禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第三章 夢の深淵編

25話目 藪の中の荊の生さぬ仲(三)

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 見藤の思考は巡る――。

 人間社会に紛れて暮らす怪異――、もとい妖怪は少なからず存在している。
 相手に己の存在を告げるのか、それとも隠し通すのか。そうした中で、ごく稀に人と想いを通じ合わせることもあるだろう。

 人と時間の流れが異なる彼らは不変的な感情を抱くことが多い。しかし、人の心は些細な事をきっかけに移り変わる。
 いくら互いに想いあっていたとしても、人の心変わりは時の流れによって必ずと言っていいほど、起こり得る。

 特に、婚姻関係と言った人の法によって縛られた関係性となると、それは顕著だろう。周囲から向けられる好奇的な目や、無神経な言葉は数知れない。

 「子どもはいるのか」「子どもはまだなのか」「孫の顔を見たい」そう言った言葉は当事者にとって神経をすり減らすには十分だ。――人と怪異、いくら愛し合っていたとしてもその間に子は成せない。種が異なるからだ。
 奇跡でも起きない限り、そのような事は起こり得ない。そして、人が語る奇跡とは、人にとって都合のよい解釈だ。


 今回の依頼人も、何も初めからそうではなかったはずだ。初めは互いを想い合っていたに違いない。いくら相手の連れ子だとしても、幼い子を庇護するには相当な覚悟と決意を持って一緒になる必要がある。

 いくら怪異や妖怪と知らぬとは言え、人同士であってもなかなか決断できないことだ。それを決断したのだから、当時はよい関係性を築いていたと想像できる。

 しかし、人間社会は無情だ。中年以降ともなると、妻帯者や子どもがいる方が社会的信頼を得やすい。他者からの陳腐な信頼に縋れば、自ずと失われていくのは家庭内での信頼だろう。それが依頼人のきらびびやかな身なりに表れていたように見受けられる。

 拙劣せつれつな人の渦中にいれば、いくら善意の人であったとしても――、その事理は拙劣に染まるだろう。そうなってしまえば、不変を好む妖怪の心は離れて行ってしまう。
――おおよそ依頼人の妻が姿を消してしまったのは、妖怪の性分に耐えきれなくなったのだ。

「仮に人でなければ、さとりの可能性か……」

 静かに呟いた見藤の言葉はすぐに消えてしまった。

 覚という妖怪は、人の本心を覗くことができるという。は依頼人の本心が、徐々に拙劣に変わっていく様を見ていられなくなったのだろう。
 それは恐らく、あの依頼人の娘に対する態度にも表れていた。それこそ、自分の子を置いてまで姿を消すほどに――。


 見藤はもう一度、深い溜め息をついた。思わず、感情的になってしまったと反省する。だが同時に、ほんの少しだけ同情もした。

 継子が人ではないかもしれない、そして、妻もそうであったならば――。であれば抱かないであろう疑念に不安を抱くな、という方が難しい。それも、見藤のように怪異や妖怪が身近な存在ではない、ごく平凡な生活を送る一般人であれば尚更だ。

 しかし、見藤はその同情心を払拭するかのように首を横に振った。

(まぁ、それとこれとは話が別だ)

 例え、継子が人ならざる存在だったとしても、一度は家族と成ったのだ。その責任から逃れようとするのは、やはり人間の狡猾さが招くことなのだろうか。見藤は辟易とした表情を浮かべる。
 更に、見藤の気分を悪くさせたのは――。社会的信頼を得るための手段としておきながら、都合が悪くなればその存在を目の上のこぶのように言ったことだ。

「柄にでもなく、人に説教なんて――。とんだ、ただ働きだ……」

 ぽつりと、呟いた言葉は静けさに溶ける。

 配偶者を持つことも、子を持つこともない見藤が言えた立場ではない。だが、人としてある程度の矜持は持ち合わせているつもりだ。結果、親の責任とは何たるかを説き、依頼人を追い返すという、なんとも損な立ち回りをしてしまったのだ。現実主義である見藤からすれば、ただ働きな事この上ない。

「くそ、……今日はさっさと閉めるか」

 胸の内のわだかまりを誤魔化すように見藤は悪態をつくと、早々に事務所の戸締りを始めるのだった。


* * *

 それから数日後のこと。事務所内にインターホンの音が響き渡る。予期せぬ来訪者を知らせる音。
 見藤は思わず首を傾げる。そして、読んでいた新聞を机に伏せ、眼鏡を置く。今日、訪ねてくる予定の依頼人はないはずだ。夢遊病のような症状についての続報を取り上げた新聞が、見藤の動きに合わせてめくれた。

