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第三章 夢の深淵編
31話目 蟄居閉門に処す(六)
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◇
猫宮は病院を訪れていた。大仕事を終えたばかりの見藤に代わって、久保の様子を見に来たのだ。ふらり、と病床に姿を現すと軽快に跳躍し、枕元に飛び乗る。
ベッドに寝かされている久保は依然、目を覚ましていない。猫宮は一瞥すると、大きな溜め息をついた。
「人のために、あいつ自ら囮になるとはなァ」
思い浮かべたのは見藤の姿だ。怪異に心を砕きこそすれ、見藤が人のために囮となることは今までなかった。人から持ち込まれた依頼でも、彼の矜持に反する場合や納得できなければ、依頼を請け負わないことが多い。
猫宮は興味深そうに、しばらくの間、眠る久保を眺めていた。
眠る久保の呼吸が一層深くなる――。
扉を追いかけて、ひたすらに幼い足で走った。けれどもその扉は遠のくばかりで、一向に距離は縮まらない。また置いて行かれてしまう、そんな焦燥感に胸が締め付けられる。
しかし、突如として日が差す。あまりの眩しさに思わず目を瞑った。太陽のような温かく心地よい光だった。
気付けば久保は事務所にある、いつものソファーに座っていた。慌てて自身の手を見ると、それは幼く小さな手ではなくなっていた。顔を勢いよく上げて、辺りを見回す。
「どうした? 久保くん」
気遣うように声を掛けてくれたのは見藤だ。彼の隣には、同じように心配そうな表情を浮かべる霧子。
そして、久保の向かいのソファーに座るのは、余所見をしている久保の茶菓子に手を出そうとしている東雲。「ばれた」と小さく呟き、ぎくりと彼女の肩が跳ねた。そんな状況などお構い無しに、久保の隣で寝転ぶ猫宮。
すると、久保は気付く。嘘のように、あの焦燥感が消えている――。
(この、居場所を……大切にしたい)
――――久保の目覚めはもうすぐだ。
ぺしぺし、久保の頬を容赦なく短い前足でつつく猫宮。前足を下ろすと、大きく溜め息をついた。猫宮がしばらく久保の様子を眺めていると、彼に変化があったようだ。
「こいつ、にやけながら寝てやがる。……病人じゃないのかよ」
呆れた様子で呟いた猫宮。心なしか嬉しそうに声を弾ませる。
「全く。早く起きろよ、寝坊助」
言い残して、猫宮は再び姿を消したのであった。――久保の瞼が、ぴくり、と動いた。
* * *
久保 祐貴、ネームプレートが掲げられた病室。見藤と東雲はそこへ足を運んでいた。
獏を封印した翌々日には、久保が目覚めたという病院からの一報を受け、二人は早々に様子を見に来たのだ。
久保は体を起こしてベッドに座り、二人を出迎えた。ベッドサイドに設けられた椅子には東雲が座り、その後方に見藤は佇んでいる。
久保は脱水と軽度の低栄養状態で発見され、その後も点滴での栄養補給が続いた。そのため、少し体力が落ちているようだ。少し会話をするだけでも疲労が見え隠れしている。
頬は少し痩けている。だが、決して顔色は悪くない。目覚めてから、食事と適度な睡眠はとれているようだ。そう窺える容体まで回復したのだと、見藤はほっと息をつく。あとは消耗した体力と気力を取り戻すだけだ。
見藤から久保の容態を聞き及んでいた東雲は、心配の裏返しともとれる怒りを露にしている。病み上がりの久保に対して感情をぶつけており、大きな声が病室に響いていた。
「全く! 人の心配しとる場合やないやろう!! こんなことになって!」
「……はい。スミマセン」
久保の謝罪も聞く耳を持たず。東雲は自身の膝に乗せている見舞いの品が入った箱を、ぺしぺしと叩いている。
すると、東雲の声が余程大きかったのだろう。巡回していた看護師に咎められた。
「お静かに!」
「あ、すみません……」
肩を落とす東雲。そんな彼女に、久保は申し訳なさそうにしながらも、力なく笑ってみせた。
「あはは……見藤さんのこと、言えたもんじゃないですね」
「はぁ……、君も大概……。まぁ、こうして無事に目覚めたんだ。あとは体力回復のために療養だ」
「……はい」
見藤の言葉に、久保は眉を下げる。すると、東雲は膝に乗せていた箱を開けた。
「これでも食べて、元気つけんと」
見藤と東雲から見舞いの品はゼリーだった。食べやすいようにと、二人で吟味したのだろう。――久保は目尻を下げた。その光景を思い浮かべると、自然と口許が緩む。
久保は気付く。見藤の格好だ。大仕事を終えたばかりだというのに、彼はいつものスーツに身を包んでいる。
すると、見藤は久保の怪訝そうな視線に気付いだのだろう。心配いらないといった様子でこれからの予定を話してくれた。
「ん? あぁ、これから少しばかりキヨさんの所へな」
「そう、なんですか」
そうして、久保は見藤の手に提げられた荷物に視線を向ける。すると、さっと背後へ隠されてしまった。怪しい動きに疑念を抱かない訳でははない。だが、自分は療養が優先だ、今回は見なかったことにしよう、と見藤への追及を諦めたのであった。
すると、大部屋の入り口がノックされた。どうやら面会時間はそろそろ終わりを迎えるようだ。
見藤は入り口を振り返り、気難しそうな看護師が立っているのを確認すると、東雲にも退室を促す。そして、東雲も椅子から立ち上がる。
「また来る」「またね」
「はい。ありがとうございました」
