ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

3話 システムの奴隷たち

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 漣たちが降り立った二十階のフロアは、駐車場のあった地下と同様、やはり人の気配は皆無だった。

 前を歩く嶋野のやけにほっそりとした背中を眺めながら、本当に、この施設に自分以外のギフテッドが保護されているのかと漣は不安になる。

 そもそも……そうした人々の住まいとしては、あまりにも内装が大人しすぎる。

 アーティストの収容施設というぐらいだから、もっとハジけた雰囲気を想像していた。なのに実際は、一般的なオフィスビルと何も変わらない。リノリウムの床。左右に似たような鉄扉が規則的に並ぶほかは、装飾どころか目印すら見当たらない殺風景な壁。むしろ漣が通っていた大学や、実家の病院の方がまだデザインや居住性に気を遣っていたぐらいだ。

 こんな寂しいところで……暮らすのか、おそらくは一生。

 だが、贅沢など言えるわけがない。そもそも漣は、すでに死刑相当の罪を犯しているのだ。一生を独房の中で過ごせと言われても、文句を言える立場ではない。

 やがて廊下の突き当たりに、そこだけ場違いなほど重厚な両開きの木製の扉が現れる。嶋野が扉の袖のインターホンを押すと、誰何はなく、代わりに女性の声で「入って」と声が返った。監視カメラなりで客の姿をチェックしているのだろう。

「失礼します」

 扉の片側を押し開け、嶋野に続いて中へ入る。そこは、ちょっとした会議室ほどの広さの部屋で、これまで歩いてきた殺風景な廊下とは、随分と趣きを異にしていた。

 壁を埋め尽くす本棚と、板張りの床に敷かれた上品な色合いのカーペット。応接セットの幾何学的なデザインは、母が好むアール・ヌーヴォー風のそれと似ているようで違う。ここで嶋野に振れば、そのあたりの蘊蓄も嬉々として語ってくれそうではある、が、今は家具のデザインより何より、執務机越しにじっと漣たちを見つめる女性の正体が気になった。

 窓越しに明滅するいくつもの航空灯。そんな、都心らしい夜の空を背景に、彼女は、まっすぐに漣たちを見つめていた。年齢はおそらく五十歳前後。鶴のようにスレンダーな体躯を、細身のスーツでぴったりと包んでいる。ただ、服装自体はシンプルでも、纏う空気はどういうわけか恐ろしく華やかだった。ここで彼女にスポットライトを当てたなら、そのまま何かしらの舞台が始まりそうな雰囲気。

 やがて彼女は、薔薇色の紅を差した唇をにっと引く。

「はじめまして。あなたが海江田漣くんね」

 その声に――漣は、本能的に震えあがる。

 凄まれたわけではない。むしろ声色は歌うように楽しげで、にもかかわらず、何か巨大な猛獣にでも遭遇したかのように神経が張り詰める。どっと冷や汗が噴き出し、本能が、「逃げろ」、と警報を鳴らす。

 そんな漣を宥めるように、女性は、今度はやんわりと微笑む。

「初対面のあなたは驚くわよね。今、あなたが体感する恐怖は、いわばギフトによる紛い物。落ち着いて、ゆっくり深呼吸して。そうすれば、少しは楽になれるわ」

「えっ……ギフト? これが?」

「彼女のギフトは〝恐怖〟。この声で歌うシューベルトの『魔王』は、僕でも魂が凍てつきます」

 苦笑まじりに嶋野が注釈を入れると、女性は、ふふ、と喉を鳴らす。

「審美眼5のあなたが何をおっしゃい。――ああ、自己紹介がまだだったわね。私は、ここ藝術協会日本支部で支部長を務める高階加奈子です。今回の一件は、凪……嶋野の報告ですでに承知してます。その上で、まずはあなたに謝罪させてもらうわ。今回、あなたには本当に辛い思いをさせたわね」

