C-LOVERS

佑佳

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LUCK

1-6 cat-like eyes

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「で、名前は」
 組んでいた足を下ろし、センターテーブルのA4紙へペンを向ける良二。
「知らない」
「まぁ……期待はしてなかったけどよ」
 細長い右足を高く組み、口角を上げてにこやかに答えていく善一。
「いつ逢った」
「一時間半くらい前かな」
「どこで」
「ターミナル駅の近くの広場で路上ストリートやってたんだけど、その時にたまたま見かけた」
「んだよ、観客か」
「いや、これが恥ずかしいことに観客ギャラリーにはなってないっつうか」
「じゃなにか。ただの通りすがりだっつーのか」
「まぁ、近いよね」
「そーゆーのは近いニアイコールじゃなくて、そうイコールなんだっつの」
「相変わらず生真面目きまじめで細かいなぁ、良二は」
 チッと舌打ちを入れてから目を瞑る良二。
「手、が、か、り。他っ」
 声を荒らげないよう、イライラは左足の貧乏ゆすりで逃す。他の取っ掛かりを求める良二へ応えるべく、善一は「うーん」と天井を仰ぎ見ながら彼女を思い出す。
「髪は黒くて、こう、なんつーの、ふんわりしててぇ。うーん、あ、そうだ。背は俺のこのくらいだった」
 一八二センチの身長の顎下を指し示す善一。良二は「一六二だな」と、あっさり紙へ書き込んだ。
「すげ。相変わらず正確にわかるんだ、良二」
「あとは」
「肌が白い、もやしっこみたい」
「ハッ。ったく、失礼な」
「黒い合皮の鞄持ってて、右利きだった」
「『黒いゴーヒ合皮の、か、ば、ん』と、『右き』。チッ、こんな奴溢れ返ってるだろーが」
「『合皮』と『利き』くらい漢字で書けよ。良二は相変わらず国語苦手だなぁ」
「うるせぇな……他はッ」
「目は猫目だった」
「『猫目』ってなんだ。ぼかしすぎだろ」
「猫みたいなんだよ。黒目がちで、目尻がちょっと上がり気味で、でもかわいい感じ」
「論外。主観が入り過ぎてる。参考になんねぇ」
 ちぇ、と口を尖らせる善一。
「とはいえ、キツいイメージじゃなかったよ」
「目尻上がってんのにか」
 問いながら、良二は若菜の目尻の上がり具合をぼんやり思い出してみる。あれよりは『マシ』なのか、と胸の内にじわり。
「なんかさぁ。俺とぶつかったんだけど、目が合った瞬間に慌てちゃってさァ。あの馴れてない感じ、かなりよかったんだよなぁ」
 首をコテン、と右へ倒す善一。顎にやった右手がやがてゆるゆるになる口元を覆い隠せば、良二はギューッと鼻筋にシワを寄せた。
「テメェの色恋沙汰聞かされなきゃなんねぇのかこの話はっ」
「いやいや、その女の子が可愛かった、って話」
「知らねぇよ……。つーか、そういうのは化粧にもよるから、もっと身体的特徴だの、格好だののこと言えよ」
「あー、『格好』なァ……」
「こんな情報だけじゃ、いくらなんでも捜せねぇぞ」
 ボリュームを絞り、言い渋りはじめた善一。良二を真っ直ぐに見つめていた視線を、突如あっちへやって、こっちへやって。
「とりあえず痩せ型だったよ、うん」
「『痩せ型』、と。他」
「スカートだったし。膝丈の」
「そんなん毎日ちげぇかもしれねっだろ」
「いや、平日は一緒だな」
「は? スーツかなんかか」
「いやー、スーツじゃあ……あ、まぁ、ある種スーツか」
「あ? まどろっこしいな、ハッキリ言えよ」
「んっとォ、化粧は、してなかったんだよなァ……」
「『スーツ的な、服、で、化粧はし──』、あ゛ん?!」
 そこまで書き込み、手を止めた良二。顔を上げて、善一を下から舐めるように見上げる。
「まさかだよな、テメェ」
 左の表情筋がヒグヒグとひきつる良二。嫌な汗が吹き出す。
 いつまでも目の合わない善一は、そろりそろりと右手を顎へ戻していった。
「えー、えと、制服、っていう、スーツなので、その、つまりは高校生? アハ」
