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第2章 旅立ちの時
072 邂逅
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「――起きろ」
「あと5分……」
「――起きろ!」
「うおううおううおう……」
ゆさゆさと乱暴に体を揺さぶられ、リーベの意識が体に引き戻される。お陰で頭痛が痛い。
「うー……今何時?」
眠い目を擦りながらヴァールに問い掛けるも「知るか」とにべもなく言い捨てられる。
「それよか、さっさと支度しろ」
「したく……?」
ボーッとする頭を動かし、周囲を見回す。
明るみ始めた空の下、周囲は広がるのは平原――いや、高原だった。たき火は焦げた臭いと共に白い煙を一筋、立ち昇らせていて、その側ではフェアとフロイデが朝食を摂っていた。
「おはようございます。夕べはよく眠れたようですね」
フェアがくすりと笑う橫で、フロイデ声を潜めて笑っていた。
「くぷぷ……寝癖、すごい……!」
「寝癖?」
頭に手をやると、ピョンと跳ねた髪が指先に触れた。
「きゃあ! み、見ないでくださいっ!」
「もう見ちゃったよ……くぷぷ、花みたい……!」
花に喩えられてこれほど不名誉なことはあるだろうか? いやない。
リーベは慌てて寝癖を梳かしに掛かるが、今日に限ってうまく直せなかった。
「ああもうっ!」
まとまらない髪に苛立っていると、ヴァールの気怠い声が聞こえてくる。
「髪なんてどーでもいいからさっさと飯――」
「よくない!」
ピシャリと言いつけると彼は閉口し、溜め息をついた。
「はあ……もっと早く起こすんだったな」
そんな言葉を耳にしつつも、リーベは乙女の尊厳を護るべく、寝癖との格闘を続けるのだった。
野営地を後にして3時間ほどが経った。この長時間に及ぶ行軍にリーベの体は耐えかね、脚の痛みや発汗という形で悲鳴を発している。それは心にうるさく、体力に限らず気力をも削ぎ落としていった。
「ひい……うへえ……ち、ちょっと休ませて~」
フェアの手を借りながら歩いていた彼女は前方を歩くヴァールに呼び掛ける。
「お前がちんたらしてるせいで遅れたんだ。だから遅れた分は歩くぞ」
「そんな~……」
頬を汗か涙かわからない液体が伝う。その跡に残った水気は高まった体温によって直ぐさま蒸発させられる。お陰で僅かに体温が下がる。
ともあれリーベは体力の欠乏と暑さとの二重苦に苛まれ、さらに一時間ほどが過ぎた。
「休憩だ」
その一言に彼女がどれだけ歓喜したことか……それは大昔、魔法がない時代に雨乞いが成功した農民にも比肩するだろう。
「や、やったあ……」
脚の力が抜け、へなへなと崩れ落ちる。最後の力を振り絞るように水筒を傾けるも、二滴三滴、しずくが落ちてくるだけで、中身は空だった。
「そんな~……」
「ふふ、ご入り用ですか?」
フェアが微笑みと共に指を伸ばしてくる。無言で水筒を差し伸べると、彼の指先から水がほとばしり、じょろじょろと乾いた容器を清水で満たしていった。
(め、めがみだ~)
無論、彼は男性だが、その中性的な顔立ちとバレッタで留めたゆるりと結わえた長髪のせいで、今の彼女にはほんとうに女神のように見えた。
「ありがたやありがたや……」
水が溜まっていくのを見ていると、そんな言葉がつい零れ出た。
「おじいちゃんみたい」
フロイデがくぷぷと笑う橫ではヴァールが「まったく、だらしねえな」と苦笑しながら佇んでいた。
「休みながらで良いから聞け」
「ん?」
ハンカチで濡れた口下を拭いつつ、耳を傾ける。
「今まで山が街道を挟んでたが、見ての通りすぐそこで途切れてる。だからこれからは南東方向に進むわけだ。そうなりゃ、いつハイベックス共と遭遇してもおかしくない。気張ってけよ」
口々に了解の声をあげていくが、ヴァールは「特にリーベ」と名指ししてきた。
「いつでも戦えるよう、心の準備はしとけよ」
「わ、わかったよ……!」
応えつつも、スタッフを握り絞める。
(わたしが戦う。魔物と戦うんだ……!)
