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6話 舎弟になれ
しおりを挟む「オークが……人間のガキになった……!?」
「イティス!!」
呆然と俺が呟く横で、お嬢が少女に駆け寄る。
どうやらイティスというのが彼女の名前らしい。
イティスは横向きに倒れている。お嬢と同じ、簡素な格好だ。目を閉じたその姿は愛らしいと言えなくもない。お嬢の可憐さには負けるが。
これがお嬢の友人……。
なら、捨て置くのも目覚めが悪いな。
とりあえず、傷の有無を確認する俺。
(ん? ちょっと待て。こいつ……)
俺は半信半疑で少女の身体を見回した。
あれだけ派手にぶっ飛ばされたにも関わらず、身体にも衣服にもキズ一つないのだ。
異世界特有の魔法か何かか?
とにかく、ただの巨大化ではないようだ。
まともに考えれば、こんな小柄なガキがオークに変身なんてすれば、服は破けて今頃すっぽんぽんだったハズである。
ま、俺は10歳そこそこのガキの身体になんぞ興味はないが。
イティスの肌はかなり白い。白オークの肌色はこのあたりが反映されたのだろう。
お嬢がイティスを膝枕しながら介抱する。間もなく、彼女は意識を取り戻した。ぼんやりとした目でお嬢を見上げる。
どうでもいいが、こいつお嬢と違ってエメラルド色の虹彩なんだな。お嬢は日本人っぽいブラウンだ。
「あれ……? ケルア……?」
「うん! ああ、よかった。イティスが無事で!」
目尻に涙をにじませながら、お嬢がイティスに抱きついた。俺はその様子を少し離れて見守る。忠犬は出しゃばるべきじゃない。あとさっき叱られたことが地味に効いてる。「ヒスキさん、あっち行って」などと言われた日には立ち直れないかもしれない。
お嬢の抱擁に対し、イティスは抱き返す手を止めた。そして上半身を起こすと、くるりとお嬢に背を向ける。
明らかに避けようとしている態度。
それを見たお嬢の表情が曇る。
「イティス。もしかして、全部覚えてるの?」
「まあぼんやりと、だけど」
ぼそぼそと呟く赤髪少女。チラチラとお嬢を振り返りながら、彼女は拗ねたように口を尖らせた。
「元はと言えば、あんたのせいでひどい目に遭ったんだからね」
…………あ?
今なんつった?
「うん、そうだよね……。イティスは私を心配して追いかけてくれて、ちゃんと叱ってくれたのに。私が泣いちゃったせいだよね。ごめんね」
「あ、いやその。あたしもあのときはパニックになってたっていうか」
お嬢が悲しそうに俯くのを見て、「ヤバ……!」とばかり焦る赤髪のメスガキ――もとい、イティス。
今更フォローしたところで、そのちっせえ口から吐いた言葉は飲み込めねえぞ。
「おい、このクソガキ」
「――え?」
俺の姿を見て、イティスが固まる。その表情が見る見る青くなった。
そういえば戌モードのままだったな俺。まあ関係ねえや。
「貴様、お嬢に手ぇあげといて、その言い草はねえんじゃないのか。おおん?」
「ケルアッ! 下がって!」
顔中に脂汗を滲ませながら、イティスがお嬢を背中に庇う。引きつった表情のまま足下に転がった短剣を拾い、俺にその切っ先を向けた。短剣の刃はすでに砕けて使い物にならなくなっている。
「く、来るな!」
「ほう……」
俺は口元を引き上げた。
もしお嬢そっちのけで命乞いなんぞ舐めた態度を取るなら、もう一度吹っ飛ばしてやろうかと思ったが――この反応は意外だった。
圧倒的不利を悟ってもなお、欠けた武器でお嬢を庇おうとするとは。
その根性、悪くねえ。見直した。
だがそれはそれ、これはこれである。
「イティスといったな。てめえが情けないせいで、あやうくお嬢が死ぬところだったんだぞ? てめえが今その手に持ってる刃にブッ刺されてな」
「う……」
「ヒスキさん。もうそのくらいでいいよ。助けてくれてありがとう。けど、イティスはわざとじゃない。彼女は悪くないの」
お嬢が間に入る。
他人に温情をかける心意気は素晴らしい。清く優しいお嬢は、そのままでいい。その分、俺が厳しく言えば済む話だ。
俺はイティスに言った。
「俺の名はヒスキ。お嬢を守る戌だ。本来なら俺らヤクザの身内に手ぇ出したら戦争なんだぜ。お前、わかってるか?」
「……ッ!」
「ヒスキさん!?」
