宝石の街〜精霊の宿るもの〜

霧乃

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3 翠の瞳

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 朝を知らせる鳥の声がする。
 そうだ、もう朝なのだ、頭では分かっているがどうにも体が動かない。いつもは賑わうこの街も、休暇に入っているこの時期は人の声は殆どしない。
 まるで深い森の中の一軒家のように、静かなものだった。

 エルツはベッドで、窓からさらさらと差し込む朝の光を無視するように硬く瞳を閉じたまま、ぼんやりと昨日のことを思い出していた。
 昨日は静かな街に似合わぬほど、色々なことがあった。いつものように来ない客を待ちながら、石を弄るだけの日では終わらなかったのだ。
 珍しく客が来たと思ったら、しようもない盗人で、しかも向こう街で"忘れ形見"を攫って、手にかけて、石を手に入れたような、最悪な事件を引き連れて。
 そしてもうひとつ盗人は思い出したくもない災厄を連れてきて、それが、

「お前、いつまで寝ているのだ?」

 突如として降ってきた馴染みのない、しかし確かに聞いたことのある声にエルツは目を見開いた。
 寝起きでぼんやりとしていた頭が一気に覚醒した。声の正体を確かめようと掛けていた毛布を跳ね除けようとしたが、それが出来ないことに気づく。

「お前は昨日の…!? どうやって家に入ってきたんだ!」

 上がらない体の代わりに辛うじて顔を上げれば、昨日の忘れ形見の少女(確かクリューとかいう名前だった)が、自分の体の上に座り込んでまるでネコのようにこちらをじっと見つめていた。
 瞳と身に宿った翡翠は相変わらずキラキラときらめいている。
 彼女は小柄で細身だが、動きを抑制するには十分だった。体が動かないと思っていたのは、そのせいだったらしい。

「ブルガ! ブルガ、おい!」

 この家の番犬を呼べば、やがてゆっくりと開いた扉からそれは従順に、しかしゆったりとした足取りで寝室に現れた。
 まるでどうかしたの、と呆れたような、わがままを言う子供を諭すような、そんな母性的な風格さえ感じられた。ともあれ状況を察したのか、ブルガはぐいぐいと鼻先でベッドの上の珍客を押しやると、少女は軽い足取りで飛びのいた。
 やっと軽くなった体を起こし、エルツは少女を睨みつけた。
 自分の話は聞かないのに犬の話は聞くのかと、多少文句も言いたくなったが、エルツはなにも言う気になれず目を逸らしてため息をつく。

「へぇ、ブルガちゃんは本当にいい子だなぁ。
巨人族を見張るために国境に置かれた狼犬って聞いていたが、子守りも慣れたもんじゃないか」

 子どもが誰かもよく分かってる。
 そうブルガの後からひょいと顔を出した青年を、エルツは恨めしそうに見た。

「ディート、やっぱりお前か」
「おはようエルツ! 日はもう昇ってるぞ! さっさと支度しないと客が来るかもしれん」 

 わざとらしくひらひらと入り口の向こうから手を振る幼なじみは、非番なのか昨日よりかは幾分簡素な格好をしている。
 朝飯作ってあるからなー! と声だけ残し、逃げるように廊下を戻っていった。
 エルツはこの状況を受けれられず、このまま再びベッドに倒れ込みたい衝動に駆られたが、さすがに決められた仕事を放り出すわけには行かないのと、早々に彼も少女もお引き取り願いたい思いのほうが強くしぶしぶベッドから降りた。
 そんなエルツに構わず、少女は自分と同じくらいの大きさのブルガの顔をくしゃくしゃに撫で始める。

「この犬はあの誉れ高い狼犬なのか! 通りでたくましいはずだ!」
「……お前狼犬を知ってるのか? ブルガは初代じゃないが、ちゃんと狼犬の血を引き継いでいるから、普通の犬より強く賢く長命だ。こいつは親父の子供の頃からこの家の番犬だよ」
「そうなのか! この世界のことは、グランマがよく話してくれた! もちろん狼犬のことも。暴れて精霊の領域に入ってこようとする竜族と果敢に戦ったとか…」

