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2章
2話 腹を括れ
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新宿で山手線のガード下をくぐると、車窓はいっそう華やかになる。
漣が通うキャンパスは、このすぐ南の信濃町にあり、千駄ヶ谷まで御苑を突っ切るとすぐだ。漣も、急な休講の時は御苑を散策するついでによく新宿まで足を延ばした。世界堂で小さなスケッチブックと色鉛筆を買い、御苑で気儘にスケッチして回るひとときの、あの幸福。
そんなことを、昼間とは打って変わった毒々しい光の洪水に沈む街を眺めながら漣は思い出す。
そのまま車は靖国通りを東へとひた走り、水道橋駅前を左折。そこから駒込方面へ少し走ったところで、とある大学の敷地へと滑り込む。
そう、少なくともそこは、傍目にはどこかの私立大学のサテライトキャンパスに見えた。事実、エントランス前には校名とロゴを彫り込んだランドマークが置かれている。『学校法人 TOKYO ART COLLEGE』――まさかここが? と漣が訝る間に、車は自動開閉式のゲートをくぐり、地下駐車場へと滑りこんでゆく。
やがて車はスペースの一つにぴたりと収まる。流れるような車庫入れに、運転上手いなこの人、と今更のように漣は思う。そういえば、齢はいくつなのだろう。この落ち着きは明らかに社会人のそれだが、外見だけで言えば学生に見えなくもない。
「着きましたよ」
「えっ、あ……はい」
車を降りると、嶋野に続いて駐車場奥のエントランスに向かう。ビジネスホテルのフロントほどの広さのエントランスには、空港の保安検査場で見かけるような物々しいセキュリティゲートが置かれている。
あの奥が、ギフテッドの保護、いや隔離区画……
「どうしました」
立ち止まる漣に気付いた嶋野が、おや、という顔で振り返る。
「あ、いえ……さっき嶋野さん、条件次第で外に出られることもあるって言いましたけど、それ、結構ハードル高かったりします?」
すると嶋野は、ああ、と得心顔で頷く。
「いえ。例えば、親族の冠婚葬祭などは、監視付きではありますが一時的に外出が許可されます。あと、展覧会やコンサートの鑑賞ツアーが頻繁に組まれていますね。施設に籠もりきりでは、アーティストとしての感性はすぐに枯れてしまいますから」
「えっ? じゃあ、嶋野さんは……?」
少なくとも、冠婚葬祭の帰り、には見えない。黒に近いダークグレーのツーピーススーツは、どう見てもパーティー用ではない。かといって、空色のネクタイは喪服としてもNGだろう。
「僕ですか? ああ、僕の場合、キュレーターとして特別に許可されているのですよ。まあ厳密には、完全にフリーハンドというわけでもないんですが……」
「キュレーター?」
「ああ……その説明は追々。まずは、そうですね、所長室に向かいましょう」
促すと、嶋野はさっさとゲートをくぐってしまう。ゲートは完全自動化されているらしく、フロアには人の姿が全く見当たらない。ただ、おかげでX線検査機には自分で荷物を通す必要がある。そのあたりは少し面倒だ。
ただ、漣は今回は手ぶらなので、そうした面倒もなくゲートを抜ける。
「いいんすか、保安ゲートなのに無人なんて……」
「セキュリティでNGが出ると、そもそもエレベーターが動いてくれませんからね」
そう、嶋野が言うそばから目の前のエレベーターがするりと開き、とりあえずOKが出たらしいことに漣は安堵する。さっそく二人で乗り込むと、嶋野は慣れた手つきで最上階のボタンを押した。
「やっぱ……自由な出入りは難しい感じですかね。通学とか……」
すると嶋野は、「通学?」とまた怪訝な顔をする。
「えっ? え、ええ……大学っす。俺、いま医大に通ってるんで、その」
「それは、ええ。把握しています。ただ、我々の保護下に入るのと同時に、戸籍上は死亡、ということになりますので、いずれにせよ大学は除籍扱いとなりますね」
「は!? ……除籍……」
