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手を伸ばせば届くはずの安らぎ
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昼前に降りはじめた雨は、結局、丸一日降り続けた。
昼間に比べて随分と雨脚は弱まったものの、それでもなおしつこく残る小雨にうんざりしながらロアは秋風亭の明かりを目指す。
町は雨のせいか、普段の喧騒が嘘のように人の姿が乏しい。いつもなら、日が暮れた後も何だかんだで賑わっているのに。
やがて、見慣れた広場の奥に目指す明かりが目に留まる。テラス席から広場に漏れるランタンの明かり。家を持たない流れ者のロアだが、この秋風亭の明かりを目にすると不思議と心が和む。懐かしい我が家に戻ったような――これでようやく羽根を休められるような、そんな安堵と和やかさ。
とりわけ、仕事の後はそうだ。
皆が最強と持て囃すロア=リベルガも、所詮は人間。働けば相応に疲れるし、まして、今はもう全盛期ですらない。事実、その全盛期には、こうした明かりに安らぎを見出すことすらしなかった。休息は、次の戦いまでの準備期間。戦いと戦いの間にある手持ち無沙汰な何かに過ぎなかったのだ。あの頃のロアにとっては。
いつからだろう。こんなひとときに安らぎを見出すようになったのは……
「ロア!」
そんなロアの感慨を引き裂く悲鳴。見ると、秋風亭から血相を変えたカミラが飛び出し、雨に濡れるのも構わずにロアのもとへ駆け寄ってくる。体格のせいか、そのさまは転がる球のようだ。
「やっと戻った! なあ、俺の伝言は聞いたか?」
「伝言?」
「えっ? いや、出張所の奴に伝えるよう頼んでいたんだが……まさか何も聞いてない?」
ああ、とロアが頷くと。カミラはターバンを脱ぎ、早くも禿げかけた頭をわしわしと掻き毟る。
「ああもう、ちゃんと伝えろって言ったのに、あの新人……あ、いや、とにかくリクが大変なんだ。お前の友達……なんて言ったか、ほら、あの黒髪の獣人殺しに連れ去られて」
「ゲインに?」
なるほど。が、だとすれば妙だとロアは思う。連れ去るにせよリクの図体はもう子供のそれではない。いくらゲインでも、リクの意に反して連れ去るのは不可能だ。それこそ、殺しでもしない限りは。……が、もし殺されたのであれば、カミラはそうだと告げるはず。
「ええとつまり……どういうことだ?」
「どういうこと? どういうことって何だよ」
「いや、だから……まぁいい、で、リクは戻ったのか?」
するとカミラは、いつもの飄々とした態度からは珍しいほど動揺をあらわに怒鳴る。
「戻らないから焦ってるんじゃないか! このままじゃリクが大変なことになる! 俺は店があるから探しに出られないんだけども、その……とにかく大変なんだよ!」
「……」
なるほど。ただ、相変わらず話の要点は読めない。というより、何か重要なポイントをカミラはわざと伏せているようにも感じる。
本当に連れ去られたのだとして、なぜゲインはリクを殺さずに連れ去ったのか。順当に考えれば、殺した方が扱いは楽だろう。もし生かしたままだったとして、あのリクが大人しく連れ去られたとは思えない。ロアが知る限り、リクのゲインに対する嫌悪感は相当だった。当然、抵抗はしたはずで、あのリクが本気で暴れたのだとすればさすがのゲインも――
逆、なのか?
