できそこないの幸せ

さくら怜音

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第四章 カミングアウト

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「ピザ買ってきた。これ美味そうっしょ? クワトロシーフードデラックス」
「ヒカル、皿なんか出さなくていいって。紙皿も割りばしも買ってきたから」
「お前は働かなくていいから座れ座れ。おっさんたちと愛を語ろうぜ」
「勝行はいつ戻るって?」
「今片岡さんが迎えに行ってるから、あと三十分くらいかしら」
「じゃあ、ケーキと飯は全員集合まで楽しみに置いとくか」

伸びてくる無数の手。逃げられない部屋。
沢山の人間に取り囲まれて、怖いと一瞬身構えても、その手は自分の頭を優しく撫でてくる。それから「なんか飲むか」と飲み物を差し出してくれる。
隣にさりげなく座る保が、時々光の目や耳を強引に塞いだ。大人数が苦手だということを知っていて、気遣ってくれているのがわかる。反対側の隣には常に晴樹がいて、会話に気後れしがちな光の言葉を拾ってうまくサポートしてくれる。晴樹とインフィニティのメンバーは数分前に初めましてと挨拶し合った仲なのに、あっという間にタメ口で談笑していた。

「そっかそっか、タモツの恋人さん。やっと一緒になれたんだな。これから一緒に事務所活動するのか?」
「でも数字も音楽も苦手でねー、僕。マネージャーとか営業? ならできっかなあとか」
「ソロ活動させるんならマネージャーはいるだろうな。光はこれからどんどん売れて忙しくなるぞう」

どうやらオーナーは保の諸事情を知っていたらしく、晴樹と随分親しげに話していた。光がその会話を興味深げに聞いていると、晴樹は嬉しそうに光の肩を掴み「もうヒカルくんは弟みたいなもんですから」と嬉しそうに語る。
いつからそうなったんだと突っ込む暇もなく、「なんだと、光の兄なら俺もだ!」「いいやオレだ」と主張するサポートメンバーたちに次から次へと囲まれ、新参者の晴樹はいじられ、巻き込まれてもみくちゃにされた光は「何やってんのあんたら!」と怒鳴る保に助られ——。
勝手に持ち込んだ酒で早くも宴会モードに突入している大人たちの中心で、光は徐々に笑顔を零すようになっていた。

…… ……
…………


「ただいまぁ。って酒くさ……っ」
「あっ、勝行おかえり!」

帰宅するなり大量の靴と男の騒ぎ声に出迎えられた勝行は、集団の中から嬉しそうに飛び出してくる光を見つけた。そのまま勢いよくダイブしてくるあたり、相当機嫌がよさそうだ。あれは完全に大型犬だな、とリビングで笑い声が飛び交っている。

「ただいま、光。困るようなこと、何もなかった?」
「大丈夫だって」

そのまま勢いで頬にキスされるかと思ったが——光はすぐに身を離した。それから「みんながいてくれて、楽しかったぞ」とにっこり笑った。

(え、キスしないの)

くるはずのものが来なかったことに勝行は一瞬戸惑った。挨拶のキスまで禁止した覚えはなかったのだが——「それよりみんなが」とまくし立てる光はもう自分以外の方向に目を向けていた。

「すげえ御馳走いっぱい買ってきてくれてさ、お前と食おうっつってずっと待ってたんだよ。腹減ってないか?」
「あ、うん……空いてる」
「だよな! おおい、勝行帰ってきた。メシ食おうぜ。それ温め直すから」
「待ってました!」
「いやもうオレたち、だいぶ出来上がってるけどな」
「勝行、おつかれさーん!」

お邪魔してるよ~と笑いながら騒ぐ知り合いたちはざっと数えて十人近く。中には宴会の様子を撮り歩くカメラマンもいた。
片岡から軽く事情を聞いてはいたが、改めて見ると結構なカオス。リビングテーブルは大量のケータリング料理と飲み物であふれ、かさばる男性陣が酒をアテに談笑している。宴会は実家やライブハウスでも見かけるし慣れているが、二人暮らしを始めたこの自宅では初めて見る光景だった。