見藤の言葉を合図に、二人は病室を後にした。一人、病室に残された久保はいつまでも、その背中を見送っていた。
猫宮は病院を訪れていた。大仕事を終えたばかりの見藤に代わって、久保の様子を見に来たのだ。ふらり、と病床に姿を現すと軽快に跳躍し、枕元に飛び乗る。
ベッドに寝かされている久保は依然、目を覚ましていない。猫宮は一瞥すると、大きな溜め息をついた。
「人のために、あいつ自ら囮になるとはなァ」
思い浮かべたのは見藤の姿だ。怪異に心を砕きこそすれ、見藤が人のために囮となることは今までなかった。人から持ち込まれた依頼でも、彼の矜持に反する場合や納得できなければ、依頼を請け負わないことが多い。
猫宮は興味深そうに、しばらくの間、眠る久保を眺めていた。
眠る久保の呼吸が一層深くなる――。
扉を追いかけて、ひたすらに幼い足で走った。けれどもその扉は遠のくばかりで、一向に距離は縮まらない。また置いて行かれてしまう、そんな焦燥感に胸が締め付けられる。
しかし、突如として日が差す。あまりの眩しさに思わず目を瞑った。太陽のような温かく心地よい光だった。
気付けば久保は事務所にある、いつものソファーに座っていた。慌てて自身の手を見ると、それは幼く小さな手ではなくなっていた。顔を勢いよく上げて、辺りを見回す。
「どうした? 久保くん」
気遣うように声を掛けてくれたのは見藤だ。彼の隣には、同じように心配そうな表情を浮かべる霧子。
そして、久保の向かいのソファーに座るのは、余所見をしている久保の茶菓子に手を出そうとしている東雲。「ばれた」と小さく呟き、ぎくりと彼女の肩が跳ねた。そんな状況などお構い無しに、久保の隣で寝転ぶ猫宮。
すると、久保は気付く。嘘のように、あの焦燥感が消えている――。
(この、居場所を……大切にしたい)
――――久保の目覚めはもうすぐだ。
ぺしぺし、久保の頬を容赦なく短い前足でつつく猫宮。前足を下ろすと、大きく溜め息をついた。猫宮がしばらく久保の様子を眺めていると、彼に変化があったようだ。
「こいつ、にやけながら寝てやがる。……病人じゃないのかよ」
呆れた様子で呟いた猫宮。心なしか嬉しそうに声を弾ませる。
「全く。早く起きろよ、寝坊助」
言い残して、猫宮は再び姿を消したのであった。――久保の瞼が、ぴくり、と動いた。
* * *
久保 祐貴、ネームプレートが掲げられた病室。見藤と東雲はそこへ足を運んでいた。
獏を封印した翌々日には、久保が目覚めたという病院からの一報を受け、二人は早々に様子を見に来たのだ。
久保は体を起こしてベッドに座り、二人を出迎えた。ベッドサイドに設けられた椅子には東雲が座り、その後方に見藤は佇んでいる。
久保は脱水と軽度の低栄養状態で発見され、その後も点滴での栄養補給が続いた。そのため、少し体力が落ちているようだ。少し会話をするだけでも疲労が見え隠れしている。
頬は少し痩けている。だが、決して顔色は悪くない。目覚めてから、食事と適度な睡眠はとれているようだ。そう窺える容体まで回復したのだと、見藤はほっと息をつく。あとは消耗した体力と気力を取り戻すだけだ。
見藤から久保の容態を聞き及んでいた東雲は、心配の裏返しともとれる怒りを露にしている。病み上がりの久保に対して感情をぶつけており、大きな声が病室に響いていた。
「全く! 人の心配しとる場合やないやろう!! こんなことになって!」
「……はい。スミマセン」
久保の謝罪も聞く耳を持たず。東雲は自身の膝に乗せている見舞いの品が入った箱を、ぺしぺしと叩いている。
すると、東雲の声が余程大きかったのだろう。巡回していた看護師に咎められた。
「お静かに!」
「あ、すみません……」
肩を落とす東雲。そんな彼女に、久保は申し訳なさそうにしながらも、力なく笑ってみせた。
「あはは……見藤さんのこと、言えたもんじゃないですね」
「はぁ……、君も大概……。まぁ、こうして無事に目覚めたんだ。あとは体力回復のために療養だ」
「……はい」
見藤の言葉に、久保は眉を下げる。すると、東雲は膝に乗せていた箱を開けた。
「これでも食べて、元気つけんと」
見藤と東雲から見舞いの品はゼリーだった。食べやすいようにと、二人で吟味したのだろう。――久保は目尻を下げた。その光景を思い浮かべると、自然と口許が緩む。
久保は気付く。見藤の格好だ。大仕事を終えたばかりだというのに、彼はいつものスーツに身を包んでいる。
すると、見藤は久保の怪訝そうな視線に気付いだのだろう。心配いらないといった様子でこれからの予定を話してくれた。
「ん? あぁ、これから少しばかりキヨさんの所へな」
「そう、なんですか」
そうして、久保は見藤の手に提げられた荷物に視線を向ける。すると、さっと背後へ隠されてしまった。怪しい動きに疑念を抱かない訳でははない。だが、自分は療養が優先だ、今回は見なかったことにしよう、と見藤への追及を諦めたのであった。
すると、大部屋の入り口がノックされた。どうやら面会時間はそろそろ終わりを迎えるようだ。
見藤は入り口を振り返り、気難しそうな看護師が立っているのを確認すると、東雲にも退室を促す。そして、東雲も椅子から立ち上がる。
「また来る」「またね」
「はい。ありがとうございました」
見藤の言葉を合図に、二人は病室を後にした。一人、病室に残された久保はいつまでも、その背中を見送っていた。
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