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しおりを挟むそれから、僕は彼女に会いに公園に行く事も、近寄ることも無くなった。スコップはあそこに忘れてきてしまったので、先生には紛失したと嘘をついた。もちろん怒られた。
あの日、僕がずぶ濡れで帰ってきた様子を見て、母も兄も何も言わなかった。しかし、僕が脱衣所で濡れた服を着替えた後、廊下に残った濡れた足跡を拭いている時、兄が手伝ってくれた。兄は何も言わなかったが、何かを察して気遣ってくれている事はわかった。
僕はどんどん成長して、小学校を卒業して中学生になり、相変わらず忙しい日々を過ごしていた。それでも、彼女の事はずっと考えていた。あの日どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
彼女を泣かせてしまった。もっと他にできることはあったのかも知れない。だが、いくら考えても最適解がわからなかった。彼女にとって一番言われたくない、地雷の様なものを僕が踏み抜いた自覚はある。だがしかし、どう見ても埋まっているのに、あれを他になんと表現すればいいんだ。
いくら考えても無駄だと分ってはいても、僕は暇さえあればずっとこのことを考えていた。そして彼女の泣き顔を何度も思い返した。苦しげに眉根を寄せた、あの苦しげで儚い彼女の顔が蘇る度、気持ちとは裏腹に騒つく本能を煩わしく思った。
やがて僕も人並みに恋愛をするようになり、彼女とは似ても似つかない同級生の女の子と交際する様になった。すると、ほんの少しだけ、彼女のことを考える時間が減った。
それでも完全には忘れ去る事はできなくて、あの唇の柔らかさや、甘い吐息の音、楽しそうに目を細めて笑う表情が、ふとした瞬間に脳裏に浮かんだ。目の前には僕のことを純粋に想ってくれて、僕のことを全身で抱きしめてくれる恋人が居るのに、僕の心のど真ん中には別の人が居る。
そう、彼女は僕という人間のど真ん中にずっと居る。
他の誰かと恋仲になっても、将来他の誰かと結婚して家族になったとしても、彼女はずっと僕の中のど真ん中に居続ける。
もう忘れよう、前に進もう。そう思っていても、最後に見た彼女のあの苦しげな顔が、いつまでも僕の足を引っ張っていた。
会いたかったし、謝りたかった。
名前だって聞いていないのだ。
忘れたいのに忘れられない、そんなジレンマに時折悶々としながらも生きていたある日、大学に進学した折に家を出て、一人暮らしをしていた兄から僕に電話が掛かってきた。その時の僕は中学三年だった。
『お前、昔××にある公園によく行ってたろ?』
「うん。……なんで知ってるの」
『俺の友達の実家が近所なんだ。よくおまえが出入りするのを見かけていたんだと』
「そっか」
中で何をしていたかは?見られていたのだろうか?
少しだけ、胸が不安でチクリと痛んだ。仮に中で何をしていたのかを見られていたとして、僕が心配なのは僕が人にどう思われたかではない。彼女が僕以外の誰かの目に触れていないかの方が、僕のことよりも遥かに重要である。
しかし、兄はそれ以上突っ込んだ話はしなかった。何か言いたげな沈黙がある訳でもなく、声の感じからしても、純粋に出入りしてるのを見た、という情報しか知らないようだ。
兄との会話は緊張する。彼は僕が幼い頃から忙しくしていたので、昔からあまりきちんと話をしたことがないのだ。どこか他人に近いような、微妙な壁を感じるのだが、時々互いに通じ合っている様な不思議な感覚が生まれることもある。
「それで、公園がどうしたの」
『あそこ、取り壊されてアパートが建てられるらしいぞ』
「................そっか」
『まぁ、だから何ということはないんだけど』お前は、あそこが気に入っていたみたいだから___と。兄はそれだけ言って、直ぐに電話を切ってしまった。
そうしてくれて有難かった。僕はもう、何も言えなくなっていたから。
その後、どの様に受話器を置いて、どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。だが、気付いたら自分の部屋の床の上で、仰向けに大の字になって倒れていた。
見慣れた天井と、煌々と灯るシーリングライトの白い光を見上げながら、僕はこの心にぽっかりと空いた穴に何を詰め込むべきなのか、長いこと考えていた。
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