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第二部
86話【十兵衛】帰蝶の初恋の相手
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橋本一把さんは、僕と帰蝶の銃の師匠で、信長の銃の指南役でもある。
本来なら戦に出て活躍して良いほどの腕の持ち主の彼は、争いを好まない性分からそれを断り、今は女性達に火縄銃を指南することに努めている。
他の領であれば、そんな我儘は認められない。
主に命じられれば、身内と戦うことになろうと以前の主が相手だろうと、戦場へ出なければ許されない。
ここが織田信長という変わり者の治める地で、一把さんが奥方である帰蝶が連れて来た人物だから通ったことだ。
その一把さんが昔、言ったことがある。
僕と帰蝶が、お互いに初恋の相手なのではないか、と。
突然の問いに思わず否定してしまったが、実際、帰蝶の初恋相手は、僕ではない。
帰蝶の初恋の相手は、斎藤義龍様だ。
本人は気付いていないようだけれど、彼女は美濃にいた幼い頃、兄君の話ばかりしていた。
大人の男すら負かす姫が憧れる存在があるとしたら、自分を負かすことのできる男。それは、美濃では義龍様しかいなかった。
彼女はずっと兄の背を見上げ、追いかけていた。
後ろを見ることのなかった兄は、この妹が現れてから時折立ち止まり、彼女が追いつくのを待ってやっていた。
兄弟のいない僕にはわからない特別な結びつきが、あの二人にはあった。
成長した今となっては、帰蝶の感情も違うものになっているだろうけれど、その結びの固さに、幼い頃は少しだけ嫉妬したものだった。
だから、夫から正式に「美濃を攻略する」と言われ、彼女は反対すると思っていた。
義龍様が信長に抵抗もせず美濃を渡すとは思えない。
彼女の父が統治していた頃なら別かもしれないが、その息子は、父よりももっと強く、狡猾で、野心家だ。
妹をかわいがってはいても、国盗りに関してはそれとは全く別で考える、切り替えのできる人だ。
以前に存在していたという道三様が書いた国譲状は、もうない。
戦となれば、降伏を考えないかぎり帰蝶は夫か兄のどちらかを失うこととなる。
しかし彼女は、その大きな瞳を光らせて、言った。
「兄上に盾突くなら、絶対勝ってよね!」
普通の奥方であれば、自分が嫁いできた生家の身内と争うことになれば、少しは悲しい顔をしたり、気落ちしたりするものだ。
彼女は、普通ではなかった。
自分の利の為なら親でも子でも利用して殺す、蝮の娘だった。
それに少しだけ、安心した。
「隠しても面倒なので言いますけど、私の見た未来では、斎藤義龍は数年後に病死します」
家臣達の集まるなか巫女の発した声に、ざわ、と動揺の声で場が淀む。
この娘は、先の戦場から帰ってから、纏う空気が変わった。
幼さの残る、人と違う物言いは相変わらずだが、発する声や姿勢に、今までにない決意が見えるようになった。
自身の発言のすべてに、命を乗せているように思える。
それは、普通の町娘や巫女に、できることではない。
「それは本当ですかぃ、嬢ちゃん。……信長様、だったら、病死するのを待って叩いた方がいいんじゃねぇですか。頭を失えば、あとは楽に落とせます」
自分の問いに巫女が頷いたのを見て発言を続けたのは、柴田勝家殿だ。
鬼と称される彼だが、実際にはかなり思慮深く慎重な武人だ。無益に突っ込むような戦い方は決してしない。
信長も、僕もそれなりに評価しているが、なぜか帰蝶は彼を見る度に少しだけ肩を揺らして苦手そうな反応をした。
たしかに、普通の女性なら彼のような武骨な容姿の男を怖がる人が多いかもしれないが、戦場で似たような大男を斬り殺す彼女が、なぜこうも怯えるのかわからない。
以前に、末森城で対面した時とは明らかに違う反応だ。
変化があったのは、稲生で戦ったあと。彼の戦う姿を初めて見て、その強さに気後れしたのだろうか。
「待って、勝家様。私が見たこの未来は、変わってるんじゃないかと思い、ます。色んな事が、私が見た時期より早くなったり、起こらなかったりしている。きっと信長様や帰蝶様が頑張ってくれたおかげだと思うけど……」
