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80話 魔王の想い、ここにあり

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 サンドリッチの街に足を踏み入れた私は愕然とした。

 クロワツ山からサンドリッチの街を見下ろした時には美しい外観しか目に入らなかったが、街の中は真逆の別世界だった。

 瞳から希望の輝きは消え果て、皆が飢えているのが一目でわかってしまったのだ。

 悲しみと絶望と死が人々を包み込んでいるのを目にして、私はどうしようもなくやるせない気持ちでいっぱいになる。

 辺りを見渡せば、途方にくれて道端に立ち尽くしている者。力尽きて横たわる少年少女。パンの欠片を奪い合う子どもたち。

 物欲しそうにして指を咥えるガリガリに痩せた骨と皮の幼き兄妹。

 そして……頬がこけて青ざめた顔をする母親に抱かれながら、ぐったりとしている赤子。

 貧困と飢餓が渦巻くそれを目にしたその時、私の心に亡き母の思い出が甦る──。


 ……──私がまだ幼き頃のことだ。

 私は母さんの作った野菜と肉が大きくごろっと入ったカレーライスが大好物だった。

『ボクね、母さんのカレー大好きなんだ!』と声を大にして伝えたからか、母さんは良くカレーを作ってくれた。誕生日や何かの記念日の夕食は、カレーライスだったのを思い出す。

 夕暮れ時、遊びからお腹をすかせた帰り道。路地を曲がると家の方から漂うカレーの香りが鼻をくすぐる。

『あっ! 今夜はカレーだぁっ!』と無邪気に喜びドアを開け、母さんの元へまっしぐらに駆けていく。

 キッチンに立つ母さんが微笑みながら、決まって言った言葉を私は忘れない。

「たっくさん作ったからね、おなかいっぱい食べなさい」

 優しい声だった。

 ……この声を最後に聞いたのは、私が魔族と人族の戦いに巻き込まれ、絶望に打ちひしがれた運命の日だったけど……。

 人族が放った魔法から私を庇い、倒れた母さんに私は、涙をこぼして「母さん、母さん! いやだ、いやだよ!」と言って意識の薄れていく手を握り締める。

 すると、切れ長の細い目をうっすらと開けて、何かを言いたそうな母さんの口元に私が耳を近付けると、

「ヨーケ……ス……。カレー……たくさんつく……たからね……おなかいっぱい……食べ……な……さい」

 ……消え入りそうに掠れた声で言ったそれが……私の母の最後の言葉だった。


 ────……あれから数年。

 私は魔王となった。

 未だに人族との諍いや争いもまだまだ絶えないが、私は一つの考えを持っている。

 私たち……そう、魔族と人族の争いのせいで、子どもたちに涙を流させてはならないと。
 特に貧困や飢餓を味あわせるなんて言語道断、それは魔族も人族も関係なくだ。

 そりゃあ、私は母の命を奪った人族に対して、怒りがないわけじゃない。

 だからといって、罪なき子どもが涙する世の中であっていいわけがないのだ。
 私やユーナの辛く悲しい過去を、二度と繰り返してはいけない。

 そう思ったから、私は何があっても子どもたちの味方でいると決めた。

 ……だからこそ、この街の惨状を見た私は胸を強く抉られる。

 ここにいる子どもたちは魔族と人族の戦いの末に絶望しているのではない。

 あまりにも憐れで可哀想な彼らは同じ種族である一人の人間によって、暗い毎日を生きているのだ。

 ……いいだろう。この魔王軍の頂点にして魔王の私が救いの手を差し伸べてやる。

 まずはお前たちを腹いっぱいにして、笑顔を取り戻させてやろう。

 そして、亡き母に代わりこの言葉を手渡そう、『おなかいっぱい食べろ』と。

 そして幸福感で満たされるがいい。
 まんまと笑顔になったキサマらをユーナが見て、ニッコリと喜んでくれたら私はそれでいいのだから。

 そう、私はカレーを作りには来たが勘違いしてほしくない。
 お前たちのためじゃないのだ、私はユーナを笑顔にするためにカレーを作りに来たのだ!

 私は背後にいるノゾッキーたち魔王軍爆走愚連隊へと振り返り、大声で指示を出した。

「今から作戦はフェーズツーに移行、ドラゴンカレーを作るためのレストランを作る! 目標、廃屋と化した冒険者ギルド! 全員ビッと気合い入れろ!」

「「「押忍!」」」

 決意を胸に、私たちはサンドリッチの無人になった冒険者ギルドを目指してバイコーンを駆るのだった。
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