 半ば興奮気味に話しながらブルガを撫でる彼女に、ブルガもまた気や許したようされるがまま撫でられていた。
 エルツはそんな彼女らを横目に無言で支度を始め、ブルガは撫でるクリューをそのままに、彼女を引き連れてなにも言わずに部屋から出て行った。

「おー、やっと起きてきたか」

 勝手知ったるなんとやら、ディートは人の家のテーブルですっかり寛いだように紅茶を啜りながら、テーブルに放ってあった鉱石に関する本をパタリと閉じた。
 ついと顔を上げれば、弟分の覇気のない顔が目に入った。

「なんだか眠そうだな~。さっさと起きろよ?」

 苦笑する彼をそのままに、エルツはテーブルに着いた。ディートが教会からくすねてきたパンに、焼いたベーコンと卵、淹れたての紅茶…と、確かに出来上がった朝食が置いてある。
 家事に関しては物ぐさなエルツの普段の食事に比べたら、幾分か豪勢に見えた。
 エルツは少し気を良くしたのか、パンをナイフで切り始める。しかし目的を思い出し、すぐに顔を上げた。

「それで、」

 沈黙もそこそこに、ディートは一度大きく咳払いをする。

「単刀直入に言う。しばらく預かってくれないか。あの子を。いや、教会の決定だからな、よろしく頼む。取り敢えずは休暇中だけでいいとのお達しだ」
「は!?」

 驚きのあまり手が滑り、ナイフがエルツの指をかすめる。
 慌てて机にナイフを置けば、ガチャンとそばにあったティーカップが揺れた。
 ディートは無造作に頭を掻き、困ったように眉を下げた。

「あの子がお前に聞きたいことがあると憚らなくってなぁ。
 なにを聞きたいのかと聞いてもなにも答えない。どうしてもお前がいいのだと。教会としても忘れ形見の意向に沿いたいからな。」
「なんで俺なんだ、勘弁してくれ…。残念だが、俺はまだ正式な貴工職人じゃない。教会の決定なんて従う道理はない」

 少しだけ剥けてしまった指の皮をいじりながら、彼は不満そうに俯いた。
 ディートはそんな彼を見ながらひとつ紅茶をすすり、しばらく考えた後再び口を開いた。何か含みを込めた間に、エルツは眉をひそめ彼を見る。

「…さてどうかな。見習い工のお前の師匠である父親は教会の許可を得た貴工職人だぞ。それに…」
「?」

 勿体ぶらした言葉にエルツが顔をあげると、友人の顔は試すように、じっとこちらを見た。そうしてゆっくり、品定めでもするように続ける。
 いつにない態度に萎縮したように、エルツは身を引いた。

「鍵のついた、親父さんの机の引き出しに、」
「! な、なんだ…?」

 突然だが、予想外の発言に、エルツは顔色を変えた。
 引き出しにあるもの。それはこの街の職人である貴工職人の命とも言える魔法石が大事に仕舞われている。

「これ以上言っていいのか? お前が俺と一緒に教会に戻ってくれるっつーことだ」
「…いや、まてそれは駄目だ。分かった、引き受ける」
「おっ本当なのか? 分かってくれて嬉しいぜ、エルツ」

 にかっと笑った彼とは対象的に、エルツの顔には汗が浮いていた。

「黙っててくれるなら、だ。というか、なんで知ってるんだ? アレの場所は貴工職人なら誰にも言わないようにしている筈なんだが」
「え? まあ、俺とお前の仲だろ!」

 あっけらかんと言うディートに、腑には落ちないが、もう約束してしまった。
 そんな彼を見て、すまないなと謝りながら励ますようディートは彼の肩を叩いた。

「まああんな事があったばかりだからな。それに彼女はどうやら魔力持ちでもあるらしい。見回りは来るから、よろしくな」
「魔力持ち…あいつがなにかに狙われた時の教会からどんな仕打ちを受けることになるんだ?」
「大丈夫。なにもないさ」

 じゃあそういうことだから俺は教会に戻るわ、と席を立ち、彼はそこそこの重さの金貨の袋を机に置き、静かな街へと姿を消した。
 エルツはそれを見つめながら、教会の、何でも金で解決したがる体制に嫌悪した。そしてとんでもないことになったと溜息を吐いた。
 出来ることなら忘れ形見とは関わりたくなかったのに…。とそう目が語っていた。