目を少しだけ伏せながら、娘は声を小さくしていく。
それでは、この巫女はここにいる意味がなくなる。
先を見ることができない、満足に戦況を当てられないのなら、ただの町娘と同じだ。
帰蝶の作った鉄砲隊の女性達の方が役に立つ。
そのすべてをわかっているからこそ、娘は、続けた。
何度か言葉を交わしたからわかる。この娘は、愚かではない。
「だから、私をもう“未来が見える巫女”として雇わなくてもいいです。邪魔だと思ったら、すぐに追い出してください。私、誰の足手まといにもなりたくない……から……」
そう言えば、帰蝶も信長も他の者も、誰も「出ていけ」等と言うわけがなかった。
むしろ、彼女に同情するように、「ここに居たらいい」「充分役に立っている」と口々に励ました。
いつの間にか、この巫女はかなりの信頼を得ていた。
帰蝶が友人だと称したこともあるだろう。
信長が「ヒナ」と愛称で呼び信頼していることもあるだろう。
僕だけが、この巫女を気に入っていないようだ。
この娘が桶狭間の地で連れ去られた時、僕は助けようとしなかった。そのままどこへでも行ってほしい、できればいなくなってほしい、と、そう思ったのに、この娘は帰って来た。
髪を切ってまで追手から逃れようとする度胸があるとは、思わなかった。
帰蝶を盾にしようとしたことを、帰蝶はなぜか許したようだが、僕は絶対に、ゆるさない。
「では、病死しないと考えて、策を練りましょう。私も信長様には天下を取ってもらいたいです。光秀様も……それでいいですか?」
巫女は安堵したあとに、その表情を少しだけ硬くしてから、僕へ向き直った。
なぜ、こちらに聞くのだろう。
一応は信長の参謀だと、僕のことを認識しているからだろうか。
もちろん、疑問や嫌悪は顔には出さずに、皆に認められた娘を微笑んで見つめ、頷いた。心にもない笑顔を出すのは、昔から得意だ。
また、戦になる。
一度折れて治った指を、膝の上で固く握る。
帰蝶はこれからも、信長の隣に居続けるだろう。戦場だろうと、どこだろうと。
前回のような失態は、しない。
彼女を絶対に傷つけさせない。
もう僕は、この巫女の娘を信じることはしない。
このうつけを、信用などしない。
指が何本折れようと腕がなくなろうと、帰蝶の傍を離れない。
次に誓いを破った時は、僕が死ぬ時だ。
本来なら戦に出て活躍して良いほどの腕の持ち主の彼は、争いを好まない性分からそれを断り、今は女性達に火縄銃を指南することに努めている。
他の領であれば、そんな我儘は認められない。
主に命じられれば、身内と戦うことになろうと以前の主が相手だろうと、戦場へ出なければ許されない。
ここが織田信長という変わり者の治める地で、一把さんが奥方である帰蝶が連れて来た人物だから通ったことだ。
その一把さんが昔、言ったことがある。
僕と帰蝶が、お互いに初恋の相手なのではないか、と。
突然の問いに思わず否定してしまったが、実際、帰蝶の初恋相手は、僕ではない。
帰蝶の初恋の相手は、斎藤義龍様だ。
本人は気付いていないようだけれど、彼女は美濃にいた幼い頃、兄君の話ばかりしていた。
大人の男すら負かす姫が憧れる存在があるとしたら、自分を負かすことのできる男。それは、美濃では義龍様しかいなかった。
彼女はずっと兄の背を見上げ、追いかけていた。
後ろを見ることのなかった兄は、この妹が現れてから時折立ち止まり、彼女が追いつくのを待ってやっていた。
兄弟のいない僕にはわからない特別な結びつきが、あの二人にはあった。
成長した今となっては、帰蝶の感情も違うものになっているだろうけれど、その結びの固さに、幼い頃は少しだけ嫉妬したものだった。
だから、夫から正式に「美濃を攻略する」と言われ、彼女は反対すると思っていた。
義龍様が信長に抵抗もせず美濃を渡すとは思えない。
彼女の父が統治していた頃なら別かもしれないが、その息子は、父よりももっと強く、狡猾で、野心家だ。
妹をかわいがってはいても、国盗りに関してはそれとは全く別で考える、切り替えのできる人だ。
以前に存在していたという道三様が書いた国譲状は、もうない。
戦となれば、降伏を考えないかぎり帰蝶は夫か兄のどちらかを失うこととなる。
しかし彼女は、その大きな瞳を光らせて、言った。
