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33話 うららかな陽の下で
しおりを挟む――歌を歌っていたあのとき。
生まれて初めて味わうような、不思議な感覚になった。
私が、この世界でケルアとして生まれてきた意味が心から理解できたような、そんな感じ。
きっと、ヒスキさんがいなければ一生味わうことがなかった感覚。
ヒスキさん。可愛いわんこで、神獣で、とても強くて、優しくて、いつも私やイティスのことを気に掛けてくれて。時々、面白くて、やっぱり可愛くて。
そして……少し怖くて。
私の歌が村の皆を救えると知ったあのとき、ヒスキさんにできなかったことが私にできると知ったあのとき。
私の心は、少しだけヒスキさんから離れた。
出会ってから今まで、私の中で大きな大きな存在だったヒスキさんが、少しだけ等身大に見えたのだ。
ヒスキさんの力は、きっと私の願いを叶えるために必要なもの。
ヒスキさんは、きっと他の何を犠牲にしてでも、私の願いを叶えようとするだろう。
この世を『キレイにする』――自分でも、すごく子どもじみた願いだと思う。静かで、穏やかで、清らかな世界にするなんて。
私、何でこんなことを願ったんだろう。
そうしたいって思っているのは間違いないのに、どうしてそうしたいって思うのかがわからない。言葉にできない。
もしかしたら、私がヒスキさんの言う『お嬢』さんの生まれ変わりだから? 本当に?
あなたは、本当にそう思っているの? ケルア。
きっとヒスキさんは、そんな私の願いを全面的に信じて、受け入れてくれている。ヒスキさん自身が、それとまったく正反対の存在かも知れないと気づいていながら。
私は、何も言えなかった。ヒスキさんに居て欲しい。けど、このまま私のわがままを通したら、ヒスキさんは自分から離れていってしまうかもしれない。
じゃあどうしたらいいのだろう。
私は何がしたいのだろう。
……村を出てからの私は、何度もそんなことを考えた。
村から一歩一歩離れていくごとに、じわじわと心に踏み込んでくる怖れ、不安、重圧。
このままじゃダメ。
一緒にいてくれるイティスや、シーカさんを見ていると、だんだんとそう思えてきた。
私はまだまだダメだ。ダメなんだ。
このどろどろした気持ちに立ち向かえるだけの強さを身につけないといけないんだ。
この先も、ヒスキさんと離れなくても済むように。
――シーカさんは、私が聖女みたいと言ってくれた。
だから私は目指そうと思う。聖女になること。声の力で穢れを祓い、平穏な静けさを取り戻す人間に。
私は、そのために旅をするんだ。
でも――。
そうなったら私は、いつか。
いつか、ヒスキさんとも対峙しなければいけなくなるのかな……?
◆◇◆
「んー……ヒスキさん……」
「おっと。お嬢、俺はここにいますよ」
その寝言に、俺は尻尾でそっとお嬢の頭を撫でた。
――村を出発して数時間。
簡単な昼食を済ませ、お嬢はお休みになっていた。午睡である。ちなみに、ちゃっかり舎弟も一緒になってぐーすか寝ていた。
まあ、外は確かにこれ以上ないほどの陽気だからな。昼寝にはうってつけだ。
村の連中が用意してくれた旅装の中に、小さなテントが入っていた。中央を一本のポールで支える円錐型――いわゆるワンポールテントと呼ばれるタイプだ。
もちろん、現代日本で販売されているような上等上質簡便なものではない。狩りで夜を明かす人間が使うような、持ち運びを最優先にした簡易的な作りのものである。ほとんど分厚い布だ。
まあ、俺の【カシワブラッド】があれば、ポール代わりの木やツタはいくらでも生成可能なので、割と快適な空間にすることができる。だから今のところ、大きな問題はない。
うららかな陽光の下、お嬢とイティスはそのテントの中で、すやすやと寝息を立てていた。
穏やかな――というよりむしろ、少々だらしないツラで寝入った舎弟と違い、お嬢は時折、眉をしかめたり寝言を呟いたりしている。
俺はそれが心配で、ずっとお嬢の様子を見つめていた。
「きっと精神的にお疲れなのだろう。……色々あったからな」
オークとなった村人を救ったことで、お嬢は間違いなく成長なされた。
しかし、だからといって心の疲労やストレスまで乗り越えられたわけではないはずだ。
「お嬢……俺はいつでもお嬢の側にいますぜ。お嬢がどのように思われても、神獣ヒスキはあなたの味方。ですからどうか、しがねえヤクザごときに思い悩まないでくだせえ」
お嬢の寝顔に向かって囁く俺。
近くを川が流れているのか、せせらぎの音が小さく耳に届く。
風が、梢を揺らす。その音が降ってくる。その風がまた、テントの端をゆらりゆらりと揺らす。
ASMR世界らしい、美しく、穏やかな音と光に溢れたひとときだった。
ずいぶんかかったが、お嬢にはこれからたくさん、この世界を堪能して欲しいと思う。
『はぁー……はぁーん……ふぅーん……うへへぇ……』
「……おいコラ限界オタクポン刀聖女。涎ダラダラ流しながら視姦してんじゃねえ。せっかくの雰囲気が台無しだ。埋めるぞ」
『えっ!? あ、アタシ涎たらしてました!?』
「擬人化してたら間違いなく、な。素晴らしいことだポン刀の姿は」
『ホッ』
「皮肉だボケ」
お嬢たちの安らかな寝顔は、コイツにとっては超高級フルコース料理に匹敵する愉悦メニューなのだろう。
その気持ち、少しだけわかる。せめて恍惚の吐息は我慢しろと言いたいが。
俺はため息をついて、話題を変えた。
「シーカ。改めてお前に意見を聞きたい」
『はい?』
「俺たちが次に目指すべき目的地について、だ」
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