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第一部(幼少編)
29話【十兵衛】共に生きるためにできることすべて
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天文十七年、今日、僕の主は敵国へ嫁ぐ。
僕も君も、数えで十五になった。
丁度良い頃合いだと、皆喜びの言葉を口にした。
君は不本意ながらもしっかり覚悟はしていたようで、むくれていたのは僕だけだった。
出会う以前から決まっていたことだったけど、本当は、ずっと、行かないで欲しいと思っていた。
ずっと隣にいるためには、ずっと共にあり続けるためには、どうしたらいいか、小さい頭でずっと、絶えず考えていた。
彼女の輿入れの日取りが決まった時、すぐに僕は彼女の兄に再戦を申し込んだ。
義龍様に稽古をつけていただいたのは、彼と会って初めてのあの日、小蝶が当たり前ながら敗北した後に「お前も稽古をつけてやる」と言われた時以来だった。
小蝶にさえまだ一度も勝てていない僕が、彼女よりも強い相手に勝てるかどうかは、賭けにすらならない事実だった。
無謀すぎる決意を汲んでくださったのか、義龍様は僕に真剣での稽古をつけてくださった。
「お前、もし今俺が親父と袂を分かったら、どっちにつく?」
血が噴き出ないよう刀を避けるので精一杯だった僕に、彼はこのあと妹にするのと同じ問いをした。
もちろん、迷う必要はない。
「利政様です」
「ほう。何故だ?」
「僕は小蝶様を守れる方につきます。今の貴方では、家臣軍の信用はまだ充分に得られていません。多くは利政様につくでしょう。それに……、利政様は、貴方より小蝶様を優先します。小蝶様を安全なところへ逃がすこともできますから」
「ま、及第点か」
ずっと気を張って構えていたはずなのに、貸していただいた真剣は一薙ぎで簡単に手から外れて、稽古場の端に落ちた。
負けた。一太刀も、浴びせられなかった。
本気で、殺すつもりで、挑んだのに。
けれど蝮の息子はにやりと笑うと、僕に手を貸して立たせてくれた。
なぜか、いつになく機嫌が良さそうだ。
「お前の視野の広さはあいつの助けになる。妹をまかせた」
「……はい」
仕合には負けたけど、どうやら、何かが彼の中の基準を超えられたらしい。
いつも他人には厳しいこの人が、僕にも笑いかけてくれるのだから、機嫌はかなり良い。
「なあ、これと同じ問いをあいつにもするつもりなんだが、あいつ、どう答えると思う?」
あいつ、とはもちろん、彼のかわいい妹君のことだろう。
義龍様はお父上の利政様ほどではないが、妹君を溺愛している。
他の弟妹君にはまったく興味を持っていなかったのに、小蝶のことだけは「あいつ」などと砕けて呼ぶのだから。
どうやら、当人達はお互い、それに気づいていないようなので、わざわざ言いはしないけれど。
「あの方の答えは……いつもわかりかねます。予想と全く違う答えを、出してくると思います」
「だよなあ」
彼が心を置いている妹以外には滅多に見せないが、笑った顔は、本当だ、小蝶の言ったとおり、父君に似ている。
彼女は、結果、僕たちの予想通りに予想を裏切った答えを出してきたので、笑ってしまった。
彼女はいつも、思いもよらない答えを出してくれる。
「筋トレしましょう。筋肉はすべて解決するわ!」
思い出しても笑ってしまうのだが、これは、僕が両親のもとへ行くことを考えていたあの日、それ以外の選択肢がなかった僕へ彼女が告げた言葉だ。
意味がわからなかった。
彼女の小さな才能に嫉妬して、罵倒して、八つ当たりした。
本当は、ただの努力家で、剣術が好きなだけの普通の女の子だったのに。
二度目に手を握られた時、少女の手が豆とたこで硬くなっていたのを、覚えてる。
彼女について「筋とれ」なるものを行ったら、五十回程度で汗が噴き出て根をあげてしまった。次の日全身が痛くなったほどだ。
