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第四章 野分

第九話 黒い猫

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 東の山々が錦のように、鮮やかに色づいている秋の日の午後。
 沖田は廃寺に続く緩い坂道を急くように走って上る。
 向かい風が心地良い。
 
 だが、その前方の坂道の脇で、佑輔がしゃがみ込んでいる。
 
「久藤様! どうか致しましたか?」
 
 沖田が血相変えて駆け寄った刹那、

「あ……っ!」
 
 佑輔は腰を浮かせて声を上げ、二、三歩前に進み出た。
 そして、視線の先には木陰に逃げ去る猫の背がある。
 黒猫だ。

「ああ、……逃げちゃった」
 
 立ち上がった佑輔は、落胆も顕わに肩を落として呟いた。
 猫じゃらしのように持っていたイワシの煮干しを自分でかじり、大きな溜息をひとつく。

「せっかく、そこまで来てたのに……」
「野良ですか?」
「……でしょうね。最近見かけるようになったんです」
  
 子供のように憮然と下唇を突き出して、恨みがましい視線を沖田に寄せる。
 それでも未練がましく何度も振り向き、そこいらにまだいないかどうかを、身を乗り出して眺めていた。


「お好きですねえ。塾で飼ったりしないんですか?」
「うちでは飼えないんです。千尋さんが咳をするから」
「猫を見ると?」
「そんなわけないでしょう。蘭医は猫の毛が良くないようだと言っていました」
 
 一笑に伏した佑輔は、沖田と並んで廃寺に入り、境内の回廊に腰かける。


「まあ、千尋さんとは一緒に暮らしているわけじゃありませんけど。たまに語学の教鞭にいらっしゃるから」
 
 だから、どんなに好きでも飼わないと、佑輔は自嘲のような笑みで頬を歪めていた。

 朽ちかけた回廊に座ったまま、浮いた足を揺らすうち、佑輔の草履が脱げて地べたに落ちる。
 拾ってやろうと屈んだ沖田の鼻先で、佑輔の素足が揺れていた。

 少女のように形のいい足。
 艶のある爪。
 白いくるぶし。

 沖田はドキリと鼓動を跳ね上げる。

 そして、いけないものでも見たように、咄嗟に顔を背けていた。

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