「兄上に盾突くなら、絶対勝ってよね!」
普通の奥方であれば、自分が嫁いできた生家の身内と争うことになれば、少しは悲しい顔をしたり、気落ちしたりするものだ。
彼女は、普通ではなかった。
自分の利の為なら親でも子でも利用して殺す、蝮の娘だった。
それに少しだけ、安心した。
「隠しても面倒なので言いますけど、私の見た未来では、斎藤義龍は数年後に病死します」
家臣達の集まるなか巫女の発した声に、ざわ、と動揺の声で場が淀む。
この娘は、先の戦場から帰ってから、纏う空気が変わった。
幼さの残る、人と違う物言いは相変わらずだが、発する声や姿勢に、今までにない決意が見えるようになった。
自身の発言のすべてに、命を乗せているように思える。
それは、普通の町娘や巫女に、できることではない。
「それは本当ですかぃ、嬢ちゃん。……信長様、だったら、病死するのを待って叩いた方がいいんじゃねぇですか。頭を失えば、あとは楽に落とせます」
自分の問いに巫女が頷いたのを見て発言を続けたのは、柴田勝家殿だ。
鬼と称される彼だが、実際にはかなり思慮深く慎重な武人だ。無益に突っ込むような戦い方は決してしない。
信長も、僕もそれなりに評価しているが、なぜか帰蝶は彼を見る度に少しだけ肩を揺らして苦手そうな反応をした。
たしかに、普通の女性なら彼のような武骨な容姿の男を怖がる人が多いかもしれないが、戦場で似たような大男を斬り殺す彼女が、なぜこうも怯えるのかわからない。
以前に、末森城で対面した時とは明らかに違う反応だ。
変化があったのは、稲生で戦ったあと。彼の戦う姿を初めて見て、その強さに気後れしたのだろうか。
「待って、勝家様。私が見たこの未来は、変わってるんじゃないかと思い、ます。色んな事が、私が見た時期より早くなったり、起こらなかったりしている。きっと信長様や帰蝶様が頑張ってくれたおかげだと思うけど……」
目を少しだけ伏せながら、娘は声を小さくしていく。
それでは、この巫女はここにいる意味がなくなる。
先を見ることができない、満足に戦況を当てられないのなら、ただの町娘と同じだ。
帰蝶の作った鉄砲隊の女性達の方が役に立つ。
そのすべてをわかっているからこそ、娘は、続けた。
何度か言葉を交わしたからわかる。この娘は、愚かではない。
「だから、私をもう“未来が見える巫女”として雇わなくてもいいです。邪魔だと思ったら、すぐに追い出してください。私、誰の足手まといにもなりたくない……から……」
そう言えば、帰蝶も信長も他の者も、誰も「出ていけ」等と言うわけがなかった。
むしろ、彼女に同情するように、「ここに居たらいい」「充分役に立っている」と口々に励ました。
いつの間にか、この巫女はかなりの信頼を得ていた。
帰蝶が友人だと称したこともあるだろう。
信長が「ヒナ」と愛称で呼び信頼していることもあるだろう。
僕だけが、この巫女を気に入っていないようだ。
この娘が桶狭間の地で連れ去られた時、僕は助けようとしなかった。そのままどこへでも行ってほしい、できればいなくなってほしい、と、そう思ったのに、この娘は帰って来た。
髪を切ってまで追手から逃れようとする度胸があるとは、思わなかった。
帰蝶を盾にしようとしたことを、帰蝶はなぜか許したようだが、僕は絶対に、ゆるさない。
「では、病死しないと考えて、策を練りましょう。私も信長様には天下を取ってもらいたいです。光秀様も……それでいいですか?」
巫女は安堵したあとに、その表情を少しだけ硬くしてから、僕へ向き直った。
なぜ、こちらに聞くのだろう。
一応は信長の参謀だと、僕のことを認識しているからだろうか。
もちろん、疑問や嫌悪は顔には出さずに、皆に認められた娘を微笑んで見つめ、頷いた。心にもない笑顔を出すのは、昔から得意だ。
また、戦になる。
一度折れて治った指を、膝の上で固く握る。
帰蝶はこれからも、信長の隣に居続けるだろう。戦場だろうと、どこだろうと。
前回のような失態は、しない。
彼女を絶対に傷つけさせない。
もう僕は、この巫女の娘を信じることはしない。
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