できそこないの幸せ

さくら怜音

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第四章 カミングアウト

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「約束して、光くん。私より好きな人ができたら、一番最初に報告すること」

かつて好きだった女子と交わした約束を思い出した。
今西光は自作楽曲『Your side』をイヤホンで聴きながら、敷布団に背を預け目を閉じる。
まだ中学校の制服を着ていて、春には上京してバンド活動をすると報告した日のことだ。今も克明に覚えている。地元のハンバーガーショップで一杯百円のホットコーヒーMサイズを買って、ちびちび飲んでいた。
その女子の名前は、和泉リンという。

「リンより好きな奴なんて、できるわけねえよ」

本気でそう思っていた。だから馬鹿げた願い事だと失笑した。

「何言ってんの。寂しがり屋の甘えたちゃんがぼっちで東京なんて無理じゃん。勝行くんが誘ってくれたから行くくせに。私よりあの子を選んだんでしょ」

青いチェックのマフラーと、毛先の痛んだポニーテールが、ぷいとそっぽを向いた彼女の動きに合わせて揺れる。

「そ……そりゃ、あいつと音楽やるために行くわけだし」
「ふふっ、でしょ。光くんが一番好きな人はやっぱ勝行くんなんじゃない?」
「別に、あいつが好きだから行くんじゃねえ。生活費の問題とかあるし、趣味があうから。一緒に音楽やるのもいいなって思ったからだ」
「はいはい、今はそういうことにしとく」

どう否定しても「勝行くんとお幸せに♡」とばかり言うリンは、俗にいう腐女子だ。男同士が仲良くしていると、すぐに恋仲だと誤解し、くっつけたがる。今も口では怒っているように聞こえるが、顔はニヤニヤしている。

「勝行くんは絶対、光くんラブでしょ。出会ってからずっと追っかけてくれるだなんて、一途よね」
「……あほらし。あいつは女好きだぞ。それに奴の目的は俺のピアノと作った飯だけだ」
「えー、あんなにあからさまなのに……」
「いいや間違いない。勝行は巨乳好きのむっつりスケベだ。金髪美女のポスターついてるCDとか買ってたし。俺はああいうの嫌い。あいつとは趣味が合わない」
「……って私の胸見ながら言うのやめていただける?」

リンは遠慮なしに光の額にチョップを食らわす。飲みかけのコーヒーを鼻にかぶり、ゲホゲホと咳き込んだ。そんな情けない姿を見ながら、リンはでもさあと笑った。

「私はバンド活動してる時の光くんが、一番好き」
「なんで」
「だって。勝行くんと演奏してる時の光くん、本当に楽しそうなんだもん。君の天職に出会ったんだと思うわ。だからさ、喧嘩してもWINGSはずうっと続くって信じてるよ。おじさんになっても」
「そうかなあ……」
「つーか、たとえ誰とくっつこうが、光くんのガチファン第一号は私だかんね? 有名人になってもそこ忘れないでよ、あとサインも練習しとけ」
「はあ? 気ぃ早すぎだろ」
「身内に甘いのは当然でしょ」

私利私欲に塗れたリンの言葉には苦笑するしかなかった。
リンは双子の弟・源次を通して知り合った、唯一の幼なじみである。
母親は他界し、父親も見つからない。両親から虐待を受けた兄弟のうち、弟だけが幸せな家庭に引き取られ、他人として生きている。ひとり自暴自棄に陥っていた時、リンが光の孤独に気づき寄り添ってくれた。彼女はある日突然義弟になった源次が、生き別れになったという兄を探していた。
悪いことをすれば本気で叱り、握り飯を作れば全力で喜ぶ。頼んでもいないのに、寂しい時に限って弟を連れて遊びにやってくる。家族を失い、孤独に怯えていた光が姉のような存在の彼女に惹かれ、【好き】だと認識するのは当然だったろう。リンも「今西兄弟は二人とも大好き」と笑っていた。光自身、いつか好きになったせいでリンを傷つけるかもしれないことが怖くて、それ以上望むことはなかった。
あの頃の自分は、勝行との未来よりも、募るリンへの想いから逃げ出したくて、東京へ行く決意をしたのだ。
泣きつきたい気持ちを笑顔に隠して、彼女と別れたのはもう三年前――。



思えば随分変な報告だなと思いつつ、今西光は新しく買い直してもらったスマートフォンを見つめていた。
大きな画面には前髪のメッシュと揃いのエメラルドグリーンが綺麗な海の壁紙と、再生中の楽曲名。ふいと画面をなぞって通話アプリを開くと、発着信履歴には『勝行』の二文字だけがずらっと並んでいた。一バイトのズレもなく、綺麗に整列する名前。

「……リンの電話番号、知らねえや……」

この感情は本当に、リンが望んだもので合っているのかどうか。本当は電話して確かめたい。
今更、特別に好きだと感じたわけではない。ただ遠くにいて会えない女の子との想い出に浸るよりは、目の前の好きな人と一分一秒でも長く手を繋いでいる方がいいと気づいただけ。

『お前は愛する人間をダメにする、悪い子だ』

何度も聞かされた父と母の呪いのような言葉は、光の恋心をずっと縛り付けてきた。
そんなふざけた話があるもんかと、頭ごなしに怒って否定した人はただ一人だけ。それが――今の自分の、一番大切な人、だ。彼とそんな関係になるだなんて、あの頃は思ってもみなかった。

昔からずっとそうだった。暖かい声、体温、肌ざわり。優しい歌声。髪を撫でる手。好きだったものを列挙していけばいくほど、光は誰かの愛を欲し、恋に焦がれた。
そしてそれを何度も失ってきた。これ以上失うことが怖いのに、また誰かの温もりを求めてしまう。一人になれない、弱い人間だから。わかっていて、歌にまでしてもずっと、自分の気持ちに向き合えないでいた。

(父さんが好きっていう感情も、勝行の傍にいたいって思う気持ちも、リンと一緒に生きたかった願いも……俺にとっては、何も違わない。でも)

ただ求めるだけでなく、今度は自分から愛したい。できれば恋人にもなって、彼にうんと優しく抱かれたい。心も体も繋いでもらって、互いに互いだけを激しく求めあいたいと願う。
たとえ相手が自分を嬲るような目で見下ろし、鎖に繋いで監禁してきたとしても――。

(俺は……もうこれ以上、好きになることを諦めたりしない。でも、あいつだけは絶対に守りたいんだ。いつまでも受け身じゃいけない。どうすればずっと一緒にいられるか……WINGSを続けていけるか、考えないと)

今宵もベッドに横たわる光のシャツは馬乗りになった彼に強引に剥がされ、手にしていたスマホはイヤホンごと床に投げ捨てられた。ガツンと激しい音を立てて、それは転がっていく。
胸に落ちる嵐のような口づけの雨に身を委ねていたら、突然噛み千切られるような刺激と、呼吸が止まるほどの苦痛が走る。

「おやすみ光、愛してるよ」

耳元で狂ったように愛を囁き、歪んだ笑顔を向けるパートナーは、光の首を締めながら涙を流していた。
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