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盛られた毒は
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秋風亭に入ると、案の定、すでにロアの姿はなかった。
代わりにテラス席では、あの獣人が一人でぼんやりと果物を齧っている。立て肘に顎を乗せ、物憂げに外の往来を眺める姿はまるで一幅の絵画のようで、その美しさに不覚にもゲインは息を呑む。
つややかな金髪。紅玉色の瞳。熟練の彫刻家が心血を注いで彫り上げたかのような顔立ち。仮に完璧な美なるものがこの世界に実在するなら、あの男は誰よりもその美に近しい存在だろう。
よく化けたものだと思う。
あのロアも、だから絆されたのか……?
その顔が、ふと弾かれたように振り返る。テラスと、ゲインが立つ店の入り口とは大人の足でも十歩近くは距離がある。やはり、あれは獣人だ。これほどの嗅覚と聴覚は、人間にはまず真似ができない。
その獣人は、ゲインと目が合うなり鼻に皺を寄せ、グルル、と低く唸りはじめる。まるで犬ころだ。いや実際、正体は犬ころなわけだが。
「どうしてお前、ここにいる。ロアはお前に会いに出かけていった。お前がここにいるの、おかしい」
「そうなのか? 変だなぁ。俺はここで待っててくれと言ったはずなんだがなぁ」
もちろん嘘だ。さっき店に届けたロアへの手紙には、待ち合わせ場所としてゲインの行きつけの店を指定しておいた。今頃ロアは、脂臭いどぶろく亭のカウンターでちびちびと麦酒を啜りながら、いっこうに姿を見せない待ち人に苛ついているはずだ。
「お前の声……嘘の音がする」
なるほど、音と来たか。声ではなく。
人間と行動を共にする獣人は、相手の表情やわずかな声の変化から、おおまかな感情を読み取ることもできるという。この獣人もその口だろう。ならば、人のつく嘘はまず通用しないと見ていい。
まぁ、それならそれで話が早い。
「ああそうだ。獣人、今日は、お前と話がしたくてここに来た」
「俺と……?」
案の定、獣人は怪訝な顔をする。そんな獣人の向かいにゲインは断りなく腰を下ろすと、注文のためにカウンターの若造を呼びつける。
「おや? おたくは……あれ? でも確か、ロアはおたくに会いに、」
「いいから、麦酒二つ」
すると若造は、猜疑の目はそのままに、あくまでも商売人の笑みで答える。
「ああ、そいつ酒は駄目なんすよ。ヤギの乳で良いですかね?」
「は? 呑めねぇってのか? こんなデカいナリで?」
「ええ、というより、おたくのご友人に禁じられてるんですよ。飲んで暴れたらコトだって」
いかにも含みのある言い方が可笑しく、ゲインは喉の奥でくくくと笑う。商売の手前、あからさまに事情を問い詰めるわけにはいかないが、それはそれとして、こんな回りくどい方法でわざわざロアを引き剥がした理由は気になるらしい。
「安心しろ。殺しゃしない」
「えっ?」
「心配なんだろ? まぁ、その気になりゃこんなガキなんざ一撃だがな。――わかったよ、んじゃ麦酒一杯と、あとヤギの乳を頼む」
「りょーかいです」
そして若造は、さっさとカウンターに引き返してゆく。
それにしても、とゲインは思う。ロアが獣人に酒を飲ませたがらないのは、酔っ払ってうっかり人化を解いてしまうことを警戒しているのだろう。……警戒。何に対する? そんなもの、わかりきっている。要はゲインのような同業者の目に、だ。
本人がどういうつもりであれ、奴はこの獣人を守ろうとしている。あのロア=リベルガが。
やがてテーブルに麦酒のジョッキと、ヤギの乳を注いだカップが運ばれてくる。さっそく麦酒を呷るゲイン。対する獣人は、カップには手もつけずにじっとゲインを睨みつけている。
「なぁ、獣人」
そんな獣人の目を探るように見据えながら、ゲインは問う。
