15 / 28
なぜ
しおりを挟む
その獣人殺し――ゲインに連れられたのは、リクに言わせれば妙な店だった。
一応、宿屋ではあるらしい。一階が食堂、二階が宿という、形だけはありきたりな宿屋。ただ、それにしてはやたらたくさんの女が食堂にたむろしているし、その女たちも、例えば秋風亭で働く店員に比べてどこかだらしない。妙な点はほかにもある。普通の宿屋が繁盛するはずの朝に、この店はもう店を閉じ、店の女たちがだらだらと飯をつまんでいる。それから……
それからこの、店全体を包む、女――いや雌の、匂い。
「悪いけど今日はもう店じまいだよ。来るなら夕方に――ゲイン?」
こちらの姿に気付いた女の一人が、パンのかけらを手にしたまま青い目を丸める。と、その声に近くの女たちもちらほらと振り返り、ゲインと、それから隣に立つリクを見てぱっと顔を輝かせる。
「えっ、ちょっとゲイン、何よその美形」
「ああ、こいつか。まあ知り合いみたいなもんだ。ところで……急で悪いがこいつを男にしちゃくれねえか」
その言葉に、女たちがなぜか一斉に悲鳴を上げる。いや、悲鳴と呼ぶには少し変だ。声が含むのは恐怖ではなく、むしろ喜びの色。
「お、おいゲイン、ここは何だ。何の店だ」
「娼館さ。んなことも教わってねぇのか」
「しょ……う、かん?」
「そう。どんな男も金さえ積めば雄になれる店だよ」
やがて店の奥から、のそのそと男が現れる。美しい女たちとは真逆の、でっぷりと太った醜い中年男。体格だけはカミラに似ているが。よく跳ねるゴム球のようなカミラに対し、こちらは頑として動かない岩のよう。
「おうゲインか。悪いが今日はもう店じまいだ。夕方に出直しちゃくれねえか」
「まあ、そこを何とかよ」
そしてゲインは、懐から取り出した小さな巾着を男の胸に押しつける。男はうんざり顔で巾着の中を覗くと、ほう、と満更でもない顔で呟き、それから、ほとんど首に埋もれかけた顎を女たちにしゃくった。
「お前ら、もう一仕事だ」
すると女たちは、仕事を命じられたにもかかわらず満面の笑みで歓声を上げる。そのままリクとゲインを取り囲むと、腕を取り、背中を押しながら二階へと押し込んでゆく。……いや、むしろこの時のリクは、何かに呑み込まれるような心地がしていた。何か、そう、何か得体の知れない巨大な化け物に。
その間も、鼻腔にはあの耐え難い匂いが漂い、ロアの奥にある未知の臓器をくすぐり続ける。
一体……何が起きつつあるんだ。
ああ、こんな時、ロアがいれば教えてくれただろうか。あの罠まみれの古代遺跡でも、ゴブリンの群れが潜む洞窟でも、それに人間の町でも、いつだってロアはその場にふさわしい身の振り方を教えてくれた。無知で無力で未熟だったリクがここまで生き延びてこられたのも、その時々でロアが生きるための知恵を授けてくれたからだ。
でも。
すでにリクは、その安全なはずの懐から飛び出してしまった。それも自分自身の意志で。つまり今は――そしてこれからも、二度とロアを頼ることはできない。全てはリク自身が考え、選び、そして背負っていかなくては。
怖い。正直に言えば、とても。
でも、今のままでは、永久にロアという人間は謎のままだ。なぜロアは獣人を憎むのか。何がロアを獣人殺しに駆り立てるのか。なぜ、リクの村は滅ぼされなくてはいけなかったのか。
なぜ……リクだけは助けられたのか。
一応、宿屋ではあるらしい。一階が食堂、二階が宿という、形だけはありきたりな宿屋。ただ、それにしてはやたらたくさんの女が食堂にたむろしているし、その女たちも、例えば秋風亭で働く店員に比べてどこかだらしない。妙な点はほかにもある。普通の宿屋が繁盛するはずの朝に、この店はもう店を閉じ、店の女たちがだらだらと飯をつまんでいる。それから……
それからこの、店全体を包む、女――いや雌の、匂い。
「悪いけど今日はもう店じまいだよ。来るなら夕方に――ゲイン?」
