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第1章 英雄の娘、冒険に出る
005 黄金竜ののろい
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エルガーの引退宣言(2度目)は瞬く間に街中を巡り、事の真相を探ろうと、ディナータイムには客が大挙して押し寄せてきた。
狭い店内はすでに満員であり、店の外には長蛇の列ができている。普段はピークタイムでもこうはならないのにとリーベは「ひい~」と忙しい悲鳴を上げた。だが同時に、今回の出来事が如何に周囲の感心を集めているかを理解した。
だが、感心ばかりしていられない。
給仕として、少しでも回転率を上げて、客の待ち時間を減らさなくてはならないからだ。
「リーベちゃーん」
注文を告げるべく、客の一人が彼女を呼んだ。
「あ、はい! ただいまー!」
次の客の元へ急ごうとしたとき、ウワサ好きで有名なサラという中年女性に捕まる。
「リーベちゃん。エルガーさんが引退するってのは本当なんかい?」
過去の恩を思い出してお礼を言いに来てくれる人もいたけれど、大半は彼女のように、好奇心を満たす目的でやって来ていた。この日何度目かの問い掛けに辟易しつつ、失礼のないよう、丁重に答える。
「お父さんももう若くありませんので――」
「おや! アタシの見立てはあと一五年はやれそうなのに!」
「はは……ありがとうございます。それでは――」
「引退は2度目だけど……そうさね。こうなったら2代目が必要なんじゃないかい?」
サラ婦人は期待の眼差しをリーベに向ける。すると食堂は静まりかえり、いくつもの視線が彼女に集まった。
リーベは周囲の期待には応えたいと思ったがしかし、戦いは男の領分だ。それに何より、彼女はこの食堂を継ぐ定めにあるのだ。間違ってもそんなことはないと、彼女は切に思った。
「まさか! お父さんには弟子が沢山いますので」
会話を打ち切ると、今度は嗄れた声に呼び止められる。
「……リーベよ」
「はい?」
振り返った先には陰気な顔をした初老の男性がいた。
彼は右腕が無く、右の頬には深い裂傷痕があった。年齢を重ね、たるんだ目元は憂いを湛えているかのようで、深い眼孔に収まる瞳には生気が感じられない。
そんな彼は数時間まえまで絵画の飾られていた場所へ目を向ける。
「ディアンさん……」
「……ワシの描いた画は、捨ててしまったのかの?」
あの絵画『断罪の時』はこの老人――ディアンが描いたものだった。
「いえ。剣と一緒にギルドに預けてあるそうです」
あの絵は複製画などではなく、原画なのだ。
それ故、リーベもシェーンも、そしてエルガー自身もこの店よりも、ギルドに飾る方が相応しいと常々思っていた。だが、ディアンがエルガーにと描いたものであったため、ああして飾っていたのだ。
「……ええと…………」
リーベが困り果てて言い淀む一方、ディアンは声を零した。
「ワシの分まで、死ぬまで戦うと言っておったのにな……」
「ディアンさん…………」
彼は元々冒険者だったが、件の戦いで腕を失い、剣を捨てたのだという。
そんな彼が、自分の見たものをありのままに描いたのが『断罪の時』だ。この1枚をもって画家として名を上げた彼であるが、彼の描くも画の端々からは冒険者業への未練を強く感じられると評判だ。リーベ自身、目にするたびに、そんな感想を抱いたものだ。
「……ごめんなさい」
リーベは自然と、詫びを口にしていた。それでどうにかなるわけではないが、言わずにはいられなかった。
するとディアンはハッとして視線を下ろした。
「いや……すまんな。こんなジジイの愚痴に付き合わせちまって。いつものアレを頼む」
哀しげな声にその姿に、リーベの胸はチクリと痛んだのだった。
「ふう……」
波乱のディナータイムを凌いだリーベは息も絶え絶えに店内の清掃を終える。
彼女の華奢な体には疲労が募り、額に滲む汗を拭うことさえ億劫でいた。
そんな中、シェーンがリンゴジュースを出して娘を労う。
「お疲れ様。これ飲んだらお父さんを呼んできてちょうだい」
彼女は彼女で、明日の仕込みをするところだった。
「あ、わたしも手伝うよ」
「いいのよ。今日はすごい大変だったでしょう?」
「うん、まあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」
