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茶碗騒動(4)茶会
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手入れの行き届いた庭の見える座敷で、茶会が開かれていた。出席者は一橋徳川の面々で、正客は当主慶喜。それに、重鎮が続く。
末席まで頂いた後、雑談が始まる。
「いかがでございましたでしょうか」
「うむ。見事なものよな。これは曜変天目茶碗ではないのか」
正客の一橋慶喜は、すまして答える。この人物こそ、浜崎徳之進を名乗る人物である。
幕命で水戸から呼び戻されて一橋家を相続してから、知り合った頼藤祐磨と友情を築き、浜崎徳之進という偽名で度々祐磨の家へ遊びに訪れ、また、一緒に遊び歩いたのである。
慶仁にしてみれば、兄の仲のいい友人、もう一人の兄、というくらいの認識でしかないが。
慶仁と一緒になって遊んでいる時とは別人そのものの澄ました顔で、慶喜は茶碗を見やった。
「娘の、多香でございます」
点前を披露していた美人が、頭を下げる。亭主が「娘はどうか」と訊いて来たのを慶喜が誤魔化したので、気付かないフリをしてグイグイ来たようだ。
そこで慶喜は、改めて親子を見た。
「実は娘の多香がこの茶碗を見付けまして」
「ほう。大した目利きですなあ」
老中が感心し、多香は頭を下げた。
慶喜は茶碗をじっくりと眺めていた。そして、間違いないと確信する。
「これをどこで?」
「はい。さる寺院で知らずに使われているのを見て、譲っていただきました」
「おや?知り合いの持っていた茶碗にそっくりだが……」
「は?あの……?」
「いえ、愛猫が付けた傷を余計に気に入っていましてね。こうして、印を押して残すほどに。そしてその翌日、昨日の朝ですが、亡くなってしまったんですがね」
三日月形の傷が入った茶碗の底の印を広げる。
「こっ、こっ」
ニワトリか、と、慶喜は思った。
「その茶碗はまだ支払いがすんでいないのに女中が割ったと、骨董屋が大騒ぎしていましたよ。こうして、支払いはすんでいるのに。
しかも、一昨日までずっと寺院ではなくそこにあったのに。
どういう事でしょうな」
「ヒッ」
多香が、口元を押さえて声を押し殺す。
「あ、あの、それは、近江屋がした事で、私は」
「おやおや。近江屋だとよく御存知で」
控えていた若侍が、唇をかんで俯いた。
縁側に横並びに座って、冷えたわらび餅を食べていた。浜崎のお土産だ。
「茶碗を譲って欲しいと近江屋が頼んでいたらしいが、断られていたようだ。それであの朝、隙を見てすり替えてやろうと贋作を持って近江屋が御隠居の家に行って、御隠居が亡くなっているのを加代と見つけた。この時に、驚いて贋作を落として割ってしまい、ただすり替えるのが難しくなって、こういう騒ぎになったそうだ。
と、茶会に出席していた知人が言っていた」
慶喜──いや、浜崎は、しゃあしゃあと言って、わらび餅を口に放り込んだ。
「これで加代さんも皆本さんも、安心して祝言を上げられるな。ありがとうございました!その知り合いの方にもお礼を言っておいてください、浜崎様」
「いいよ」
にこにことしている浜崎と慶仁を見ながら、哲之助はチラッと祐磨を見た。
目の合った祐磨は、困ったように笑った。
それを見て、哲之助は軽くうなずいて、ソッと嘆息する。
「それで、近江屋とか堺とかはどうなったんですか」
読み本でも読んでいる気なのか、慶仁は目を輝かせて結末を聞きたがっている。
「側室を狙っていたけど勿論その話は無し。どころか、詮議を受けて、減封のせいでお目見え以下に。近江屋は似たようなことをしていた形跡があって、遠島」
「似たようなことを他にも!?酷いやつだなあ」
「全くだ」
「しかし、爪痕が残っていなかったらしらばっくれられてお仕舞いだったな」
「しろ、さまさまですね」
祐磨、哲之助もそう付け加えて皆でわらび餅を食べた。
因みにしろは、加代が飼う事になったらしい。
