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第三章 夢の深淵編
25話目 藪の中の荊の生さぬ仲(二)
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* * *
二人を見送った後、慌ただしく事務所内を片付けていた見藤。彼の耳に響く、インターホンの音。どうやら予定していた通りの時間に、依頼人がやってきたようだ。
見藤が扉を開くと、事務所の前に佇んでいたのは四十代くらいの男だった。仕事の合間をぬって、この事務所を訪れたのかスーツ姿だ。その風貌はごく一般的だが、身につけている物の主張が強い。
男の腕時計は煌びやかに光を反射し、ネクタイピンやカフスもそれに続いている。そして、靴や鞄に使われている皮は良いものだと、被服に疎い見藤でも見て分かる。
使い古されくたびれたスーツ姿の見藤と上等なスーツを身につけている依頼人。なんとも可笑しな対比だ。
見藤は思わず眉を顰めた。自己顕示欲が強いと思われるようなこの手のタイプは面倒だ、と経験が告げている。
その一方で、相手方も見藤のような体格に恵まれた人間が出迎えると思っていなかったのか。一瞬たじろぐような様子を見せた。
気にする素振りを見せず、見藤は差し障りのない挨拶を交わす。
「お待ちしておりました、どうぞ」
「あぁ、失礼します」
見藤が事務所へ招き入れると、依頼人の男は軽く会釈をした。そうして、応接室の役割を果たしている、ローテーブルとソファーが置かれている場所まで案内する。
依頼人がソファーに腰かけるのを見届けると、見藤も後に続いた。軽く互いに自己紹介をすると、依頼人の名は斎藤と言った。
斎藤は言いよどむ素振りを見せていたが、意を決したように口を開く。
「その、依頼というのはですね……」
彼の表情は硬く、何やら後ろめたい事でもあるのだろうか。しきりに自身の手を触っている。
「娘に、関する事なんです」
「娘さん……?」
「どこから話せばいいのか……」
斎藤はそう言うと、自身の家族について話し始めた――。
彼には気立てのよい妻と娘がいたのだという。しかし、一年前に妻は忽然と姿を消してしまった。一言、書置きを残して。
痴情のもつれなどは考えにくく、警察にも届けたがまともに取り合ってもらえなかったという。一人姿を消した妻には、連れ子がいた。
それが、今回の相談事にも挙がった娘だ。血の繋がらない娘、そう何度も口にする斎藤に見藤の眉間の皺は徐々に深くなっていく――。
娘はよく出来た子だった。口数が少なく、何を考えているのか分からない事を除けば、学校の成績は非常に優秀、スポーツもできた。
大人から見た、まさに「良い子」の手本だ。妻が姿を消してからは、子どもながら気丈に振る舞っているようだ。
しかし、娘の言動に悩んだ末。この事務所をやっとの思いで見つけたのだと、斎藤は話した。
「時折、全てを見透かすような目で私を見るのです……、それがなんとも気味が悪くて。それに、こちらが思っていることを言っていないはずなのに、それを口にする事が増えて……。どこで何をして、何を考えていたのかまで筒抜けで。思い返してみると、妻もそのような振る舞いが多かったと改めて感じまして。妻は自分の良き理解者なので、考えている事も言わずとも伝わっているのだと、そう思っていたんですが……」
そう話す斎藤は目線を下に向けたまま、視線はせわしなく動き回っている。斎藤が辿り着いた一つの可能性、その心理状態が言動に顕著に表れている。そうして、意を決したように口を開く。
「時折、あの子は人ではないナニか、なのではと……。感じてしまって。あの子は、血の繋がらない子なんです。だから……」
その先の言葉を言いよどむ斎藤に、ついに見藤の堪忍袋の緒が切れた。
「何だ? はっきり言えばどうだ? その婚姻関係は社会的信頼を他者から得るための手段だったと。その女性が姿を消したとなれば、残された娘の面倒をみるのは願い下げだとでも言いたいのか?」
見藤の鋭い視線が斎藤を射抜く。語気の端々に、義憤を滲ませていた。