いや、考えてみれば当然の話だ。〝死〟のギフトなどという物騒な力を持つ人間が――しかも、その力ですでに複数の人間を殺めた人間が、人の命を救うためにある教育機関に通うのは倫理的にも、それに道義的にも間違っている。
そうでなくとも、漣はすでにその道を棄てたのだ。ただ……
「……ほんとに……全部、なくなっちゃうんすね」
そんな感慨が許されるものでないとわかっていて、それでも漣は噛みしめずにはいられない。漣が、これまで海江田漣として積み上げた努力の全てが失われる。その寂しさ、口惜しさ。
同世代の連中が恋や部活をエンジョイする間、医学部受験のために机に齧りついた高校時代。どうにかストレートで合格した後も、課題やレポートに追われる日々は文字通り息つく暇もなかった。
全ては、曽祖父の代から続く看板を継ぐため。それ以外の選択は、そもそも漣には与えられなかった。
だから頑張って、頑張り続けた。
そんな日々が、こうもあっさり終わってしまうなんて。
「全て、ではありませんよ」
「……え?」
「アートにおいて、人体への理解は極めて重要なトピックです。かのダヴィンチも、ウィトルウィウス的人体図をはじめ、多くの人体図、解剖図を描き残しています。ダヴィンチに限りません、それこそアートなるものが世界に生まれた瞬間から、アーティストたちは人体への理解を試みてきたのです。これまで君が身につけた医学的知識は、間違いなく、君のアートの糧となっています。事実、そうした知識の裏付けを得た君のグラフティは、本当に素晴らしかった」
「はぁ……えっ?」
何気なく聞き流そうとして、漣は踏みとどまる。素晴らしかった、ということは……見たのか、あれを。
でも、あの絵は、目にした人間を……
「え、どういうことすか、嶋野さん、あの絵を――」
その時、漣の問いを断ち切るようにエレベーターのドアが開く。目の前に現れた廊下に、何食わぬ顔で踏み出す嶋野。と、その足が止まり、思い出したように端正な顔が振り返る。
「ええ、もちろん見ましたよ。それがキュレーターの役目ですからね」
そして嶋野は、先程と同様「その説明も追々」と言い残し、何食わぬ足取りで廊下を進んでゆく。とりあえず……今はこの人についていくしかない、ということか。
ふ、と一つ溜息をつくと、漣はエレベーターを降りる。
漣が通うキャンパスは、このすぐ南の信濃町にあり、千駄ヶ谷まで御苑を突っ切るとすぐだ。漣も、急な休講の時は御苑を散策するついでによく新宿まで足を延ばした。世界堂で小さなスケッチブックと色鉛筆を買い、御苑で気儘にスケッチして回るひとときの、あの幸福。
そんなことを、昼間とは打って変わった毒々しい光の洪水に沈む街を眺めながら漣は思い出す。
そのまま車は靖国通りを東へとひた走り、水道橋駅前を左折。そこから駒込方面へ少し走ったところで、とある大学の敷地へと滑り込む。
そう、少なくともそこは、傍目にはどこかの私立大学のサテライトキャンパスに見えた。事実、エントランス前には校名とロゴを彫り込んだランドマークが置かれている。『学校法人 TOKYO ART COLLEGE』――まさかここが? と漣が訝る間に、車は自動開閉式のゲートをくぐり、地下駐車場へと滑りこんでゆく。
やがて車はスペースの一つにぴたりと収まる。流れるような車庫入れに、運転上手いなこの人、と今更のように漣は思う。そういえば、齢はいくつなのだろう。この落ち着きは明らかに社会人のそれだが、外見だけで言えば学生に見えなくもない。
「着きましたよ」
「えっ、あ……はい」
車を降りると、嶋野に続いて駐車場奥のエントランスに向かう。ビジネスホテルのフロントほどの広さのエントランスには、空港の保安検査場で見かけるような物々しいセキュリティゲートが置かれている。
あの奥が、ギフテッドの保護、いや隔離区画……
「どうしました」
立ち止まる漣に気付いた嶋野が、おや、という顔で振り返る。
「あ、いえ……さっき嶋野さん、条件次第で外に出られることもあるって言いましたけど、それ、結構ハードル高かったりします?」
すると嶋野は、ああ、と得心顔で頷く。
「いえ。例えば、親族の冠婚葬祭などは、監視付きではありますが一時的に外出が許可されます。あと、展覧会やコンサートの鑑賞ツアーが頻繁に組まれていますね。施設に籠もりきりでは、アーティストとしての感性はすぐに枯れてしまいますから」
