この感情を愛と呼ぶには

紀村 紀壱

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6話 ネロ・バシランの意地と誤算3

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 普段のベルテであれば、いくら恋人とはいえ駆け引きとは言えない、過度な施しが少しいき過ぎていると早々に気がついていただろうに。
 遠慮と言うよりも、苦言に近い形でネロに指摘されるまで、己の行動に対して頭が回っていなかったのは、一重にベルテが「浮かれていた」からだった。
 ネロの「今までどういった風に付き合ってきたんだ」という言葉に対しても、ネロと違って自分は色々と大人だから己に甘えて良いし、遠慮する必要は無い、と説こうとした所で。
 コチラを見る眉間に皺を寄せたネロの顔が、まるで出会った時の頃のような表情をしていて、おかしいなとベルテは疑問を抱く。彼とはやっと距離が縮まっていた筈なのに、とベルテは頭の中で今まで積み上げた数々の交際経験を振り返り、何が駄目だっただろうか、と考えて。
 そこでようやくベルテは、ネロと望んでいる関係が、今までの交際歴とは全く別のモノだ、と思い至った。

「…………そうか、私はまともに人と付き合ったことがなかったのか」

 不覚にも声に出してしまったのは、違和感に気づいていなかった己の愚かさと、豊富にあると思っていた手札が、全くもってネロとの関係にそぐわないモノだと知って、繕うのも忘れて唖然としたからだった。
 ベルテにとって、今まで「付き合った」人数は、対外的な関係や肉体関係は数あれど。
 相手への心が伴っていたか、という部分を加味したら。その経験値はゼロだった。
 ベルテの交際歴は基本的にギブお金アンドテイク肉欲の関係で。場合によっては愛情があるフリをして、冷めた頭で熱を上げた相手を利用する様な物だ。大人の割り切った関係か、利用し搾取する関係。「ギブアンドテイクを理解した相手」か「愛や金に飢えた相手」を、今までベルテは「わざわざ選んで」付き合っていたのだ。
 そんな経験しかないベルテだから、ネロに対しても当然の様にモノを与え甘やかして贅沢を覚えさせ、依存により離れられなくする、そんな方法で懐柔しようと無意識に行っていた。
 ネロが「付き合う対価として物を渡そうとしていないか」という言葉を否定したが、よくよく考えてみれば、ベルテの行動はまさにその通りとしか言い様がなかった。ベルテと付き合う事で発生するであろう嫉妬といったデメリットも、己が与える金銭的な物で補填すれば十二分にメリットが上回るだろうと思っていたのだ。だからネロはきっと己との関係を前向きに考えて、いつしかその身を与えてくれるだろうと期待して――

(一体どうしたら、何を渡したら、ネロは喜ぶんだ?)

 現実のネロは今までの相手とは違い、ベルテに初めから金銭的な欲求をほとんど持っていなかった。それにも関わらず、自分ときたらネロが望んでもいない物を押しつけて、結果、引かれている。いつもなら、冷静に観察していればすぐに分かった事だ。
 そもそも、見返りも望めないウチからこんなに与えたりすること自体も己の行動として可笑しいのだが、どうしてこんな事を、と考えても「ただ、与えたかった」という、なんの捻りもない感情で先走っていた事に気がついてゾッとする。

「ベルテは……いや、何でも無い」
「?」

 動揺するベルテに、何か言おうとして止めたネロの声に顔をみれば、ネロが目を細めて視線を逸らす。
 それは、今まで見たことがないネロの無防備な笑みで。
 ベルテはまじまじとネロの逸らされた横顔を見る。今の己は、端麗な立ち振る舞いに関して評判も自負もあった姿とはかけ離れた、不格好な言動をしたというのに、どうしてだか、スンといつもの表情に戻ったネロの横顔がどこか少し嬉しそうに見えるのか。
 前々からネロはベルテが普段の調子を崩した時に、機嫌が良い節があった。「自分だけに見せてくれる姿って嬉しいのよ」なんていつかの情婦の零した言葉が脳裏に浮かぶ。その時は「自分の為に見目麗しく装って欲しい」と言う意味だと思って、何を当然のことをと聞き流したが、まさか逆の意味でもあり得るのか。
 ネロには、なるべく「価値のあるベルテ」という姿を見せていていたい。しかし、先ほどのネロの表情を、もっと見たいと強烈に思った。

