禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第二章 怪異変異編

9話目 猫宮、身の証しを立てる

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 まだまだ酷暑が続く。そんな夏の暑さを少しでも和らげようと、人々の娯楽は夏の風物詩、怪談話へと関心が強まっていく。
 その結果、強まる認知によって強力になった怪異、または覇権を取り戻そうとする妖怪の類が起こすいざこざ。その実地調査、問題解決に見藤は忙殺されることとなっていた。

 疲労からくる眠気と共に、見藤の脳裏には容赦なく大量の依頼を押し付けてくるキヨの含み笑いが思い出される。一時いっとき、綺麗にした身なりもすっかり、冴えない中年に戻ってしまっていた。

「流石に、寝る……」

 そう小さく呟いた見藤がソファーに倒れ込んだのは、何時間前だったのか。気が付けば、朝を迎えていた。


 夏の朝日は悉く眩しい。事務所の窓から差し込む直射日光。その光を目にした見藤は思わず、目を細める。起き上がれば、ぱさりと落ちたブランケットが目に入る。
 昨晩、霧子がこのブランケットをかけてくれたのだろうか、そうだと思えば見藤の煩雑な心は少しだけ和らいだ。

 すると、ピンポーン、と事務所のインターホンが響いた。寝起きの頭にはうるさいことこの上ない。久保や東雲であればインターホンをわざわざ押すことはしないだろう。
―― 見藤は、居留守を決め込んだ。

 ピンポ――ン、ピンポ――ン、ピンポ――ン、ピンポ――ン……。

 流石に、怒りが込み上げてきた。文句の一つでも言ってやらねば気が済まない、と見藤は腹立たしさを隠すつもりもなく、舌打ちをする。
 この手の訪問客は居留守を決め込むのがよいのだが、疲労の蓄積と寝不足だった彼は冷静な判断ができなかったようだ。
 
―― ガチャ、と少し扉を開ける。
 目の下に濃い隈をたたえ睨みつける体格のよい男が、扉の隙間から覗くという、なんともホラー的構図となってしまった。

(こいつ……)

 見藤は心の内に悪態をついた。
 彼が訪問客の姿を目視するより前に、その人物は扉を閉められないように足を挟んできたのだ。そして、彼の目線の下には扉には閉められまいと力が籠った手が置かれている。そんな状況に溜め息をつきながら、目の前の訪問客に身元を尋ねる。

「どちらさん?」
「週刊誌の者ですが!!」
「購読は間に合っておりますので」

 なんとも、はつらつとした声が響く。声の主は女性のようだ。
 見藤が断りを入れ、扉を閉めようとすると、さらに足はこちらへ食い込み、扉に添えられた手には力が籠った。彼が遠慮がちに扉を引こうにも、動かない。流石に扉を開けたことを後悔した。

「危ないですよ」
「いいえ、大丈夫です!!」
(何がだ……)

 この会話が噛み合わない感覚は、見藤に東雲を思い出させる。―― 嫌な予感しかしない。
 だが流石に、相手が女性と分かれば遠慮がちにならざるを得ない、無理に扉を閉めてしまうと怪我をさせてしまうだろう。適当に言い訳をして帰ってもらおう、そう考えた見藤は、ゆっくり扉を開けた。

 そして、念押しするように断りを入れる。

「購読は結構ですので……」
「いいえ、取材に参りました! わたくし、こういう者です」

 完全に扉を開けると、見藤の目前に現れたのは小柄な女性だった。
 彼女は仕事着であろうか、Tシャツに軽いジャケット、ベージュのスラックスを身に纏っている。なにやら大きめの鞄を肩に掛け、さらに首からカメラを提げている。取材とはどうやら本当のようだ。
 そして、最後に顔にはお洒落な眼鏡が掛けられていて、目元を際立たせるような泣き黒子があった。

 取材に訪れた、そう言って見藤に手渡されたのは名刺だった。出版社の名前と、恐らく担当している週刊誌の名前、そして――。

「心霊特集……、」
「を、担当しております。檜山ひやまと申します」
「はぁ……?」
「あ、怪しい者ではありませんよ!?」
「いや、扉に足を挟んで入れてくる時点で怪しい人でしょ……」
「それはすみません……」

 見藤は疲労と眠気も相まって、思わず悪態をついてしまった。
 この檜山という、小柄な女性からすれば見藤は大柄な男に見えるだろう。だが、臆することなく食い気味に会話を進めている。彼女の性格は非常にさっぱりしているようだ。
 そして、見藤は心霊特集という言葉に眉を寄せたのだった。

 見藤が切り盛りする、この事務所は日常生活を送っている ―― 言わば、一般人には縁のない場所だ。
 見藤の元にはキヨの斡旋による怪異や妖怪によって起こされた事件・事故の調査、解決依頼。はたまたまじないを得意とする彼の助力を求めて訪ねて来る怪異や妖怪たち。そういった奇々怪々な客を相手にしているのだ。

 そして、心霊特集という死霊の類は見藤の専門ではないのだが ――。ただ、稀に風の噂を聞きつけ、こうして見藤の元にやってくる客がいない訳ではない。
―― いない訳ではないが、この檜山という記者。見藤の直感が告げる、どうにも面倒くさそうな気配を感じると。
 見藤はこともなげな様子を装い、檜山に尋ねる。

