狂人

東赤月

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終わりの日

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 鶏のような声が遠くから聞こえた。朝になったんだから起きろと、そう告げられたような気がした。全身が泥になってしまったかのように重い。それでもどうにか、体の感覚を取り戻そうと手足を動かす。どうやらちゃんと、自分の体であるようだった。だけど、本当に自分は自分のままなのだろうか? そんな疑問が湧いてくる。
 気がついたら、朝食を食べ終えていた。何も感じないまま朝食を済ませていたらしい。強力な農薬に唯一耐性を持つ作物と、排泄物を分解する虫から作られた朝食は、かつて存在した料理とほぼ同じ見た目と味であるはずなのに、不思議と何も感じなかった。
 人工的に作られた空の下に出る。強すぎない光が晴れを演出していた。
「おう、おはよう!」
 自警団の男と顔を合わせる。歩くのがだるいというだけの理由で運動補助具を利用し始めた彼は、その腹の大きさと比較すると気味が悪いくらいに足が細くなっていた。恐らくもう、自分の足では歩くどころか立つこともできないだろう。
 その事実を知ってか知らずか、にこやかに挨拶をする彼に、おはよう、とだけ返す。
「おう、今日は元気そうだな。どこ行くんだ?」
 定職のない者は村長にその日の仕事を貰いに行くんだということは周知の事実だろうに。醜悪な体から目を背け、分かりきった答えを返す。
「そうか。俺はついていけねえな。また何かあったら相談してくれよ」
 曖昧な返事をして別れた。運動補助具が鳴らす独特の足音が離れていく。
「あら、おはよう」
 今度は、子供を連れた女に会った。正確には、子供を模したロボットをつれた女、である。笑っているのか泣いているのか、自分でもよく分からない表情をして、どうも、と言う。
「そう言えば、昨日はどうかしたの?」
「ダイジョウブ?」
 女の言葉に反応し、子供そっくりのロボットからも音声が流れる。自然のものじゃない、機械によって再現された歪な音の波が鼓膜を揺らしてくる。
 だいじょうぶです。相談に乗ってもらいました。吐き気を堪えてそう答える。
「そう。私も相談に乗るから、必要な時はいつでも言ってね。さ、行きましょ」
「ウン!」
 子供と似た、しかし何かが決定的に違う笑みを浮かべたロボットから顔を逸らし、女とすれ違う。彼女はきっと、あのロボットを本当の子供のように思っているのだろう。そんな彼女は、かつて子供として接した幼いタイプのロボットが暗い倉庫に打ち捨てられていることをどう思っているのだろう。少し考えて、止めた。
 そして村長の家に着く。正確には、家の形をした巨大な演算装置である。人の接近に反応し、モニターに老人の姿が映し出される。
 おはようございます、村長。
「オハヨウゴザイマス。今日ハ畑仕事ヲシテモラッテモイイデスカ?」
 社会で孤立しないよう、またかつての人類の生活を忘れないよう、演算装置は適度な奉仕活動を提示する。機械的に答えた。はい。
「アリガトウゴザイマス。ソレデハ」
 そこまで音声を流したところで、画面の中の老人が何かに気が付いたかのように上の方を見る。
「申シ訳アリマセン。急ギ、診療所ヘト向カッテイタダケマスカ?」
 診療所? 嫌な予感がした。その予感は的中する。
「赤チャンガ生マレソウデス。手伝ッテアゲテクダサイ」
 顔から血の気が引いた。まさか、もう出産させるだなんて。
 気持ち悪くなりながらも、診療所へと向かう。そこには、自警団の男と、ロボットを連れた女もいた。
「あなたも手伝ってくれるのね」
「さ、急いで手を洗って」
 流されるまま分娩室へと連れられる。そこでは、腹を膨らませた女を模したロボットが苦しそうな表情を浮かべていた。
「頑張れ、もう少しだぞ!」
 その傍で、男が手を握っている。必死の形相を浮かべていた。
「奥さん、力んで!」
「タオル持ってきたぞ!」
 二人も大声を出して出産を手伝う。こちらも真剣な表情だった。
 何だこれは? 突っ立ったまま、その様子を他人事のように傍観する。
 そうこうしている間に、ロボットの股から頭が出てきた。胃液が喉元まで上がってくる。
「あなた、受け止めてあげて!」
 え?
「ほら、タオルだ!」
 有無を言わさずタオルを渡され、赤ん坊を受け止める位置に立たされる。
 そして、赤子を模したロボットが、手の中に落ちた。
「オギャアアア! オギャアアア!」
 音声を垂れ流すロボット。その腹から伸びるコードが切られた。
「ウ、生マレタノ……?」
「ああ、よくやったな! すごいよおまえ!」
 男が涙を流す。この茶番を生み出すために、ロボットを物理的に腹に入れた彼の考えがさっぱり分からなかった。しかし自警団の男も、ロボットを連れた女も、目を赤くして祝福の言葉を投げかけている。
 ……はは。
 はははははは。はははははは。
 突然笑い出したことに、周りは変な顔をしていたが、それが喜び故と思ったのだろう、皆して笑い合った。
 ついに自分も狂ってしまった。そう思った。
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