相手はハイベックス。ヘラクレーエよりも危険で、ラソラナと同等に獰猛な存在。そんな怪物とこれから対峙するのだと思うと、やはり恐ろしく思えてしまう。
(でも、そんな弱腰じゃダメなんだ。絶対に勝つ。勝って無事で帰る。そのつもりでいかないと……)
「…………」
スタッフを握る手に力が籠もった。
南東に進み始めて半時間ほどが過ぎた頃、一行はとある発見をした。
「見ろ」
リーダーの指示を受けて見た先には恐ろしいものがあった。
焦げ茶色で、嫌らしい光沢を帯びた楕円形の物体がコロコロと転がっている。それを見た途端、リーベは強烈な不快感を抱くと共に、吐き気を覚えた。
「うげっ……うんちだ」
彼女が思わず鼻を摘まむ一方、フェアは淡々と分析する。
「まだ乾ききっていないということは、新しいということです。つまり――」
「近くにいる」
フロイデの一言によって、彼女の汚物への忌避感は急速に薄らいでいった。替わって起こったのは、間近に迫った戦いへの緊張だった。
「…………」
「そうだ。いつでも戦えるよう、気張ってけよ」
ヴァールが弟子の肩を叩く代わりに視線を寄越した。
「う、うん……!」
リーベはスタッフを取り出すと両手で握り絞め、辺りを見回しながら歩みを再開した。
それから程なくして、木々のまばらに生えた広々とした場所に辿り着いた。樹冠に遮られることなく地に降り注ぐ陽光は草花を育て、それを遠巻きに下草たちが木の根元に群がっている。そんな植物たちの楽園に、大きな大きな異物があった。
地面から隆起した山は天に手を伸ばすかのような急峻で、もはや断崖絶壁と表現した方が適切だろうと思わせられる。
「はあ……おっきいねえ」
リーベが呑気に口を開いたとき、ヴァールは屈み、短く、低く、まるで音の拡散を嫌うかのような声を発した。
「待て」
「――っ⁉」
慌てて腰を落とし、前方を見る。
『ここから南東に向けて半日くらい歩いたところに山があってな、その麓にハイベックスの群れが屯しだしたんだ』
(村長さんが言っていたのはここのことか!)
今更そのことに気付いたリーベは頭の芯に冷たいものが迫るのを感じた。スタッフをギュッと握り絞め、奥歯を食い縛ることで恐怖を凌いでいると、フロイデが「上っ……!」と短く警告する。
それを受けて上を見やると、天頂に差し掛かっていた太陽が目を灼いた。
「う、まぶしっ!」
手庇を構えてようく目をこらして見る。逆光でよく見えないけれども、崖の上にぽつぽつと陰がある。
「アレが……」
「ええ。ハイベックスの群れです」
「ハイベックス……!」
その名を呟いた時、声が降ってきた。
「ヴェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!」
震えるような独特な響きには牛の鳴き声のような牧歌的な響きがあった。しかし今彼女らに向けて発せられたそれは友好の証などではなく、警告なのだ。もし1歩でも踏み込んだら、彼らはきっと顔を真っ赤にして突撃してくるだろう。
「ど、どうするの……?」
「戦うんだ」
「でも見えるだけでも3匹いるんだよ?」
(もしかしたら岩陰にウジャウジャ潜んでいるのかもしれない。いくらみんなが強いからと言っても多勢に無勢。数で圧倒されるのがオチだ)
怖々していると、フロイデが不意に呟く。
「戦うのはオス、だけ」
唐突に発せられたその言葉に処理が追いつかないでいると、フェアが補足する。
「ハイベックスの群れはオスがメスたちを護ることで成り立っています。そのオスの中でも役割が別れていて、強い個体が害敵と争い、残る個体がメスの護衛に当たるという具合に分担しているんです」
「じゃあわたしたちは強いやつと戦わなきゃならないんですね」
「ええ。しかし、この強い個体というのは群れのボスただ1頭を指します」
「要するに数はいても戦うのは1頭だけってことだ」
ヴァールが要約するのを耳にしてリーベはホッとした。
「よかった……数の暴力でこられちゃどうしようもなかったよ」
「ハイベックスは、特別」
「彼らが誇り高い魔物だと言われる所以ですね――ヴァール」
フェアが相棒に呼び掛ける。
受け手であるヴァールはその短い音の連なりの意図を読み取ったようで「ああ」と短く返す。それから弟子2人の目を見て、覚悟を問うかのように言う。
「リーベ、フロイデ。アイツはお前らが仕留めるんだ。いいな?」