「何だってお前は、あの男とつるんでいられるんだ。あいつは、お前の同族を殺して回っているんだぞ?」
すると獣人は、ゲインへの警戒を解かないままぶっきらぼうに答える。
「ロアが殺すのは悪い獣人だけ。人間を襲ったり、攫うのは悪い獣人。放っておいたらたくさんの人間が悲しむ。罪のないほかの獣人も人間に恨まれる。そんなの駄目。だから俺も、ロアを手伝う。手伝わなきゃいけない」
知ったようなことを――
そう、刀で斬りつけたくなるのを必死に堪えながら、ゲインは注意深く相手を観察する。獣人の口調は一途で、しかし、どこか違和感がある。何かに言わされているような――否、自分自身にそう言い聞かせているかのようないびつさ。
まさか。……いや、ありうる。ならばここは。
「そうか。だが知ってるか、獣人。昔はな、あのロアも雌やガキの獣人を見境なく殺していたんだぜ」
「……っ」
獣人は、今度は何かを飲み下すようにごくりと喉を鳴らす。否定はしない、ということは、この獣人は昔のロアを知っている。精鋭揃いの掃討部隊で、なお圧倒的な討伐数を誇った化け物。獣人と見るや、雌も子供も容赦なく屠った死神を。
いや、あるいは知っているどころか。
「なあ? 何だってお前は……仲間を皆殺しにした男をそこまで慕う?」
瞬間。
獣人の顔が、絵に描いたような驚愕の色に染まる。怒りの中に、強い不安と恐怖が入り混じる双眸。その、子鼠のように怯えきった双眸に浮かぶ感情を、ゲインは一つひとつ丁寧に拾い上げる。
怒りや苛立ちといった表層的な感情の奥に潜む、より暗く根深い負の感情を。
「か……家族、だから」
やがて獣人は答えた。喉奥から絞り出すような声で。
「い、今の俺には……ロアだけが、家族なんだ……だから……」
「ロアだけが、ねぇ」
要するに、生きるために仕方なくロアを慕うことにしたのだ。
獣人は基本、群れを成して生きる種族だ。この獣人は身体こそ一人前だが、頭の方はまだまだ幼い。ロアの襲撃を受けた頃は、おそらく心だけでなく身体の方も幼かったのだろう。そんな獣人が森に一匹取り残されて、それでもなお生き延びようと思うなら、とにかく目についた大人に縋るしかなかった。たとえそれが、自分の仲間を鏖殺した死神だったとしても。
だが。
これほどの恨みを抱えて、なお心から慕えるはずがない。
「要するにお前は、自分を騙したんだな」
「……騙す? 自分を?」
獣人は、わけがわからない、という顔をする。確かに、頭の悪い獣人には理解しづらい概念だろう。が、少なくとも、この獣人はそれを体現している。頭では理解できなくとも、だ。
「そうだ。親を殺されて、仲間も一人残らず殺されて、ロアしか頼りにできる存在がいなかった。だからお前は、奴を慕うことにした。……いや、慕うべき相手だと思い込むことにしたんだ。違うか?」
ロアが憎い。だが、生きるために縋らなきゃならない。
その矛盾に、こいつの心は耐えられなかった。だから作り出した。そして信じ込んだ。自分の心を守るための嘘を。
「え、ええと……よく、わからない」
ゲインの言葉に、なおも獣人は途方に暮れた顔をする。これは、理解できないというより、単純に理解したくないがための反応だろう。ならば今度は、もっと単純な、赤ん坊にもわかる言葉で突きつけてやる。
こいつが、こいつ自身の胸に押し込んだ真実を。
「お前はな、本当はロアが憎いんだよ」
「えっ」
「思い出せ、リク。奴に殺された父ちゃんや母ちゃん、友達の無念を。森の奥で慎ましく暮らしていたお前の仲間を、ある日、何の理由もなく奴は奪い去った。……寂しかっただろ? 悲しかっただろ? あいつが憎くてたまらなかっただろ?」
「ち、違う……」
のろのろと、獣人は小さくかぶりを振る。最初の威勢が冗談に思えるほどの弱々しさは、いっそ憐れですらある。が、それを言えば、こいつの家族を皆殺しにしておきながら、何食わぬ顔で相棒として連れ回すロアの所業こそ残酷で、グロテスクだ。
