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第59話 国王ルヴァジ・ヒル・ルマトゥーラ

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 しばらくすると、城壁の上に見慣れた姿が現れた。
 普通の人間なら目もくらむような高さから、躊躇ためらいもなく飛び降りる。

 ――思ったよりも帰還が早い。

 俺は緊張の面持ちで神獣少女を待ち受けた。

「ご苦労だった、リーニャ。報告を頼む」
「うにゃー」

 猫の鳴き真似のような声を出しながら走ってきたリーニャは、そのまま俺に抱きついてきた。

「見失った。リーニャ悔しい」
「そうか……」

 俺は神獣少女の肩を軽く叩きながら、眉をひそめた。

 リーニャの追跡から逃れるとは。相手はよほどの手練れか。それとも高い逃走スキルを持っているか。
 いずれにせよ、厄介なことだ。

「主様。ごめんね」
「いや。気にするな。指示を出したのは俺だ。リーニャでダメなら、ここの誰だって取り逃していただろう」
「にゃー。やっぱりここ、人がたくさん居すぎて匂いも気配も混ざってクラクラする」
「なるほど……群衆の多さがリーニャにとっては足枷だったんだな。それこそ俺の判断ミスだ」
「にゃー。それからもの凄い美味しそうな肉の匂いがした。とても卑怯」
「……なるほど?」
「主様も食べたかった? じゃあ連れてってあげる」
「もしかして食い逃げしてきたのかお前」
「リーニャ逃げてないよ」

 わりと重大な判断ミスだったかもしれん。
 ぽかんとする王国の人々に、とりあえず俺は頭を下げた。
 アリアが「後でお金を払いにいかなきゃね」とか言いながらリーニャ(と俺の頭)をぽかりと叩く。神獣少女はよくわかっていなかった。

 気を取り直し、今度は大精霊ルウを呼び出す。
 相変わらずほんわかした表情のルウは、いつも通りの口調で報告した。

「これは~、魔法を使われましたね~。リーニャが人に酔っている間に、気配がぱたりと消えました~」
「神獣だけでなく、大精霊の目をもごまかす魔法か……」
「うーん。それだけじゃない気が~」

 俺とアリアの視線を受け、大精霊はニコニコ顔で言った。

「この街全体に、ぼんやりと不思議な魔力が満ちているんですよね~。リーニャが追いかけていた人間、その魔力に紛れた感じですね~。どこから漏れてるんでしょう~?」
「発生源の特定はできなかったのか?」
「うーんと~」

 人差し指を顎に、たっぷり二十秒。俺はこれ以上の追及を諦めた。

 書記官キリオ、姫付の筆頭騎士スティアがやってくる。

「ラクター陛下。そろそろ城内へ。皆様がお待ちです」
「わかった」
「それと僭越せんえつながら、いくら配下の者とはいえ、少し離れた方がよいかと」

 言われて、気づく。
 戻ってきてからずーっと、リーニャがくっついたままだ。
 俺の胸元に顔を押しつけて、何やら熱心に匂いを嗅いでいる。おいやめろ。

「主様の匂いー。落ち着く」

 だからやめて。
 すぐ後ろでアリアが「この変態」と小声で力強く罵倒してくる。

 ああ、しかもこのパターンは……。

「姫様。――イリス姫様!」
「……はい?」
「衝撃を受けている場合ではありませぬ。ここは王国の将来を担う者として、器の大きさを示すときです」
「……う、器?」
「そうです。あちらが胸元ならこちらは首筋です。顔と顔が近づきインパクトは絶大――」

 双子従者が案の定、暴走し始める。
 俺は率先して城内へ向かって歩き出した。なにかとんでもないモノを見た――といった表情の衛兵に、謝罪代わりの会釈をする。

 ――久しぶりの王城は、相変わらず綺麗だった。

 よく磨かれた床を靴裏が叩く。心地よい足音。ホールに等間隔に並ぶ彫像。静謐せいひつな雰囲気。カリファの聖森林で過ごしていたときには感じなかった、文明の香りだ。

 若干不満げな双子従者に先導され、城内を歩く。目指すは謁見の間。

 途中、見覚えのある顔とすれ違った。城内で働く人たち。かつて勇者パーティに居たときに知り合った面々だ。
 彼らは皆、俺を覚えていてくれたようで、わざわざ会釈をしてくれた。そういえば俺が勇者パーティの一員だったときも同じような対応してくれてたよな。

