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2 苦い夜
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精霊の忘れ形見。
それは体に後天的に貴石が宿った少女たち。
竜の鱗のように、また精霊の角のように貴石を宿した少女たちの姿から、かつて宝石の街が興る前に顕れた精霊の忘れ形見だ…と人々はいつからかそう呼び始めた。しかしそれが真実であるか…精霊を見ることがないただの人には誰にも分からない。
ただ確かに、その少女たちは存在していた。
ただ人の身に余る恩恵を宿して。
「や~! 兄弟、ずいぶんとお手柄だったな! 関心関心!」
日がしっかりと沈んで空に星が瞬いてる頃、イルダの教会の前でやたらと陽気な声が響いた。
声の主は教会に仕える騎士で、笑顔の彼とは対照的に肩を叩かれたエルツは、この上なく嫌悪な表情をしている。
「お前の兄弟になった覚えはない」
「つれないな、そんな顔するなよ。お前がこーんなちっちゃい頃から遊んでやってたんだぜ? 兄弟みたいなもんだろ!」
ばしばしと勢い良く背中を叩かれ、思わずバランスを崩す。睨めば笑ったまま肩を竦められた。
陽気な騎士の名はディートという。本人の言った通り、幼い頃からエルツと親交のある、いわゆる幼なじみだ。
そんなことよりとエルツが先を促すと、そうだったとディートは話し始めた。
「エルツが捕まえたあの男、忘れ形見を拐ったと通報があって騎士団も追っていたんだ。
やつの拐った忘れ形見は、ここから山ふたつ越えた街の娘で、教会としても保護対象だったんだが…先を越された。
取り調べたら泥棒だの強盗だの小金をセコく稼ぐ日陰者だったらしいが…忘れ形見の拐かしの罪は大きすぎた。それに気付いて発覚を恐れた奴は、攫ってすぐに…」
語尾を濁す彼の言葉に、エルツは眉間にしわを寄せて俯いた。
足に寄り添う愛犬のブルガが、心配そうに主人を見上げくぅんと小さく鳴く。
―――彼が見た石から聴こえた悲痛な声は、彼女の救いようがない末路を示していた。
脳裏に、血なまぐさい光景が過る。あの石は悲劇の色を遺したまま、この世に留まり続けるのだろう。
エルツは無意識に拳を握った。
「…胸糞が悪い話だ。ただでさえ忘れ形見は短命だというのに…」
友人の唇を噛む姿に、騎士は笑顔を消した。
沈黙の間も無く、エルツはすぐに顔を上げる。眉間のしわは既になく、力のない瞳だけがそこにあった。
「ディート、俺はもう戻るよ。春でも夜は冷える。もう話すことはこれ以上ないだろう」
「あ、ああそれなんだが…」
今度は騎士、ディートの方が苦い顔をする番だった。
いつもはっきりと喋る幼なじみの煮え切らない声音に、エルツは疑問符を浮かべる。すると足元のブルガがすっと立ち上がり、教会の入り口に向かってわん、とひとつ吠えた。
「こらブルガ、夜だぞ…」
咎めながらブルガの見つめる方向に目を向けたエルツは、思わずそこに釘付けになった。
教会の扉から出てきたのは、先程会った“忘れ形見“の少女だったのだ。街灯の光りに照らされ、彼女の持つ瞳も、髪の中に生えた貴石も、きらきらと輝いていた。
「きさま、どこにいたのだ。わたしはお前を探していたのだ」
少女はエルツを見るや否や、小さな体でずかずかと無遠慮に近づいてきた。
予想外の彼女の行動に、エルツは驚いて目を見開き、しかしこわばった体を動かす事ができなかった。
「いや、待てそれ以上近づくな!」
思わず声を荒げると、少女はぴたりと足を止めた。あと五歩、といったところか、彼は無意識に止めていた息を小さく吐いた。
少女から目を逸らし、片手で顔を覆い、極力少女が視界に入らないようにする。
「…ディート」
「あーはいはい。おーいちょっとー! 忘れ形見さまはここにいるよー!」
察したディートが教会に向かって大声で呼びかけると、幾つかの慌てた足音が近づいてくる。教会から出てきた若い騎士数人と、使用人の女性の二人が、少女を諭しながら中へと導く。
少女は何か言いたそうにふたりを横目で見たが、何も言わずにそのまま素直に中に入っていった。
やがて元の通り静かになったその場所で、エルツは再度息を吐いた。
無言で睨みつければ、ディートは彼の様子に苦笑いしながら事情を話し始める。
「あの子は奴が連れていた少女で、名前をクリューというそうだ。彼女自身がそう言っていた。
…貴石が体から生えている、見ての通りの忘れ形見なわけだが、教会は認知していなかった。
聞けばどこか遠いところからこの街あって一人で旅していたところを、あの男に捕まったらしい。奴は同じように売ってしまう予定だったと口を割っていたが…」
目眩がした。
やっとひとつ災難が過ぎたのに、とエルツは心底疲れたふうに頭を抱えた。
「勘弁してくれ…俺はもう帰る。
忘れ形見の世話は教会の役目だろう、しっかりしてくれよ」
ディートはまだ話したそうにしていたが、エルツは構わず足早に歩き出した。
「待てよエルツ! 今年は貴工職人の認定試験、受けるんだろ? 俺は教会で待ってるからな!」