「なぁ、お前はな、怒っていいんだ。憎んでもいいんだぜ。なぜならお前は奪われた側だ。お前には、そうする権利がある」
そう、あのロアがそうだったように。
ゲインは知っている。ロアの太腿に刻まれた三本の古傷を。その傷が意味する過去を。おそらくはロアも、獣人に全てを奪われ、そして尊厳を踏み躙られたのだ。その怒りと憎悪が、ロアを一振りの復讐の刃へと変えた。美しくも残酷な無敵の刃へと。
だがロアは、結局、その美しい刃を曇らせてしまった。
何が奴を曇らせたのか、そんなものは知らない。知りたくもない。あの純粋だった男を穢した感情など、想像だけで吐き気がする。
「もう一度言う。お前はな、怒っていいんだ。恨んでいい」
「嫌だッッ!」
長い腕が、テーブルのものを一気に薙ぎ払う。中身を派手にぶちまけながら床に転がる二つのジョッキ。だが、金髪の獣人はそんなことはお構いなしにゲインを睨みつける。まるで、ゲインこそが仇そのものとでも言うかのように。
だが。
すでにゲインは見出している。その揺れる瞳の奥に潜む感情を。
「……そうかい」
立ち上がり、ジョッキを拾ってテーブルに戻す。相変わらず獣人は、噛みつくような目でゲインを睨んでいる。
そんな獣人に、ゲインは軽く肩をすくめてみせる。
「悪いな。傷を抉るようなことを言っちまって。……俺はただ、心配だったんだよ。もしお前があいつに復讐を企んでいるなら、そん時は、俺がお前を斬らなきゃならねぇ。これでも奴の元戦友だからな。それだけだ」
心にもない謝罪を、しらじらしいと知りつつ言い残すと、ゲインはテーブルに代金を置いて店を出た。
帰り際、懐に忍ばせていた薬を路傍に投げ捨てる。わざわざ高い金を払って用意した媚薬だが、どうやら無用の長物だったようだ。
そう、こんなものは必要ない。あの獣人は、いずれ自ら修羅に堕ちる。
それはロアが、本来の在り方を取り戻す瞬間でもある。ゲインが憧れ、そして焦がれたあの一振りの刃。
「戻ってこい。俺の……俺だけの、ロア」
代わりにテラス席では、あの獣人が一人でぼんやりと果物を齧っている。立て肘に顎を乗せ、物憂げに外の往来を眺める姿はまるで一幅の絵画のようで、その美しさに不覚にもゲインは息を呑む。
つややかな金髪。紅玉色の瞳。熟練の彫刻家が心血を注いで彫り上げたかのような顔立ち。仮に完璧な美なるものがこの世界に実在するなら、あの男は誰よりもその美に近しい存在だろう。
よく化けたものだと思う。
あのロアも、だから絆されたのか……?
その顔が、ふと弾かれたように振り返る。テラスと、ゲインが立つ店の入り口とは大人の足でも十歩近くは距離がある。やはり、あれは獣人だ。これほどの嗅覚と聴覚は、人間にはまず真似ができない。
その獣人は、ゲインと目が合うなり鼻に皺を寄せ、グルル、と低く唸りはじめる。まるで犬ころだ。いや実際、正体は犬ころなわけだが。
「どうしてお前、ここにいる。ロアはお前に会いに出かけていった。お前がここにいるの、おかしい」
「そうなのか? 変だなぁ。俺はここで待っててくれと言ったはずなんだがなぁ」
もちろん嘘だ。さっき店に届けたロアへの手紙には、待ち合わせ場所としてゲインの行きつけの店を指定しておいた。今頃ロアは、脂臭いどぶろく亭のカウンターでちびちびと麦酒を啜りながら、いっこうに姿を見せない待ち人に苛ついているはずだ。
「お前の声……嘘の音がする」
なるほど、音と来たか。声ではなく。
人間と行動を共にする獣人は、相手の表情やわずかな声の変化から、おおまかな感情を読み取ることもできるという。この獣人もその口だろう。ならば、人のつく嘘はまず通用しないと見ていい。
まぁ、それならそれで話が早い。
「ああそうだ。獣人、今日は、お前と話がしたくてここに来た」
「俺と……?」
案の定、獣人は怪訝な顔をする。そんな獣人の向かいにゲインは断りなく腰を下ろすと、注文のためにカウンターの若造を呼びつける。