リンゴジュースを口に含むと、その甘みが身に沁みた。
疲れた時は甘いものに限るなと、彼女はつくづく思った。
リンゴジュースを飲み終えたリーベは父を呼びに2階に上がる。
2階は住居になっていて、リーベの部屋と夫婦の部屋、そして今は亡き祖父の部屋と3部屋ある。だが、エルガーがいるのはこの更に上階の屋根裏部屋だ。
廊下の奥にある階段を上っていくと、リーベは父の悩ましげな声を聞いた。
「これは……いる。これは……いらないな」
開け放たれたドアの向こうには入り口に背を向け、魔物の素材を選別する父の姿があった。
あぐらを掻いて手元に集中する様は工作に励む子供のようで、リーベはなんだか可笑しく思えた。
屋根裏部屋には窓があり、風通しは良いはずだが、むしむししている。これが父の体温によるものなのだとしたら、相当に頭を使っているのだろうとリーベは思った。とは言え放っておくことは出来ず、彼女は呼び掛ける。
「お父さん、晩ご飯できてるよ?」
「あー、今行くー」
予想通りの生返事だった。リーベが呆れてため息をついたその時、エルガーは一際大きな声を上げた。
「お、これは!」
その声に好奇心を起こしたリーベは恐る恐ると屋根裏部屋に踏み込んだ。
エルガーには魔物の素材を収拾し、保管する悪癖があり、部屋中に悍ましい物体が散らかっている。中でも彼女が嫌いなのは、壁に掛けられたカンプフベアの毛皮にだった。
「うひいっ⁉」
昔、エルガーが斬り落としたこの右腕は、リーベの腹囲の2倍ほどの太さがあった。
怖じ気づいた彼女は慌てて視線を逸らした。その先では、父親が何かを光に透かしていた。
それはゴツゴツとした黄金色の物体であり、小市民であるリーベは声を上げずにはいられないかった。
「金っ!」
(金塊なんて初めて見た……!)
彼女の叫びに、エルガーはようやく娘の存在に気付く。
「リーベ⁉ ……見られちまったか」
元英雄らしからぬ動揺を見せながらも彼は金塊を陰に隠すが、娘に見つめられては観念するより他になかった。彼は被害を最小にするべく、声を忍ばせて言う。
「……秘密にできるか?」
神妙な問い掛けにリーベはゴクリと唾を飲み込んだ。
「う、うん……約束する」
エルガーはしばしはしばし娘の目を見つめた後、信頼できると踏んでそれを差し出した。
一方、ウキウキしながら受け取ったリーベは、その見かけ倒しな軽量さにため息をついた。
「金……じゃない。はあ……」
がっかりしつつも、その物体を観察する。
表面はゴツゴツとしていて、風を切るような形状をしている。裏側には剥離したような跡があり、これはまるで――
「うろこ……?」
「そうだ……俺がなんで英雄扱いされてるかは知ってるな?」
唐突な言葉に動揺しつつも答える。
「うん。20年前に冒険者たちの先頭に立って、魔物の軍勢を押し返したんだよね?」
「ああそうだ……その後、俺は師匠と、あと居合わせた魔法使いのジジイとの3人で事の真相を探りに行ったんだ」
「ごくり……」
「南のグラ・ジオール山の中腹に、何枚かの鱗と、あと……いや。とにかくそれはあった。あれから20年。ギルドが調査を進めているが、未だ何の魔物か知れないでいるんだ」
「ていう事はまだ……」
血の気が引いていくのを覚えた。
「まだヤツは死んでねえ。この世の何処かで生きながらえてるはずだ」
「そんな……」
恐ろしい事件を引き起こしたであろう魔物が生きている……いずれ、また何処かで誰かが危険に晒される日も来るのだろう。
それを思えば……なるほど。存在が秘匿されるワケだ。
「俺は決戦に備えて次の世代を育てる任務を――これは関係ねえな。とにかくやべえ魔物の鱗なんだ。分かってることと言えば、やつがドラゴンってくらいだ」
「へえ……」
冷や汗を拭っていると階下からシェーンの声が響いてくる。
「晩ご飯の用意ができてるから、下りていらっしゃい!」
「はーい!」
入り口の方へ声を返すと鱗を返却する。
「片付けは明日にして、今日は休も?」
「そうだな――うぐうっ⁉」
立ち上がり掛けたエルガーがその場に崩れた。
(まさか、ドラゴンの呪いが⁉)
「うぐ……脚が痺れた」
「なあんだ……」
彼女がホッと胸を撫で下ろしていると、父が恨みがましく言う。
「なんだとはなんだ! 俺はこんなに苦しんでるのに!」
「ふふ! つんつん!」
ふくらはぎを突っつくとエルガー悶え始めた。
「ぬおおっ! や、やめろおお!」
その反応にリーベは楽しくなり、何度も突っついた。しばらくそうしてじゃれ合っていると、シェーンが怒鳴るように呼び掛けてくる。
「冷めちゃうわよ! 早くいらっしゃい!」
狭い店内はすでに満員であり、店の外には長蛇の列ができている。普段はピークタイムでもこうはならないのにとリーベは「ひい~」と忙しい悲鳴を上げた。だが同時に、今回の出来事が如何に周囲の感心を集めているかを理解した。
だが、感心ばかりしていられない。
給仕として、少しでも回転率を上げて、客の待ち時間を減らさなくてはならないからだ。
「リーベちゃーん」
注文を告げるべく、客の一人が彼女を呼んだ。
「あ、はい! ただいまー!」
次の客の元へ急ごうとしたとき、ウワサ好きで有名なサラという中年女性に捕まる。
「リーベちゃん。エルガーさんが引退するってのは本当なんかい?」
過去の恩を思い出してお礼を言いに来てくれる人もいたけれど、大半は彼女のように、好奇心を満たす目的でやって来ていた。この日何度目かの問い掛けに辟易しつつ、失礼のないよう、丁重に答える。
「お父さんももう若くありませんので――」
「おや! アタシの見立てはあと一五年はやれそうなのに!」
「はは……ありがとうございます。それでは――」
「引退は2度目だけど……そうさね。こうなったら2代目が必要なんじゃないかい?」
サラ婦人は期待の眼差しをリーベに向ける。すると食堂は静まりかえり、いくつもの視線が彼女に集まった。
リーベは周囲の期待には応えたいと思ったがしかし、戦いは男の領分だ。それに何より、彼女はこの食堂を継ぐ定めにあるのだ。間違ってもそんなことはないと、彼女は切に思った。
「まさか! お父さんには弟子が沢山いますので」
会話を打ち切ると、今度は嗄れた声に呼び止められる。
「……リーベよ」
「はい?」
振り返った先には陰気な顔をした初老の男性がいた。
彼は右腕が無く、右の頬には深い裂傷痕があった。年齢を重ね、たるんだ目元は憂いを湛えているかのようで、深い眼孔に収まる瞳には生気が感じられない。
そんな彼は数時間まえまで絵画の飾られていた場所へ目を向ける。
「ディアンさん……」
「……ワシの描いた画は、捨ててしまったのかの?」
あの絵画『断罪の時』はこの老人――ディアンが描いたものだった。
「いえ。剣と一緒にギルドに預けてあるそうです」
あの絵は複製画などではなく、原画なのだ。
それ故、リーベもシェーンも、そしてエルガー自身もこの店よりも、ギルドに飾る方が相応しいと常々思っていた。だが、ディアンがエルガーにと描いたものであったため、ああして飾っていたのだ。
「……ええと…………」
リーベが困り果てて言い淀む一方、ディアンは声を零した。
「ワシの分まで、死ぬまで戦うと言っておったのにな……」
「ディアンさん…………」
彼は元々冒険者だったが、件の戦いで腕を失い、剣を捨てたのだという。
そんな彼が、自分の見たものをありのままに描いたのが『断罪の時』だ。この1枚をもって画家として名を上げた彼であるが、彼の描くも画の端々からは冒険者業への未練を強く感じられると評判だ。リーベ自身、目にするたびに、そんな感想を抱いたものだ。
「……ごめんなさい」
リーベは自然と、詫びを口にしていた。それでどうにかなるわけではないが、言わずにはいられなかった。
するとディアンはハッとして視線を下ろした。
「いや……すまんな。こんなジジイの愚痴に付き合わせちまって。いつものアレを頼む」
哀しげな声にその姿に、リーベの胸はチクリと痛んだのだった。
「ふう……」
波乱のディナータイムを凌いだリーベは息も絶え絶えに店内の清掃を終える。
彼女の華奢な体には疲労が募り、額に滲む汗を拭うことさえ億劫でいた。
そんな中、シェーンがリンゴジュースを出して娘を労う。
「お疲れ様。これ飲んだらお父さんを呼んできてちょうだい」
彼女は彼女で、明日の仕込みをするところだった。
「あ、わたしも手伝うよ」
「いいのよ。今日はすごい大変だったでしょう?」
「うん、まあ……じゃあ、お言葉に甘えて……」
リンゴジュースを口に含むと、その甘みが身に沁みた。
疲れた時は甘いものに限るなと、彼女はつくづく思った。
リンゴジュースを飲み終えたリーベは父を呼びに2階に上がる。
2階は住居になっていて、リーベの部屋と夫婦の部屋、そして今は亡き祖父の部屋と3部屋ある。だが、エルガーがいるのはこの更に上階の屋根裏部屋だ。