光と晴樹が二人で仲良く語らいながらキッチンに向かっていく。その途中で勝行を振り返り「すぐ食えるから、部屋で着替えて来いよ」と進言される。

「あ……う、うん」
「おいハルキ、その肉もあっため直すから取って」
「はいはいー!」

会話はすぐ終わり、光はキッチンの中でいつも通り食事の準備を始める。あれだけの人数の料理を一気に調理しなおすとなれば手伝い要員がいるのも当然といえば当然だ。そういえば晴樹も料理を作れる家庭的な男だと以前保が言っていたことを思い出す。
勝行は言われるがまま、ネクタイを外しながら自室に戻った。制服シャツを脱ぎ捨て、明日のためにスラックスだけはハンガーにかける。
大人たちの話が盛り上がっているのだろう、ぎゃははっと笑い声が遠巻きに聴こえ、その中に光と晴樹の笑い声も混じっていることに気づいた。

(……いつから先生のこと、ハルキって呼ぶようになったんだあいつ)

勝行は急いで私服のポロシャツに袖を通し、脱いだシャツはベッドに放置したままリビングに戻った。晴樹と光の様子をいの一番に確認しようと思った瞬間、サポートメンバーたちに捕まってあっという間に部屋の奥まで連れていかれる。

「聞いてくれよ勝行ぃ」
「はあ」

情けない声で勝行に絡んできたのは最年長のドラマー・久我だ。休日仕様なのか、いつもきちんとヘアワックスで髪を固めている彼の頭髪は若干ラフで無造作な形になっていた。その足元には焼酎の空瓶とビール缶が無造作に転がっている。

「『ねえあたし、子どもほしいの!』って嫁さんに押し倒されたもんだから。ゲイってことがバレちまった。この年で離婚だ、リコン」
「ぎゃははは!」
「自業自得だってばよ。金目当ての偽装結婚なんてするから!」
「うるせえよてめえら。勝行ぃ、あいつら血も涙もねえんだ。慰めてくれ~」
「……久我さん滅多に酔わない人なのに、珍しくべろべろですね……?」
「そうなんだよ。オッサンさっきからこんなんで光にも絡んでてさあ。よしよしされて喜んでたってわけ」
「離婚したの一か月も前だろうが! 今更なにグチグチ言ってんだお前は」
「いいだろうが~! 俺だってたまには勝行と光に甘えたいんだよっ」

このテンションで光も絡まれていたのなら、相当嫌がっていたのでは?
少なくとも大声の喧騒を怖がるはずで、耳を塞ぎたくなっただろう。まだ知り合いしかいない分、マシだったのかもしれないが、いつもの光なら絶対に苦手な状況だ。本当に今日一日、何事もなく無事だったのだろうかと不安になる。
勝行は大騒ぎする酔っぱらいたちに囲まれながらも、あくせくと働く光を何度も振り返った。
ずっと見たいと思っていた、満面の笑みを浮かべる光がそこにいる。
その視線の先には、自分は映っていなくて。彼の隣で一緒に笑うのは、晴樹。それから保。カメラを構えたスタッフが、その様子をきっちり撮影して「光くん、いい笑顔だね」と褒めちぎる。

晴樹の持つケーキの飾りフルーツをつまみ食いして「うまっ」と喜ぶ姿。
プロデューサーに寿司の試食を「あーん」して、意地悪く自分の口に運ぶ姿。
「先に食べるなよ」と須藤に怒られて、けらけら笑う姿。

そう、これは本当に理想的なアイドル少年『今西光』のドキュメンタリーの撮影会だった。

(これが……当たり前の光景のはずなのに……)

なぜ心はこんなにも痛むのだろう。光が幸せになることは自分の望みでもあったはずなのに。どうして。
勝行は楽しそうな光を見守ることができず、終始視線を逸らし続けていた。
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