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70.逃亡先
オフィスのドアを叩くと、すぐにオーイレールが出てきた。
「はーい。うわ、トラシュ!?」
彼は、ひどく驚いたようだ。当然だ。汚れた格好をして、ひしゃげてクリームで汚れた箱を持った僕が立っていたんだから。
「ケーキ食べない?」
「は!? え!? け、ケーキって……どうしたんだよ!? その格好!! 何があったんだよ!!」
「……」
そんなこと聞かれたって、僕には答えられない。だって、説明なんかしたくない。
大丈夫か、何があったって、オーイレールは心配して聞いている。それは分かっている。分かっているから、余計に苦しい。
その思いに報いたいと思う。だけど僕には、そんな誰もができるはずの小さな恩返しができない。
結果、僕は好意すら素直に受け止められない醜い男だと、思い知らされる。
何があったのか話せば、彼は僕の行為を疑問に思うかもしれない。ともすれば、憐れみの目を向けられたり、引かれたりするかも。
だから、それを説明することが、僕には何より辛い。そんなの分かっていたくせに、何でここへきたんだ。
単に、何かしたかっただけ。人に会いたかっただけだ。
それなのに、僕は何も言えない。もう、踵を返そうとした。ここにいても、何もできない。
呼び止めてくれているのに、それに答えられない僕は、彼にも背を向けて、オフィスからも逃げ出した。
大通りからすぐに裏路地に入って、僕は、フラフラしながら、ぼーっと歩いていた。
なんとか、苦しい息を整える。なんでこんなことになったんだ。
ぼんやりと、歩く。歩く度に胸が痛くなりそうだ。
僕は、いつのまにか、自分があれだけ憎いと言っていた男を探していることに気づいた。
フュイアルさんに会いたい。
あの人といると、僕は苦しい。だからずっと拒絶していたのに、またこうして、彼を求めてしまう。
もう僕は、どこへも行けそうにない。フュイアルさんが魔法で作った枷や鎖が消えても、僕は、どこへも行けない。もう、あの人のそばにしか、いられなくなってしまったんだ。
口の中から、自然と、あの人の名前が漏れそうになった。
けれど、その前に、暗い路地にエイリョーゾが羽を広げて降りて来た。彼は僕を空から探していたらしい。やっと見つけたぞって言って、僕を睨みつけた。
「何やってたんだよ……終わったのか?」
「……何が?」
「……砂だよ。撒いたのか?」
「焼いた」
「は!?」
「焼いたら溶けた。だからもうない」
素直に答えると、エイリョーゾは、驚いたようだった。僕が砂を撒かなかったからだと思ったけど、違ったようだ。
「や、焼いた……!? お前がか!? そんなこと、あるはずがないっ……! お前は人族だろう? あの砂を、人族程度の魔力で焼けるものか! まして溶けるなんて……あるはずがない!!」
「でも、焼けたよ?」
首を傾げる僕を、エイリョーゾはしばらく気持ち悪そうに見ていたけど、今度は急に、睨みつけてきた。
「お前……裏切っただろ?」
「え?」
「裏切ったな! あの砂をフュイアルに渡したんだろう!!」
「そんな……僕は……」
「てめえっ……!」
憎悪に塗れた目で、そいつは僕に掴みかかってくる。
「あの砂を人族が溶かせるはずがない。お前、あの砂をどこへやった!?」
「本当に……溶けただけ……」
「ざけんなっ!!」
叫んだそいつの足元から、鎖が飛び出して、僕の体に絡みついてくる。そしてそれは、強く僕を締め上げた。
「うっ……!」
「言えよ……あの砂、どこへやった!!??」
「僕……嘘なんかついてないっ……本当に……」
知らないと繰り返す僕を、そいつは路地に投げ捨てる。
めちゃくちゃに縛られたまま、乱暴に通りに叩きつけられて、頭から血が流れていた。
抵抗する気も起こらなくて、ぐったりしたまま動かない僕に、エイリョーゾが馬乗りになってくる。
「……何が何でも話してもらうぞ……」
「……」
「そうやって黙っていられるのも今のうちだ。どうしても話さねえって言うなら、それでもいい。お前をズタズタに切り裂いて、フュイアルの前に連れて行く」
「…………フュイアルさんの?」
「ああ。フュイアルの前でお前を犯してやるか……きっとあいつは簡単に言いなりになる」
「……」
何を言っているんだ。フュイアルさんがそんなことをするはずがない。だって相手は、フュイアルさんだから。
僕は、呆れながら口を開いた。
「何か誤解しているようだけど……フュイアルさん相手に、僕を盾にしたって無駄だよ……二人してあの人に締め上げられて体をちぎられるだけだ」
「黙れ!!」
カッとなったのか、そいつはまた、僕を殴りつける。
もう痛いってことすら、分からなくなっていた僕は、血が流れる口を開いた。
「……フュイアルさんには勝てないよ」
「てめえ…………そんなこと言ってられるのも今のうちだ。今、俺たちの仲間が、フュイアルの魔力を奪う毒を作ってる。完成すれば、どのみちあいつは終わりだ」
「……それなら、もう僕がやった。効いてないから。あれ」
「は? やったのか? ……てめえ、一体なんなんだ?」
「……」
「だいたい、お前は人族だろ? 人族が作るものと俺たちが作るものじゃ、格が違うんだよ」
「……」
「……やっと黙ったな……怯えなくても、お前には、まだ利用価値がある。生かしておいてやる。とりあえず……その生意気な口から引き裂くか」
そう言って、エイリョーゾは握った魔力の短剣を振りかぶった。
「存分に傷付けてやるから、お前はフュイアルの前で可愛く泣けよ?」
「……泣く? 僕が? ……っ!!」
そいつはそれを、僕の首に押し当ててくる。そこが鋭く痛んで、血が流れていった。
「あいつの前で、お前が泣けば、あいつは言うことを聞く。お前は泣き叫んで、フュイアルに助けてって言えばいい」
「…………」
僕が? フュイアルさんの前で? 助けてっていうの?
自分が、フュイアルさんの前で泣いているところを想像してしまう。それじゃまるで、僕があいつに泣きついているみたいじゃないか。
「僕に、フュイアルさんに……助けを求めろって言うの?」
「ああ、そうだよ。あいつの前でお前が泣けば、あいつは」
その男が言い終わらないうちに、僕は、まだ完治していない体から、無理矢理魔力を引き出した。気絶しそうな痛みに耐えて、僕を縛るものを魔法で引きちぎる。
その鎖は、よほど自信のある魔法だったらしい。
僕に鎖をちぎられて、彼は顔色を変えた。
「…………う、嘘だ!! 俺の鎖をっ……ひ、人族程度が千切るなんて……」
まだ怯えているその男を押し退けて、僕は起き上がった。
体に、鎖で傷つけられた後が残っている。それがひどく気持ち悪い。
フュイアルさんじゃない男に押し倒されたことを思い出すから嫌なんだ。
そこまで考えて、ついに僕は、観念した。
もう、認めるしかない。
僕はもう多分、誰のことも好きになんかなれない。フュイアルさんがいる限り。
もう、あの人以外のことを考えられなくなってしまったんだ。だって、寝ても覚めても、考えているのはフュイアルさんのことばかり。
僕の頭に、あの人以外が入る隙なんてないんだ。頭の中、全部フュイアルさんになっちゃったんだから。
ぼんやりした頭で、空を見上げる。そこは星空しかなくて、フュイアルさんの姿は見えない。会いたいのに。
「ふゅーーあぁ…………」
微かな声で、その男の名前を呼ぶ。いるはずがないのに。
怒ったエイリョーゾは、僕に向かっていくつも鎖を飛ばしてきた。
「調子に乗るなよっ……!! 人族がっっ!!」
怒鳴るそいつに向かって、構える。まだ完治していない体から魔力を引き出そうとして、ズキズキ痛む。それでも、フュイアルさんの前で、他の男に使われるなんて嫌だ。
覚悟を決めたけど、その時、目の前の男の姿がそばのビルに向かって吹き飛んだ。激しい音がして、その男の体が、ビルにめり込んでいる。
懐かしい声は、僕のすぐ背後から聞こえた。
「トラシュっ!!」
その声と一緒に、僕の体は、力強い腕に抱きしめられた。ぎゅっと強く抱きしめられて、僕はなぜか泣きそうだった。
「……フュイアルさん……今日は帰らないんじゃなかったんですか?」
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