見藤の指摘は図星なのだろう。斎藤は慌てて、否定の言葉を口にするが――。
「そ、そんなつもりはっ……!!」
「なら、どういうつもりでこの事務所に来た? ここがどういう依頼を引き受けているのか、知っているだろう。娘さんが人でないと分かれば、あんたはどうするつもりだ? あんたは彼女から、これまでに何か損害を被ったのか?」
「………………」
人ではない――、その言葉を聞いた斎藤は黙ってしまった。
そして、どうするのかと問われた斎藤の頭に思い浮かんだ言葉は、人として、仮にも親として最低な言葉だったのだろう。彼の表情がそれを物語っている。
故に、口に出さなかった事が唯一褒められた事だろうか。口にしてしまえば待っているのは強烈な軽蔑の眼差しだ。加えて、先程から聞くに堪えない斎藤の言葉に我慢できなくなった見藤が怒り、非議しないとも限らない。
さらに口調が厳しくなる見藤。
「一緒になる時、連れ子だとしても……。あんたは、その子の親になったんだろうが。責任から逃れるには、都合が良すぎるだろう。それが人であれ、そうでないにしろ、その責任は負わねばならない」
見藤は大きく息を吐くと、たった一言。
「お帰り下さい」
「ま、待って下さい……!」
斎藤は慌てて見藤を説得しようと言葉を並べる。だが、そのどれもが見藤にとっては中身のない、薄っぺらな言葉の羅列でしかなかった。
仮に見藤の言葉通り、斎藤の継子が人ならざる存在であったとして――。彼が被害を受けた訳ではなさそうだ。
それ以前に。斎藤の身勝手な言動に憤りを抱いた見藤には、この依頼を請け負うつもりが全くない。
見藤の何ひとつ変わらない表情と態度に、斎藤は諦めがついたのか項垂れた。しかし、顔を上げるとその様子は一変し、逆上したかのような雰囲気を纏っていた。おおよそ、それがこの男の本性なのだろう。
ところが、見藤にひとつ睨まれると、その怒りもなりを潜めてしまった。なんとも度量の狭い男だ。
そうして、見藤は事務所を後にする斎藤を見送った――、と言っても半ば追い出すような形だった。項垂れる男の背を見送った後。見藤は事務机に向かいながら椅子に深く腰掛けた。
「はぁ……」
そして、大きな溜め息をついたのだった。そんな見藤の頭を巡るのは、先程の斎藤の話だった。
二人を見送った後、慌ただしく事務所内を片付けていた見藤。彼の耳に響く、インターホンの音。どうやら予定していた通りの時間に、依頼人がやってきたようだ。
見藤が扉を開くと、事務所の前に佇んでいたのは四十代くらいの男だった。仕事の合間をぬって、この事務所を訪れたのかスーツ姿だ。その風貌はごく一般的だが、身につけている物の主張が強い。
男の腕時計は煌びやかに光を反射し、ネクタイピンやカフスもそれに続いている。そして、靴や鞄に使われている皮は良いものだと、被服に疎い見藤でも見て分かる。
使い古されくたびれたスーツ姿の見藤と上等なスーツを身につけている依頼人。なんとも可笑しな対比だ。
見藤は思わず眉を顰めた。自己顕示欲が強いと思われるようなこの手のタイプは面倒だ、と経験が告げている。
その一方で、相手方も見藤のような体格に恵まれた人間が出迎えると思っていなかったのか。一瞬たじろぐような様子を見せた。
気にする素振りを見せず、見藤は差し障りのない挨拶を交わす。
「お待ちしておりました、どうぞ」
「あぁ、失礼します」
見藤が事務所へ招き入れると、依頼人の男は軽く会釈をした。そうして、応接室の役割を果たしている、ローテーブルとソファーが置かれている場所まで案内する。
依頼人がソファーに腰かけるのを見届けると、見藤も後に続いた。軽く互いに自己紹介をすると、依頼人の名は斎藤と言った。
斎藤は言いよどむ素振りを見せていたが、意を決したように口を開く。
「その、依頼というのはですね……」
彼の表情は硬く、何やら後ろめたい事でもあるのだろうか。しきりに自身の手を触っている。
「娘に、関する事なんです」
「娘さん……?」
「どこから話せばいいのか……」
斎藤はそう言うと、自身の家族について話し始めた――。
彼には気立てのよい妻と娘がいたのだという。しかし、一年前に妻は忽然と姿を消してしまった。一言、書置きを残して。
