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第一章
くじけ転生者3
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「大丈夫か!」
鈴の鳴るような、というには些か低い声だ。
掴まれた腕が痺れているようだった。自分の細腕にびっしりと彼女の手形がついていたらと思うと泣き出してしまいたい思いに駆られた。はやく離してほしい。お願いだから。
酸素不足で力の入らない腕を叱咤して何とか上体を起こし、力の限り強く睨めつけた。なのに本人はそれを当たり前のように、眉一つ動かさず見つめ返してくる。自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
(十歳の子供に泣かされるとか、冗談じゃない!!)
わざと乱暴に右腕を取り返した。
どうしてとか、いつからとか、そんな事より、彼女が私のテリトリーである森に踏み込んだことが何より私を動揺させた。
もはや逃げ場がないことは明白だった。私は彼女という狩猟者に、抵抗を試みる手負いの獣だ。
「なるほど。それがきみの本性なんだな」
ほら、まただ。
そのむかつくぐらい綺麗な空と海の瞳で、あたりまえののことのように、この私を言い当てる。私が名づけられていく。頭に血が上ったのがわかった、そう思った時にはもう叫んでいた。
「どうしてあんたがここにいるのよ! 【出ていって】!!」
ざあっと樹々が揺れて強風が吹き荒れた。静かだった水面に、いくつもの波紋が交叉する。彼女の銀髪がぐしゃぐしゃに乱れ、覆い隠される美しい顔が、驚きに染まっていたのを諦念でもって見ていた。
『この世界に魔法は存在しない。あるのは学問と宗教だよ。ずっと森にいたいなら、どうすればいいか考えなさい』
いつもいつも肝心なところだけぼかしていたじじいの言葉。今も私は、秘匿以外の選択肢は無いと思うのに。
* * *
湖のほとりに、森の中でも一際大きな樹があって、じじいはその上で生活していた。
ぐるぐると捻れたような形の大樹の上に、ツリーハウスがある。私が両手を広げても届かないくらいの直径の丸太が切り出されていて、安定感は抜群だ。
ハウスには、今は私一人が住んでいる。
彼女をひったてて、警察の詰め所の代わりにハウスに連れて行くような真似をする気にはとてもなれず、「ついてきて」と口に出した声は我ながら憔悴し切っていたと思う。彼女は黙りこくっていて、それが今だけは助かった。
『不思議なことだね。森に好かれているのかもね』
じじいは森が好きだった。でもそれは研究者としての探究心からであった。興味のないことには全く関心を示さない。それ故に、この超常現象とでも言うべき事柄を『不思議なこと』で収めてしまった。そのまま、私を人間として扱った。
だが、彼女は?
私は彼女を信用している。だがそれは信じているとかいう意味では断じて無い。言うなれば、彼女の『公人』を見込んでいるに過ぎない。私の言う公人とは、この場合、約束を固く守る理性の塊だ。
だからこそ、彼女ほど信用できない者はいないのだ。
彼女は自分を公人ではないと言う。まあそうだろう。彼女は王族ではあるがここは現在王国ではなく、彼女が就く位などない。
彼女の精神は公人のそれだが、彼女は公人にはならない。
人の性格は変わる。彼女の性質もいつか変わるだろう。だからいつかは、彼女も、普通の人に、なるのだ。公人ではない人に。
私の安寧を可能な限り存続させるには、つまるところ、彼女を見張り続け、自我の芽生えに付き合い、それに介入しなければ……彼女にとっての価値あるモノに、ならなければならないのだ。
ハウスの梯子を登ってきた彼女がにょきりと顔を出す。その様子はなんだか少しだけ可愛いと思えて。
私がクスリと笑ってしまったのは、もう何も隠さないでいい人が出来てしまった、虚脱感と諦念から来たものに違いない。
鈴の鳴るような、というには些か低い声だ。
掴まれた腕が痺れているようだった。自分の細腕にびっしりと彼女の手形がついていたらと思うと泣き出してしまいたい思いに駆られた。はやく離してほしい。お願いだから。
酸素不足で力の入らない腕を叱咤して何とか上体を起こし、力の限り強く睨めつけた。なのに本人はそれを当たり前のように、眉一つ動かさず見つめ返してくる。自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
(十歳の子供に泣かされるとか、冗談じゃない!!)
わざと乱暴に右腕を取り返した。
どうしてとか、いつからとか、そんな事より、彼女が私のテリトリーである森に踏み込んだことが何より私を動揺させた。
もはや逃げ場がないことは明白だった。私は彼女という狩猟者に、抵抗を試みる手負いの獣だ。
「なるほど。それがきみの本性なんだな」
ほら、まただ。
そのむかつくぐらい綺麗な空と海の瞳で、あたりまえののことのように、この私を言い当てる。私が名づけられていく。頭に血が上ったのがわかった、そう思った時にはもう叫んでいた。
「どうしてあんたがここにいるのよ! 【出ていって】!!」
ざあっと樹々が揺れて強風が吹き荒れた。静かだった水面に、いくつもの波紋が交叉する。彼女の銀髪がぐしゃぐしゃに乱れ、覆い隠される美しい顔が、驚きに染まっていたのを諦念でもって見ていた。
『この世界に魔法は存在しない。あるのは学問と宗教だよ。ずっと森にいたいなら、どうすればいいか考えなさい』
いつもいつも肝心なところだけぼかしていたじじいの言葉。今も私は、秘匿以外の選択肢は無いと思うのに。
* * *
湖のほとりに、森の中でも一際大きな樹があって、じじいはその上で生活していた。
ぐるぐると捻れたような形の大樹の上に、ツリーハウスがある。私が両手を広げても届かないくらいの直径の丸太が切り出されていて、安定感は抜群だ。
ハウスには、今は私一人が住んでいる。
彼女をひったてて、警察の詰め所の代わりにハウスに連れて行くような真似をする気にはとてもなれず、「ついてきて」と口に出した声は我ながら憔悴し切っていたと思う。彼女は黙りこくっていて、それが今だけは助かった。
『不思議なことだね。森に好かれているのかもね』
じじいは森が好きだった。でもそれは研究者としての探究心からであった。興味のないことには全く関心を示さない。それ故に、この超常現象とでも言うべき事柄を『不思議なこと』で収めてしまった。そのまま、私を人間として扱った。
だが、彼女は?
私は彼女を信用している。だがそれは信じているとかいう意味では断じて無い。言うなれば、彼女の『公人』を見込んでいるに過ぎない。私の言う公人とは、この場合、約束を固く守る理性の塊だ。
だからこそ、彼女ほど信用できない者はいないのだ。
彼女は自分を公人ではないと言う。まあそうだろう。彼女は王族ではあるがここは現在王国ではなく、彼女が就く位などない。
彼女の精神は公人のそれだが、彼女は公人にはならない。
人の性格は変わる。彼女の性質もいつか変わるだろう。だからいつかは、彼女も、普通の人に、なるのだ。公人ではない人に。
私の安寧を可能な限り存続させるには、つまるところ、彼女を見張り続け、自我の芽生えに付き合い、それに介入しなければ……彼女にとっての価値あるモノに、ならなければならないのだ。
ハウスの梯子を登ってきた彼女がにょきりと顔を出す。その様子はなんだか少しだけ可愛いと思えて。
私がクスリと笑ってしまったのは、もう何も隠さないでいい人が出来てしまった、虚脱感と諦念から来たものに違いない。
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