こちらの姿に気付いた女の一人が、パンのかけらを手にしたまま青い目を丸める。と、その声に近くの女たちもちらほらと振り返り、ゲインと、それから隣に立つリクを見てぱっと顔を輝かせる。
「えっ、ちょっとゲイン、何よその美形」
「ああ、こいつか。まあ知り合いみたいなもんだ。ところで……急で悪いがこいつを男にしちゃくれねえか」
その言葉に、女たちがなぜか一斉に悲鳴を上げる。いや、悲鳴と呼ぶには少し変だ。声が含むのは恐怖ではなく、むしろ喜びの色。
「お、おいゲイン、ここは何だ。何の店だ」
「娼館さ。んなことも教わってねぇのか」
「しょ……う、かん?」
「そう。どんな男も金さえ積めば雄になれる店だよ」
やがて店の奥から、のそのそと男が現れる。美しい女たちとは真逆の、でっぷりと太った醜い中年男。体格だけはカミラに似ているが。よく跳ねるゴム球のようなカミラに対し、こちらは頑として動かない岩のよう。
「おうゲインか。悪いが今日はもう店じまいだ。夕方に出直しちゃくれねえか」
「まあ、そこを何とかよ」
そしてゲインは、懐から取り出した小さな巾着を男の胸に押しつける。男はうんざり顔で巾着の中を覗くと、ほう、と満更でもない顔で呟き、それから、ほとんど首に埋もれかけた顎を女たちにしゃくった。
「お前ら、もう一仕事だ」
すると女たちは、仕事を命じられたにもかかわらず満面の笑みで歓声を上げる。そのままリクとゲインを取り囲むと、腕を取り、背中を押しながら二階へと押し込んでゆく。……いや、むしろこの時のリクは、何かに呑み込まれるような心地がしていた。何か、そう、何か得体の知れない巨大な化け物に。
その間も、鼻腔にはあの耐え難い匂いが漂い、ロアの奥にある未知の臓器をくすぐり続ける。
一体……何が起きつつあるんだ。
ああ、こんな時、ロアがいれば教えてくれただろうか。あの罠まみれの古代遺跡でも、ゴブリンの群れが潜む洞窟でも、それに人間の町でも、いつだってロアはその場にふさわしい身の振り方を教えてくれた。無知で無力で未熟だったリクがここまで生き延びてこられたのも、その時々でロアが生きるための知恵を授けてくれたからだ。
でも。
すでにリクは、その安全なはずの懐から飛び出してしまった。それも自分自身の意志で。つまり今は――そしてこれからも、二度とロアを頼ることはできない。全てはリク自身が考え、選び、そして背負っていかなくては。
怖い。正直に言えば、とても。
でも、今のままでは、永久にロアという人間は謎のままだ。なぜロアは獣人を憎むのか。何がロアを獣人殺しに駆り立てるのか。なぜ、リクの村は滅ぼされなくてはいけなかったのか。
なぜ……リクだけは助けられたのか。
0
あなたにおすすめの小説
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【本編完結】転生先で断罪された僕は冷酷な騎士団長に囚われる
ゆうきぼし/優輝星
BL
断罪された直後に前世の記憶がよみがえった主人公が、世界を無双するお話。
・冤罪で断罪された元侯爵子息のルーン・ヴァルトゼーレは、処刑直前に、前世が日本のゲームプログラマーだった相沢唯人(あいざわゆいと)だったことを思い出す。ルーンは魔力を持たない「ノンコード」として家族や貴族社会から虐げられてきた。実は彼の魔力は覚醒前の「コードゼロ」で、世界を書き換えるほどの潜在能力を持つが、転生前の記憶が封印されていたため発現してなかったのだ。
・間一髪のところで魔力を発動させ騎士団長に救い出される。実は騎士団長は呪われた第三王子だった。ルーンは冤罪を晴らし、騎士団長の呪いを解くために奮闘することを決める。
・惹かれあう二人。互いの魔力の相性が良いことがわかり、抱き合う事で魔力が循環し活性化されることがわかるが……。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる