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第1章 英雄の娘、冒険に出る
007 旧友は言う
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程なくして街角にあるディアンの家についた。
ディアンは画家として成功しているものの、欲が無く、幽霊が出そうな古めかしい家に召し使いと2人で住んでいる。エルガーはその質朴とした生き方が彼らしいと思いつつも、せめてもう少し上等な家に住めば良いのにと思わずにはいられなかった。
ドンドン!
エルガーがドアを叩くも反応がない。ここの召し使いは無能で有名だった。今頃は夢の中なのだろうと思いつつ、彼は呼び掛ける。
「ディアン! いねえのか?」
再度叩くとドアが開き、暗がりから魔女みたいな顔が現われる。
「ディアン……」
「まったく、お前はノッカーも使えんのか」
「あ?」
ドアを見ると、シカモチーフのノッカーがあった。
「ホントだ……あはは!」
「……これでよく冒険者をやってこられたものだな」
陰気な目が彼を睨み上げる。すると心を見透かされるかのようで、エルガーは居心地の悪い思いをした。
「そんなところに突っ立っておらんで、入ったらどうなんだ?」
「あ、ああ……そうする」
それから2人はカビ臭い廊下を歩き、アトリエへと向かった。その道中、エルガーはディアンの失われた右腕ばかりを見つめていた。幻肢痛って実在するのだろうか、と些細でありながら、重大な疑問が彼の胸を圧していく。
ディアンのアトリエは厨房から設備を抜き出したような造りで、代わり画材が所狭しと置かれている。そして部屋の中央には描き掛けのカンバスがあった。
「…………」
描かれているのはワイバーンという魔物で、青空を背にこちらを睥睨している。背後には太陽があるのか、顔や腹には逆光で影が差している。その一方で翼膜は透けており、それがリアリティを超越した迫力を生み出していた。
エルガーはワイバーンと戦った事が何度もあった。それ故にこの画が、まるで自分の記憶の一部を抜き出しているように思えてならなかった。
「すげえな……」
「ワシは見たまんましか描けない……だからそろそろ、ネタ切れだ」
ディアンは色褪せた目をカンバスに向けて言う。その言葉に……仕草に。エルガーの胸の内で蟠っていた罪悪感がいっそう重厚なものになる。その重みに耐えかねて、彼は詫びを零した。
「……すまねえ」
弁明の言葉などなく、彼は深々と頭を下げる。
すると空気が澱み、瘴気のように彼の心を蝕んでいく。その息苦しさに喘いでいると、ディアンが意外なことを口走る。
「2人目でもできたのか?」
「……は?」
「引退して尚、武器を手放さなかったお前がそれを手放した。なら、それだけの事情があると考えるのが普通だろう?」
「……そうか」
俺は頭を上げ、憮然とした目を見る。
「いや、そんなめでたいことじゃねえ。……俺は引退してからも、他の連中には狩れないような魔物を引き受けてきた。だが、家族を心配させたくはなかった。だからいつも嘘をついてきたんだ」
「……で、それがバレたと」
「ああ。寄りによって、カンプフベアと戦った事が知られたんだ。……それで、シェーンに言われたんだ。俺に頼ってばかりいるから、この街の冒険者が育たないんだ……若くねえから、このままじゃいつか破綻するってな」
「道理だな」
ディアンは瞑目した。
彼が激情家でないことをエルガーはよく知っている。だから一定の理解を示してくれることには何の驚きもない。だがそれだけに恐ろしかった。
(言うべきことは言った)
再び沈黙が流れ……しばらくの後、ハゲタカのような目がエルガーを睨み上げた。
「エルガーよ。お前はあの時、言っていたよな? ワシの分まで、死ぬまで戦うと」
「……言った」
「お前の事だ。それを気にしてるのだろうが、それについて今更どうこういうつもりはない」
「何でだ?」
エルガーは問わずにはいられなかった。しかし言い終るや、ディアンはクツクツと肩を震わせて笑い始めた。
「な、何がおかしい!」
「くくく! 一度引退しているやつが、何を今更と思ってな!」
「――そら! 『いざとなりゃ戦ってやる』って引退したんだ! 剣を捨てたわけじゃねえ!」
「積極的に戦わないのだから、結局はおなじことよ!」
「むう……」
歯噛みしていると、ディアンは途端に神妙になった。
「だがな、そう簡単に終われるとは思わないことだ」
「……どういう事だ?」
「あの恐怖を体験した連中は、お前に願いを託してる。ワシのようにな……」
『アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだ』
誰かの叫びが耳に蘇る。
平和への願いを託されたのはエルガー自身自覚していた……だが彼は、やれるだけの事はやったつもりだった。だが、それでも不足だというのだろうか?
煩悶としているとディアンが続ける。
「英雄に求められるのは腕だけじゃない。その意味をよく考えることだ」
「…………」
(まさか……いや。だってリーベは……)
焦燥する心に冷や水を浴びせるようにディアンが吐き捨てる。
「さ。仕上げの邪魔だ。とっとと帰れ」
「……ああ。邪魔したな」
ディアンに背を向けた時、エルガーはふと振り返った。
陰気くさい部屋で老人がカンバスへ向かう姿は物悲しい以外の何物でもない。しかし、その眼差しだけは生き生きとして見えた。
「なにを突っ立ってる? ワシは人に見られてると画が描けないんだ」
「あ……すまねえな。んじゃ、たまには店に寄ってくれよな」
そう言い残して、彼はディアンの家を後にした。
街灯がぼんやりと照らす街路を1人寂しく歩く。周囲の建物はどれも明かりが消えていて、街全体が眠りに就いているのが分かる。食堂エーアステも例外ではないと思ったが違った。鎧戸の隙間に微かな明かりが見える。
エルガーはカウベルを鳴らさないよう、そーっとドアを開ける。するとホールには妻シェーンの姿があった。椅子の上がったテーブルの1つに頬杖をついていたが、彼が帰ってきたのを知ると細い肩を跳ね上げる。
「お、おかえりなさい……」
「ああ、ただいま。驚かすつもりはなかったんだが……待っててくれたのか?」
「ええ。心配だったんですもの。それより、ディアンさんはなんて?」
「1度引退してるクセに何を今更って」
ありのままを言うとシェーンは目を丸くして、ついでクスリと笑った。
「ふふ、それもそうですね! それだけですか?」
「あー……」
(言うべきかどうか……いや、言うべきだ)
「英雄に求められるのは腕だけじゃないってな」
「どういう事ですか?」
疑問を浮かべつつも、シェーンは察している風があった。勘が良いのは結構だが、それはつまり、繊細であるという事だ。
今までどれだけ心配を掛けてきたのか……エルガーには想像も及ばないことなのだった。余計な心配を掛けたくはないが、かといって黙っているワケにはいかない。夫婦なのだから大事な事情は共有するべきだ。
そう思った彼は口を開く。
「象徴であること……要するに、血筋を求めてるヤツは大勢いるってことだ」
「血筋……やっぱり、リーベに……」
「俺の娘に産まれた以上、女とはいえ期待はされるだろうな」
「そんな……まさか、リーベを冒険者にするなんて言いませんよね?」
「当たり前だ」
断言するとシェーンはホッと一息をついた。だが、見上げる瞳には未だ不安が漂っている。
「大丈夫だ。リーベを冒険者にはさせねえよ」
「でも……あの子を唆す人がでてくるんじゃ……」
(リーベは素直な娘だ。周囲の期待に応えようと言い出すかもしれない。もしそうなったら俺は……アイツの意思を挫けるのだろうか?)
ふと思ったが、考えるのをやめた。彼が考え出したら、シェーンまでが心配してしまうから。
「その辺は俺の方から言い含めておくさ。……それに、この街の冒険者は見所のあるヤツばかりだ。周りの連中も、すぐに気付くだろうよ」
「そう……ですね…………」
「そうだ」
抱き合っていると、置き時計が11回鳴った。
「明日も早いんだ。今日は寝ちまおうぜ」
「……はい」
ドアを施錠すると、2人は一緒の寝室へ引き上げていった。
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「まったく、お前はノッカーも使えんのか」
「あ?」
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「……これでよく冒険者をやってこられたものだな」
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ディアンのアトリエは厨房から設備を抜き出したような造りで、代わり画材が所狭しと置かれている。そして部屋の中央には描き掛けのカンバスがあった。
「…………」
描かれているのはワイバーンという魔物で、青空を背にこちらを睥睨している。背後には太陽があるのか、顔や腹には逆光で影が差している。その一方で翼膜は透けており、それがリアリティを超越した迫力を生み出していた。
エルガーはワイバーンと戦った事が何度もあった。それ故にこの画が、まるで自分の記憶の一部を抜き出しているように思えてならなかった。
「すげえな……」
「ワシは見たまんましか描けない……だからそろそろ、ネタ切れだ」
ディアンは色褪せた目をカンバスに向けて言う。その言葉に……仕草に。エルガーの胸の内で蟠っていた罪悪感がいっそう重厚なものになる。その重みに耐えかねて、彼は詫びを零した。
「……すまねえ」
弁明の言葉などなく、彼は深々と頭を下げる。
すると空気が澱み、瘴気のように彼の心を蝕んでいく。その息苦しさに喘いでいると、ディアンが意外なことを口走る。
「2人目でもできたのか?」
「……は?」
「引退して尚、武器を手放さなかったお前がそれを手放した。なら、それだけの事情があると考えるのが普通だろう?」
「……そうか」
俺は頭を上げ、憮然とした目を見る。
「いや、そんなめでたいことじゃねえ。……俺は引退してからも、他の連中には狩れないような魔物を引き受けてきた。だが、家族を心配させたくはなかった。だからいつも嘘をついてきたんだ」
「……で、それがバレたと」
「ああ。寄りによって、カンプフベアと戦った事が知られたんだ。……それで、シェーンに言われたんだ。俺に頼ってばかりいるから、この街の冒険者が育たないんだ……若くねえから、このままじゃいつか破綻するってな」
「道理だな」
ディアンは瞑目した。
彼が激情家でないことをエルガーはよく知っている。だから一定の理解を示してくれることには何の驚きもない。だがそれだけに恐ろしかった。
(言うべきことは言った)
再び沈黙が流れ……しばらくの後、ハゲタカのような目がエルガーを睨み上げた。
「エルガーよ。お前はあの時、言っていたよな? ワシの分まで、死ぬまで戦うと」
「……言った」
「お前の事だ。それを気にしてるのだろうが、それについて今更どうこういうつもりはない」
「何でだ?」
エルガーは問わずにはいられなかった。しかし言い終るや、ディアンはクツクツと肩を震わせて笑い始めた。
「な、何がおかしい!」
「くくく! 一度引退しているやつが、何を今更と思ってな!」
「――そら! 『いざとなりゃ戦ってやる』って引退したんだ! 剣を捨てたわけじゃねえ!」
「積極的に戦わないのだから、結局はおなじことよ!」
「むう……」
歯噛みしていると、ディアンは途端に神妙になった。
「だがな、そう簡単に終われるとは思わないことだ」
「……どういう事だ?」
「あの恐怖を体験した連中は、お前に願いを託してる。ワシのようにな……」
『アンタが辞めたら、誰がテルドルを護るんだ』
誰かの叫びが耳に蘇る。
平和への願いを託されたのはエルガー自身自覚していた……だが彼は、やれるだけの事はやったつもりだった。だが、それでも不足だというのだろうか?
煩悶としているとディアンが続ける。
「英雄に求められるのは腕だけじゃない。その意味をよく考えることだ」
「…………」
(まさか……いや。だってリーベは……)
焦燥する心に冷や水を浴びせるようにディアンが吐き捨てる。
「さ。仕上げの邪魔だ。とっとと帰れ」
「……ああ。邪魔したな」
ディアンに背を向けた時、エルガーはふと振り返った。
陰気くさい部屋で老人がカンバスへ向かう姿は物悲しい以外の何物でもない。しかし、その眼差しだけは生き生きとして見えた。
「なにを突っ立ってる? ワシは人に見られてると画が描けないんだ」
「あ……すまねえな。んじゃ、たまには店に寄ってくれよな」
そう言い残して、彼はディアンの家を後にした。
街灯がぼんやりと照らす街路を1人寂しく歩く。周囲の建物はどれも明かりが消えていて、街全体が眠りに就いているのが分かる。食堂エーアステも例外ではないと思ったが違った。鎧戸の隙間に微かな明かりが見える。
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「ええ。心配だったんですもの。それより、ディアンさんはなんて?」
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ありのままを言うとシェーンは目を丸くして、ついでクスリと笑った。
「ふふ、それもそうですね! それだけですか?」
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(言うべきかどうか……いや、言うべきだ)
「英雄に求められるのは腕だけじゃないってな」
「どういう事ですか?」
疑問を浮かべつつも、シェーンは察している風があった。勘が良いのは結構だが、それはつまり、繊細であるという事だ。
今までどれだけ心配を掛けてきたのか……エルガーには想像も及ばないことなのだった。余計な心配を掛けたくはないが、かといって黙っているワケにはいかない。夫婦なのだから大事な事情は共有するべきだ。
そう思った彼は口を開く。
「象徴であること……要するに、血筋を求めてるヤツは大勢いるってことだ」
「血筋……やっぱり、リーベに……」
「俺の娘に産まれた以上、女とはいえ期待はされるだろうな」
「そんな……まさか、リーベを冒険者にするなんて言いませんよね?」
「当たり前だ」
断言するとシェーンはホッと一息をついた。だが、見上げる瞳には未だ不安が漂っている。
「大丈夫だ。リーベを冒険者にはさせねえよ」
「でも……あの子を唆す人がでてくるんじゃ……」
(リーベは素直な娘だ。周囲の期待に応えようと言い出すかもしれない。もしそうなったら俺は……アイツの意思を挫けるのだろうか?)
ふと思ったが、考えるのをやめた。彼が考え出したら、シェーンまでが心配してしまうから。
「その辺は俺の方から言い含めておくさ。……それに、この街の冒険者は見所のあるヤツばかりだ。周りの連中も、すぐに気付くだろうよ」
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