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序章 きみが灰になったとしても
第51話 深き森の顛蹶と僕ら
しおりを挟む「いてっ……」
脇腹辺り、腰の近くに衝撃が走って、次に頭から火花が散った。瞼を開け、頭を振って見上げると、そこにはこちらを見下ろすニコの姿があった。
「なーに、ぐーすかぴーすかぷーすか寝てんのさ。ほら起きて、早く行くよ」
「えっ、……ああ、ごめん」
どうやら、ニコに腰を蹴られて目を覚ましたようだ。
見渡せば、そこにはもりもりとした森しかなかった。いや、もりもりとした森ってなんだろう。我ながらよく分からないが、まぁ寝起きはだいたいこんなもんだ。基本的に頭が回らない。
「……なんか、すげぇ落下してる夢見てた気がする」
「夢あるあるじゃん」
ニコはふっ、と鼻で笑った。何かすっぽりと大事なことを忘れているような気もするが、然もありなんと言ったところで、忘れたことを気にしても仕方がないだろう。
「あれ、俺どれくらい寝てた?」
「ん、でも一時間とかそんくらい? 少し待っててあげたけどさすがになーと思って起こした」
「あー、マジか。でも、おかげで結構疲れ取れたかも。ありがとう」
ニコは、小さく息をついて無言で歩き出した。ノウトもまた軽く荷物を整えて、その小さな背中を追った。
鬱蒼とした樹海の中をただ歩く。途中で湖やら川辺やらで少しずつ休憩しながらも進んで行くと、大きな亀裂に出くわした。下の方は暗くて、深くてよく見えない。
さながら天然の要害だ。
つまり、自然に守られているということは、守られてそこに引きこもっている、ということでもある。
ノウトが今まで出会ってきた森人族は魔皇の護衛兵であるユークの、そのまた渡し船であるスピネを除いて、正直な話、好印象なものを感じられなかった。
容姿はいいが、閉鎖的で、排他的で、自分たち以外を見下している。
おそらく同族の中でも、やつは自分より下だとか、あいつは駄目だとか劣っているとか、言わずとも心の中で思っているような、そんな種族だと他種族の者たちは決まって森人族のことをそう揶揄する。
だが、ノウトは決してそうは思わない。
出会ってきた数が少ないというのもあると思うが、誰もが分かり合えるはずだとそう信じている。
街や村のようなものはどこにも見当たらない。
ただ、降雪地帯は抜けられた気がする。地面は苔で覆われており、土がほとんど露出していない。
そこらじゅうに生えているキノコやシダ植物の中には仄かに発光するものがあり、率直に言えば、かなり綺麗だ。
ゆらゆらと空中を漂うクラゲのようなクリオネのような生き物、羽が生えていて宙を飛ぶムカデのような生物や燐光を振りまきながら舞う蝶や蛾など、独特な生物が目につく。
「……凄いな」
ノウトが感想を口にする。木々はどれも現実離れするほどに太く、丈が長い。今いる巨大な森全体がまるで怪物のようで今にも動き出しそうだった。
「外は──」
前を歩くニコが呟いた。
「センドキアの外は、知らないことばかりだ」
「……そうだな」
「ノウトは、色んなところ、行ったことあるの?」
「もちろん」
ノウトは小さく首を縦に振った。
「人間領──レーグ半島のアトルやシェバイアなんかはセンドキアに似てた。人々の雰囲気というか。まぁ、徒人族だけが住んでるって意味で言えば似てて当然だけどな」
言うと、ニコは数秒くらい口を閉じていた。ニコは寡黙ではないが、自分から話をしない。
聞く耳を持たないわけではないので、今はとにかくノウトの話を聞きたいだけみたいだ。
「猫耳族って分かるか? 猫耳と尻尾がある種族。そいつらの国がモファナって言うんだけど、そこが本当にいい街がたくさんあるんだ」
「いい街?」
ニコが聞き返した。少しだけ嬉しくなったノウトはたまらず次の言葉を紡ぐ。
「いい意味で開放的というか、来る者拒まずな雰囲気の街が多くてさ。南側、連邦との国境沿いはそういう街は少ないけど。首都のナルーアは絶対に行くべきかな」
「ふぅん」
ニコは歩きながらも、息をついた。それから、ノウトはいろいろな都市や街の話をした。グリムティアやファガラント、タバサタやソマリスなどだ。