「あいつ帰ったのか?」

 ブルガの首に抱きついたまま、クリューはゆっくりと部屋に入り、窓から見える通りを見つめた。
 彼女の貴石の煌めきに、びくりと肩が揺れた。どうにも慣れない、と片手で顔を覆い、彼女を見ないように彼は応える。

「…帰ったよ。たぶん教会に」

 非番のように見せかけて、あれは命令で来たんだろう。エルツはそう読んでいたが、それは事実だった。
 それを聞き、ほっとしたように彼女はテーブルについた。(ディートが座っていた椅子とは別の椅子に)

「あいつらうるさいんだ。朝からどこから来たのだの、歳はいくつかだのなんだの。質問責めで。話す義理はない」

 不満そうに頬を膨らませ、置いてある紅茶のカップに映り込む自分を見つめた。
 食べる気もなくなったパンをブルガにやりながら、エルツは彼女をちらりと横目で見た。
 やたらに大袈裟な言葉遣いだが、そうしている姿は歳相応な気がしたが、否応無く目に入る宿した鉱石に、ぱっと目逸らす。

「…俺も気に食わない部分はあるが…あいつらもお前を思って聞くんだ。相手のことを知らなければ、なにも出来ないだろ」

 忘れ形見は庇護の対象だ。
 少女が後天的に美しい貴石をその身に宿し、その姿から教会の崇敬する貴石の精霊を思わせる神聖で繊細な存在。この街から精霊と貴石の存在は欠かせない。だから誰もが彼女らの存在を喜んだ。
 何十年に一人、一度に二人はいた事はないという少ない存在だが、今までも何人もの忘れ形見を教会が保護して来たのは事実だ。

「何が忘れ形見だ…」

 この宝石の街に生まれ、暮らし、親と同じ貴工職人を目指したエルツもまた、その存在に神聖さを見ずには居られない。
 精霊の再来と呼ばれても、なんの違和感もない。石を宿し、キラキラと煌く美しい姿は確かに、精霊そのものだと誰もが見ても疑わない。

 沈黙がその場に流れた。
 クリューは少し考えるような素振りを見せた後、エルツを真っ直ぐに見据えたて、ゆっくりと口を開いた。


「わたしの名前はクリュー。翠の貴石を宿すもの。北の、名前もない遠い場所から来た」
「…なんだ、いきなり。話す義理はないんじゃなかったのか」
「お前が相手のことを知らないとなにも出来ないだろうと言ったのだ。それは一理ある。だからわたしも情報を出そうと思った」
「なんだと?」
「探している人がいるんだ。ここになら情報があるかと思って」
「…それは誰だ? それが分かればお前は気が済むのか?」

しばらくの沈黙の後、クリューは少し俯いたまま、ぽつり呟くように言った。

「わたしの姉さまだ。」

エルツは眉根を寄せる。

「姉…? どんな人なんだ…?」
「…もうずいぶん昔に出て行ってしまったので詳しいことは覚えてなくて…でも確かにわかる。ここには気配がする」
「ここ…ってこの家か!?」

エルツは驚いて立ち上がりかけた。ガタンと年季の入った木の椅子が音を上げる。
この家。祖父より続く貴工職人の家系で、この作業場も兼ねた店も構えている。だがそれだけ。この街ではよくある家系だった。

「とんでもない、この家にお前の姉のような女はいない。子供は俺だけだし、他所に姉や妹がいるなんて話は…」


 むっと、またクリューは頬を膨らませた。異を唱え、彼女もまた椅子から身を乗り出す。

「私がうそをついているというのか?」
「うそもなにも…事情があろうともうちは両親とも休暇中だ。そのあとじゃないと俺はなんとも…」
「ふむ。ではそれまで滞在させてもらう。その間に手掛かりが見つかればよし、なければおまえの親に聞くまでだ」
「なっ…」

 すっかり腰を落ち着ける気満々の少女に、エルツは呆れて声も出なかった。

「改めて、よろしくな」

 満足そうに少しだけ笑った彼女に、エルツは頭をまた抱えた。
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