 良二は「げ」という口をして、上半身をらせた。
「テメー、そのこともあって俺に頼んできたのかっ!」
「頼むよう、良二ィ! やましい気持ちは微塵もないんだって! 純粋に、彼女のデザインが気に入ったのっ!」
「ちったー自分の歳考えろ!」
「たまたま高校生だったんだよう」
 ぱちん、と両掌を併せ、顔前に持ってきた善一。上下にスリスリ擦り合わせて「頼む!」の意思表明。良二はやがて呆れたように、ふはあー、と長い溜め息を吐き出した。
「テメェの芸人生命を断つには、最高なネタとして売ることもできるな」
 ガシガシと赤茶けた頭髪を掻く良二。
「でも良二はそんなことしない。絶対に」
 笑みを消した善一。そっと、薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズが目元から下がれば、白銀色の瞳が真っ直ぐに良二を捕らえる。
「チッ……」
 甘く舌打ちで折れ、良二は再びペン先をA4紙へ向け直した。
「ぶつかったとか言ったな、さっき。どうやって接触した」
 質問を再開した良二を、にんまりと笑んで受け入れ、善一はサングラスの位置を戻す。
「対象は観客じゃなかったんだろ?」
「うん。路上ストリート終わってから、何気なく見に行ったんだよ、彼女のこと」
 組んでいた足をほどく善一。前のめりに上半身を傾け、良二のメモしていた紙を逆さから見つめた。
「俺のこと一番よく見えるベンチに座ってんのに、俺のパフォーマンスより、手元のノートにずーっと夢中だったんだ。必死になって、何か描き続けてて」
 良二はペンをタンと置き、左手を顎へやる。
「上から覗いてて、『マジか』って思った」
 善一は、着用している『OliccoDEoliccO®️』のジャケットの襟をピンピン、と引いた。
「描いてたの、俺のこのスーツだけだったから」
スーツゥ?」
「顔は真っ白」
「へぇ」
 わずかに上ずる良二の声。
 逆に低くなった善一の声。
「ぶっちゃけそれが、プライドに火ィ点けちゃってさ。『YOSSY the CLOWNを知らないのか』って。しかも、『興味があったのは俺じゃなくて服か』って」
 良二は寄せていた眉をわずかに緩める。
「でね。俺に気付かないまんまページめくんの。新しく書き出したのが、舞台衣裳で」
「子ども用だったっつーのか」
「子ども用に落とせそうだなと思っただけ」
 良二は左足を高く組み、そこへ肘を付いて頬杖にする。
「ラフ途中でも『いい』と思った。そういう、惹き付ける力のあるデザインだった」
「デザイン云々のこたァわかんねぇけど、こだわりはわかった」
merciありがと
 満足気な善一からサッと視線を逸らす良二。
「ぶつかったのはその後。別の通りすがりのカップルからサイン求められたから、そっちに対応して、振り返ったらもういなくて」
「ふーん」
「座ってたベンチに、クローバーのチャームが付いたシャーペン忘れてったんだ。だから拾って、走って追っかけて。で、急に彼女が振り返って」
 左掌と右掌が善一の胸の前で合わさる。「バチーン」と小さな効果音付きで示されたのは、当時の状況そのもので。
 善一の、どことなく楽しそうな表情に、良二は眼球をくるりと一回しした。
「ペン返したのか?」
「ちゃんと返したよ」
「そん時なんか話したか」
「『何描いてたのか訊いてもいい?』って訊いたけど、『サヨナラです』だって、それだけ」
 肩を竦めた善一の伏せた瞼が、悔しさを滲ませている。
「…………」
 良二は、左手を口元にあてがい、A4紙を睨み見たまま思考を巡らせ始めた。動くのはその瞼のみ。
「…………」
 善一は、良二の沈黙を大切に待った。思考を言語化し口から吐き出すことが苦手な良二を思いやってのこと。

 そうしたまま、きっちり六〇秒押し黙る二人。
「じゃあ──」
 六〇秒が過ぎると、良二は口元にあてがっていた左手を下げた。
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