その言葉に振り向くことも返事をすることもせず、眉間にしわを寄せたまたまま歩き去った。
それは体に後天的に貴石が宿った少女たち。
竜の鱗のように、また精霊の角のように貴石を宿した少女たちの姿から、かつて宝石の街が興る前に顕れた精霊の忘れ形見だ…と人々はいつからかそう呼び始めた。しかしそれが真実であるか…精霊を見ることがないただの人には誰にも分からない。
ただ確かに、その少女たちは存在していた。
ただ人の身に余る恩恵を宿して。
「や~! 兄弟、ずいぶんとお手柄だったな! 関心関心!」
日がしっかりと沈んで空に星が瞬いてる頃、イルダの教会の前でやたらと陽気な声が響いた。
声の主は教会に仕える騎士で、笑顔の彼とは対照的に肩を叩かれたエルツは、この上なく嫌悪な表情をしている。
「お前の兄弟になった覚えはない」
「つれないな、そんな顔するなよ。お前がこーんなちっちゃい頃から遊んでやってたんだぜ? 兄弟みたいなもんだろ!」
ばしばしと勢い良く背中を叩かれ、思わずバランスを崩す。睨めば笑ったまま肩を竦められた。
陽気な騎士の名はディートという。本人の言った通り、幼い頃からエルツと親交のある、いわゆる幼なじみだ。
そんなことよりとエルツが先を促すと、そうだったとディートは話し始めた。
「エルツが捕まえたあの男、忘れ形見を拐ったと通報があって騎士団も追っていたんだ。
やつの拐った忘れ形見は、ここから山ふたつ越えた街の娘で、教会としても保護対象だったんだが…先を越された。
取り調べたら泥棒だの強盗だの小金をセコく稼ぐ日陰者だったらしいが…忘れ形見の拐かしの罪は大きすぎた。それに気付いて発覚を恐れた奴は、攫ってすぐに…」
語尾を濁す彼の言葉に、エルツは眉間にしわを寄せて俯いた。
足に寄り添う愛犬のブルガが、心配そうに主人を見上げくぅんと小さく鳴く。
―――彼が見た石から聴こえた悲痛な声は、彼女の救いようがない末路を示していた。
脳裏に、血なまぐさい光景が過る。あの石は悲劇の色を遺したまま、この世に留まり続けるのだろう。
エルツは無意識に拳を握った。
「…胸糞が悪い話だ。ただでさえ忘れ形見は短命だというのに…」
友人の唇を噛む姿に、騎士は笑顔を消した。
沈黙の間も無く、エルツはすぐに顔を上げる。眉間のしわは既になく、力のない瞳だけがそこにあった。
「ディート、俺はもう戻るよ。春でも夜は冷える。もう話すことはこれ以上ないだろう」
「あ、ああそれなんだが…」
今度は騎士、ディートの方が苦い顔をする番だった。
いつもはっきりと喋る幼なじみの煮え切らない声音に、エルツは疑問符を浮かべる。すると足元のブルガがすっと立ち上がり、教会の入り口に向かってわん、とひとつ吠えた。
「こらブルガ、夜だぞ…」
咎めながらブルガの見つめる方向に目を向けたエルツは、思わずそこに釘付けになった。
教会の扉から出てきたのは、先程会った“忘れ形見“の少女だったのだ。街灯の光りに照らされ、彼女の持つ瞳も、髪の中に生えた貴石も、きらきらと輝いていた。
「きさま、どこにいたのだ。わたしはお前を探していたのだ」
少女はエルツを見るや否や、小さな体でずかずかと無遠慮に近づいてきた。
予想外の彼女の行動に、エルツは驚いて目を見開き、しかしこわばった体を動かす事ができなかった。
「いや、待てそれ以上近づくな!」
思わず声を荒げると、少女はぴたりと足を止めた。あと五歩、といったところか、彼は無意識に止めていた息を小さく吐いた。
少女から目を逸らし、片手で顔を覆い、極力少女が視界に入らないようにする。
「…ディート」
「あーはいはい。おーいちょっとー! 忘れ形見さまはここにいるよー!」
察したディートが教会に向かって大声で呼びかけると、幾つかの慌てた足音が近づいてくる。教会から出てきた若い騎士数人と、使用人の女性の二人が、少女を諭しながら中へと導く。
少女は何か言いたそうにふたりを横目で見たが、何も言わずにそのまま素直に中に入っていった。
やがて元の通り静かになったその場所で、エルツは再度息を吐いた。
無言で睨みつければ、ディートは彼の様子に苦笑いしながら事情を話し始める。
「あの子は奴が連れていた少女で、名前をクリューというそうだ。彼女自身がそう言っていた。
…貴石が体から生えている、見ての通りの忘れ形見なわけだが、教会は認知していなかった。
聞けばどこか遠いところからこの街あって一人で旅していたところを、あの男に捕まったらしい。奴は同じように売ってしまう予定だったと口を割っていたが…」
目眩がした。
やっとひとつ災難が過ぎたのに、とエルツは心底疲れたふうに頭を抱えた。
「勘弁してくれ…俺はもう帰る。
忘れ形見の世話は教会の役目だろう、しっかりしてくれよ」
ディートはまだ話したそうにしていたが、エルツは構わず足早に歩き出した。
「待てよエルツ! 今年は貴工職人の認定試験、受けるんだろ? 俺は教会で待ってるからな!」
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