何か、リクがゲインに気を許すきっかけがあって、だからリクは自分からゲインに従った。そのきっかけが、ロアにとっては好ましくないもので、だからカミラは伏せているのか。
そういえば昨日、ゲインが店に来てからリクの様子がおかしかった。
「……ゲインに何か吹き込まれたのか」
するとカミラはぎくりと身を竦め、ま、まぁ、と曖昧に頷く。どうやら図星らしい。ただ、相変わらず口を閉ざしているあたり、余程口にするのが憚れる話のようだ。……だとすれば大方、過去絡みの。
「まあいい。仮にゲインに焚きつけられたとして、返り討ちにするまでだ」
言い捨て、ロアは店に向かう。雨の中、いつまでも要領を得ない立ち話に付き合わされても困る。ただでさえ朝から獣人どもの相手をさせられて疲労困憊なのだ。
「そうじゃないよ、ロア」
足を止め、振り返る。雨に目を瞬かせながら、それでもカミラはじっとロアを見上げている。
「なに?」
「そういう、単純な話じゃないんだ、ロア。わかるだろ。いや……わかってあげなきゃ駄目だ。じゃないと、このままじゃリクがかわいそうだ。あいつだって、本当は、ずっと……」
「だから、俺を恨んでいるなら殺せばいいと言っている」
「だから違うんだって!」
悲鳴じみた声で叫ぶカミラを尻目に、ロアは今度こそ店に向かう。とにかくこの、下着まで濡れそぼった身体を早く乾かして温めたい。濡れた衣服は容赦なく体温を奪う。それは、根無し草の旅人には命取りの呪いだ。
ずちゃ。
そんなロアの耳に届く、聞き覚えのある――むしろ聞き飽きた感すらある足音。巨大な何かが濡れた地面を踏む重い足音と、その中に微かに紛れる、固い爪が地面を擦る乾いた音。……なぜだ。ここは城壁の中だろう。いや、別に人化はあいつの専売特許じゃない。獣人なら誰であれ、術さえ学べば人に化けることができる。
尾行を許し、城壁の中に招き入れると、人間と見分けがつかないぶん格段に駆除が厄介になる。だからこそロアは、任務では常に鏖殺を徹底している。昼間の盗賊団も、間違いなく一匹残らず屠ったはずだ……
いや、いる。
城壁の中に、ロアもよく知る獣人が一匹。
「カミラ」
腰の剣に手を添えながら、背後のカミラに告げる。
「俺から離れろ。できるだけ遠くに」
「えっ?」
「さっさと逃げろ! 死にたいか!」
振り返り、肺が裏返るような一喝を向ける。突然の怒号にカミラはびくりと身を竦めると、転がるような足取りで店に飛び込んだ。
雨の中、ようやく一人になったところでロアは静かに剣を抜く。
その間も足音はゆっくりと、だが確実に近づいてくる。ああ、やはりこれは獣人の足音だとロアは思う。それも、かなり大柄な雄。だとすれば殺さなければ。相手が誰であれ、雄の、それも大人の獣人を生かしておくわけにはいかない。
やがて。
「ロア」
そう、ロアの名を呼ぶ声が背後から聞こえる。獣の唸りに似た――いや、まさに獣の唸りそのものの声に、自分でも思いがけず愕然としながらロアは振り返る。
まず目についたのは巨大な、金色の毛に覆われた獣の足だった。秋風亭が石畳に落とす光の中、剥き出しの両足だけが雨の中にしっとりと輝いている。やがて、一度は店の明かりに慣れた目がふたたび闇に馴染むにつれ、その全容が明らかになる。星一つ灯らない闇色の空を背に、町の乏しい明かりを受けてうっすらと輝く巨大な異形。体格は人間に酷似しながら、首から上は狼のそれ。
間違いない。獣人だ。
とはいえその姿は、獣人には散々見飽きたロアですら見惚れるほどに美しかった。全身を覆う金色の毛は、雨に濡れていることを差し引いてもつややかだ。分厚い筋肉と胸板、広く大きな肩。そして……人間の目にもそれとわかる整った容貌。
「リク、なのか」
何となしにそう口にし、その可能性にロアは自分でも驚くほどの忌避感を覚える。何か、踏み越えてはいけない聖域に踏み込んだ時に感じるあの畏れ。だが、しまったと思う間もなく、獣人は赤い瞳をゆるりと細めて頷く。
「ああ、俺だよ、ロア」
「そうか」
平静を装いながら、同時に滑稽なほど愕然となる自分にもロアは気付いている。リクが、まるで見せつけるようにその姿を晒す意味にも。
