何日、こうして飲まず食わずで歩き続けて来たか。意識が朦朧として思い出せない。
普通ならもう干からびて死んでいる。けれども彼女には、そうして死を迎えて楽になることさえ許されない。
いつも、死が近付くともう一人の自分が現れる。自分と同じ顔、同じ服、だけどよく見れば左右対称の少女。鏡に写した自分。
ほら、また現れた。少し離れた場所に立っている。
「もう……許して……」
「……」
生き写しの少女は何も言わない。代わりに彼方を指差した。その方向にうっすら何かが見える。岩か何かがあるらしい。
少女はそこまで歩いて行った。すると、やはり大きな岩が一つぽつんと佇んでいて、そのおかげで小さな日陰ができている。
迷わずそこへ入り、荒い息をつきつつ少しでも体力を回復しようと座り込む。
まったく、とんだ貧乏くじ。いくらかつての仲間を救い出すためだったとはいえ、撃墜され大砂海に一人で墜落してしまうとは。
仲間たちも近くに落ちたと思うのだが、未だに痕跡一つ見つけられない。要領のいい彼女たちのことだし、死んでさえいなければ一足先に脱出してしまった可能性もある。
「はあ……」
どうしてこんなことに。昔は何不自由無い暮らしをしていた。この身は一国の王女だったのだ。
でも父が、国王があの石板を手に入れてしまって全てが変わった。
金の書。触れた者の最も強く願った力を与える遺物。あれのせいで戦争が始まり、そして自分たちは――
「ああ、また……」
混乱する。あの戦争の前後や戦時中の出来事を考えると思考が絡まった糸玉のようになってしまう。
もう何年もこの状態。これだけ時間が経ってもわからない。
自分は、どっちなのか。
双子の姉妹がいた。自分たちは瓜二つの姉と妹、だった。
けれどあの水底で、どちらか片方が死に、もう片方が生き残った水路で混ざり合ってしまった。二人で一つの存在になった。
どうしてこうなったのかはわからない。でも今の自分には両方の記憶がある。だから姉と妹、どちらの王女でもあり、どちらだとも言えない。
生き残ったのは姉か妹か。知りたいのに正体不明。
「……」
いつの間にか、また隣に生き写しの少女が座っている。きっとまた死にかけてしまったのだろう。こんな砂漠を飲まず食わずで彷徨っている以上、常に死にかけなのは当然。
これは姉でも妹でもない、ただの鏡。常に彼女を写し取るだけの存在。
正直に言えば鬱陶しい。でも離れることは不可能。だから仕方なく傍に置いてある。捨て方だってわからない。
そんな鏡をじっと見つめていると、さっきと同じように彼方を指差した。今度は何を言いたいのかと考えた直後、急に意識が遠ざかり始める。
(まず、い……)
示された方向から人影が近付いて来るのが見えた。味方ならともかく敵だったら無防備な状態で見つかってしまう。
意識を保たないと。そう思えば思うほど余計に瞼は重くなり彼女の意識を泥沼の中へ沈めてしまう。
やがて完全に気を失った彼女の元へ、彼は辿り着いた。
◇
「人だ!」
びっくりした。服装から察するに、この倒れている女の人は大砂海の外の人間だろう。外の住民を見るのは数年ぶり。
彼は、その少年はおそるおそる少女に近付いて行き、金糸のような髪と白い肌、そして整った容姿にまたびっくりする。
「わあ……なんてきれいな人だ」
歳の頃は多分自分より三つか四つくらい上。もしかしたら、もっと年上かもしれない。どことなく大人びて見える。
「行き倒れたのかな。助けてあげなきゃ」
彼は善良な少年だった。だからまず自分の口に水筒の水を含むと、気を失っている彼女に口移しでそれを飲ませてやった。そして疑いもせず彼女を抱き上げ、荷運び用のラクダに乗せる。
「村はすぐそこだからね、大丈夫だよ。死なないで」
少女は返事しない。気絶しているのだから当然だ。
少年は急ぐ。この人を助けてあげたい一心で。
そんな二人を彼方から見送るのは、あの生き写しの少女。
彼女は鏡。だからこそ知っていた。あの少年との出会いが、自分の主の運命を大きく動かすことを。
彼女はまた巻き込んだ。自分の運命に、小さな歯車を。
【かちかち、かちかち。彼は貴女と出会い、貴女は彼と出会い、とっても大きな歯車は、なお滞り無く回り続ける】
その歯車の回転はやがてルガフ大陸だけでなく、この世界の森羅万象を巻き込むだろう。止めることなど誰にもできない。
天士にも女神にも、悪魔ですらも。
合わせ鏡の魔女が行く先には、いつだって大きな苦難と災い、心に深い傷を刻む暗い悲劇が待ち受けている。
だから彼女は自らをこう名乗るのだ。自分と関わり不幸になった人々を悼んで。
後悔と。
【くるくる、くるくる、くるくる】
生き写しの少女、リグレットを写す鏡は回り出す。誰も見ていないのに一人静かに踊り続ける。
やがて一陣の風が過ぎ去り、舞い上がった砂が再び落ちると、その姿はどこにも見えなくなってしまっていた。
(第二部へ続く)
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