禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第四章 百物語編

32話目 流布の始まり

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 久保の見舞いを終えた見藤と東雲。二人は帰路につこうとしていた。病院から徒歩で二十分程度、見藤は東雲に歩幅を合わせ、ゆったりとした足取りで最寄り駅へと向かう。

 見藤の手に提げられた小さな荷物。背中にはバックパック、使い古されたスーツ姿。それは助手が見れば、これから怪異事件や怪異お悩み相談といったへ向かう格好だ。

 東雲は見藤の装いを目にして、溜め息混じりに言葉を溢す。

「ようやっと、ひと段落したのに。もうお仕事ですか」
「……まぁ、そう睨まないでくれ。東雲さん」
「別になんも言いません」

 ぷいと拗ねたように顔を逸らした。
 見藤は気まずそうに頬を掻く。――ばくによる悪夢の流布という、大きな事件の直後。休息をとる間もなく、事務所を旅立つ。東雲の心情は察することができる。しかし、それだけではやっていけないのが、この仕事。

 東雲も十分に理解しているつもりなのだろう。しかし、彼女の年相応な表情は不服を物語っている。見藤は眉を下げて、申し訳なさそうにするばかりだった。

 すると、不意に真横を車が通り過ぎて行った。車道側を歩いていた見藤。予期せぬ車の幅寄せに、体を少しだけ東雲の方へ寄せてしまった。恨めしそうにその車を目で追うが、歩行者を気にする様子もなく車は走り去って行く。

 見藤はちらりと東雲を見やる。彼女からすれば見藤は体格の大きな男だ。先の暴漢事件で、少なからず人に恐怖心を抱いたであろう東雲。彼女を怖がらせていないか心配になったのだ。
 そっと距離を取り、東雲に声を掛ける。

「大丈夫か……?」
「……見藤さんなら平気です」
「そうか……」
 
 東雲はじっと見藤を見上げながら、そう答えた。特に気にする様子もなく、歩き続ける。そんな彼女に、見藤は安堵の表情を浮かべた。

 東雲は視線を落とし、見藤の横顔を見上げる。彼の歩幅は大きく、次第に見藤が少し前を歩くかたちになる。
 視線は揺れる、一回り大きく男性的な手へ注がれる。少し手を伸ばせば、触れそうな距離。彼の手に触れたいと願う気持ちが湧く。しかし、見藤の心はいつも霧子へ寄せられている。目を伏せ、その手から視線を逸らした。


 奇しくも、見藤と東雲には共通点が生まれた。人によってつけられた、癒えることのない傷。
 見藤の心遣い――、それは自身の行動によって東雲を怖がらせていないか。その仕草は東雲にとって、特別に扱われているように思えてしまう。これで勘違いするなと言うほうが難しい。

 東雲からすれば十分すぎるほど、特別な関係だ。しかし、それは癒えない傷をもつ見藤だからこその行動。それを東雲は知らない。


 そうしているうちに、最寄り駅まで辿り着いたようだ。ここで東雲とは別々の道となる。
 見藤は少し考え、気まずそうに東雲に尋ねた。

「一人で大丈夫か……?」
「はい、なんとか」

 東雲は無理やり笑った。すると、見藤は申し訳なさそうに眉を下げる。

「いや……、猫宮に送らせる。流石に一人では……。猫宮、いるか?」

 何もいない空間に向かって猫宮を呼んだ。すると、ふらりと見藤の足元に猫宮が姿を現したのだった。
 猫宮は見藤を見上げると、最近は小間使いが過ぎると抗議する。

「おい、見藤……猫使いが荒いぞ!!」
「帰ったらブラッシングしてやる」
「うぐ……ま、まァいいだろう」

(いいんだ)

 そう突っこみを入れたい気持ちを抑えつつ――、東雲は猫宮に「よろしく」と声を掛けた。
 すると、見藤はポケットから何かを取り出した。

「あぁ、あとこれ。久保くんが療養に専念できるようにしばらくの間、何かあれば俺に直接連絡してくれて構わない。いつも事務所にいる訳じゃないからな。……それに今回の久保くんのような場合もある」
「えっ」

 驚きの声を上げた東雲。見藤から手渡されたのは一枚のメモ用紙。そこには見藤の電話番号が書かれていた。
 思わずして得た見藤の電話番号に東雲は目を白黒させている。ようやく捻りだした声が変になっていないか、気にするので精一杯だった。

「分かり、ました」
「それじゃ、気を付け帰りなさい。猫宮、頼んだぞ」
「あいよ」

 返事をすると、猫宮はぴょんと東雲の肩へ飛び乗った。猫宮の小太りな体形からは想像もつかないような軽さだった。東雲は思わず「えっ」と声を上げ、二度見する。それは猫又らしく、妖怪としての特質なのだろう。
 そうして――、見藤は東雲を見送った。