要するにこいつは、なってしまったのだ、大人に。そして気付いた――否、思い出したのだ。本来、自分が何をすべきか。誰を恨み誰を憎み、誰に復讐すべきかを。……わかっていただろうに。あいつは獣人。数年も放置すればあっという間に大人になってしまう。だから早く殺せと、始末しろと、そう自分に言い聞かせてきた。何度も。何度も何度も。
これは、その不始末の結果だ。それだけの話だ……
――そういう、単純な話じゃないんだ。
黙れ。
単純で何が悪い。俺は獣人を憎み、絶滅を望んでいる。奴らがこの世から一匹残らずくたばらない限り、この、胸にくすぶる憎悪の炎が消えることはない。たとえ安らぎを望んでも――だから。
いつものように剣を逆手で中段に構え、腰を落とし、静かに深呼吸する。
胸の空気が入れ替わるとともに、ロアの心も戦士のそれに切り替わる。かつて掃討部隊で最強を誇り、今なお獣人にとって死と同義であり続ける異種族殺し、ロア=リベルガのそれに。
「何にせよ、獣人は殺す」
そう。
たとえ相手がリクでも、獣人として目の前に立ちはだかる以上は殺すだけのこと。
◇◇◇
見慣れた秋風亭の明かりを、そこだけ切り取ったかのような人影。目の前にあるはずのぬくもりには見向きもせず、闇をただ睨むその双眸を、ふとリクは、可哀想だな、と思う。
なぜ、そんな感情を抱いてしまったのか。実のところリク自身にもわからない。今朝カミラに聞かされた話のせいかもしれないし、本当は、これと似た感情をずっと抱き続けていたのかもしれない。何にせよそれは、今ここで抱くには場違いな感傷に違いなく、それでもリクは、ロアの孤独が、彼の染まる闇の深さがただ悲しかった。
そんなリクの悲しみも、しかし次の瞬間、あえなく霧散する。
「何にせよ、獣人は殺す」
「……っ」
文字通り総毛立つ殺意に、覚えずリクは後退る。その刹那の隙を、最強の獣人殺しは見逃さなかった。濡れた石畳を蹴る鋭い足音がリクの耳に届いたその時には、もう、白い軌跡がリクの首筋に迫っている。
それを間一髪で捌きながら、リクは自問する。
そもそも俺は、何のためにこんなことを? 殺されるとわかっていて、なぜ、獣人としてロアの前に立った? 仲間を殺された恨みを、怒りをロアに見せつけるため? ……それも、あるのかもしれない。ただ、それだけでは言い表せない何かが胸の内側をしきりに掻き毟っている。
わからない。自分が本当は何を望むのか。何が欲しいのか。
だからせめて、今は生き延びなくては。生きて、答えを見つけなければ。
昼間に比べて随分と雨脚は弱まったものの、それでもなおしつこく残る小雨にうんざりしながらロアは秋風亭の明かりを目指す。
町は雨のせいか、普段の喧騒が嘘のように人の姿が乏しい。いつもなら、日が暮れた後も何だかんだで賑わっているのに。
やがて、見慣れた広場の奥に目指す明かりが目に留まる。テラス席から広場に漏れるランタンの明かり。家を持たない流れ者のロアだが、この秋風亭の明かりを目にすると不思議と心が和む。懐かしい我が家に戻ったような――これでようやく羽根を休められるような、そんな安堵と和やかさ。
とりわけ、仕事の後はそうだ。
皆が最強と持て囃すロア=リベルガも、所詮は人間。働けば相応に疲れるし、まして、今はもう全盛期ですらない。事実、その全盛期には、こうした明かりに安らぎを見出すことすらしなかった。休息は、次の戦いまでの準備期間。戦いと戦いの間にある手持ち無沙汰な何かに過ぎなかったのだ。あの頃のロアにとっては。
いつからだろう。こんなひとときに安らぎを見出すようになったのは……
「ロア!」
そんなロアの感慨を引き裂く悲鳴。見ると、秋風亭から血相を変えたカミラが飛び出し、雨に濡れるのも構わずにロアのもとへ駆け寄ってくる。体格のせいか、そのさまは転がる球のようだ。
「やっと戻った! なあ、俺の伝言は聞いたか?」
「伝言?」
「えっ? いや、出張所の奴に伝えるよう頼んでいたんだが……まさか何も聞いてない?」
ああ、とロアが頷くと。カミラはターバンを脱ぎ、早くも禿げかけた頭をわしわしと掻き毟る。