「おや? おたくは……あれ? でも確か、ロアはおたくに会いに、」
「いいから、麦酒二つ」
すると若造は、猜疑の目はそのままに、あくまでも商売人の笑みで答える。
「ああ、そいつ酒は駄目なんすよ。ヤギの乳で良いですかね?」
「は? 呑めねぇってのか? こんなデカいナリで?」
「ええ、というより、おたくのご友人に禁じられてるんですよ。飲んで暴れたらコトだって」
いかにも含みのある言い方が可笑しく、ゲインは喉の奥でくくくと笑う。商売の手前、あからさまに事情を問い詰めるわけにはいかないが、それはそれとして、こんな回りくどい方法でわざわざロアを引き剥がした理由は気になるらしい。
「安心しろ。殺しゃしない」
「えっ?」
「心配なんだろ? まぁ、その気になりゃこんなガキなんざ一撃だがな。――わかったよ、んじゃ麦酒一杯と、あとヤギの乳を頼む」
「りょーかいです」
そして若造は、さっさとカウンターに引き返してゆく。
それにしても、とゲインは思う。ロアが獣人に酒を飲ませたがらないのは、酔っ払ってうっかり人化を解いてしまうことを警戒しているのだろう。……警戒。何に対する? そんなもの、わかりきっている。要はゲインのような同業者の目に、だ。
本人がどういうつもりであれ、奴はこの獣人を守ろうとしている。あのロア=リベルガが。
やがてテーブルに麦酒のジョッキと、ヤギの乳を注いだカップが運ばれてくる。さっそく麦酒を呷るゲイン。対する獣人は、カップには手もつけずにじっとゲインを睨みつけている。
「なぁ、獣人」
そんな獣人の目を探るように見据えながら、ゲインは問う。
「何だってお前は、あの男とつるんでいられるんだ。あいつは、お前の同族を殺して回っているんだぞ?」
すると獣人は、ゲインへの警戒を解かないままぶっきらぼうに答える。
「ロアが殺すのは悪い獣人だけ。人間を襲ったり、攫うのは悪い獣人。放っておいたらたくさんの人間が悲しむ。罪のないほかの獣人も人間に恨まれる。そんなの駄目。だから俺も、ロアを手伝う。手伝わなきゃいけない」
知ったようなことを――
そう、刀で斬りつけたくなるのを必死に堪えながら、ゲインは注意深く相手を観察する。獣人の口調は一途で、しかし、どこか違和感がある。何かに言わされているような――否、自分自身にそう言い聞かせているかのようないびつさ。
まさか。……いや、ありうる。ならばここは。
「そうか。だが知ってるか、獣人。昔はな、あのロアも雌やガキの獣人を見境なく殺していたんだぜ」
「……っ」
獣人は、今度は何かを飲み下すようにごくりと喉を鳴らす。否定はしない、ということは、この獣人は昔のロアを知っている。精鋭揃いの掃討部隊で、なお圧倒的な討伐数を誇った化け物。獣人と見るや、雌も子供も容赦なく屠った死神を。
いや、あるいは知っているどころか。
「なあ? 何だってお前は……仲間を皆殺しにした男をそこまで慕う?」
瞬間。
獣人の顔が、絵に描いたような驚愕の色に染まる。怒りの中に、強い不安と恐怖が入り混じる双眸。その、子鼠のように怯えきった双眸に浮かぶ感情を、ゲインは一つひとつ丁寧に拾い上げる。
怒りや苛立ちといった表層的な感情の奥に潜む、より暗く根深い負の感情を。
「か……家族、だから」
やがて獣人は答えた。喉奥から絞り出すような声で。
「い、今の俺には……ロアだけが、家族なんだ……だから……」
「ロアだけが、ねぇ」
要するに、生きるために仕方なくロアを慕うことにしたのだ。
獣人は基本、群れを成して生きる種族だ。この獣人は身体こそ一人前だが、頭の方はまだまだ幼い。ロアの襲撃を受けた頃は、おそらく心だけでなく身体の方も幼かったのだろう。そんな獣人が森に一匹取り残されて、それでもなお生き延びようと思うなら、とにかく目についた大人に縋るしかなかった。たとえそれが、自分の仲間を鏖殺した死神だったとしても。
