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第二章 【破】愛の真実
第25話 運命の二人
しおりを挟む蘭との姉妹デート数日後。その春休み終盤の事。
リビングダイニングでダラダラと過ごす永遠園兄妹。出掛ける用事もなく、朝食後からお気に入りのアニメ等を見て仲良く感想等を語りながら束の間の余暇を過ごしていた。
だが澄美怜は兄の瞳の奥の奥を覗き込んでいた。
……この2~3日、何となくお兄ちゃんが冴えない感じ……あれから1ヶ月、今になって薊さんが去った事、身に沁みて来たのかな?
少くとも私は今、あの人の居ない寂しさを感じている。お兄ちゃんストーカーの私だけが分かる程度の変化だけど、目の焦点が合っていない時間が増えてる。何かしてあげた方が良いかな……?
―――深優人がリビングのソファーの片隅で耽っている。
オカシイ……昨日、今日と有り得ないフラッシュバックが……でもこんな事って……
深優人は自分がおかしくなったかと思うような妙なイメージばかり見えてしまい、思わず首を強く横に振って気を散らした。
気付かれぬように心配して様子を窺う澄美怜。しかし兄が何かを隠そうとしている事だけは見抜いていた。
そうこうしている内に昼近くとなり 「ピンポーン」 とインターホンの呼び鈴が鳴り響くと、即座に母の声。
「澄美怜《すみれ》~、ちょっと出てくれる~?」
「は―い」と、玄関側に最も近かった澄美怜が駆け付けてロックを解除してドアを開けた刹那、あたかもスローモーションの様にさえ感じる程の衝撃的な光景が視界に入って来た。
『!!!!!!!!』
―――絶句し、余りに動転した澄美怜はドアを静かに元の位置へ戻した。ドアの外では目が合ったと同時にドアを閉じられ呆気にとられてニガ笑いする女の子の姿が。
「あ、あれぇ―……もしもーし……笑」
再びゆっくりとドアが開く。困った様な、嬉しい様な、複雑な顔の澄美怜が姿を現し、そして挨拶をした。
「お帰りなさい、百合愛お姉ちゃん」
「ただいま、澄美怜ちゃん。嫌われたかと思ったよー。フフフ」
溶かされるような笑顔をのぞかせる、そこには天から舞い降りた使徒か妖精かと見紛う程の美しい女の子が立っていた。
真っ白い肌、整った小さな顔、淡めのマロンにほんのり銀色をコーティングしたようなアッシュベージュの長い髪、モデルそのものと言っても過言ではないスラリとした細く長い手足と折れそうに細い腰、そしてガラス細工のようなブルーグレーの瞳、更にはフルートの音の様な清らかな声。
そう、いつも憧れていた微笑みが、この3年で更に美しくブラッシュアップされてそこに立っていた。
「澄美怜ちゃん、見ない間に凄いキレイになったね。皆さんお元気にしてた?」
「う……うん……あ、どうぞ入って……百合愛お姉ちゃんは?」
「もちろん。はい、お土産」
「ありがとう……でも驚いた。永住だろうって言ってたから……」
「私もね、驚いてるの。父の日本支部の再配属が急に決まったから」
「メールとかで教えてくれたら。……良かったら上がって」
そこへ部屋に戻ろうと階段へと向かう深優人《みゆと》が玄関に差し掛かったところで硬直。
百合愛《ゆりあ》と目が合う。
二人の時が止まる。
「百合愛……ちゃん…… (あのフラッシュバックは……やっぱり)」
「深優人……くん……」
互いに1歩近づいた。更に切ない声となって絞る様に名を呼ぶ百合愛。
「……深優人くん」
二人は瞳にいっぱい、溢れそうなそれを落とさぬよう堪えつつ更に1歩近づいた。
「会いたかった……」
心の中で呟くつもりが思わず出てしまった百合愛。まるで幻でも見るかのように見開いたそのガラス細工の瞳から頬に伝う雫。
やがて眉はひそめられ、つらそうに下がる。
突如呼吸が大きく乱れ、震える声で
「会いたかったんだよっ!! 」
いついかなる時も優しく穏やかな姿しか見せなかったこの人が、語気荒く吐き捨てた。小指は強く握られ、突っ張る腕から反り返った手首は小刻みに震えている程だった。
溢れた物は頬から雫となって落ちる。深優人《みゆと》が靴もはかず土間に降りて抱きしめる。
「俺だって!……どれだけ……」
もうそれ以上言葉にならなかった。
肩を震わせ抱きしめ合う二人を前にして、ただ戸惑い、居場所を失くした澄美怜《すみれ》。
自分がいたたまれず直視も出来なくなり、無言のまま蒼い顔で俯《うつむ》いた。
◆◇◆
運命が二人を引き離した中1の終わり。互いにそれを絶望的な悲恋と感じていた。
一週間食事は殆ど喉を通らず、数ヶ月たっても気分が優れず、百合愛に至ってはその後も引きずり続けた挙げ句、拒食症となり、元々スレンダーな彼女はそれこそ骨と皮のようになってしまった。
何故この二人はそんなにも離れたくなかったのか―――
隣人同士、同い年の幼馴染み。幼稚園に入る前から一緒に遊ぶようになった二人。幼い頃から百合愛は特別な視線で深優人とその妹を見ていた。
尋常でなく怯える事が頻繁に有った妹をいかなる時でも守ろうと、この兄はその窮状に甲斐甲斐しく、しかし当たり前の様に尽力していた。
そんな姿に至極感銘を受けた百合愛《ゆりあ》。