普通の姫として生きられるはずの彼女を、そこまで突き動かす事柄が何か、今でもわからないけれど。
君が走り続けるのなら、僕はどこまでもついていける男になるしかない。
初春の空気は冷たく、肺に刺さる。
昔寝泊まりしていた、童子の遊び場のような土蔵に別れを告げて、ひとり指を掌の中に入れる。
初めての武具に戸惑ってしまったけれど、設えてもらったものは新品ながら、体に馴染んだ。
娘を溺愛する父が、質の良いものをきちんと誂えてくれたのだろう。
かなり無理を言ったのに、短期間ですべて揃えてくれて、本当に、彼女は身内に愛されている。
彼女自身はどうも、周りの人間から評価されていないと思っているようだけど、姫君として城の者からは充分に愛されている。
なんでも素直に受け入れ、思いもよらない答えで人の心を解放させられる、不思議な魅力のある人だ。
彼女を守ってほしいというのは、城の皆の総意だ。
あの日、誰もが僕の死を望んでいた中で、小蝶は僕に縋って泣いた。死なないでと泣いた。
父も母もいなくなって、重臣にも見捨てられた僕の生を、ただひとり望んでくれた。
共にいたいと言ってくれた。
なら、僕は君が望む限り、誰に望まれなくても、君の隣に居続ければいいんだ。
そのために、剣を覚えたのだから。
そのために、強くなったのだから。
小蝶は、僕が生きてきてたったひとり、ともにありたいと思えた女の子。
もし、君を害すものがいるのなら、そのすべてをこの手で排除しよう。
君を殺すものがいるのなら、そのすべてをこの剣で廃滅しよう。
君が生きるというのなら、血を吐いてでも君に従おう。
君が死ぬというのなら、腹を裂いてともに果てよう。
僕の命は、君のものだ。
これからも、ずっと。
貴女が尾張へ行くというのなら、私も共に行こう。
この明智十兵衛光秀、この命のすべてを、貴女のすべてのために使おう。
そう告げると、信じられないほど綺麗に着飾った蝶はぽかんと大口を開けて、そのあと同じくらいの大きさの声で叫んだ。
僕も君も、数えで十五になった。
丁度良い頃合いだと、皆喜びの言葉を口にした。
君は不本意ながらもしっかり覚悟はしていたようで、むくれていたのは僕だけだった。
出会う以前から決まっていたことだったけど、本当は、ずっと、行かないで欲しいと思っていた。
ずっと隣にいるためには、ずっと共にあり続けるためには、どうしたらいいか、小さい頭でずっと、絶えず考えていた。
彼女の輿入れの日取りが決まった時、すぐに僕は彼女の兄に再戦を申し込んだ。
義龍様に稽古をつけていただいたのは、彼と会って初めてのあの日、小蝶が当たり前ながら敗北した後に「お前も稽古をつけてやる」と言われた時以来だった。
小蝶にさえまだ一度も勝てていない僕が、彼女よりも強い相手に勝てるかどうかは、賭けにすらならない事実だった。
無謀すぎる決意を汲んでくださったのか、義龍様は僕に真剣での稽古をつけてくださった。
「お前、もし今俺が親父と袂を分かったら、どっちにつく?」
血が噴き出ないよう刀を避けるので精一杯だった僕に、彼はこのあと妹にするのと同じ問いをした。
もちろん、迷う必要はない。
「利政様です」
「ほう。何故だ?」
「僕は小蝶様を守れる方につきます。今の貴方では、家臣軍の信用はまだ充分に得られていません。多くは利政様につくでしょう。それに……、利政様は、貴方より小蝶様を優先します。小蝶様を安全なところへ逃がすこともできますから」
「ま、及第点か」
ずっと気を張って構えていたはずなのに、貸していただいた真剣は一薙ぎで簡単に手から外れて、稽古場の端に落ちた。
負けた。一太刀も、浴びせられなかった。
本気で、殺すつもりで、挑んだのに。
けれど蝮の息子はにやりと笑うと、僕に手を貸して立たせてくれた。
なぜか、いつになく機嫌が良さそうだ。