話しながら歩いていると、ついには太陽すらも見えないくらい森が深くなってきた。〈光〉の小型神機はツキログマにぶっ飛ばされた時に失くしてしまったので、今頼れるのはポケットにある〈焔〉の小型神機だけだ。さすがに木々に燃え移ったりしたら笑い事では済まないので使わないけれど、それにしたって暗い。
光るキノコや虫の類いが微かに道無き道を照らしている。
今、ノウトが所持してるものは〈焔〉の小型神機と星瞬転移機の設計図、それから折れたアヤメの剣だけだ。
隠し玉はあるが、ほとんどの不殺の道具は熊にボコボコにされたときに失くしてしまった。
でも、何かあった時に対処できないのはこっちに飛ばされてきてからずっと同じだ。
ノウトは二ヶ月近い間、たった独りで氷雪の森の中を生き続けた。何度か本当に死にかけたと思ったが、今はこうして生きている。いくつもの奇跡が折り重なった結果、ノウトは今ここにいるのだ。この生を無駄にしてはいけない。
どれくらい歩いたのか、ニコが黙って大樹のうねる根に座り込んだ。疲れたのだろう。ノウトもその意思を汲んで、近いところに座った。
帝都で暮らしていた頃は筋トレも毎日のようにしていたし、苛烈な環境で生活を強いられていた時期もあったので体力には自信があったけど、さすがに疲れた。
目を瞑って、深く、深く呼吸をする。
吸って。吸って。吸って。
吐く。
肺に溜めた酸素を全て絞り出すように、濃い空気を吐き出していく。
目を瞑ると、悲観的な事実にうちのめされそうになる。なんとか自らを鼓舞しないと心がもたない。
意味があるのかないのかすらも分からない思考をただ繰り返して休んでいると、猛烈な違和感が腰の近くに電撃の如く走った。
「あ゛っ………?」
なんだ。脇腹辺りが。熱い。めちゃくちゃに熱い。そして、凄まじいほどの異物感がある。何かが、めり込んでるみたいだ。めり込んでる? 何が?
ノウトは目を開けて、ゆっくりと隣を見た。
「ニ、コ……?」
ナイフが。ニコが握るナイフが、ノウトの脇腹に突き刺さっている。
その答えを知った瞬間、熱いが痛いに変わった。痛い。痛いにも程がある。痛いと同時に、思考は疑問に埋め尽くされていた。
「…な、んで………」
ノウトがナイフを両手で握るニコの手を掴んだ。ニコはハッ、と鼻で笑ってノウトを睥睨して、ナイフから手を離した。
「今更気付いた? ノウト。キミは騙されてたんだよ」
「だま、され……」
ノウトの脇腹からうだるような血の香りがする。身体を動かすと傷口が痛むから、身をよじることも出来ない。
ノウトは身体に刺さったナイフを抜いた。血が傷口から溢れだしているのが分かる。
「悪いけどさ。ボクの為に死んでくれよ、ノウト」
ニコはただ漫然とそんな台詞を呟いた。意味が分からない。
唐突に起こった出来事に頭がまとまらない。傷口を手で抑えてなんとか失血を防ぐ。
「いっ……!?」
突然、ニコが身体をよろけさせる。
目を瞠ることが起きた。ニコの肌を何かが掠めたのだ。それはノウトの足元のすぐ近くに刺さった。鋭角を描くように地面に突き刺さっている。それは、矢だ。その矢が示すのは、ノウトたちが、ニコもまとめてどこからか矢で狙われているという事実だ。
殺気を感じて、ノウトはニコの前に出た。
「ニコ……!」
ノウトはニコをかばうように抱きかかえて転がった。
「ちょっ……!?」
「まだ来るか!?」
同じようにノウトはニコの手を取って、その場から動いた。さっきまで立っていた場所に矢が数本刺さる。危機一髪だ。
「ニコ、大丈夫か?」
「いや、……うん。大事はないけど……」
「それなら、良かった」
「──いや、そうじゃなくって!」
ニコは声を荒らげて、ノウトの身体を跳ね除けた。
「キミ、頭おかしいの!? ボクに殺されそうになってんだよ、キミ!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
ノウトは痛む脇腹を抑えながら声を出した。痛い。痛いけど、まぁ、この傷じゃ、化膿しない限り死にはしないはずだ。