「相変わらずだ……って顔してるわね。ラクター」

 ふと、アリアが言った。彼女は少し居心地が悪そうだった。

「あんたは知らないかもだけど、少し前まで王城の雰囲気はサイアクだったんだから」
「そうなのか?」
「そうよ。ま、私含めた誰かさんたちのせいで、ね。今は皆、伸び伸びしてるわ」

 大賢者は遠い目をした。俺はアリアの背中を軽く叩いた。

 ――大きな階段を上り、一際豪奢ごうしゃな扉の前に立つ。
 謁見の間だ。
 ここにルマトゥーラ王国の最高権力者がいる。

 さすがに緊張してきた。王城には幾度となく足を運んできたが、国王陛下と顔を合わせる機会は片手で数えるほどしかなかった。しかも、言葉を交わすのはもっぱら勇者スカルのみ。

 扉の前で国王の姿と印象を思い出す。するとアルマディアが感心したように言った。

『なるほど。まさに世の人々が想像する『王様』そのものですね。中央値ぴったりです』

 王様の中央値ってなんぞ。
 女神だからって言いたい放題のアルマディアを無視し、俺は呼吸を整えた。

 扉を護る近衛が声をかけ、部屋への道が開かれる。
 空気が一段階、重くなったように感じた。

 真っ赤な絨毯が、玉座に向けて一直線に伸びている。遮るものは何もない。
 俺は前を向き、一歩一歩、足裏の感触を確かめるように歩いた。俺の右後方にイリス姫、左後方にアリア。リーニャたちがさらに後方に続く。
 絨毯の毛が深く、音は響かない。それでも足音が耳の奥ではっきり聞こえる。

 玉座には、壮年の男性がゆったりと腰掛けていた。
 ルマトゥーラ王国国王、ルヴァジ・ヒル・ルマトゥーラ陛下。
 恰幅のよい身体付き。俺なんかよりずっと立派に王族の衣装を着こなしている。豊かな口ひげに、鋭い視線、悠然とした態度。
 まさに王らしい王。

 アリアがその場にひざまずく。イリス姫も腰をかがめ、視線を下げた。
 俺は口を引き結ぶ。一番先頭で、ルヴァジ王と立ったまま、相対する。

 今の俺は、カリファ聖王国のトップ。
 お互いの力関係が定まる前から、敢えてへりくだる必要はない。
 ……その覚悟を固めるのに、この絨毯の距離はちょうど良かった。

 お互い無言で見つめ合う。
 ルヴァジ王は、瞬きもせず俺を視線で射貫く。
 俺は唇を濡らした。

「お久しぶりです、陛下。ラクター・パディントン。カリファ聖王国を統べる者として、貴方のお招きに感謝します」

 ……こんな感じでいいか。

 相手の出方を待つ。
 今回、話がしたいと俺を呼んだのはあちらだ。
 用件は、なにか。
 あんなパレードを許すくらいだ。余裕を見せて釘を刺してくるか。それともパレードはあくまで見せかけで、重要な案件をカモフラージュしているのか。
 どうなんだ。

 無言の時間が、続いた。
 ルヴァジ王の視線の強さは、変わらない。

「陛下」

 声をかけた。
 謁見の間に人は少ない。王の一番近くにいるのは、彼の妻――イリス姫の母であるローリカ・シス・ルマトゥーラ王妃。
 イリス姫は母親似なのだと思わせる、可憐で美しい女性だ。
 そのローリカ王妃が、そっと夫の肩に触れた。

「陛下」

 俺と同じように、声をかける。そしてもう一度、今度は「あなた」と。

 ルヴァジ王の視線が、初めて俺から外れた。

 王妃をゆっくりと見て、それから俺に向き直り、なぜか、
 俺もつられて瞬きした。
 深い深いため息が聞こえた。俺のすぐ右後ろ、イリス姫だ――って、え? なにごと?

「お父様ったら、また」

 俺は姫を振り返る。目線で「どういうこと?」とたずねると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて言った。

「申し訳ありません、ラクターさん。みっともないところを。父の悪い癖で……」
「は?」
「その。父は極度に緊張すると――失神してしまうんです」
「失神」
「はい。目を開けたまま」
「目を開けたまま」

 壊れたレコーダーのように繰り返す俺。
 隣でアリアが呻くようにつぶやいた。「あの極秘情報ってマジだったのね……」と。

 俺はルヴァジ王に視線を戻す。
 相対してから一切変わらない表情で、ルマトゥーラ王国を統べる男はシュッと手を上げ言った。

「すまん!」

 いやすまんて。



   
 
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