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第一章 劈頭編
8話目 機微に疎い男は許しを請う(二)
しおりを挟む見藤は頬杖を付きながら、ぽつりと言葉を溢した。
「霧子さんの機嫌が直らん……」
そう、あれから数日経っても霧子の機嫌は直らなかった。見藤自身も廃旅館へ再調査に赴いたり、調査報告をしたり何かと多忙だったため、霧子と話をできずにいた。
「そして相変わらず、天気が悪い……」
「まるで、姐さんの女心のようだなァ。女心は秋の空って言うだろ?」
今は夏の空模様のことを言っているんだが、と思ったが黙っておこうと見藤は口を閉ざす。
ふと、事務所の窓の外を見る。今日も土砂降りだ。ここ数日、台風の影響や豪雨によって天気は悪くなる一方だ。猫宮は湿気からか、よく顔を洗っている。洗いすぎて顔周りの毛並みがぼさぼさになっていた。
猫宮の言う通り、その悪天候はまるで、霧子の機嫌を表しているかのようだ。こういう時、何をどうすれば良いのか皆目思いつかないのが見藤という男なのだ。実に不器用である。
「見藤さーん、外はすごい雨ですよー!」
「お邪魔しまーす」
天気とは裏腹に陽気な二人組の声が事務所内に響く。久保と東雲だ。よほど激しい雨だったのだろう、二人の肩は少し濡れていて髪の毛にも雫が張り付いている。
それを見ると見藤は立ち上がり、戸棚に用意していた来客用のタオルを二人に手渡した。
「これで拭いておけ、風邪ひくぞ」
東雲は見藤から手渡されたタオルをしばらく見つめると、なんとも辛辣な一言を発した。
「こういう気遣いを、霧子さんにすべきじゃないですか?」
「ぐ」
東雲の鋭い指摘に心を抉られる見藤。自戒の念で眉間に皺が寄っている。
久保は最早何も言うまいと、せっせと雨に濡れた所を拭いていた。―― 見藤と霧子。あまりに不器用すぎるこの二人の関係性に、流石の若い二人も気付いていた。
「デートのひとつでも誘って、霧子さんの好きな物を一緒に食べて、一緒に買い物したり、とにかく一緒に過ごすんですよ! 見藤さん、仕事に逃げてますよね?」
「耳が痛い」
――そう、耳が痛い話なのである。ここに至るまでに何度か機会はあったのかもしれない。
霧子は何度か見藤の様子を気にしてか、事務所へ訪れていたことを東雲は知っている。しかし、二人は何か会話をする訳でもなく、ただ一日を終えるだけだったのだ。
そして見藤自身も、彼女を気にする素振りを見せていたが、目の前の仕事から手を放すことはなかったのだ。
「いいですか、見藤さん。デートですよ? デート。出かけたついでに怪異お悩み相談を片づけてしまおうなんて、絶対に思わないことです」
「………………」
東雲のアドバイスは適格だった。無言の見藤に「この人、嘘やろ……」と東雲が悪態をついたのはなんとも珍しい光景であった。
この仕事を始めて長い見藤に、デートなんぞ縁もなかったのだ。心霊や怪異といった閉ざされた社会に属してきた見藤と、青春を謳歌してきたであろう若い二人に、この手の経験は最早年功序列など存在しないのだ。
それから長かった。まずデートとは何たるか東雲アドバイザーから指導を受け、灰になりかけた見藤を久保がたたき起こし、指導が続行される。見藤からすれば地獄のような時間であった。
そうして、後日。
「出かけるから、この日……。午後から事務所は休みで頼む……」
「「やっとですか」」
「……君ら、俺に遠慮なくなってきてないか?」
「「気のせいですね」」
しらばっくれる久保と東雲に、呆れつつも内心感謝する見藤だった。
* * *
「で、どうしてこうなった」
「しっ、気づかれたら面倒や!」
久保と東雲は、待ち合わせをしている見藤を尾行していた。そもそもなぜ東雲が、見藤が霧子と待ち合わせをしている場所を知っているかと言うと――。「秘密」と、久保からすれば恐ろしい返事が返ってきた。
久保と東雲は少し離れた場所で、同じく待ち合わせをしている男女を装っていた。彼らは普段の学生らしい服装から打って変わり、少し大人びた服装だ。
見藤は少しゆとりのあるブルーグレーのクルーネックTシャツにスラックス、スニーカーを纏い、腕には時計。
なんとも普段着なのだが、体格のよい見藤が着ると様になるのは解せないらしく、東雲は小さく、減点だけどいい、と呟いていた。最早恒例である。
ただ、この一件。わざわざ敵に塩を送るようなことをしている東雲に、久保は疑問を抱いていた。
