桜の葉が舞い散る季節、あなたの傍にいられたら

第４章

１

　自分がおかしいことは、薄々気付いていた。

　時折飛ぶ記憶や、自分では理解出来ない言動の数々。


　そう、まるで俺が俺じゃなくなるみたいな……


　今ではその感覚すらもあやふやで、はっきりとした記憶もないが、始めはそんな感覚だった……と思う。
　そしてその現象は日を追うごとに増えて行き、ついには一日丸っと記憶が抜け落ちることも増え、結果俺は会社を辞めた。


　いや、違うな。辞めたと言う言い方には、少々語弊があるかもしれない。
　同僚の話によれば、取引先との商談の際に俺がとった不可解な行動が、会社に多大な損害をもたらした結果、俺は会社から三行半を突き付けられたそうだ。

　もっとも、今の俺にその当時の記憶はない。

　ただ、失意のどん底にいた俺は、街を一人彷徨い歩いたことだけは、何故だか記憶している。


　でも……、今のこの現状は一体？


　部屋を見回してみても、明らかに俺の記憶の片隅にある自分の部屋ではない。


　それに、だ。
　この隣にいる男が誰なんだか……、それすら分からない。


　考えれば考える程、自分の置かれた現状が分からなくなって、俺は身じろぎ一つ出来ない狭いベッドの中で、首だけを隣で眠る見覚えのない男に向けた。

　その時だった。
　その男の瞼がパチッと音を立てて開き、一瞬目が合ったかと思うと、フッとその顔を綻ばせた。


　あっ、その顔は……


　「智……樹？」

　それは不意に俺の口を付いて出た、懐かしい名前だった。