「ご安心を、お嬢。今はこいつに念押ししただけです。越えちゃならねえ線っつーもんはあるってね。一応、わかっちゃいるみたいだからここまでにしましょう」
イティスが目を見開く。
「ケルアの……わんちゃん?」
「誰がわんちゃんだコラ。とにかく。事情を話してもらうか。なぜこんなことになったのか」
イティスがゆっくりと短剣の残骸を下ろしていく。
ぽつぽつと赤髪少女は語り出した。
「あたしがオークになったのは、ケルアと話しているときだった」
村での暮らしに耐えかねて、ひとりで村を出ていってしまったお嬢をイティスは追った。
そのときは、かなり頭に来ていたらしい。友達の自分にひとことも相談せずに行くつもりか、と。
ようやくお嬢に追いついたとき、安堵の気持ちと許せない気持ちで、感情が制御できなくなったらしい。「何を考えているのか」「友達と思ってたのは自分だけか」などと、思いつく限りの言葉を苛立ちのままぶつけてしまったとイティスは語った。
そして、お嬢を泣かせてしまった。
そのときだという。意識が遠くなって、自身の身体がオークに変身したのは。
「そこから先は、まるで夢の中にいるみたいで。意識はぼんやりあるけど、ぜんぜん自分じゃ動かせなかった感じ」
「なるほど。事情はわかった。お嬢を追ったのは正解だ。俺だってそうする。だがそれはそれとして……イティス、てめえよくもお嬢を泣かせやがったな」
「ううっ……! わ、悪かったわよぅ」
「ヒスキさん! あんまりイティスをいじめないで! 元はと言えば、勝手に出ていった私が悪かったんだから!」
半泣きのイティスに、柳眉を逆立てるお嬢。
叱られて尻尾を下げた俺は、一方で別の懸念も抱いていた。
イティスの話が本当なら、このメスガキがオーク化したのはお嬢との行き違いがきっかけだ。
この先もガキの癇癪でオーク化されたら、たまったもんじゃない。
そんな奴を、これからもお嬢の側に置いておくべきか。危険すぎやしないか。
5秒考えて、俺は腹を決めた。
たとえオーク化しても、俺の神獣としての力があれば――再現性は微妙だとしても――人間に戻せる。また粗相を働くならそのときは容赦なく埋めてやればいい。
――何よりも。
お嬢は生前、友人と呼べる同世代の人間がまったくいなかった。そのときと同じ轍を踏ませるわけにはいかない。
俺は戌だ。
そしてヤクザだ。
カタギの友人にはなれない。
「おい、イティス」
「な、なに……?」
「どんな理由であれ、お嬢にカチコミをかけたのは事実だ。そのケジメはきっちりとつけなきゃならん」
「そんなの……わかってる。でもどうしたら」
「悩むことはない。俺と同じ事をすればいい」
顔を上げる赤髪少女。
彼女を見下ろしながら、俺ははっきりと告げた。
「俺の舎弟となれ」
「……しゃ、てい?」
「今この瞬間から、俺がお前の兄貴分だ。お前は俺の下につき、お嬢を支えろ。お嬢の『友達』であり続けろ。そして俺と一緒に、お嬢を守るんだ」
ヤクザにとって、誰かを守り続けることほど難しく、尊いことはない。
イティスに、俺と同じものを背負う覚悟があるのかどうか。視線で問いかける。
俺の身体から、菊花の輝きが漏れた。花吹雪のように舞うその光がひとつ、またひとつとイティスに吸い込まれていく。
その間、イティスはじっと俺の顔を見上げ続けていた。
ヤクザとして生きていたころ、何度か見た顔だ。互いの意地と誇りをかけて徹底的にやりあった後に、こちらから手を差し伸べた時の相手の顔。争い、そして認めたからこそ存在する、嘘偽りのない信頼。憧憬。
……ま、小さい口をぽかんと開けたまま呆けてるのは、いかにもガキっぽいが。
イティスは熱に浮かされたように呟いた。
「うん……わかった。なる」
「よし」
満足して頷いた俺は、ふと思った。
ASMR異世界において、イティスは俺が語った登場人物のひとりかもしれない。
こいつはお嬢の友人ということだから――。
「ところでイティス。お前、魔法は得意なのか?」
「え? いや別に。そもそも使えないし」
「何でだよ!!!」
「何で怒られてるの、あたし!?」
再び涙目になるイティス。
次の瞬間、お嬢からそこそこキツめに叱られて、俺は尻尾を丸めてしまった。
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