霧子と東雲、二人とも同性故の安心感なのか仲は良いが、見藤のことに関しては恋敵とも言えるはずなのだが。
「あ! 霧子さん来た!」
「ちょ、騒がない!」
久保の思考を止めたのは、興奮して思わず大きな声を上げた東雲に他ならない。
遠くからでも分かる、すらりとした長身を生かした身のこなしに思わず溜め息が出る。夏だが過度な露出は避け、パンツスタイルだ。ブラウスの爽やかな青に映えるような、白いパンツスタイルはなんとも上品な大人の装いで、長い髪は後ろでヘリボーンに編み込まれている。そして、顔に直接日差しが当たらないよう鍔の広い帽子を被っていた。一見すれば女優さながらである。
そんな霧子に気付いたのか、見藤は少しはにかんで肩をすくませる。
二人がどんな会話をしているのかは不明だが、少なくとも険悪な雰囲気ではないようで久保と東雲は安堵する。
「あ、移動する!」
「え、そこまで追いかけるの!?」
移動を始めた二人を追うべく、久保と東雲もその場を後にした。
それから二人は、ごく一般的な観光名所を巡っていた。その地に住んでいると意外と行かないのが観光スポットである。それはどこも共通認識であるらしい。
時折、楽しそうに見藤へ微笑む霧子にこちらも思わず笑顔になる。客観的に見れば久保と東雲は不審者であるがお構いなしだ。
昼もいい時間に差し掛かると見藤の雰囲気には似合わない、なんとも洒落た店へと入って行った。女性客が多く、どうにも有名なスイーツ店のようだ。
「頑張ってはるやん、見藤さん」
「誰目線なの、それ」
「ええから!」
彼らも店内に入ろうとしたが店先のメニュー表を見て、やめた。学生にとって無理をしなければ届かないお値段が表示されていた。
「流石、余裕のある大人やわ……」
「こればかりはね、」
そそくさと店から離れ、やや斜め前にあった比較的距離の近いカフェで時間を潰すことにした。そこで運が良いのか、窓際に座る二人を眺めることができた。
そこはやはりスイーツ店のようで霧子の目の前に、目で見るにも綺麗な装飾が施されたタルトのピースが複数個並んでいる。上品な所作ではあるが、食欲が隠し切れず美味しそうに頬張る霧子。その様子を、目を細めて眺める見藤がいた。その表情は今まで見た中で、最も優し気だった。
(あんな顔するんやな……)
少しばかり、ちくりとした物が東雲を刺した。彼女は自分らしくない、そう思い首を振った。
視えたくないものが視え、俯きがちだった東雲を救ったのは紛れもなく見藤だ。その人の幸せを願いつつも、自分の願いを叶えるため努力するのが東雲という少女だった。――都会の大学進学をきっかけに、自分を変えようと外見を変え、言葉を直した。だが、それも最近不要だと感じている、こうして自分が自分らしく在れる場所があるのだ。
それから二人はしばらく会話を楽しんでいる様子だった。その様子に満足したのか、久保と東雲は帰ろうか、と声を掛け合い、席を立った。
夕暮れが近づき、最寄りの駅へ向かう途中のこと。久保は疑問に思っていたことを思い出し、東雲に尋ねる。すると意外な答えが返って来た。
「別にうちは急いで、見藤さんとどうこうなりたい訳じゃない。そら、結果的にお婿に来てくれるなら嬉しいけどな。でも……今のところ、うちは人やから許されてるんやと思う。人の寿命は短いからかな? ……やっぱり、霧子さんには敵わんなぁ」
「え、どういう意味?」
「だって、霧子さん――――、怪異の存在やろう?妖怪とでも言うんかな?」
久保は衝撃を受ける。東雲はいつから気付いていたのだろう。そういえば、猫宮も言っていた。人の暮らしに紛れて生活している怪異もいる、と。
確かに思い返してみれば、見藤の方が年上かのように見受けられるが霧子に対して敬称をつけ、敬意を払っている。彼女が事務所を訪ねて来るときは、いつの間にかそこに居るのだ。言われてみれば、思い当たる節が多い。
「まぁ、おじいちゃんから聞いた話やけどなぁ。人に友好的な怪異ほど人と大差なくなるいうて。よく言うやろう、子どもの頃一緒に遊んでた子が、実は人に化けてた神様でした、とか」
「それは君の家だけだろ……。もう」
「まぁ、それを抜きにしてもあんな綺麗なお姉さんに敵う訳ないやろ。理想高すぎるわ、見藤さん。ま、諦めるつもりもないけど」
そう、あっけらかんと話す東雲の強さは一体どこから来るのだろう、と久保は目を細める。
そうして二人は駅にたどり着き、それぞれ帰路へついた。
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