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50話 ASMRと本とヒスキの語り
しおりを挟む部屋を出た俺は、ファンマの後ろを歩く。巨大な本を背負っているせいで、表情がわからない。
「ファンマよ。そのむやみにデカイ本は、わざわざ背負う必要があるのか? お前の力があれば、自由に書庫から出し入れできるんだろ?」
『こうしている方が落ち着く』
「まあ、大事なモンだしお前がいいならイイけどよ」
『この本が身近にある。それ大事。皆と違って、眠らずに済んだ』
「……ちょっと待て」
ファンマの言葉に大きな引っかかりを覚える俺。
「するってえと、お前が他の連中よりまともなのは、本を後生大事に持ってたからか?」
『ん。母様から、いつか来る聖女様のためにって。母様さすが』
身内の自賛はどうでもいい。
それより、重要な情報だ。
大図書館の奥深くに眠る聖女御用達の本たち。それがあれば、幽霊司書たちの目をいくぶんか覚ますことができるかもしれない。
ファンマの言葉が正しければ、幽霊たちはガス欠状態であり、本は奴らにとってのガソリンなのだ。
正しく活字ジャンキーである。実に大図書館らしい。
……そういう環境だから、シーカやブロンテンみたいな変態が養殖されるのか?
「さっさと本来の力を取り戻してもらわないとな。お嬢のためにも。ファンマ、とりあえずお前の母様とやらのところまで案内してくれ」
『ん。……ん』
一度頷いた彼女だったが、ふと立ち止まる。そのまま、座り込んでしまった。
俺は慌てて駆け寄る。ファンマの横顔は、少々辛そうだった。
「おい、どうした?」
『何だか力入らない』
「おいおい……」
『ずっとあの部屋にいたから』
「マジで引きこもりだったのか。体力なさすぎだろ」
幽霊に言っても仕方ないことは理解していたが、突っ込まずにはいられない。
役に立つかどうか以前の問題だな……。どうする?
眉間に皺を寄せ考え込んだときである。
ふと、足音が聞こえてきた。
ヒールが床を打つような高い音である。
幽霊たちは床を歩かない。歩いても足音が立たない。ファンマがそうだからわかる。
なら、この足音はいったい何だ?
それだけじゃない。ガラスの皿がわずかにこすり合うような音まで聞こえてきた。周りにはそれらしいモノは何もない。
足音。食器の音。
「……そういや、生前のASMR動画にこんな音があったな。お嬢に何て伝えたんだっけか。『これはメイドが食事を運ぶ音です』――だったか」
『……!』
なんとなしに呟いた俺の言葉に、ファンマがぴくりと反応する。
驚いたような彼女と目があった。俺は首を傾げる。
「どうした?」
『今の。ぞわっとした』
「ぞわっと? 別に変なこと言ったつもりはねえぞ。昔、音から物語を語って聞かせていたときのことを思い出しただけだ」
『それ、もっとちょうだい』
「変な奴だな」
脈絡がない。意図が掴めず、俺は前脚で鼻を掻いた。
まあ、今の状態では色々ジリ貧なのは変わりないのである。
「本来ならお嬢にだけ聞かせていた話だ」
そう前置きしてから、俺は軽く語り出す。
ヒールの音、食器の音。そこから連想できるシンプルな物語を組み立て、話す。
オチもひねりもない、ただ時間つぶしなだけの退屈な物語だ。ただ、お嬢が喜ぶよう、平穏で夢のある話を心がける。
時間にして2、3分ほどの短い語りを終えたとき、異変が起こった。
ファンマの背負う巨大な訓練本が、わずかに発光を始めたのだ。
さらに、その光はファンマにまで移っていく。
苦しそうだった彼女の表情が和らいだ。
『もう大丈夫。おいしかった』
「おいしかったって言うな。変な感じがするだろが」
『でもおいしかった。本、少し元気になった。私も。すごい。ありがとう』
たどたどしい口調ながら、礼を言ってくるファンマ。
彼女はしっかりとした様子で立ち上がり、歩き出した。
『母様のところ、行く。さっきのこと、何か知ってるかも』
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