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第四章 野分
第十一話 土方の失態
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南禅寺の門前町の団子屋には、人慣れた看板猫がいるらしい。
沖田は佑輔との稽古を終えたその足で、東山へと向かっていた。
その三毛猫は店先にどっしりと腰を据え、客にどれだけ撫でられようとも微動だにしないと聞いている。
子供はみな喜んで撫でに来て、ついでに団子も買って行く。
文字通りの招き猫。
沖田は稽古の日だけは、あの猫を借り出せないかと考えた。
連れて行ったら、きっと佑輔が喜ぶだろう。
それを思うと、沖田の頬もほころんだ。
軒を連ねる茶屋街は、沖田が到着した頃にはもう既に夕暮に包まれ、往来を行く人影もほとんどいない。
店先に出した床几を片付ける団子屋の主人に、小走りになって駆け寄ると、ひとりの女が脇から声をかけてきた。
「恐れ入ります。新撰組の沖田はんでっしゃろか」
「はい。そうですが」
着物の衿を深く抜いた艶めかしい女は沖田に一歩近づいた。
「実は、うちの茶屋のお二階に、お宅様の先生がいてはります。一刻半てお約束やったんどすけど、降りてきはらへんのどす」
ひそめた声で言いながら、目顔で沖田を奥へと誘う。
軽く首を捻った沖田は、敷石を歩き出す女の後に黙って続いた。
客を迎えて送り出す通路の左右は竹林で覆われて薄暗い。その先にあるのは出会い茶屋の玄関だ。
沖田は一瞬ためらった。
「一体、どういう風貌の人ですか?」
沖田は引き戸の前で立ち止まる。
「お背の高い、細面の男前はんどす。髷は総髪で、やぶ睨みするような」
女は自ら格子戸を開け、沖田を中へと促した。
しかし、沖田は驚愕し、思わず二、三歩後退した。やぶ睨みの男前で背が高いといったら土方に違いない。
「どんな方と一緒です?」
沖田の声が上擦った。
「へえ。まだ若い男はんどしたえ。小柄で、ほんまにお綺麗な」
女はためらう沖田を置き去りにして戸を開き、廊下に上がると、二階に続く急こう配の階段を、さっさと一人で昇り始める。
それでも沖田は足に根が生えたように動けなかった。
あり得ないのだ。
土方の衆道嫌いは筋金入りで、衆道者と聞くと毛虫でも見るような目しかしない。
その土方が、色子のような少年と、出会い茶屋にいるというのか。
沖田は虚ろに首を左右に振りつつ、ぬるい笑みをもらしていた。
きっと何かの間違いだ。
色子と一緒に茶屋の二階にいるという、細面の男前など新撰組には数多いる。
沖田は女将に急かされるまま、茶屋に上がり、階段を上る。
間口が狭くて薄暗い廊下の突き当たりに立ち、沖田は女将に指し示された部屋の襖をコツコツ叩いた。
だが、中からは何の応答もない。
「新撰組の沖田です。御用改めです。入りますよ」
沖田は念のために刀の鰐口を切り、一気に襖を左右に開けた。
踏み込んだ部屋の片隅には、人型に積まれた座布団の山。
そして、部屋に敷かれた布団はもぬけの殻だが、触れると人肌のぬくもりが感じられた。
次に注意深く座布団を剥ぐと、中から肘枕で高いびきをかく土方が現れた。
沖田に起こされた土方は、鬼のような形相で茶屋に支払いを済ませると、足早に茶屋を出る。
決まり悪げに黙する沖田を、突き放すように足を速め、怒気をみなぎらせながら肩で風を切っていた。
店の者は土方の『連れ』は、いつのまにか帰っていたと、気づかなかったと言い合った。
沖田は佑輔との稽古を終えたその足で、東山へと向かっていた。
その三毛猫は店先にどっしりと腰を据え、客にどれだけ撫でられようとも微動だにしないと聞いている。
子供はみな喜んで撫でに来て、ついでに団子も買って行く。
文字通りの招き猫。
沖田は稽古の日だけは、あの猫を借り出せないかと考えた。
連れて行ったら、きっと佑輔が喜ぶだろう。
それを思うと、沖田の頬もほころんだ。
軒を連ねる茶屋街は、沖田が到着した頃にはもう既に夕暮に包まれ、往来を行く人影もほとんどいない。
店先に出した床几を片付ける団子屋の主人に、小走りになって駆け寄ると、ひとりの女が脇から声をかけてきた。
「恐れ入ります。新撰組の沖田はんでっしゃろか」
「はい。そうですが」
着物の衿を深く抜いた艶めかしい女は沖田に一歩近づいた。
「実は、うちの茶屋のお二階に、お宅様の先生がいてはります。一刻半てお約束やったんどすけど、降りてきはらへんのどす」
ひそめた声で言いながら、目顔で沖田を奥へと誘う。
軽く首を捻った沖田は、敷石を歩き出す女の後に黙って続いた。
客を迎えて送り出す通路の左右は竹林で覆われて薄暗い。その先にあるのは出会い茶屋の玄関だ。
沖田は一瞬ためらった。
「一体、どういう風貌の人ですか?」
沖田は引き戸の前で立ち止まる。
「お背の高い、細面の男前はんどす。髷は総髪で、やぶ睨みするような」
女は自ら格子戸を開け、沖田を中へと促した。
しかし、沖田は驚愕し、思わず二、三歩後退した。やぶ睨みの男前で背が高いといったら土方に違いない。
「どんな方と一緒です?」
沖田の声が上擦った。
「へえ。まだ若い男はんどしたえ。小柄で、ほんまにお綺麗な」
女はためらう沖田を置き去りにして戸を開き、廊下に上がると、二階に続く急こう配の階段を、さっさと一人で昇り始める。
それでも沖田は足に根が生えたように動けなかった。
あり得ないのだ。
土方の衆道嫌いは筋金入りで、衆道者と聞くと毛虫でも見るような目しかしない。
その土方が、色子のような少年と、出会い茶屋にいるというのか。
沖田は虚ろに首を左右に振りつつ、ぬるい笑みをもらしていた。
きっと何かの間違いだ。
色子と一緒に茶屋の二階にいるという、細面の男前など新撰組には数多いる。
沖田は女将に急かされるまま、茶屋に上がり、階段を上る。
間口が狭くて薄暗い廊下の突き当たりに立ち、沖田は女将に指し示された部屋の襖をコツコツ叩いた。
だが、中からは何の応答もない。
「新撰組の沖田です。御用改めです。入りますよ」
沖田は念のために刀の鰐口を切り、一気に襖を左右に開けた。
踏み込んだ部屋の片隅には、人型に積まれた座布団の山。
そして、部屋に敷かれた布団はもぬけの殻だが、触れると人肌のぬくもりが感じられた。
次に注意深く座布団を剥ぐと、中から肘枕で高いびきをかく土方が現れた。
沖田に起こされた土方は、鬼のような形相で茶屋に支払いを済ませると、足早に茶屋を出る。
決まり悪げに黙する沖田を、突き放すように足を速め、怒気をみなぎらせながら肩で風を切っていた。
店の者は土方の『連れ』は、いつのまにか帰っていたと、気づかなかったと言い合った。
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