「うん……!」
意気軒昂と頷く彼に対し、リーベは一拍の遅れを取った。
「…………」
(あれだけ特訓してフェアさんから太鼓判をもらったんだ。それになにより、わたしはお父さんの――【断罪】のエルガーの娘なんだから)
「う、うん……大丈夫、やれるよ!」
「何かあれば私たちがフォローしますので、どうぞ安心して戦ってください」
フェアの言葉に2人は頷き、目を合わせた。
「行くよ、リーベちゃん……!」
「はい!」
リュックを放り捨て、同時に踏み出した第1歩。
それに呼応し、崖上から声が降ってくる――
「あと5分……」
「――起きろ!」
「うおううおううおう……」
ゆさゆさと乱暴に体を揺さぶられ、リーベの意識が体に引き戻される。お陰で頭痛が痛い。
「うー……今何時?」
眠い目を擦りながらヴァールに問い掛けるも「知るか」とにべもなく言い捨てられる。
「それよか、さっさと支度しろ」
「したく……?」
ボーッとする頭を動かし、周囲を見回す。
明るみ始めた空の下、周囲は広がるのは平原――いや、高原だった。たき火は焦げた臭いと共に白い煙を一筋、立ち昇らせていて、その側ではフェアとフロイデが朝食を摂っていた。
「おはようございます。夕べはよく眠れたようですね」
フェアがくすりと笑う橫で、フロイデ声を潜めて笑っていた。
「くぷぷ……寝癖、すごい……!」
「寝癖?」
頭に手をやると、ピョンと跳ねた髪が指先に触れた。
「きゃあ! み、見ないでくださいっ!」
「もう見ちゃったよ……くぷぷ、花みたい……!」
花に喩えられてこれほど不名誉なことはあるだろうか? いやない。
リーベは慌てて寝癖を梳かしに掛かるが、今日に限ってうまく直せなかった。
「ああもうっ!」
まとまらない髪に苛立っていると、ヴァールの気怠い声が聞こえてくる。
「髪なんてどーでもいいからさっさと飯――」
「よくない!」
ピシャリと言いつけると彼は閉口し、溜め息をついた。
「はあ……もっと早く起こすんだったな」
そんな言葉を耳にしつつも、リーベは乙女の尊厳を護るべく、寝癖との格闘を続けるのだった。
野営地を後にして3時間ほどが経った。この長時間に及ぶ行軍にリーベの体は耐えかね、脚の痛みや発汗という形で悲鳴を発している。それは心にうるさく、体力に限らず気力をも削ぎ落としていった。
「ひい……うへえ……ち、ちょっと休ませて~」
フェアの手を借りながら歩いていた彼女は前方を歩くヴァールに呼び掛ける。
「お前がちんたらしてるせいで遅れたんだ。だから遅れた分は歩くぞ」
「そんな~……」
頬を汗か涙かわからない液体が伝う。その跡に残った水気は高まった体温によって直ぐさま蒸発させられる。お陰で僅かに体温が下がる。
ともあれリーベは体力の欠乏と暑さとの二重苦に苛まれ、さらに一時間ほどが過ぎた。
「休憩だ」
その一言に彼女がどれだけ歓喜したことか……それは大昔、魔法がない時代に雨乞いが成功した農民にも比肩するだろう。
「や、やったあ……」
脚の力が抜け、へなへなと崩れ落ちる。最後の力を振り絞るように水筒を傾けるも、二滴三滴、しずくが落ちてくるだけで、中身は空だった。
「そんな~……」
「ふふ、ご入り用ですか?」
フェアが微笑みと共に指を伸ばしてくる。無言で水筒を差し伸べると、彼の指先から水がほとばしり、じょろじょろと乾いた容器を清水で満たしていった。
(め、めがみだ~)
無論、彼は男性だが、その中性的な顔立ちとバレッタで留めたゆるりと結わえた長髪のせいで、今の彼女にはほんとうに女神のように見えた。
「ありがたやありがたや……」
水が溜まっていくのを見ていると、そんな言葉がつい零れ出た。
「おじいちゃんみたい」
フロイデがくぷぷと笑う橫ではヴァールが「まったく、だらしねえな」と苦笑しながら佇んでいた。
「休みながらで良いから聞け」
「ん?」
ハンカチで濡れた口下を拭いつつ、耳を傾ける。
「今まで山が街道を挟んでたが、見ての通りすぐそこで途切れてる。だからこれからは南東方向に進むわけだ。そうなりゃ、いつハイベックス共と遭遇してもおかしくない。気張ってけよ」
口々に了解の声をあげていくが、ヴァールは「特にリーベ」と名指ししてきた。
「いつでも戦えるよう、心の準備はしとけよ」
「わ、わかったよ……!」
応えつつも、スタッフを握り絞める。
(わたしが戦う。魔物と戦うんだ……!)