 初めこそ、その言動から東雲を警戒していた見藤。それがいつしか、久保と同じように助手として彼女を見るようになった。それはつまり、警戒する必要がなくなったということ。
 見藤は無意識的に女性を避ける傾向がある。それを知るのは霧子だけであり、東雲は知らない。

 東雲は見藤の警戒から外された――、それはつまり久保と同じく庇護する対象である。同時に、彼女がこれ以上の関係を求める可能性はないと、見藤の無意識下で断定付けられたのだった。
――皮肉にも縮まったこの二人の距離は、東雲に失恋を告げるものだった。



 それから、見藤は最寄り駅から新幹線が通る駅へと移動した。電子掲示板を眺め、目的地への到着時間を確認する。キヨの元を訪ねる旨は事前に連絡を入れてある。だが、念のため詳しい時刻を追って連絡しておく。

 見藤は不意に、顔をしかめる。――先のばくの事件のことだ。キヨから電話越しに、散々力不足を指摘されたことを思い出したのだ。

(はぁ……、手土産としては十分の物を持って行くはずだ。大丈夫だろう、……多分)

 憂鬱な気分を払拭するように首を横に振った。
 そうして、ホームに新幹線が到着し、見藤は足取り重く乗り込んだのであった。


* * *

「お隣、よろしいですか?」

 見藤は唐突に声を掛けられた。あまりに突然のことで、返答に少し間が空いてしまった。声がした方を見やると、そこには男――、だろうか。人が佇んでいる。声からして、ようやく男だと判別できた。その顔は女性とも見間違えそうな程、美麗な顔立ちをしていた。

 彼の格好も、中性的で一見すれば女性かと思うだろう。髪は長く、後ろで結わえられている。残した横髪は風変わりな色をしていた。銀髪を基調とし、毛先は黒と紫。

(若者の流行りか? それにしても、席は他にも空いているだろうに……)

 見藤は辺りを見回す。自由席の窓際に座っているが、どこをどう見ても空席が目立つ。
 訝しみ眉をひそめたが、特にこれと言って断る理由も思いつかない。適当に返事をしておくことにした。

「あぁ……、どうぞ」
「失礼しますね」

 彼は軽く会釈をすると、荷物を吊棚に置いた。見藤の隣の座席へ腰を下ろす。
 すると、見藤の鼻を掠める香り。香水でもなければ、制汗剤でもない。――これはお香だ。お香など余程の趣味でもなければ、日常生活において触れることはないだろう。
 見藤はさらに訝しみ、ちらりと隣を見やる。すると、ばっちり視線が合ってしまった。

 彼は楽しそうに口を開く。

「これからお仕事ですか?」
「あぁ、いえ……特に」

 何気ない会話だ。新幹線で隣り合っただけの、見知らぬ人間と話すことなど、その程度の世間話だ。――しかし、その考えはすぐに覆されることになる。
 彼はよく喋った。

「私はこれから、――――に行くのですよ」
「はぁ……。そうですか……」
「それで、ですね――――」
「…………」

 見藤が「話し掛けるな」という雰囲気を醸し出しても、一方的な語りが止むことはない。見藤の辟易とした無言の圧に負けず劣らず、話掛けてくる。なんとも奇妙な人物だ。

(やけに絡んでくるな……面倒だ)

 辟易としながらも、適当に相槌を打っておく。

(この手のお喋りなタイプは苦手だ。そもそも、初対面だぞ……)
 
 見藤の機嫌は更に悪くなる。新幹線での移動中、寝てしまおうと考えていたのだ。奇しくも、人の手によって邪魔をされる羽目になってしまった。



 そうして、京都まであと少しという所だろうか。突然、彼のお喋りが止んだ。やっと飽きたのか、話し掛けるなという、こちらのサインが伝わったのかと安堵したのも束の間。

 彼は唐突に、声音を変えた。

「あぁ……あと、それ。どうするんです?」
「どう、とは……?」
「いえいえ、なんもありません」

 それ、と指されたものは風呂敷に包まれた小振りな荷物。見藤が手から提げていた荷物だ。

(何なんだ……)

 ぴくり、と見藤の眉が動く。彼が意味深な表情をしていると感じたのは、気のせいだろうか。

「では、私はこれで。お話、楽しかったですよ」
「はぁ……、それは何より」

――よく分からない人物だった。見藤はじっと、彼の背を見送った。
 そうして、見藤を乗せた新幹線は目的地に辿り着く。

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