「ああもう、ちゃんと伝えろって言ったのに、あの新人……あ、いや、とにかくリクが大変なんだ。お前の友達……なんて言ったか、ほら、あの黒髪の獣人殺しに連れ去られて」
「ゲインに?」
なるほど。が、だとすれば妙だとロアは思う。連れ去るにせよリクの図体はもう子供のそれではない。いくらゲインでも、リクの意に反して連れ去るのは不可能だ。それこそ、殺しでもしない限りは。……が、もし殺されたのであれば、カミラはそうだと告げるはず。
「ええとつまり……どういうことだ?」
「どういうこと? どういうことって何だよ」
「いや、だから……まぁいい、で、リクは戻ったのか?」
するとカミラは、いつもの飄々とした態度からは珍しいほど動揺をあらわに怒鳴る。
「戻らないから焦ってるんじゃないか! このままじゃリクが大変なことになる! 俺は店があるから探しに出られないんだけども、その……とにかく大変なんだよ!」
「……」
なるほど。ただ、相変わらず話の要点は読めない。というより、何か重要なポイントをカミラはわざと伏せているようにも感じる。
本当に連れ去られたのだとして、なぜゲインはリクを殺さずに連れ去ったのか。順当に考えれば、殺した方が扱いは楽だろう。もし生かしたままだったとして、あのリクが大人しく連れ去られたとは思えない。ロアが知る限り、リクのゲインに対する嫌悪感は相当だった。当然、抵抗はしたはずで、あのリクが本気で暴れたのだとすればさすがのゲインも――
逆、なのか?
何か、リクがゲインに気を許すきっかけがあって、だからリクは自分からゲインに従った。そのきっかけが、ロアにとっては好ましくないもので、だからカミラは伏せているのか。
そういえば昨日、ゲインが店に来てからリクの様子がおかしかった。
「……ゲインに何か吹き込まれたのか」
するとカミラはぎくりと身を竦め、ま、まぁ、と曖昧に頷く。どうやら図星らしい。ただ、相変わらず口を閉ざしているあたり、余程口にするのが憚れる話のようだ。……だとすれば大方、過去絡みの。
「まあいい。仮にゲインに焚きつけられたとして、返り討ちにするまでだ」
言い捨て、ロアは店に向かう。雨の中、いつまでも要領を得ない立ち話に付き合わされても困る。ただでさえ朝から獣人どもの相手をさせられて疲労困憊なのだ。
「そうじゃないよ、ロア」
足を止め、振り返る。雨に目を瞬かせながら、それでもカミラはじっとロアを見上げている。
「なに?」
「そういう、単純な話じゃないんだ、ロア。わかるだろ。いや……わかってあげなきゃ駄目だ。じゃないと、このままじゃリクがかわいそうだ。あいつだって、本当は、ずっと……」
「だから、俺を恨んでいるなら殺せばいいと言っている」
「だから違うんだって!」
悲鳴じみた声で叫ぶカミラを尻目に、ロアは今度こそ店に向かう。とにかくこの、下着まで濡れそぼった身体を早く乾かして温めたい。濡れた衣服は容赦なく体温を奪う。それは、根無し草の旅人には命取りの呪いだ。
ずちゃ。
そんなロアの耳に届く、聞き覚えのある――むしろ聞き飽きた感すらある足音。巨大な何かが濡れた地面を踏む重い足音と、その中に微かに紛れる、固い爪が地面を擦る乾いた音。……なぜだ。ここは城壁の中だろう。いや、別に人化はあいつの専売特許じゃない。獣人なら誰であれ、術さえ学べば人に化けることができる。
尾行を許し、城壁の中に招き入れると、人間と見分けがつかないぶん格段に駆除が厄介になる。だからこそロアは、任務では常に鏖殺を徹底している。昼間の盗賊団も、間違いなく一匹残らず屠ったはずだ……
いや、いる。
城壁の中に、ロアもよく知る獣人が一匹。
「カミラ」
腰の剣に手を添えながら、背後のカミラに告げる。
「俺から離れろ。できるだけ遠くに」
「えっ?」
「さっさと逃げろ! 死にたいか!」
振り返り、肺が裏返るような一喝を向ける。突然の怒号にカミラはびくりと身を竦めると、転がるような足取りで店に飛び込んだ。
雨の中、ようやく一人になったところでロアは静かに剣を抜く。