この事務所うちに何か関係ありますか?」
「少しばかり、噂を耳にしまして。こちらの事務所……心霊現象やのろいを解決している、奇々怪々な事務所だと……!」
「違います」
「ちょっと、ちょっと待って! ほんとに、締め切りがやばいの!」
「こちらとしてはあずかり知らぬことですので……」
「ちょ、お話だけでも……!!」

 否定され、慌てた檜山の力が弱まったタイミングで見藤は扉を閉めようと試みる。しかし、いとも簡単に阻まれてしまった。
 そして彼女は無理やり、扉の隙間から数枚の書類をねじ込んできた。

「これ!! 最近、遺体安置所で起きている不可解な事件です! ここ数週間で頻発しています。安置されていたご遺体が損壊させられると言ったものです! それも、眼球が欠損していたり、ご遺体の一部が断裂していたり。周囲には鼠なんかの動物の痕跡も見られず……。業者は関与を否認していますが、ご遺族から賠償金を求めて訴訟を起こされています! その場所には怨念が漂っていて恨みを晴らす為、見せしめにご遺体を傷つけているという噂も……! なにか、ご存知では……!?」

 檜山の口からとんでもない言葉が飛び出した。
 些か早口でまくし立てあげられ、事の詳細までは疲労が溜まった見藤の耳では聞き取れなかったのだが ――。

「……、知りませんね。それにうちは事務仕事の下請けなもので」

 見藤は何か思うことがあったのだろうが、少し間を置いてそう返答した。一方で彼の言葉を聞いて、檜山は何やら頭を抱えている。
 そんな彼女の姿に数時間前、仕事に忙殺されていた自分を思い出す。見藤は檜山に少しの同情と憐れみを抱いたのだが、すぐさまあることを思いつく。

「そんなぁ……ノルマもやばい……」

 頭を抱えている檜山が呻くように小さく呟いた。その声を聞いた見藤はポケットから入れっぱなしにしていたペンを取り出し、事務所内からメモ用紙を持って来た。そうして、扉にメモ用紙を押し当てて文字を書き始める。

「……まぁ、俺自身もなら風の噂で聞いたことがありますよ。ここへ行ってみて下さい、煙谷って奴がやっている事務所」
「え、え!? ……ありがとうございます!!」

―― そう、煙谷に押し付けてしまえばいいのだ。
 元々、死霊の類は煙谷の専門だ。そんな見藤の思惑など知る由もない檜山は、助け舟を得たと言わんばかりに何度も礼をしている。そうして、見藤は書いた住所のメモを檜山に渡した。

 この際、何故その事務所を知っているのだとか、何故事務所の主の名前を知っているのだと追及される可能性があったことなど、見藤の頭にはなかったようである。どうやら、彼の疲労は相当に溜まっているようだ。
 
 何度も礼をする檜山を送り出した見藤は事務所内へと戻り、ねじ込まれ床に散らばった書類を拾い上げる。そこには、よくまとめられた資料が記載されていた。ここ数週間で起きた事件と言っていた割に、よく調べ上げられている。
―― 事件のあった遺体安置の場所の数と位置関係、遺体の数、欠損部位、その他関連性。

(実は優秀な記者なんじゃないか……?)

 事象内容を聞く限り、見藤が思い当たるのは妖怪の存在。
 因みに広義で使用する際、『怪異』と呼ぶ存在の中に妖怪の類も含まれているのだが、見藤からすれば、『怪異』と『妖怪』は少し異なる定義付けをしている。

 怪異は認知によって存在を得るが、妖怪はもともと種族として存在していたとする、生物学的要素が強い存在だということだ。よって、妖怪は同じ種族同士が番えば子が生まれる。

 しかし、怪異はその必要性がない。怪異は認知によって生まれ、消え去る存在であるからだ。それにより個体に性差がない怪異もいれば、認知によって女、男と性別を持つ個体もいる。そもそも、異形の姿をした個体も存在するほど、その姿かたちは様々だ。

 認知によってその存在が失われる怪異と違い、妖怪は絶滅危惧種のように数を減らしたために現世から、―― 常世とこよに住処を移すことはあっても、認知の影響を受けて消滅することはない。決定的な違いはだ。
 ただ少なからず信仰という形で影響を受け、怪異や妖怪が超常現象的な力を得る場合もあるそうだ。しかし、それも近年では怪異と妖怪の境界が曖昧になってきているようにも見受けられる。

 見藤に取り憑いている霧子だが、彼女は「自らは怪異である」と自認していると言う。昔、聞いた話によれば、彼女を祀っている神社が全国に点在しているというのだからその存在は並みの怪異と比べると、高位のものと分かるだろう。

 それともう一つ。霧子本人から聞いた話ではないものの、見藤が調べてみると、彼女は文献によれば『妖怪』であると、記述されているものもがあったのだ。
―― 要は、分類している人間の都合に過ぎないのかもしれないのだが。

 そんな思考も程々に、見藤は拾い上げた書類から視線を外した。
―― 仕事が増えそうな、嫌な予感がする。考えることが増えてしまったが、とりあえずは風呂と休息だと、思考を切り替える。

「……勘弁してくれ」

 見藤はそう呟き、資料をローテーブルへと投げた。
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