「はい、どちらさ……ん?」

 見藤が扉を開けると、視線の先には誰もいなかった。首を傾げたが、ふと気配を感じて視線を下に向けた。するとそこには、休日だというのに制服姿の少女が見藤を見上げていた。

 少女は背格好からして、中学生くらいの歳だろうか。可愛らしい顔立ちをしていて、子どもらしくあどけなさが残っている。しかし、その眼は鋭く、冷静さをうかがわせる。

「こんにちは」

 凛とした声が廊下に響く。
 少女の姿を見藤は眉間を押さえた。その姿に心当たりがあったのだ。

「君は――」
「この間は、あの人がすみませんでした」

 抑揚のない特徴的な話し方で少女はそう言うと、ぺこりと礼儀正しく頭を下げた。それを目にした見藤は内心動揺してしまい、咄嗟に気の利いた返事ができなかった。
 、自分の養父をそう呼ぶほどまでに関係は悪化していたのだろうかと、見藤は柄にでもなく心配になった。

「大丈夫、元からだから」
「……、覗くな」
「あ、つい……。ごめんなさい」

 見藤の胸中を読み取ったかのような、少女の返答。
 それは見藤の見立て通りだった。こうしたやり取りが養父である例の依頼人、斎藤との生活の中であったとすれば、確かに継子が人ならざる存在でなのでは、と思い至るには十分だろう。

 少女は見藤に物怖じすることなく、言葉を続ける。

「私、沙織です。おじさんには……もう視えてると思うけど」
「あぁ、君はさとりで違いないか?」

 見藤の言葉に少女――、沙織は小さく頷いた。

 覚の能力を生かせば、養父がどこに何をしに行ったのか。彼女には簡単に分かるのだろう。こうして、わざわざ謝罪をしに事務所を訪れるとは律儀なことだ。

 見藤は立ち話もなんだと思い至る。だが、沙織を事務所内に招き入れることを躊躇した。脳裏に、霧子の顔が思い浮かんだのだ。

 沙織は妖怪であり、依頼人ではない。霧子は見藤に、怪異・妖怪の痕跡が憑くことを極端に嫌う。こうして、心の内を覗き視る覚も、例外ではないかもしれない。

(まぁ、大丈夫か……)

 しかし、相手は子どもだ。座敷童の時みたく、子どもであれば霧子の逆鱗に触れることもないだろうと結論付ける。それに、見藤は彼女に確認したい事があった。

 見藤は事務所に立ち寄るかどうか尋ねた。沙織は少し考える素振りを見せた後、答えを口にする。

「お邪魔します」
「どうぞ」

 見藤は彼女を事務所内に招き入れる。ソファーに座るよう促し、自身も向かいのソファーに座る。そうして、見藤は沙織に疑問を投げかける。

「で、君はどうしたい?」
「どうって?」
「このまま人にまぎれて暮らすのか……。それとも、現世に残っている同族を探してみるのもいい。同族であれば、きっと力になってくれるだろう。……それとも、常世とこよに移り住むのか」
「えっと――」

 見藤が沙織に聞きたかったこと――。それは彼女の今後についてだ。

 それは沙織を心配した見藤の提案だった。人間社会にいれば、彼女の母のように妖怪の性分に苦しめられる日が少なからず来るだろう。そうなる前に、今の場所を離れることも一つの選択肢だ。
 沙織の母がそうしたように、人に紛れて暮らすのか。それとも、妖怪として生きるのか。

 沙織は少しの時間、沈黙していた。そうして、ぽつりと言葉を溢した。

「居場所がなかったから、今まで。家も、学校も。人とは違うって……皆、何となく分かるみたいで。特に私の癖で、考えてること……先読みしてしまうから、余計に気味悪がられて」 
「そ、うか」

 その言葉は彼女のこれまでを語るには十分すぎた。沙織はその先の言葉を紡ぐ。

「下手なんだ、私。ここで生きるの。あ、おじさんも同じだ。生きるの、下手くそ同士だね」

 沙織が言う、とは人間社会のことだろう。そして、見藤も自分と同じだと嬉しそうに笑った。

 予期せず心中を覗かれた見藤はいたたまれなくなり、顔を背ける。

「……こら、覗くな」
「あ、また……。ふふ、でも少し安心した。私だけじゃないって」
「そんな奴、沢山いる。多分な」

 見藤の言葉に、沙織はほっとしたような表情を浮かべていた。そうして――、彼女は問われた答えを口にする。

「私、もう少し頑張ってみたい」
「そうか」

 それは人間社会で生きるという選択をした、彼女なりの答えだった。
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