 そして高階は、痩せた身体をたおやかに折る。ダンスの素養を感じさせる、優雅でしなやかな挙措。だが、今の漣はそんなことより、彼女の不可解な言葉が気になった。

 謝罪? なぜ? むしろ罪を犯したのは俺の方だというのに――

「なぜ謝られているのか、わからない、という顔ね」

「えっ……あ、はい、まぁ」

「でも、これは必要な謝罪なの。例えばもし、あなたのギフトがごく早い段階、例えば中学や、遅くとも高校在学中に発見されていたら? その上で、我々の保護を受けていたなら? 少なくとも、今回のような被害は生まれなかった。そうでしょう」

「そ……れは……」

 確かに、彼女の言うとおりだ。ただ、その手のたられば論は挙げればきりがない。事実、漣は保護を受けられず、結果として何も知らないまま落書きを続けた。

「高階さんはですね、なぜギフテッドは秘匿される必要があったのか、と、君にクイズを出しているのですよ」

「えっ?」

「考えてもみてください。もし、ギフテッドが当たり前の存在として世間に認知されていたら? その場合、おそらく全国の教育機関でギフトの集団測定が行なわれていたでしょう。そうでなくとも、自身の子供に特別な才能を見出したがる親御さんは多い。いずれにせよ君のギフトは、かなり早い段階で見出され、何かしらの対処がなされていたはずです。そうすれば君も、今回のようなトラブルを起こさずに済んだ。……それを承知の上で、我々には、それが叶わない事情があった。何故だかわかりますか」

 何故と言われても、つい半日前まで当事者ですらなかった漣には答えようがない。とはいえ答えを拒める空気でもないので、仕方なく、思いついた答えを口にしてみる。

「悪用されるから……ですか?」

「ええ。それからもう一つ。無用な混乱を防ぐためです」

「混乱?」

「ええ。先程は、科学的にもギフトの存在は証明された、とお伝えしました。ただ、具体的な定義や力の種類、効果が生じるメカニズムは、今なお多くの謎に包まれているのです。もちろん研究は、今この瞬間も鋭意進められています。ただ、現状はまだまだ発展途上と言わざるをえない。少なくとも……今の段階で我々の存在を公表すれば、社会は困惑し、そして恐怖するでしょう。それが、ギフテッドへの差別や排斥に繋がらない保証はどこにもない。ともすれば、ギフテッドですらない普通のアーティストが、ただ絵を描いているだけで差別の対象になりえてしまう」

「なーぎ」

 歌うような呼び声に、漣はぎょっとなる。見ると、嶋野も顔を強張らせている。落書き一つで他人の心をハックできてしまう嶋野のギフトも大概だが、こんな、鼻歌じみた掛け声一つで相手を震え上がらせる高階のギフトも相当に、やばい。

「私はね、彼に質問しているの」

「あ……すみません、つい」

 すると高階は、呆れたように小さく溜息をつく。

「まあいいわ。……というわけで、私が言いたいことはそこの馬鹿が全部ぶちまけてしまったわけだけど、これまでの話で、何か質問はあるかしら。いえ、質問に限らないわ。あなたを放置した我々への文句、恨み言……この際だから全部吐き出してしまいなさい。私も、元よりそのつもりであなたをここに呼び出したのだから」

「文句……っすか」

 そう言われても、漣にはぶつけるべき文句などない。確かに、最初からギフテッドだとわかっていれば、あるいは違う表現スタイルを取っていたかもしれない。自室で誰にも見られないよう、こそこそとスケッチブックに描き溜めていたかもしれない。

 ただ一方で、ギフトの力を公表したくないという高階たちの言い分も理解できるのだ。

 嶋野は、自分一人でもこの国を牛耳ることはできると言ったが、さすがに一億を超える日本人全員を一度に洗脳するわけにもいかないだろう。この施設の規模を踏まえるに、どんなに多く見積もってもギフテッドの数は千人を超えない。こと数の力で言えば、ギフテッドのそれはあまりにも心許ない。彼らとしては、存在そのものを伏せる以外に身を守る方法はなかったのだろう。

 だから高階は謝った。自分たちの都合が、漣に殺人を犯させ、無辜の人々を殺めたから――

 でも。

「それでも俺は……手放したく、ないです」

 誰かの人生を奪った罪を。

 何より、奪っても構わないとスプレー缶を取った事実を。

「これは、俺の罪です。……状況だとか制度のせい、みたいな暈かし方は、したくない、です。……俺が、殺したんです」
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