「えっ? じゃあ、嶋野さんは……?」
少なくとも、冠婚葬祭の帰り、には見えない。黒に近いダークグレーのツーピーススーツは、どう見てもパーティー用ではない。かといって、空色のネクタイは喪服としてもNGだろう。
「僕ですか? ああ、僕の場合、キュレーターとして特別に許可されているのですよ。まあ厳密には、完全にフリーハンドというわけでもないんですが……」
「キュレーター?」
「ああ……その説明は追々。まずは、そうですね、所長室に向かいましょう」
促すと、嶋野はさっさとゲートをくぐってしまう。ゲートは完全自動化されているらしく、フロアには人の姿が全く見当たらない。ただ、おかげでX線検査機には自分で荷物を通す必要がある。そのあたりは少し面倒だ。
ただ、漣は今回は手ぶらなので、そうした面倒もなくゲートを抜ける。
「いいんすか、保安ゲートなのに無人なんて……」
「セキュリティでNGが出ると、そもそもエレベーターが動いてくれませんからね」
そう、嶋野が言うそばから目の前のエレベーターがするりと開き、とりあえずOKが出たらしいことに漣は安堵する。さっそく二人で乗り込むと、嶋野は慣れた手つきで最上階のボタンを押した。
「やっぱ……自由な出入りは難しい感じですかね。通学とか……」
すると嶋野は、「通学?」とまた怪訝な顔をする。
「えっ? え、ええ……大学っす。俺、いま医大に通ってるんで、その」
「それは、ええ。把握しています。ただ、我々の保護下に入るのと同時に、戸籍上は死亡、ということになりますので、いずれにせよ大学は除籍扱いとなりますね」
「は!? ……除籍……」
いや、考えてみれば当然の話だ。〝死〟のギフトなどという物騒な力を持つ人間が――しかも、その力ですでに複数の人間を殺めた人間が、人の命を救うためにある教育機関に通うのは倫理的にも、それに道義的にも間違っている。
そうでなくとも、漣はすでにその道を棄てたのだ。ただ……
「……ほんとに……全部、なくなっちゃうんすね」
そんな感慨が許されるものでないとわかっていて、それでも漣は噛みしめずにはいられない。漣が、これまで海江田漣として積み上げた努力の全てが失われる。その寂しさ、口惜しさ。
同世代の連中が恋や部活をエンジョイする間、医学部受験のために机に齧りついた高校時代。どうにかストレートで合格した後も、課題やレポートに追われる日々は文字通り息つく暇もなかった。
全ては、曽祖父の代から続く看板を継ぐため。それ以外の選択は、そもそも漣には与えられなかった。
だから頑張って、頑張り続けた。
そんな日々が、こうもあっさり終わってしまうなんて。
「全て、ではありませんよ」
「……え?」
「アートにおいて、人体への理解は極めて重要なトピックです。かのダヴィンチも、ウィトルウィウス的人体図をはじめ、多くの人体図、解剖図を描き残しています。ダヴィンチに限りません、それこそアートなるものが世界に生まれた瞬間から、アーティストたちは人体への理解を試みてきたのです。これまで君が身につけた医学的知識は、間違いなく、君のアートの糧となっています。事実、そうした知識の裏付けを得た君のグラフティは、本当に素晴らしかった」
「はぁ……えっ?」
何気なく聞き流そうとして、漣は踏みとどまる。素晴らしかった、ということは……見たのか、あれを。
でも、あの絵は、目にした人間を……
「え、どういうことすか、嶋野さん、あの絵を――」
その時、漣の問いを断ち切るようにエレベーターのドアが開く。目の前に現れた廊下に、何食わぬ顔で踏み出す嶋野。と、その足が止まり、思い出したように端正な顔が振り返る。
「ええ、もちろん見ましたよ。それがキュレーターの役目ですからね」
そして嶋野は、先程と同様「その説明も追々」と言い残し、何食わぬ足取りで廊下を進んでゆく。とりあえず……今はこの人についていくしかない、ということか。
ふ、と一つ溜息をつくと、漣はエレベーターを降りる。
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