こんな人に私も守ってもらえたら良いのに……
百合愛の心の隙間が疼いた。
自分にとっての理想がずっと続いて欲しい。そんな世界であったなら……きっと世界は美しいものであるはずだ。
百合愛の視線は常に深優人の背中を見ていた。敏感な深優人はそれに早々に気付いた。
―――この百合愛という一風変わった子は、なぜ何かに渇望している感じなのか。
これまた超早熟な深優人はこの女の子をとても不思議な子として捉えていた。それを感じ取れる深優人も不思議な子なのだが。
後に百合愛本人から告白された事実、彼女にも僅かだが漠然とした『前世の記憶』があったのだ。
それに依れば最も信頼していた人物――前世の夫――からのひどい裏切りにより命を落とし、失意のどん底でその人生を終えたのだという。
そのために物心ついた時に最初に認識した感覚が『虚無感』だった。
《生まれながら何も信じる事の出来ない境遇》 、それがこの娘の本質だった。
パッと見ならとても可愛い普通の女の子。他人からするとちょっと不思議ちゃんが入っていて、天然っぽいところもあるが決して陰のある感じには見えない。
だが深優人にはどこか寂しげに見えた。ある意味で同類ゆえに直感していた訳だ。百合愛にさえいまだ打ち明けていないが、彼も漠然とした前世の記憶持ち。
それは何かの事故で身を挺して救ってくれたその恋人を失い、《大切なものを守れなかった不甲斐なさ》 その悔いだけが残っていて、生来より激しくその心を苛み続けているというものだった。
そのトラウマ故に妹へ尽力した。今、眼の前で愛する家族が特殊な症状で苦しんでいる、それも救えるのが自分だけ―――『絶対に守る!』 となってしまうのも当然である。
そんな深優人が百合愛の渇望に気付くのもある種必然だった。寂しげな百合愛に思う。
『僕が何かしてあげられたら喜ぶかな』
百合愛の不思議アンテナもそれに気付き、自分の求めている物を無償で与えようとして来るこの人へ尽くしたいと思う様になる。
なんとも常人には理解し難い二人だが、当人たちは既に何となく繋がっている事を自覚していて、その頃から時として考えが分かってしまう感覚があった。
以降、何度も以心伝心で周りの人を驚かせた。次第にそれが二人の間だけのものだと互いに気付き、唯一無二の存在に。正に心の鍵穴がピタリと合ってしまった。
本人達が『運命の人』とする所以である。
やがて小学校高学年の頃には、『愛している』という気持ちそのものが時々言葉なく伝わってしまう事に互いに気付いた。
その気持ちを隠すことも出来ないし、逆に恋人や夫婦でさえ、たまには口にしてあげないと不安になると言うのにその必要すらない。
この絶対領域。絶対的安心。百合愛は自分の生来渇望し、そして求めていた―――がしかし絶対に不可能とも考えていたもの――――『本物の信頼』を早々に手にする事が出来た、そう思った。
何と言う幸運。
毎日が穏やかで楽しく、信じられる。そして世界は美しい!
だからこそ深優人《みゆと》と共に澄美怜のことを大切にし、増々愛し、ほぼ本当の姉妹と言っても良い仲となった。この頃の三人の魂は一つの未分化のものと言っても過言ではなかった。
《このまま行けば私達はこの裏切りようのない関係をずっと続けられるのかな》
《勿論。それでキミが満たされるなら僕はずっと。絶対に寂しくなんかさせない》
《それなら私はその誠意に一生、全霊で応えていきます!……》
二人は常にその様な誓いの念を送り合っていた。
澄美怜にとっては百合愛は姉であり、兄と同格であり、とにかく大好きで、益々美しく成長してゆくこの姉を常に横で見て、この人そのものになりたいと羨望の眼差しを送っていた。
そんなある日。
誓いは引き裂かれた―――百合愛は親の転勤でのアメリカ永住の話を聴かされ愕然とする。
渡米前後、暗い部屋で絶望し泣き暮れた。唯一の希望の光を失い、ただその気持ちが干からびるまで湧き上がる物を殺し続けた。
結局守れなかった誓い。それが深優人の絶望の理由。
中でも別れのキスは忘れられなかった。最後の日、「絶対に忘れないよ」と言って抱きしめ合ったあと見つめ合い、どちらからともなく顔が吸い寄せられ、自然と口づけした。
その思い出も百合愛にとっての宝物だが、それゆえ消えてくれない。何度でもその記憶が蘇り無上の喜びと、もう届かないという地獄の苦しみを往来させる。
やがて拒食症で正に死にかけた時、どうせなら苦痛に顔を歪めながら死ぬよりも浄化されるように逝きたい……と思った。
そのとき深優人との思い出がよぎった。彼の部屋でお気に入りの曲を教えてもらっていた時に聴いた一曲、トリスタンとイゾルデ『愛の死』。
悶絶しながらも死して至高の愛を成就するという究極の想い。初めて聴いた時はなんて狂おしくて恐ろしい美しさをもった曲か、とむしろ畏怖した。深優人もそうだったという。
『でもいつか必要になる日が来るような気がして、つい聴いてしまうんだ……』
と遠い目をして語っていた深優人の姿を思い出した。そして……
『そうだ、あれを聴いて逝こう――――』
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