廊下の奥にある階段を上っていくと、リーベは父の悩ましげな声を聞いた。
「これは……いる。これは……いらないな」
開け放たれたドアの向こうには入り口に背を向け、魔物の素材を選別する父の姿があった。
あぐらを掻いて手元に集中する様は工作に励む子供のようで、リーベはなんだか可笑しく思えた。
屋根裏部屋には窓があり、風通しは良いはずだが、むしむししている。これが父の体温によるものなのだとしたら、相当に頭を使っているのだろうとリーベは思った。とは言え放っておくことは出来ず、彼女は呼び掛ける。
「お父さん、晩ご飯できてるよ?」
「あー、今行くー」
予想通りの生返事だった。リーベが呆れてため息をついたその時、エルガーは一際大きな声を上げた。
「お、これは!」
その声に好奇心を起こしたリーベは恐る恐ると屋根裏部屋に踏み込んだ。
エルガーには魔物の素材を収拾し、保管する悪癖があり、部屋中に悍ましい物体が散らかっている。中でも彼女が嫌いなのは、壁に掛けられたカンプフベアの毛皮にだった。
「うひいっ⁉」
昔、エルガーが斬り落としたこの右腕は、リーベの腹囲の2倍ほどの太さがあった。
怖じ気づいた彼女は慌てて視線を逸らした。その先では、父親が何かを光に透かしていた。
それはゴツゴツとした黄金色の物体であり、小市民であるリーベは声を上げずにはいられないかった。
「金っ!」
(金塊なんて初めて見た……!)
彼女の叫びに、エルガーはようやく娘の存在に気付く。
「リーベ⁉ ……見られちまったか」
元英雄らしからぬ動揺を見せながらも彼は金塊を陰に隠すが、娘に見つめられては観念するより他になかった。彼は被害を最小にするべく、声を忍ばせて言う。
「……秘密にできるか?」
神妙な問い掛けにリーベはゴクリと唾を飲み込んだ。
「う、うん……約束する」
エルガーはしばしはしばし娘の目を見つめた後、信頼できると踏んでそれを差し出した。
一方、ウキウキしながら受け取ったリーベは、その見かけ倒しな軽量さにため息をついた。
「金……じゃない。はあ……」
がっかりしつつも、その物体を観察する。
表面はゴツゴツとしていて、風を切るような形状をしている。裏側には剥離したような跡があり、これはまるで――
「うろこ……?」
「そうだ……俺がなんで英雄扱いされてるかは知ってるな?」
唐突な言葉に動揺しつつも答える。
「うん。20年前に冒険者たちの先頭に立って、魔物の軍勢を押し返したんだよね?」
「ああそうだ……その後、俺は師匠と、あと居合わせた魔法使いのジジイとの3人で事の真相を探りに行ったんだ」
「ごくり……」
「南のグラ・ジオール山の中腹に、何枚かの鱗と、あと……いや。とにかくそれはあった。あれから20年。ギルドが調査を進めているが、未だ何の魔物か知れないでいるんだ」
「ていう事はまだ……」
血の気が引いていくのを覚えた。
「まだヤツは死んでねえ。この世の何処かで生きながらえてるはずだ」
「そんな……」
恐ろしい事件を引き起こしたであろう魔物が生きている……いずれ、また何処かで誰かが危険に晒される日も来るのだろう。
それを思えば……なるほど。存在が秘匿されるワケだ。
「俺は決戦に備えて次の世代を育てる任務を――これは関係ねえな。とにかくやべえ魔物の鱗なんだ。分かってることと言えば、やつがドラゴンってくらいだ」
「へえ……」
冷や汗を拭っていると階下からシェーンの声が響いてくる。
「晩ご飯の用意ができてるから、下りていらっしゃい!」
「はーい!」
入り口の方へ声を返すと鱗を返却する。
「片付けは明日にして、今日は休も?」
「そうだな――うぐうっ⁉」
立ち上がり掛けたエルガーがその場に崩れた。
(まさか、ドラゴンの呪いが⁉)
「うぐ……脚が痺れた」
「なあんだ……」
彼女がホッと胸を撫で下ろしていると、父が恨みがましく言う。
「なんだとはなんだ! 俺はこんなに苦しんでるのに!」
「ふふ! つんつん!」
ふくらはぎを突っつくとエルガー悶え始めた。
「ぬおおっ! や、やめろおお!」
その反応にリーベは楽しくなり、何度も突っついた。しばらくそうしてじゃれ合っていると、シェーンが怒鳴るように呼び掛けてくる。
「冷めちゃうわよ! 早くいらっしゃい!」
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