この感情を愛と呼ぶには

紀村 紀壱

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5話 ベルテ・デルーセオは許されたい3

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  結局のところ、ヤンはベルテに対する疑惑をネロへ説明するのを諦めた。
 あくまでもネロから聞いた情報による推察だ。長年の勘が限りなく黒に近いグレーだと訴えているが、証拠なんて何もない。
 コレはあくまでもネロ自身の問題で判断して決めるべき事だ。自分の事であれば「危うきに近づかず」と、ベルテから距離を取る選択肢を選ぶが、ネロにそれを強要するつもりはない。――けれども。

「ネロ、俺はベルテ・デルーセオに直接会ったことはないが、社交界でのそいつの評判を多分、お前より知っている」
「そう、だろうな」

 あまり表情が動かないネロの、平坦な声がどこか悔しそうに聞こえるのは気のせいであれば良いなと思いながら。

「貴族相手に『上手く商売をしている人間』は総じてずる賢い。稀に顔とコネと運で渡り歩いている奴もいるが、少なくともベルテが『間抜けな顔だけの人間だ』という評判は聞いたことがないんだよなぁ」
「何が言いたい」
「俺はお前が想像している以上に損得勘定で生きているし、時には酷い選択肢も『仕方ない』で選ぶ。そして『上手く商売をしている人間』はきっと俺かそれ以上にお前と価値観が違う、想像も出来ない世界で生きてる」

 ヤンの言葉に、ネロは僅かに顔を顰める。ヤンは魔術師協会で就学しているときから、ことある事に甘ちゃんどもめ、と悪態をつく事があった。
 それは魔術で稼いだ金で生活をしておきながら、金を稼ぐことを低俗と見なし魔術の研究が崇高なものだと言う魔術師協会の態度とか。それなりに良い成績を収めつつも外部での仕事を希望したネロに、内部生からの嫌がらせに徹底抗戦しなかったネロの態度へだ。
 優しさや温情は強者の特権で、同じように優しさを返してくれる、分かってくれると思うのは弱者は付け入る隙になるだけだというヤンの言葉を、ネロだって否定はしないし、それくらい用心は必要だと思うが徹底は出来ない。それを甘いとヤンは言う。

「……分かってる」
「分かっているなら良いさ。……『気を付けろ』、俺が言いたいのはそれだけだ。王様と乞食が仲良く友達になる、そんなのは有り得ないからお伽噺になるんだ。それに俺は悲劇は好きじゃない」

 ひらひらと手を振って、ヤンはさあこの話はお終いだ、とばかりにぬるくなった麦酒を飲み干した。
 想像のベルテに対する「もしかしたら」をネロに説いたところで、心が一旦傾いているらしい所にはなかなか聞き入れられないだろう。それよりもフラットに相手ベルテネロの世界が違うのだと、判断基準をゼロに戻してしまう方が良い。
 揶揄えばネロとて反発するが、皮肉を交えつつも心配している旨をのせれば、自分ヤンより数倍、素直なこの友人は下手な警告より心に留めてくれるだろう。

 ――そう、密かに思うヤンの願い通り、この日のやりとりはネロの心に小さな影を落として。





「……すみません食事で、レストランが良いです」
「そう」

 粗相を働いて、ベルテの気を悪くさせてしまったかもしれないという心配をしていたはずなのに。
 食事もせず別れた日から丁度一週間後。揺れるネロの心境などとは違い、ベルテはいつもと何ら変わりも無く。むしろ一週間前の事などネロの夢だったのではないかと思えるほど自然に図書館へと訪れ、いつものように食事へ誘ってきた。
 ベルテにとってネロのおかしな態度など気にするほどの物でも無かったのだろう。あの日感じたベルテへの違和感は、ただ調子の悪い自分ネロを気遣ってくれていたのだ。
 そんな事を考え、ふとヤンの言葉を思い出して、ネロはぐっとベルテに歩み寄ろうとした足を止めた。

 ――今、自分は勝手にベルテの行動を己の良いように解釈していた。

「今日はどうしようか。レストランよりもこの前の所の方が気安いかな? 事前に頼めば軽食ぐらいは出せるし……」
「……すみません食事で、レストランが良いです」
「そう」

 初めの頃のように形式張った口調で、ベルテと再び距離を取るための要望を口にしながら、選ばなかった方の選択肢を惜しむ心を押さえつける。

「準備をしてきま――」
「どうしてかな」
「っ!? は、……」

 いつものように帰り支度をしてこようと、踵を返そうとしたネロの腕が、身体が引っ張られた。
 トンッと、痛みはないが背中が壁に押しつけられた衝撃に一瞬息を飲む。そうして、ただでさえ薄暗い図書館の中で、己に影を落とす様に立ちはだかる存在にネロは瞳を瞬かせた。
 壁に背を付けたネロの横、先ほどまでの進行方向を塞ぐ形で、ベルテの片腕が壁に肘を突いていた。
 あまりに近い距離に、ネロは丁度視線の先にあったベルテの首元のループタイの飾り石に写りこんだ自分と一瞬見つめ合って視線をあげる。

「ベルテ」
「どうして、私とまた距離を置こうとしてる?」

 見上げた先、ベルテの顔は近さと、背後のランプの影になって上手くその表情が読み取れない。

「そ、んな――」
「そんな事ないなんて、君の態度は言えるかな」

 肘をついた方とは反対側に、ベルテが身を屈めてネロの耳へ囁くように尋ねてくる声は、初めて聞く声音だった。
 ぞっと、ネロの背中が総毛立った。
 ともすれば穏やかな口調で、けっしていつもの声より低くなったわけではないのに。急に目の前に立っている男が、本当にベルテなのだろうかと分からなくなる。
 逃げなければ、とネロの本能が警告を鳴らした。だが身体はピクリとも動かない。
 拘束をされているわけでもないのに。ほんの少し首を回してベルテの顔を見る事すらできない。
 まるで首を絞められているような圧迫感が重くのし掛かっていて。

「ネロ」

 名前を呼ぶ声は、聞き慣れたベルテのものに間違いない。なのにどうしようもなく目の前の存在が突如得体の知れない物に変わってしまったように感じられた。

「答えろ」

 初めてぶつけられた命令系の言葉にネロは唇を戦慄かせながら考える。
 豹変したとも言えるベルテに頭の中は混乱したまま、それでも問われた言葉の答えを探し、震えそうになりながら声を絞り出した。

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