人間、そんな簡単に死なないようになってる。ノウトの身体が異常なだけかもしれないけど。
「誰かに、どこからか弓で狙われている。俺らがここでケンカしてる時間はないぞ」
「ケンカって……」
「お互い死にたくないだろ? 今は、生きる為に協力しよう」
「…………」
ニコはノウトを睨んで、「……はぁ」とため息を吐いた。それから黙って周りを見渡す。
「矢で狙ってきてるのはニコの知り合いじゃないよな?」
「生憎だけど、知らないよ」
「また嘘じゃないよな?」
ノウトが聞くとニコは、ふっ、と鼻で笑う。
「今度は、ほんと」
「そうか」
ノウトはニコに向き直って、微笑した。
「あとで俺を殺そうとした理由、ちゃんと聞かせてくれよ」
「……キミ、ほんとにおかしな人だね」
「よく言われるよ」
ノウトが言うと、ニコは小さく笑って、それから頷いてみせた。
「分かった。さっきかばってくれたのに免じて、全部話したげる」
「それだけ聞ければ満足だ」
呟いて、姿勢を整える。
ノウトは深く呼吸をして、息を殺した。
当然、暗殺は発動しない。でも、気配をある程度消すことはできる。
正直なところ、少し前から誰かの息遣いを感じていた。厳密に言えば、それは音ではない。既存の言葉を当てはめるなら、気配というのが適しているだろう。
どこから、どれくらい前から刺客がこちらを着けているのかは判然としない。とにかく少なくとも複数人の誰かが、ノウトたちを狙っているのは確かだ。矢が降ってきた方向から察するに、ノウトの現在地から右斜め前方の大樹の辺りにいるのは分かる。でも、それ以上はどうだろう。分からない。
貧血気味で、頭が上手く回らない。ニコに刺された傷口の血は少しだけ止まってきた。
「ふぅ……」
息を吐く。呼吸を整える。よし、いける。
ノウトは姿勢を低くして、大樹の近くに駆けた。気配を感じる。近くにいるはずだ。
シュシュンッ、と矢が三、四本一斉に降ってきた。
ノウトは身をよじるようにして、それを躱す。ロストガンやラウラに稽古をつけてもらっていた関係上、反射神経だけは自信がある。
「ッ……!」
ノウトは折れたアヤメの剣を引き抜いて、矢を弾き飛ばした。ざっ、と地面を蹴るような音がして振り返ると、尖り耳の男たちに剣を突きつけられた。
森人族だ。
「ちょっ……!」
森人族の持つ剣の切っ先はノウトの喉元に触れるその寸前で止まっている。
ここまで近づかれるとは思っていなかった。四人だ。四人の森人族が姿を見せた。この森人族たちは相当な手練だ。出てくれだけで分かる、手前にいる中年の森人族は特に強いはずだ。
「ニコ……!!」
既にニコは一人の森人族に後ろから羽交い締めにされている。
「人間達よ」
その中年の森人族が口を開いた。
「我らの森で何をしている」
「先に、ニコを……仲間を離してくれないか?」
「質問に答えるのが先だ」
ニコは森人族の男に羽交い締めにされたまま苦悶の表情でこちらを見ている。ノウトはひとつ息をついて、頷いた。
「旅をしてるんだ。今はその途中で、俺らはこの森に危害を加えるつもりは一切ない」
「信じろと?」
「何も根拠は提示できないけど、信じて欲しい。俺は誰も傷付けない」
ノウトが言うと、中年の森人族は目を細め、こちらを睨んだ。
「口だけではどうとでも言えるな。……やれ」
「ま、待ってくれ! 森を通してもらうだけでいいんだ! 街には一切立ち入らない! だからっ!」
彼が手で命令すると、その後ろにいた細身の森人族が黙ったまま手をこちらにかざした。
その直後、ノウトの足首に何かが巻きついた。見れば、苔で覆われた地面からツタ植物のような物が生えて、ノウトの両足首に巻きついている。
「我らが森に立ち入っておいて、生きて帰れると思うなよ。穢れた末裔め」
「……ぃっ!」
数えきれないほどのツタと細い枝が、シュルシュルと延びて、瞬く間にノウトを覆い尽くした。
それらは口や鼻の穴にも入り込んで、たちまちに呼吸も出来なくなった。やばい。気を失ったら、ニコが。もう、誰も失いたくないのに。ああ。息ができな────
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