相手はハイベックス。ヘラクレーエよりも危険で、ラソラナと同等に獰猛な存在。そんな怪物とこれから対峙するのだと思うと、やはり恐ろしく思えてしまう。
(でも、そんな弱腰じゃダメなんだ。絶対に勝つ。勝って無事で帰る。そのつもりでいかないと……)
「…………」
スタッフを握る手に力が籠もった。
南東に進み始めて半時間ほどが過ぎた頃、一行はとある発見をした。
「見ろ」
リーダーの指示を受けて見た先には恐ろしいものがあった。
焦げ茶色で、嫌らしい光沢を帯びた楕円形の物体がコロコロと転がっている。それを見た途端、リーベは強烈な不快感を抱くと共に、吐き気を覚えた。
「うげっ……うんちだ」
彼女が思わず鼻を摘まむ一方、フェアは淡々と分析する。
「まだ乾ききっていないということは、新しいということです。つまり――」
「近くにいる」
フロイデの一言によって、彼女の汚物への忌避感は急速に薄らいでいった。替わって起こったのは、間近に迫った戦いへの緊張だった。
「…………」
「そうだ。いつでも戦えるよう、気張ってけよ」
ヴァールが弟子の肩を叩く代わりに視線を寄越した。
「う、うん……!」
リーベはスタッフを取り出すと両手で握り絞め、辺りを見回しながら歩みを再開した。
それから程なくして、木々のまばらに生えた広々とした場所に辿り着いた。樹冠に遮られることなく地に降り注ぐ陽光は草花を育て、それを遠巻きに下草たちが木の根元に群がっている。そんな植物たちの楽園に、大きな大きな異物があった。
地面から隆起した山は天に手を伸ばすかのような急峻で、もはや断崖絶壁と表現した方が適切だろうと思わせられる。
「はあ……おっきいねえ」
リーベが呑気に口を開いたとき、ヴァールは屈み、短く、低く、まるで音の拡散を嫌うかのような声を発した。
「待て」
「――っ⁉」
慌てて腰を落とし、前方を見る。
『ここから南東に向けて半日くらい歩いたところに山があってな、その麓にハイベックスの群れが屯しだしたんだ』
(村長さんが言っていたのはここのことか!)
今更そのことに気付いたリーベは頭の芯に冷たいものが迫るのを感じた。スタッフをギュッと握り絞め、奥歯を食い縛ることで恐怖を凌いでいると、フロイデが「上っ……!」と短く警告する。
それを受けて上を見やると、天頂に差し掛かっていた太陽が目を灼いた。
「う、まぶしっ!」
手庇を構えてようく目をこらして見る。逆光でよく見えないけれども、崖の上にぽつぽつと陰がある。
「アレが……」
「ええ。ハイベックスの群れです」
「ハイベックス……!」
その名を呟いた時、声が降ってきた。
「ヴェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!」
震えるような独特な響きには牛の鳴き声のような牧歌的な響きがあった。しかし今彼女らに向けて発せられたそれは友好の証などではなく、警告なのだ。もし1歩でも踏み込んだら、彼らはきっと顔を真っ赤にして突撃してくるだろう。
「ど、どうするの……?」
「戦うんだ」
「でも見えるだけでも3匹いるんだよ?」
(もしかしたら岩陰にウジャウジャ潜んでいるのかもしれない。いくらみんなが強いからと言っても多勢に無勢。数で圧倒されるのがオチだ)
怖々していると、フロイデが不意に呟く。
「戦うのはオス、だけ」
唐突に発せられたその言葉に処理が追いつかないでいると、フェアが補足する。
「ハイベックスの群れはオスがメスたちを護ることで成り立っています。そのオスの中でも役割が別れていて、強い個体が害敵と争い、残る個体がメスの護衛に当たるという具合に分担しているんです」
「じゃあわたしたちは強いやつと戦わなきゃならないんですね」
「ええ。しかし、この強い個体というのは群れのボスただ1頭を指します」
「要するに数はいても戦うのは1頭だけってことだ」
ヴァールが要約するのを耳にしてリーベはホッとした。
「よかった……数の暴力でこられちゃどうしようもなかったよ」
「ハイベックスは、特別」
「彼らが誇り高い魔物だと言われる所以ですね――ヴァール」
フェアが相棒に呼び掛ける。
受け手であるヴァールはその短い音の連なりの意図を読み取ったようで「ああ」と短く返す。それから弟子2人の目を見て、覚悟を問うかのように言う。
「リーベ、フロイデ。アイツはお前らが仕留めるんだ。いいな?」
「うん……!」
意気軒昂と頷く彼に対し、リーベは一拍の遅れを取った。
「…………」
(あれだけ特訓してフェアさんから太鼓判をもらったんだ。それになにより、わたしはお父さんの――【断罪】のエルガーの娘なんだから)
「う、うん……大丈夫、やれるよ!」
「何かあれば私たちがフォローしますので、どうぞ安心して戦ってください」
フェアの言葉に2人は頷き、目を合わせた。
「行くよ、リーベちゃん……!」
「はい!」
リュックを放り捨て、同時に踏み出した第1歩。
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