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第一章 劈頭編
8話目 機微に疎い男は許しを請う(三)
しおりを挟むそうして、夕暮れ時。久々に楽しい時間を過ごした見藤と霧子は事務所へ帰り着いていた。久保と東雲のお膳立てのおかげだ。
見藤は手に提げていた荷物をローテーブルへ置く。途中で立ち寄ったブティックの紙袋と、少し蕾をつけた青い竜胆の植木鉢だ。
霧子は植木鉢を大事そうに眺めた後、ソファーに腰を下ろした。彼女がソファーに座ったのを見届けると見藤は向かいのソファーに座ろうとした。しかし、こちらに座れと言わんばかりに、ソファーを叩く霧子。見藤が隣に腰を降ろすと、霧子は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、口を開いた。
「それで、今日は誰の提案? 東雲ちゃん?」
「……ごもっとも」
痛いところを突かれ、見藤は肯定するしかない。
霧子は結んでいた髪をおもむろに解く。長い脚を組み、そこへ頬杖を付いた。はらりと、霧子の肩から落ちる黒髪が、見藤の目に挑発的に映る。すると、霧子は少し拗ねたように口を尖らせた。
「あの子達、ほんとに可愛い所があるわよね。誰かさんと違って」
「……」
見藤は霧子のお小言を受け入れるしかない。それは霧子に懸想している見藤にとって至極当然のこと。――怪異によって引き起こされる事件・事故の解決を生業としながらも、怪異に懸想している男というのは、なんとも不思議なものだ。
見藤は視線を落とすと、ぽつりと言葉を溢した。
「仕事に逃げていると、痛いところを突かれた」
「そうね」
「少しばかり、見送りたい奴がいたもんでな……」
「そうなの……」
「その、……すまなかった」
その謝罪は、霧子と共に過ごす時間を取らなかったことへの謝罪なのか。霊障による怪我を負ったことで霧子に心配をかけたことへの謝罪なのか――、霧子には分かりかねる。ただ、見藤の謝罪が心からのものであることは声音や表情から真摯に伝わっている。
見藤が言う「見送りたい奴」というのは恐らく、消滅を目前にした怪異のことだろうと、霧子は理解していた。
消滅すると言っても人間のように死ぬ、その死を悼む者がいる、という概念に当てはめることは難しい。怪異はただ消えるだけだ。元々そこには何も存在していなかった様に、いつの間にか消える。それを「見送る」という言葉を選ぶ見藤に、霧子は少し胸が熱くなる。
俯き、黙ったままの見藤。流石の霧子も、なんとも可哀そうなことをしているように思えてきた。彼女は短い溜め息をついたかと思えば、突然に――。
「む」
「う、べっ……!?」
霧子は見藤の両頬を、白く綺麗な手で挟み込んだのだ。俯いていた見藤の顔を無理矢理、自身の方へ向けさせる。そのとき、見藤の呻き声が事務所に木霊した。
霧子はそのまま言葉を続ける。
「別に。その時が来るまでは、あんたの好きに生きればいいわ。でもね――――、あんたは私のものだって、少しは自覚しなさい」
霧子は見藤に自分以外の怪異や霊の痕跡が憑くことを極端に嫌う。――何も焦がれているのは見藤だけではない。怪異である霧子は、言葉では言い表せないほどの激情を持つことがある。
怪異と人間。時間の流れも、存在の定義すら異なる二人。それは恋人や夫婦と言った、人間同士の繋がりを示す言葉では到底言い表せないほどの――、傾恋の仲だった。
霧子の美麗な顔が近付くと、見藤は目を見開いた。夜を模したかのような花紺青の色をした瞳に、じっと見つめられる。その瞳はあまりにも綺麗で、見藤はしばらく動けなかった。はらり、と霧子の髪が顔に少しかかる。
霧子は表情一つ変えず、見藤を見つめている。彼女の意思の強さや輝きは、畏敬の念を抱くに相応しい存在なのだと、見藤は改めて思う。
それとは反対に、霧子の瞳に映る自分の姿は、人であるが故の汚さを持っていると自覚する。人の汚さを持っていたとしても、その存在に傾倒している自分が、この存在に触れてもよいのか――。見藤は迷い、目を伏せた。
すると、またもや霧子に無理矢理、視線を戻される。それは彼女に触れることを許されたような気がして――。
見藤は頬を包む霧子の手に、骨張った手を添えた。霧子の手を取り、いつかと同じように相手に許しを請う意味を持つ口付けを送る。
そうして、より二人の距離は縮まり――。見藤の唇は、そっと霧子の頬を伝う髪の毛へ触れた。
「~~~~っ!! あんたの、そういう所が嫌いなのよ!!!!」
「はは、今はこれで勘弁してくれ」
見藤の唇が髪の毛に触れた、瞬間。霧子は口付けをされると期待していた自分が恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして怒り出したのだった。
彼女の髪へ唇を寄せたのも、不器用な見藤の精一杯の行動だった。だが、霧子からすればやり場のない恥ずかしさを怒りに昇華させるしかない。ただ、その怒りはあの時のような怒りではない、とても可愛らしいものだった。
東雲に「女心を分かっていない!」と怒られそうだが、今はこれでよしとしてもらおう、と見藤は困ったように眉を下げたのだった。
霧子は口を尖らせ、拗ねたように声を上げた。
「もう!」
やり場のない恥ずかしさから、見藤の頭を些か乱暴に撫でまわす霧子。見藤からは笑みが溢れていた。
(明日からは晴れそうだな……)
二人の邪魔をしないように、壁際の置物と化していた猫宮はゲッフゥ、と小さめの曖気をしたのだった。
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