【完結】妖精と黒獅子

水仙あきら

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第二章 戴冠式の夜

19 黒獅子将軍について ②

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 鉄で作られた扉が重い音を立てて開かれる。中はやはり石で作られており、冷え切った床の上に見覚えのある男が転がされていた。
 そう、あの夜五人もの警備兵を斬り伏せ、ランドルフによって捕らえられた、事件の犯人の一人である。
   部屋には男以外誰もいなかったが、既に血の匂いが充満していた。見れば薄い肌着一枚の背中には多数の傷があり、情報部による拷問はひとまずの収束を見たようだ。

「何も喋らんのか」
「ええ、何も。ただむしゃくしゃして暴れたかった、その一点張りです」
「それが真実だということは」
「あり得ません」
「だろうな」

 この事件は間違いなく二人の犯人が連携して起こしたものだ。まず目の前の男が会場を撹乱し、今も逃走を続けるもう一人の男が皇帝夫妻を狙う。そして恐らくは陸軍内に内通者がおり、その者が彼らを手引きした上に警備の穴を作り出したのだろう。先ほど目を通した書類からもそれは見て取れた。

「おい」

 ランドルフは低く唸ると、男の腕を掴んで力任せにひっくり返した。男は意識を失っていたが、その乱暴な扱いに目を覚ましたようだった。

「私を覚えているか」
「へ……覚えてねえな。誰だあんた」

 男は腫れた頬を歪めて笑った。怒鳴るでもなく冷静に会話を続けるランドルフだったが、その低音が怒りを押し隠すものであった事は聞くものが聞けば気付いていたことだろう。

「そうか。私は貴様に聞かねばならんことがある。答えてもらおうか」
「あんたが知りたがるような事、俺が知ってるとは、思えねえけどな」

「それを決めるのは貴様ではない。私だ」

 言うやいなや、ランドルフは男の右腕をねじり上げた。男は突然のことに力を逃すことも出来なかったらしく、苦悶の声を上げる。

「どこの手の者だ。答えねば腕を折る」
「て、手の者とかじゃねえって、言ってんだろ!」
「そうか」

 ぼきり、と鈍い音が地下房に響いた。
 次の瞬間、男の絶叫が迸った。鉄の扉で隔たれているとはいえ、恐らくこの大音量では他の部屋にも反響していることだろう。
 ランドルフは無表情だった。淡々としたその姿は、まさしく戦場で幾万の兵を震え上がらせる黒獅子将軍そのもの。
 あまりにも暴れるのであえて手を放してやると、男はしばらく腕を抑えてのたうち回っていたが、やがて蹲ったまま恨みを込めた瞳でランドルフを射抜いた。

「ほう。まだ元気がある様だな」
「て、てめえ……!」
「貴様らはアルーディアの者だろう」

 痛みのあまり気が抜けていたらしく、男は一瞬だけ体を強張らせた。それは刹那の反応ではあったが、この場においては肯定と同義だ。
 ある程度あたりはついていたのだが、こうまであっさりと鎌にかかるとは。得られた情報の大きさに、マイネッケは口笛を吹きそうなくらいの上機嫌である。

「おお、当たりのようですね。なぜそのようなことが解ったのです?」
「……さてな」

 男は悔しそうな顔をして目をそらしている。これ以上何も言う気がないといった態度だが、こちらもこれだけで容赦する謂れはない。

「申し遅れた。私はヴェーグラント陸軍第三師団指揮官アイゼンフート少将である」

 男の顔が恐怖に引きつった。どうやら自らの名はアルーディア国内においても知られているらしい。それも恐ろしき血戦の黒獅子として。

「そうそう黒獅子将軍ですよー。怖いですよー。ちゃっちゃと喋ってしまった方が身のためですよー」
「マイネッケ大佐ちょっと黙っててもらえないか」
「な、何だよ。その黒獅子が、だから何の用だって?」
「……解らんか」

 ランドルフは今度は男の喉元を掴むと片腕の力だけで引き起こし、反動をつけることもなく石の壁へと叩きつけた。
 鈍い衝撃音が響き、男は息を止めて目を見開く。しかしそれで終わりにする気は毛頭なく、ランドルフはそのまま喉にかけた手に力を込めた。男の足が宙を泳ぎ、窒息の恐怖から逃れようと丸太のような腕を引
 っ掻くが、それは虫よりも矮小な動きに見えた。

「くっ、が……!」
「私は今怒り心頭でな。貴様らが我が帝国に戦争を仕掛けたいことはよく解ったが、まさか本当に勝てると思っているのか?」

 つまりこの事件の真相は、本当の狙いは皇帝夫妻ではなくセラフィナだった、という一点にある。
 セラフィナがハイルング人であることを公衆の面前で暴き、ヴェーグラント国内の反アルーディア感情を煽る。あわよくばこれで戦争を仕掛けてもらい、駄目なら大事な第二王女が傷つけられたことを理由に攻め込もうという魂胆だったのだ。皇帝夫妻を狙ったのは、セラフィナが必ず庇うと踏んでのことだろう。また、彼女を狙って刺したのでは、アルーディアの差し金であることがその場で明らかになってしまうという事もある。
 ただしこの計画は既に潰えている。セラフィナがハイルング人だと明かされる事はなかったし、アルーディアにも彼女の名義で大丈夫だから安心して欲しいとの声明を発表済みだ。
 未然に防がれたのでそれだけでも不幸中の幸いだが、この計画を考えたであろう女王の何という卑劣なことか。セラフィナの優しい心を利用した、その事実だけで殺す理由に余りある。
 ランドルフは獅子ですら尻尾を巻いて逃げ出すほどの凄まじい殺気で持って男を睨みつけた。その瞳に宿る怒りは燃え盛る炎よりも熱く、視線だけで人を殺せるのではないかと思わせるほどの迫力を有している。横から見ていたマイネッケも叩きつけるような圧力を感じ取ったほどで、それを正面から向けられた男は最早恐怖に取り憑かれたまま震えることしかできなかった。

「いかに有利な状態で開戦に持ち込もうとも、貴様らに勝ちはない。何故なら私がいる限りヴェーグラントが負けることはあり得ないからだ」
「ひ……っ……!」
「最後の一人になろうとも、どこへ逃げようとも草の根分けてでも探し出し、私は必ず貴様らの女王の首を取る。それだけは覚えておく事だ」

 低く唸るように絞り出された言葉が届いたのかどうか。ランドルフが手の力を抜くと、男は恐怖に目を見開いたまま崩れ落ち、ひどく咳き込んだ。脚も肩も気の毒なほど震えていたが、その様子を無感動に眺めて踵を返す。
「おや、もうよろしいので?」
「知りたい事は分かった。あとは任せる」
「礼を申し上げねばなりませんね。これだけ心を折っておけば楽なものです。重要な情報も聞き出せましたし」
「失礼する」
「恐ろしい黒獅子将軍。今日は戦場での貴方が垣間見れたようで、興味深かったですよ」

 マイネッケの歌うような声が後ろから追いかけてきたが、ランドルフはもう二度と振り返らなかった。
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