その間も足音はゆっくりと、だが確実に近づいてくる。ああ、やはりこれは獣人の足音だとロアは思う。それも、かなり大柄な雄。だとすれば殺さなければ。相手が誰であれ、雄の、それも大人の獣人を生かしておくわけにはいかない。
やがて。
「ロア」
そう、ロアの名を呼ぶ声が背後から聞こえる。獣の唸りに似た――いや、まさに獣の唸りそのものの声に、自分でも思いがけず愕然としながらロアは振り返る。
まず目についたのは巨大な、金色の毛に覆われた獣の足だった。秋風亭が石畳に落とす光の中、剥き出しの両足だけが雨の中にしっとりと輝いている。やがて、一度は店の明かりに慣れた目がふたたび闇に馴染むにつれ、その全容が明らかになる。星一つ灯らない闇色の空を背に、町の乏しい明かりを受けてうっすらと輝く巨大な異形。体格は人間に酷似しながら、首から上は狼のそれ。
間違いない。獣人だ。
とはいえその姿は、獣人には散々見飽きたロアですら見惚れるほどに美しかった。全身を覆う金色の毛は、雨に濡れていることを差し引いてもつややかだ。分厚い筋肉と胸板、広く大きな肩。そして……人間の目にもそれとわかる整った容貌。
「リク、なのか」
何となしにそう口にし、その可能性にロアは自分でも驚くほどの忌避感を覚える。何か、踏み越えてはいけない聖域に踏み込んだ時に感じるあの畏れ。だが、しまったと思う間もなく、獣人は赤い瞳をゆるりと細めて頷く。
「ああ、俺だよ、ロア」
「そうか」
平静を装いながら、同時に滑稽なほど愕然となる自分にもロアは気付いている。リクが、まるで見せつけるようにその姿を晒す意味にも。
要するにこいつは、なってしまったのだ、大人に。そして気付いた――否、思い出したのだ。本来、自分が何をすべきか。誰を恨み誰を憎み、誰に復讐すべきかを。……わかっていただろうに。あいつは獣人。数年も放置すればあっという間に大人になってしまう。だから早く殺せと、始末しろと、そう自分に言い聞かせてきた。何度も。何度も何度も。
これは、その不始末の結果だ。それだけの話だ……
――そういう、単純な話じゃないんだ。
黙れ。
単純で何が悪い。俺は獣人を憎み、絶滅を望んでいる。奴らがこの世から一匹残らずくたばらない限り、この、胸にくすぶる憎悪の炎が消えることはない。たとえ安らぎを望んでも――だから。
いつものように剣を逆手で中段に構え、腰を落とし、静かに深呼吸する。
胸の空気が入れ替わるとともに、ロアの心も戦士のそれに切り替わる。かつて掃討部隊で最強を誇り、今なお獣人にとって死と同義であり続ける異種族殺し、ロア=リベルガのそれに。
「何にせよ、獣人は殺す」
そう。
たとえ相手がリクでも、獣人として目の前に立ちはだかる以上は殺すだけのこと。
◇◇◇
見慣れた秋風亭の明かりを、そこだけ切り取ったかのような人影。目の前にあるはずのぬくもりには見向きもせず、闇をただ睨むその双眸を、ふとリクは、可哀想だな、と思う。
なぜ、そんな感情を抱いてしまったのか。実のところリク自身にもわからない。今朝カミラに聞かされた話のせいかもしれないし、本当は、これと似た感情をずっと抱き続けていたのかもしれない。何にせよそれは、今ここで抱くには場違いな感傷に違いなく、それでもリクは、ロアの孤独が、彼の染まる闇の深さがただ悲しかった。
そんなリクの悲しみも、しかし次の瞬間、あえなく霧散する。
「何にせよ、獣人は殺す」
「……っ」
文字通り総毛立つ殺意に、覚えずリクは後退る。その刹那の隙を、最強の獣人殺しは見逃さなかった。濡れた石畳を蹴る鋭い足音がリクの耳に届いたその時には、もう、白い軌跡がリクの首筋に迫っている。
それを間一髪で捌きながら、リクは自問する。
そもそも俺は、何のためにこんなことを? 殺されるとわかっていて、なぜ、獣人としてロアの前に立った? 仲間を殺された恨みを、怒りをロアに見せつけるため? ……それも、あるのかもしれない。ただ、それだけでは言い表せない何かが胸の内側をしきりに掻き毟っている。
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