だが。
これほどの恨みを抱えて、なお心から慕えるはずがない。
「要するにお前は、自分を騙したんだな」
「……騙す? 自分を?」
獣人は、わけがわからない、という顔をする。確かに、頭の悪い獣人には理解しづらい概念だろう。が、少なくとも、この獣人はそれを体現している。頭では理解できなくとも、だ。
「そうだ。親を殺されて、仲間も一人残らず殺されて、ロアしか頼りにできる存在がいなかった。だからお前は、奴を慕うことにした。……いや、慕うべき相手だと思い込むことにしたんだ。違うか?」
ロアが憎い。だが、生きるために縋らなきゃならない。
その矛盾に、こいつの心は耐えられなかった。だから作り出した。そして信じ込んだ。自分の心を守るための嘘を。
「え、ええと……よく、わからない」
ゲインの言葉に、なおも獣人は途方に暮れた顔をする。これは、理解できないというより、単純に理解したくないがための反応だろう。ならば今度は、もっと単純な、赤ん坊にもわかる言葉で突きつけてやる。
こいつが、こいつ自身の胸に押し込んだ真実を。
「お前はな、本当はロアが憎いんだよ」
「えっ」
「思い出せ、リク。奴に殺された父ちゃんや母ちゃん、友達の無念を。森の奥で慎ましく暮らしていたお前の仲間を、ある日、何の理由もなく奴は奪い去った。……寂しかっただろ? 悲しかっただろ? あいつが憎くてたまらなかっただろ?」
「ち、違う……」
のろのろと、獣人は小さくかぶりを振る。最初の威勢が冗談に思えるほどの弱々しさは、いっそ憐れですらある。が、それを言えば、こいつの家族を皆殺しにしておきながら、何食わぬ顔で相棒として連れ回すロアの所業こそ残酷で、グロテスクだ。
「なぁ、お前はな、怒っていいんだ。憎んでもいいんだぜ。なぜならお前は奪われた側だ。お前には、そうする権利がある」
そう、あのロアがそうだったように。
ゲインは知っている。ロアの太腿に刻まれた三本の古傷を。その傷が意味する過去を。おそらくはロアも、獣人に全てを奪われ、そして尊厳を踏み躙られたのだ。その怒りと憎悪が、ロアを一振りの復讐の刃へと変えた。美しくも残酷な無敵の刃へと。
だがロアは、結局、その美しい刃を曇らせてしまった。
何が奴を曇らせたのか、そんなものは知らない。知りたくもない。あの純粋だった男を穢した感情など、想像だけで吐き気がする。
「もう一度言う。お前はな、怒っていいんだ。恨んでいい」
「嫌だッッ!」
長い腕が、テーブルのものを一気に薙ぎ払う。中身を派手にぶちまけながら床に転がる二つのジョッキ。だが、金髪の獣人はそんなことはお構いなしにゲインを睨みつける。まるで、ゲインこそが仇そのものとでも言うかのように。
だが。
すでにゲインは見出している。その揺れる瞳の奥に潜む感情を。
「……そうかい」
立ち上がり、ジョッキを拾ってテーブルに戻す。相変わらず獣人は、噛みつくような目でゲインを睨んでいる。
そんな獣人に、ゲインは軽く肩をすくめてみせる。
「悪いな。傷を抉るようなことを言っちまって。……俺はただ、心配だったんだよ。もしお前があいつに復讐を企んでいるなら、そん時は、俺がお前を斬らなきゃならねぇ。これでも奴の元戦友だからな。それだけだ」
心にもない謝罪を、しらじらしいと知りつつ言い残すと、ゲインはテーブルに代金を置いて店を出た。
帰り際、懐に忍ばせていた薬を路傍に投げ捨てる。わざわざ高い金を払って用意した媚薬だが、どうやら無用の長物だったようだ。
そう、こんなものは必要ない。あの獣人は、いずれ自ら修羅に堕ちる。
それはロアが、本来の在り方を取り戻す瞬間でもある。ゲインが憧れ、そして焦がれたあの一振りの刃。
「戻ってこい。俺の……俺だけの、ロア」
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