痴情のもつれなどは考えにくく、警察にも届けたがまともに取り合ってもらえなかったという。一人姿を消した妻には、連れ子がいた。
それが、今回の相談事にも挙がった娘だ。血の繋がらない娘、そう何度も口にする斎藤に見藤の眉間の皺は徐々に深くなっていく――。
娘はよく出来た子だった。口数が少なく、何を考えているのか分からない事を除けば、学校の成績は非常に優秀、スポーツもできた。
大人から見た、まさに「良い子」の手本だ。妻が姿を消してからは、子どもながら気丈に振る舞っているようだ。
しかし、娘の言動に悩んだ末。この事務所をやっとの思いで見つけたのだと、斎藤は話した。
「時折、全てを見透かすような目で私を見るのです……、それがなんとも気味が悪くて。それに、こちらが思っていることを言っていないはずなのに、それを口にする事が増えて……。どこで何をして、何を考えていたのかまで筒抜けで。思い返してみると、妻もそのような振る舞いが多かったと改めて感じまして。妻は自分の良き理解者なので、考えている事も言わずとも伝わっているのだと、そう思っていたんですが……」
そう話す斎藤は目線を下に向けたまま、視線はせわしなく動き回っている。斎藤が辿り着いた一つの可能性、その心理状態が言動に顕著に表れている。そうして、意を決したように口を開く。
「時折、あの子は人ではないナニか、なのではと……。感じてしまって。あの子は、血の繋がらない子なんです。だから……」
その先の言葉を言いよどむ斎藤に、ついに見藤の堪忍袋の緒が切れた。
「何だ? はっきり言えばどうだ? その婚姻関係は社会的信頼を他者から得るための手段だったと。その女性が姿を消したとなれば、残された娘の面倒をみるのは願い下げだとでも言いたいのか?」
見藤の鋭い視線が斎藤を射抜く。語気の端々に、義憤を滲ませていた。
見藤の指摘は図星なのだろう。斎藤は慌てて、否定の言葉を口にするが――。
「そ、そんなつもりはっ……!!」
「なら、どういうつもりでこの事務所に来た? ここがどういう依頼を引き受けているのか、知っているだろう。娘さんが人でないと分かれば、あんたはどうするつもりだ? あんたは彼女から、これまでに何か損害を被ったのか?」
「………………」
人ではない――、その言葉を聞いた斎藤は黙ってしまった。
そして、どうするのかと問われた斎藤の頭に思い浮かんだ言葉は、人として、仮にも親として最低な言葉だったのだろう。彼の表情がそれを物語っている。
故に、口に出さなかった事が唯一褒められた事だろうか。口にしてしまえば待っているのは強烈な軽蔑の眼差しだ。加えて、先程から聞くに堪えない斎藤の言葉に我慢できなくなった見藤が怒り、非議しないとも限らない。
さらに口調が厳しくなる見藤。
「一緒になる時、連れ子だとしても……。あんたは、その子の親になったんだろうが。責任から逃れるには、都合が良すぎるだろう。それが人であれ、そうでないにしろ、その責任は負わねばならない」
見藤は大きく息を吐くと、たった一言。
「お帰り下さい」
「ま、待って下さい……!」
斎藤は慌てて見藤を説得しようと言葉を並べる。だが、そのどれもが見藤にとっては中身のない、薄っぺらな言葉の羅列でしかなかった。
仮に見藤の言葉通り、斎藤の継子が人ならざる存在であったとして――。彼が被害を受けた訳ではなさそうだ。
それ以前に。斎藤の身勝手な言動に憤りを抱いた見藤には、この依頼を請け負うつもりが全くない。
見藤の何ひとつ変わらない表情と態度に、斎藤は諦めがついたのか項垂れた。しかし、顔を上げるとその様子は一変し、逆上したかのような雰囲気を纏っていた。おおよそ、それがこの男の本性なのだろう。
ところが、見藤にひとつ睨まれると、その怒りもなりを潜めてしまった。なんとも度量の狭い男だ。
そうして、見藤は事務所を後にする斎藤を見送った――、と言っても半ば追い出すような形だった。項垂れる男の背を見送った後。見藤は事務机に向かいながら椅子に深く腰掛けた。
「はぁ……」
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