「無事に解決して良かった。こうやって、穏やかに過ごしていたいなあ」
浜崎が言って、青くて高い空を見上げた。
末席まで頂いた後、雑談が始まる。
「いかがでございましたでしょうか」
「うむ。見事なものよな。これは曜変天目茶碗ではないのか」
正客の一橋慶喜は、すまして答える。この人物こそ、浜崎徳之進を名乗る人物である。
幕命で水戸から呼び戻されて一橋家を相続してから、知り合った頼藤祐磨と友情を築き、浜崎徳之進という偽名で度々祐磨の家へ遊びに訪れ、また、一緒に遊び歩いたのである。
慶仁にしてみれば、兄の仲のいい友人、もう一人の兄、というくらいの認識でしかないが。
慶仁と一緒になって遊んでいる時とは別人そのものの澄ました顔で、慶喜は茶碗を見やった。
「娘の、多香でございます」
点前を披露していた美人が、頭を下げる。亭主が「娘はどうか」と訊いて来たのを慶喜が誤魔化したので、気付かないフリをしてグイグイ来たようだ。
そこで慶喜は、改めて親子を見た。
「実は娘の多香がこの茶碗を見付けまして」
「ほう。大した目利きですなあ」
老中が感心し、多香は頭を下げた。
慶喜は茶碗をじっくりと眺めていた。そして、間違いないと確信する。
「これをどこで?」
「はい。さる寺院で知らずに使われているのを見て、譲っていただきました」
「おや?知り合いの持っていた茶碗にそっくりだが……」
「は?あの……?」
「いえ、愛猫が付けた傷を余計に気に入っていましてね。こうして、印を押して残すほどに。そしてその翌日、昨日の朝ですが、亡くなってしまったんですがね」
三日月形の傷が入った茶碗の底の印を広げる。
「こっ、こっ」
ニワトリか、と、慶喜は思った。
「その茶碗はまだ支払いがすんでいないのに女中が割ったと、骨董屋が大騒ぎしていましたよ。こうして、支払いはすんでいるのに。
しかも、一昨日までずっと寺院ではなくそこにあったのに。
どういう事でしょうな」
「ヒッ」
多香が、口元を押さえて声を押し殺す。
「あ、あの、それは、近江屋がした事で、私は」
「おやおや。近江屋だとよく御存知で」
控えていた若侍が、唇をかんで俯いた。
縁側に横並びに座って、冷えたわらび餅を食べていた。浜崎のお土産だ。
「茶碗を譲って欲しいと近江屋が頼んでいたらしいが、断られていたようだ。それであの朝、隙を見てすり替えてやろうと贋作を持って近江屋が御隠居の家に行って、御隠居が亡くなっているのを加代と見つけた。この時に、驚いて贋作を落として割ってしまい、ただすり替えるのが難しくなって、こういう騒ぎになったそうだ。
と、茶会に出席していた知人が言っていた」
慶喜──いや、浜崎は、しゃあしゃあと言って、わらび餅を口に放り込んだ。
「これで加代さんも皆本さんも、安心して祝言を上げられるな。ありがとうございました!その知り合いの方にもお礼を言っておいてください、浜崎様」
「いいよ」
にこにことしている浜崎と慶仁を見ながら、哲之助はチラッと祐磨を見た。
目の合った祐磨は、困ったように笑った。
それを見て、哲之助は軽くうなずいて、ソッと嘆息する。
「それで、近江屋とか堺とかはどうなったんですか」
読み本でも読んでいる気なのか、慶仁は目を輝かせて結末を聞きたがっている。
「側室を狙っていたけど勿論その話は無し。どころか、詮議を受けて、減封のせいでお目見え以下に。近江屋は似たようなことをしていた形跡があって、遠島」
「似たようなことを他にも!?酷いやつだなあ」
「全くだ」
「しかし、爪痕が残っていなかったらしらばっくれられてお仕舞いだったな」
「しろ、さまさまですね」
祐磨、哲之助もそう付け加えて皆でわらび餅を食べた。
因みにしろは、加代が飼う事になったらしい。
「無事に解決して良かった。こうやって、穏やかに過ごしていたいなあ」
浜崎が言って、青くて高い空を見上げた。
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