「……私は、どちらかというとスマートにエスコートをする事を望まれる事が多いのだけど」
「ベルテ?」

 ベルテは席を立って、ネロの側へとテーブルを回り込む。
 訝しげにベルテを見上げて、自分も席を立つべきかと逡巡するネロの肩に手を置いて引き止め、そのまま腕を撫でる様にして、いつかのように傍らに跪いた。
 誰の視線を気にしないですむ個室を選んでいて良かった。

「ベルテ、何を――」
「対価を望んでいないと言ったが、撤回は出来るかい」
「……」

 ベルテの言葉に警戒する様に、ネロの纏った空気がわずかに張り詰める。それに気がつかないフリをして、ベルテはネロの手を取って。

「私を甘やかしてくれないかな?」
「…………甘やかす?」

 続けた言葉はネロの想像とは随分と乖離していたのだろう。その黒目がキョトンと見開かれ、言葉を咀嚼するようにパチパチと瞬く。
 本当はベルテの方がネロをどろどろに己に依存するまで甘やかし倒したい。
 しかしながらこの少年はまだ大人しくベルテに気を許しきってはくれず、それでいてベルテに全くの興味が無いわけでも無い。可愛らしい自尊心を擽るには彼の予想を裏切るベルテの姿、それこそ普段なら他人には見せぬ情け無い姿がどうやらお好みらしい、と気がついて。

「大人になると弱みを見せれないモノでね。君は口が堅いと、私は思っているんだけど」
「他人の弱みを言いふらしはしないが……」

 ネロの瞳の中に戸惑いと、ベルテの信用に応えたいという僅かな優越感が確かに滲む。
 敵わないと思っていても相手への対抗心はそう簡単に無くせやしない。腹を見せて容易く屈服する事が出来るほど、ネロはまだ達観していないし、腹芸が出来るほど擦れてもいないかった。
 そして誰かの秘密を握るというのはいつだって魅力的な事だ。

「もしも君が、私がした事に対して嬉しいと思ったら、私を労ってくれないか」

 手に取ったネロのてのひらへ、ベルテは頬を寄せる。
 頬へ触れた瞬間、ヒクリと震えたネロの手は微かに引く様な気配を見せたが、しかしそのまま留まり、指先がおずおずとベルテの頬を撫ぜ、その感触を追うようにベルテは目を伏せる。
 まるで犬を可愛がるかのように、年上の男の頬を撫ぜるという行為にネロは違和感を覚えるべきだった。しかしベルテを見下ろすような体勢はネロに余裕と優位に立っているかのような錯覚を与え、目を曇らせる。

「こんな事で、本当に良いのか?」
「年下に慰められる大人なんて、情け無いだろう?」
「……疲れていたら、誰かに寄り掛かりたくもなる、と思う」

 溜め息をついてみせれば、ネロは眼差しに同情するような色が濃くして、ベルテを擁護する言葉を口にした。
 ネロ自身がベルテに触れたい、という感情を引き出すにはまだ欲も熱量が足りない。
 しかし今は「労りたい」という感情でネロはベルテに自然に触れていた。
 恋人としてのどう振る舞えばいいのかは知らない。肉欲を伴った触れ合いなら緊張をするが、相手をいたわる、慰められるという経験をネロは知っている。だから手が自然とベルテの頬を、首筋を温めるように優しく包み、ボルドーの髪を梳くようにして頭を撫でる。
 己に無防備に撫でられるままのベルテに、子供みたいだ、とネロは思う。
 それが作られた姿だと思いもせず、たしかにいい大人が子供の様に撫ぜられるのはあまりカッコの良い物ではないだろうな、なんて考えながら。
 ネロは己の行動が恋人の戯れと同じ様なモノだと気がつきもしないで、自分からベルテに触れる事になんの抵抗も覚えず、むしろ心地よさそうな様に得意げにすらなった。
 人がもっとも騙され易い状況というのは、自分が上に立っていると油断している時だ。

 もしも対価としてネロに触れる事をベルテが望めば、抵抗を覚えていたはずだったし、心もまた開くことはなかっただろう。
 だが、この日から少しずつ、ネロはベルテを労り慰めるという名目で触れる事が増え、同時にベルテが触れてくることを甘えているのだと捉え、許してしまい始めた。
 相手が己よりも遙かにずる賢く、得体の知れない大人だと言う事を、ネロは忘れたまま。

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