「お前の視野の広さはあいつの助けになる。妹をまかせた」
「……はい」
仕合には負けたけど、どうやら、何かが彼の中の基準を超えられたらしい。
いつも他人には厳しいこの人が、僕にも笑いかけてくれるのだから、機嫌はかなり良い。
「なあ、これと同じ問いをあいつにもするつもりなんだが、あいつ、どう答えると思う?」
あいつ、とはもちろん、彼のかわいい妹君のことだろう。
義龍様はお父上の利政様ほどではないが、妹君を溺愛している。
他の弟妹君にはまったく興味を持っていなかったのに、小蝶のことだけは「あいつ」などと砕けて呼ぶのだから。
どうやら、当人達はお互い、それに気づいていないようなので、わざわざ言いはしないけれど。
「あの方の答えは……いつもわかりかねます。予想と全く違う答えを、出してくると思います」
「だよなあ」
彼が心を置いている妹以外には滅多に見せないが、笑った顔は、本当だ、小蝶の言ったとおり、父君に似ている。
彼女は、結果、僕たちの予想通りに予想を裏切った答えを出してきたので、笑ってしまった。
彼女はいつも、思いもよらない答えを出してくれる。
「筋トレしましょう。筋肉はすべて解決するわ!」
思い出しても笑ってしまうのだが、これは、僕が両親のもとへ行くことを考えていたあの日、それ以外の選択肢がなかった僕へ彼女が告げた言葉だ。
意味がわからなかった。
彼女の小さな才能に嫉妬して、罵倒して、八つ当たりした。
本当は、ただの努力家で、剣術が好きなだけの普通の女の子だったのに。
二度目に手を握られた時、少女の手が豆とたこで硬くなっていたのを、覚えてる。
彼女について「筋とれ」なるものを行ったら、五十回程度で汗が噴き出て根をあげてしまった。次の日全身が痛くなったほどだ。
普通の姫として生きられるはずの彼女を、そこまで突き動かす事柄が何か、今でもわからないけれど。
君が走り続けるのなら、僕はどこまでもついていける男になるしかない。
初春の空気は冷たく、肺に刺さる。
昔寝泊まりしていた、童子の遊び場のような土蔵に別れを告げて、ひとり指を掌の中に入れる。
初めての武具に戸惑ってしまったけれど、設えてもらったものは新品ながら、体に馴染んだ。
娘を溺愛する父が、質の良いものをきちんと誂えてくれたのだろう。
かなり無理を言ったのに、短期間ですべて揃えてくれて、本当に、彼女は身内に愛されている。
彼女自身はどうも、周りの人間から評価されていないと思っているようだけど、姫君として城の者からは充分に愛されている。
なんでも素直に受け入れ、思いもよらない答えで人の心を解放させられる、不思議な魅力のある人だ。
彼女を守ってほしいというのは、城の皆の総意だ。
あの日、誰もが僕の死を望んでいた中で、小蝶は僕に縋って泣いた。死なないでと泣いた。
父も母もいなくなって、重臣にも見捨てられた僕の生を、ただひとり望んでくれた。
共にいたいと言ってくれた。
なら、僕は君が望む限り、誰に望まれなくても、君の隣に居続ければいいんだ。
そのために、剣を覚えたのだから。
そのために、強くなったのだから。
小蝶は、僕が生きてきてたったひとり、ともにありたいと思えた女の子。
もし、君を害すものがいるのなら、そのすべてをこの手で排除しよう。
君を殺すものがいるのなら、そのすべてをこの剣で廃滅しよう。
君が生きるというのなら、血を吐いてでも君に従おう。
君が死ぬというのなら、腹を裂いてともに果てよう。
僕の命は、君のものだ。
これからも、ずっと。
貴女が尾張へ行くというのなら、私も共に行こう。
この明智十兵衛光秀、この命のすべてを、貴女のすべてのために使おう。
そう告げると、信じられないほど綺麗に着飾った蝶はぽかんと大口を開けて、そのあと同じくらいの大きさの声で叫んだ。
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