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第61話 〈side:勇者〉スカルの企み
しおりを挟むラクター・パディントンが姫君から婚約の話を持ちかけられた、そのころ――。
場末の地下酒場には、かつて勇者と持て囃された男が入り浸っていた。
ただし、数日前までと少し様子が違う。
◆◇◆
「おい旦那。そろそろ出てってくれないか」
「あん?」
「客が入るんだよ」
「こんな寂れた店に、いったい誰が来るってんだ」
「うるさいな。お前さんをこのまま店に居座らせるより、閑古鳥を鳴かせていた方がまだ幾分かマシだっつってんだよ」
店主のキツイ言葉に、俺――スカル・フェイスは舌打ちした。
顔には不機嫌なツラが浮かんでいるだろう。
忖度ナシにズケズケ物を言う人間は嫌いだ。何様だと思う。
だが、このときの俺はそれほど悪い気がしなかった。
こうして誰かと会話するのはいつ以来だろうか。
特別に店主の顔を立て、俺は撤収の準備をする。
持っていた重りを店の隅に置いた。石造りの床にゴトンといかにも重そうな音が響く。元は酒樽が転がらないようにするためのものらしい。
気づけば汗だくだ。店主が無言で放って寄越したタオルで身体を拭く。
我ながら惚れ惚れする身体だ。
「何度も言うが、ここは鍛錬場でもハッテン場でもねえ。どういう風の吹き回しだ。いきなり身体を鍛え出すなんて」
「ふっ。知りたいか?」
「いや。絶対に聞きたくないね。余所でやれと言いたいんだ」
興味なさそうに手を振る店主。
俺は笑った。何だかんだ言いつつ、こうして俺の活動を許している。憎めない男だ。
そのときが来たら、こいつだけは優遇してやってもいい。
着替える。メシを食い、酒を食らい、筋肉が熱を持つほど鍛えた後の爽快感。久しく忘れていた感覚だった。
まあ悪くない。
すべて、俺の栄光を取り戻すための下準備だと思えば――実に悪くない。
「旦那」
「あ? なんだよ」
「あんた……何を考えている?」
俺は振り返った。
店主はカウンターの奥で店開きの準備をしている。こちらに背を向けたまま、奴は言った。
「ここ数日のあんたは、気味が悪いほど生き生きしている。まるで、新しいオモチャを手に入れたガキみてえだ」
「勇者に向けて失礼な。目標ができたんだ。それの何が悪い」
「目標?」
「知りたいか?」
「……いや」
一瞬手を止め、店主は俺を見た。
「ただ、これだけは言っとくぜ。あんま周りに迷惑かけんな」
「ははは。迷惑? 勇者であるこの俺が? 冗談言うな」
「数日前なら無視してもらっても気にしなかった」
店主の声が真剣である。
「今の旦那、ヤベェ目をしているぞ。自覚、あんのか?」
「結構なことじゃないか」
こんな目か?――と見せつけるつもりで、店主を見つめ返す。
「いつだって、勇者の目指すところは凡人にゃ理解できないのさ」
「……そのとおりだな」
店主が背を向けたので、俺は鼻を鳴らして店の出口に向かう。
出入口近くのテーブルに、金が入った小袋を力強く置いた。しばらく反応をうかがったが、店主が何のリアクションも取らないので、俺はつまらなくなって店を出た。
日の暮れた裏路地は、適度に明るく、適度に暗く、居心地が良い。
俺はフード付きマントを目深に被った。他人から表情を見られないよう、わずかにうつむいて自宅へと歩く。
大通りへと繋がる路地に来る。
――また、アレが来た。
腹の底から湧き上がってくる怒りの感情だ。
嫌な光景を思い出す。
「ラクター・パディントン……あの野郎」
歯ぎしりしながらつぶやく。
記憶が鮮明に蘇る。
大通り。大勢の住民どもにチヤホヤされながら、やたら小綺麗な馬車に乗ってパレードしていた。
隣にはあろうことか、イリス・シス・ルマトゥーラが座っていた。
おかしい。絶対におかしい。
ラクターの奴は、何も出来ない、あらゆることで俺様よりも劣る男だったはずだ。
それなのに何故、本来俺が座るべきポジションに奴が居る?
しかも何だ。小綺麗な服を着て、すました顔で手を振りやがった。
思い出すだけで、全身が怒りで強ばるのがわかる。
――ふと我に返り、辺りを見回す。追跡者がいないかどうか確かめ、足早に帰路を急ぐ。
パレードを目にしたあのとき。
奴の取り巻きらしい女が殺気をみなぎらせて迫ってきた。明らかに俺だとわかっていての追跡だった。
どうやらラクターの奴と同じく能の無い女だったためか、魔法で誤魔化して撒くことができた。
俺は逃げたわけじゃない。
ラクターから逃げるなど、冗談ではない。あってはならない。
その証拠を、もう間もなく出せる。
俺様が奴らよりも確実に優秀であり、唯一無二の勇者である証明が、もうすぐできる。
――屋敷に着いた。
相変わらず誰もいない。
もう慣れた。
それに今は、この静けさは逆に都合が良い。
屋敷に入ると、真っ先に地下倉庫へ向かう。
階段を一段一段降りるごとに、俺の脳裏に輝かしい光景が次々と浮かんでは過ぎていく。
「ふふっ……くくっ……」
思わず、笑い声が漏れた。
地下倉庫の前に来る。
扉は、すでに歪んで用を為さなくなっていた。
代わりに、俺の魔力で作られた完璧な結界が中と外を隔てている。
扉が開け放たれ、半透明の結界でのみ遮られた地下倉庫。
中では、濃い紫色に染まったスライム状のモノが詰まっていた。ところどころに、防具のような金属が浮かんでいる。
――エリスがもたらしたという小瓶の中身と、俺の聖なる装備が融合して出来上がった、魂なき騎士。
禍々しい気配が結界越しでも伝わってくる。
これは明らかに、良くないモノ――とんでもない力を持つモンスターだ。
ある意味、ドラゴンよりたちの悪い代物かもしれない。
地下倉庫の出入口に、見慣れた剣を見た。
結界越しに、それを引き抜く。粘つくスライムで汚れてはいるが、間違いなく俺の聖剣だ。
俺は本当に、運が良い。
「さあ……育て。もっとでかく、恐ろしく、そして強いモンスターになれ」
汚れた聖剣を握り、俺は踵を返した。地下から地上へと階段を上る。
育て、育て――と、呪文のように繰り返した。一言呟くたびに、腹の底から愉快な気持ちが溢れてくる。
――俺は、考えたのだ。
そしてひとつの結論にたどり着いた。
皆が俺を崇めないのは、俺が勇者であることを皆が忘れているからだ。
だったら思い出させれば良い。思い知らせれば良い。
勇者が勇者として認められる理由――それは勇者が、人々を巨大な危機から救うためだ。
待っていろ愚民ども。待っていろ愚鈍な王。待っていろイリス姫。
待っていろ……ラクター・パディントン!
これから貴様らに、大いなる禍が訪れるだろう。
それを救うのは、勇者たるこの俺だ。
俺の圧倒的な力の前に、この国のすべてよ。ひれ伏すがいい――!
「ふふっ……くくっ……ふはははははっ、あっははははははっ!!」
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